イセリック/クワイエット・テラー

@etheric

文字の大きさ
17 / 44
クワイエット・テラー

コールドアイズ Ⅲ

しおりを挟む
「わっ!」

 人魂のような光の塊がマイカのいた場所にボタボタと降り注いだ。マイカは生まれ持っての優れた反射神経でもって、直撃は避けられたが、左手にその光が当たったような気がした。しかし、痛くはないし、足場の床も無傷のようだ。

 マイカがとっさに怪物に目を向ける。

 怪物のあの不気味な目はすでに閉じていて、相変わらず沈黙を貫いている。たった今降ってきた光る物体は何だったのだろう?とマイカが不思議に思っていると……、左手が突然下から引っ張られるようにずり下がった。

「えっ!?なに!?」

 マイカは、左腕の肘から下に異様な違和感を覚えた。指を動かそうとしても全く動かない。それに左腕の付け根がとてもだるく感じる。そして何より、左腕がとても重い。20キロ程のダンベルでも握っているかのようだ。

 マイカは、だらーんと垂れ下がった左腕の手首をおそるおそる右手で触れると、それはもう人間の体温とは到底かけ離れた氷の冷たさだった。そして―

――硬い……

 その触感は、マイカの左腕がすでに有機質なものでなくなっていることを意味していた。

「これって……」

 鉛のような金属だとマイカは感じた。暗さではっきりとは分からないが、変色していて、おそらくもう肌の色ではないということぐらいは分かった。

「あの光に触れたから……?」

 その重さと冷たさから左腕を支えることはできず、マイカはしゃがみこんでしまう。左腕の二の腕の部分が引っ張られている感覚が強く、それは鋭い痛みとして知覚される。

 マイカは左腕を絶え間なく襲うだるさと痛みの両方で、立ち上がれないどころか、そのままうずくまってしまった。

 すると、またあの声が聞こえてきた。

「ダメ!マイカ、前を見て!」

 その声はどこからともなく聞こえてくるというわけではなく、直接頭に届いているような感覚であった。その声に従って、マイカは痛みをこらえながら、おもむろに顔を上げる。

 マイカは絶句した。

「また……開いてる……」

 一つ目がまた剥き出しになって、マイカを見下ろしていた。そして、すぐにまた四方八方に不規則な動きをし始めた。

「マイカ、気をつけて!」

 やはり聞き覚えのない声……。女の子の声だ。

 マイカの意識に、その少女の声が残響する。よく思い返しても、やはり聞いたことがない声だ。現実世界の人だろうか?それとも夢の世界の人?そもそも自分は今どちらの世界にいるのだろう?こんな状態なのだから、きっとまだ夢の世界なのだろう。

「あなたは!?」

 マイカは声の主の正体を知りたかった。声の幼さからして、大人の女性という感じではなかった。

 金髪のお姉さんではないか……。

「ゆっくり自己紹介している暇はないわ!今は目の前の敵に集中して!」

「どうすればいいの!?」マイカはすがるようにその声の主に尋ねた。「腕が割れるように痛くて……!」

「マイカ、また上よ!」

 マイカはしゃがみこんだまま、頭上を見た。今度はやや前方から、マイカめがけて光の球が降ってくるのが見えた。見た目は花火のように綺麗だが、実際はそんな優雅なものではない。

 あれに当たったら――、金属人間にされてしまう!

 マイカは氷塊のような左腕を右手で思い切って掴んだ。

「あっ!つめっ……!」マイカは歯を食いしばる。つららを握りしめているようだ。右手のひらに刺すような痛みが走る。

 マイカは光が降り注いでくる前に、その場所から転がるように逃れた。

 やはり、光はボタボタと、まるで密度の濃い液体であるかのようにマイカのいた場所に落ちてきた。

「あ……あ……」

 マイカは起き上がれず、寝転がったままうめき声をあげた。左腕の付け根は燃えるように熱くなっていて、右手はそれと対照的に痛いぐらい冷たかった。両極端の痛みがマイカの体力を余計に奪っていく。

「マイカ、大丈夫!?」

 そう少女の声がすると、マイカは「なんとか……」と息を切らしながら答えた。

「でも、もう無理。腕が痛くて動けない。」マイカは弱音を吐いた。

「マイカ!辛いけど、とにかく今は耐えて!」

 そんな無茶な……。そうマイカは言いたかった。

 だが、その正体不明の少女の声はとても心強く感じた。この少女が声をかけてくれなかったら、もうすでにギブアップしていたはずだ。それにどこか頼りがいのあり、揺るがない意志が感じられる口調である。少々残酷な応援でも、マイカの心を無理矢理奮い立たせる力がその声にはあった。

「マイカ!」

「分かってる……!」マイカは苦痛で顔を歪ませながらも、まっすぐ巨大な影を見つめていた。

――もう分かった。

 マイカは、目の前の巨人の攻撃パターンを頭の中で整理した。
 
――あの赤眼が開いた時、隕石みたいにあの光の球が自分めがけて降ってくるんだ。

 マイカがそう分析している間にも、その赤眼がギョロリと剥き出しになった。粘着質の液体が上まぶたから下まぶたまで、ベッタリと糸を引いている。

「開いた!」

 マイカは息を殺してじっとしていた。赤眼はマイカの位置を確認すると、またグルグルと動き始める。その後、ゆっくりと眼を閉じるのである。

「来る!?……どこから!?」

 謎の少女に言われるまでもなく、マイカは頭上を見上げた。光の球を探すが、まだ見つからない。この暗闇だから、すぐに見つかるはずだ。マイカは痛みを堪えながら、なんとか立ち上がり、回避の準備をする。

「いったい、これはいつまで続くの?」

 マイカは頭の中にいる少女に訊いた。

「分からない。でももう少しのはず。そう長い時間じゃない……!」

「信じるからね!」

 マイカはかすかな光を視界の中にとらえた。光の球だ。今度は忌々しい影の反対側からだった。いろいろ方向を変えて撹乱しようとしてきているのか。

 マイカは光の球が着地してくるだいぶ前から、氷柱の片腕に右手を軽く添えて、ゆっくりではあるが、その場所から移動しようとした。やはり一歩一歩がとても辛い。歩くたびに振動が左腕の付け根に響いて激痛が走る。

――これぐらいで……。

 マイカはその痛みに思いの外耐えられず、5、6歩ほど横に逸れると、そこはもう安全圏だと判断した。

 元いた場所へ振り向く。光の球は、その場所へシュルシュルと音を立てながら引き寄せられていく。見上げるマイカの顔がまばゆい光で明るく照らされる。その眩しさでマイカが目を細めた瞬間、光の球は先ほどよりも激しい勢いで床に激突した。

「ひゃっ!」

 今度はボタボタと落ちるのではなく、バシャッと床にぶつかり、辺りへ飛び散った。マイカは慌てて自分の体を確認した。どこか異変をきたしているところはないか!?

「……大丈夫みたい」マイカは安堵した。「でも、さっきとなんか雰囲気が違った」

 マイカは、光の球の落ちてくるスピードが速くなっているように感じた。

 しかし、それは気のせいだと信じたかった。ただ単に自分がもっと離れなかったから、つまりギリギリのところでそれが落ちてくるのを目の当たりにしたから、そう感じたのかもしれないと自分に言い聞かせた。

 マイカは自分で自分をごまかしながらも、なんとか立ち向かう姿勢を保っていた。痛みは相変わらずある。しかし、少しずつであるがその痛みに慣れてきた。アドレナリンが出ているうちはなんとかなりそうだ。

 そして、次の攻撃に備えてマイカは影の怪物の方へ向き直す。すると、実際の状況は思ったより楽観的なものではないということにマイカは気づかされる。

「うそでしょ……」

 眼はすでに大きく開いており、あのいびつに動く気味の悪い運動を始めていた。それも、ネバネバとしたスライム状のものが眼球を覆うぐらい糸を引いていた。ぐちゃぐちゃと音が聞こえてきそうなぐらいに……。

――本気だ……。

 マイカは直感でそう思った。その心ない冷ややかな瞳から限りない悪意を感じ取った。
 
 その不穏な気配が、マイカの判断が鈍らせる。マイカは硬直してしまった。まだあの光を浴びていないのに、体中が金属になってしまっているような感じだ。逃げないと。そう頭では分かっているのに。

「マイカ!何をしているの!早く逃げて!」

 少女の声は焦りに満ちていた。

「分かってる!」マイカ自身も焦燥感に満ちた表情で答えた。「でも動かないの!どうしても脚が!」

「マイカ!お願い!」少女はマイカをひたすら励ました。「負けてはダメ!もう少しだから、頑張って!」

「なんでそんなことわかるの!?」

 マイカは、ややヒステリーを起こしたような声で言う。

「わかるわ!」少女がすぐさま答えた。「いっしょに闘っているから!私たちには、あなたが必要なの!」

 必要とは、どういうことか。そんな疑問をひとまずマイカは通り越えた。

「だったら助けてよ!」

 半狂乱な状態のマイカを説得するには、時間が足りなすぎた。

 マイカは、上空に光の揺らめきを察知する。もうゆっくり歩いてこの場を離れるなんて悠長なことはしていられない。思い切ってどの方向かに跳ねるしかない。肝心なことは、そうするための脚が言うことを聞いてくれるか分からないということだ。

「お願い!動いて!」

 マイカは全神経を両足に集中させる。しかし、釘で打ち込んであるかのように、つま先と踵を交互にグラグラとさせることしかできない。その見えない釘を引き抜こうとマイカは必死で闘った。

「あー!」そう叫び、マイカは気合いを入れ直した。

 すると、マイカのイメージの中でスポッと釘が抜ける。あとは前に跳ぶだけ。マイカは頭上から降り注ぐ光の塊に眩しさを感じながら、勢いよく前方にダイブした。

 光の球は地滑りのようにマイカのいた場所へなだれ込む。その勢いはすさまじく、今までの何倍もの激しさで、スコールの如く降り注いだ。
しおりを挟む
感想 0

あなたにおすすめの小説

【完結】ドアマットに気付かない系夫の謝罪は死んだ妻には届かない 

堀 和三盆
恋愛
 一年にわたる長期出張から戻ると、愛する妻のシェルタが帰らぬ人になっていた。流行病に罹ったらしく、感染を避けるためにと火葬をされて骨になった妻は墓の下。  信じられなかった。  母を責め使用人を責めて暴れ回って、僕は自らの身に降りかかった突然の不幸を嘆いた。まだ、結婚して3年もたっていないというのに……。  そんな中。僕は遺品の整理中に隠すようにして仕舞われていた妻の日記帳を見つけてしまう。愛する妻が最後に何を考えていたのかを知る手段になるかもしれない。そんな軽い気持ちで日記を開いて戦慄した。  日記には妻がこの家に嫁いでから病に倒れるまでの――母や使用人からの壮絶な嫌がらせの数々が綴られていたのだ。

断腸の思いで王家に差し出した孫娘が婚約破棄されて帰ってきた

兎屋亀吉
恋愛
ある日王家主催のパーティに行くといって出かけた孫娘のエリカが泣きながら帰ってきた。買ったばかりのドレスは真っ赤なワインで汚され、左頬は腫れていた。話を聞くと王子に婚約を破棄され、取り巻きたちに酷いことをされたという。許せん。戦じゃ。この命燃え尽きようとも、必ずや王家を滅ぼしてみせようぞ。

もしかして寝てる間にざまぁしました?

ぴぴみ
ファンタジー
令嬢アリアは気が弱く、何をされても言い返せない。 内気な性格が邪魔をして本来の能力を活かせていなかった。 しかし、ある時から状況は一変する。彼女を馬鹿にし嘲笑っていた人間が怯えたように見てくるのだ。 私、寝てる間に何かしました?

三十年後に届いた白い手紙

RyuChoukan
ファンタジー
三十年前、帝国は一人の少年を裏切り者として処刑した。 彼は最後まで、何も語らなかった。 その罪の真相を知る者は、ただ一人の女性だけだった。 戴冠舞踏会の夜。 公爵令嬢は、一通の白い手紙を手に、皇帝の前に立つ。 それは復讐でも、告発でもない。 三十年間、辺境の郵便局で待ち続けられていた、 「渡されなかった約束」のための手紙だった。 沈黙のまま命を捨てた男と、 三十年、ただ待ち続けた女。 そして、すべてを知った上で扉を開く、次の世代。 これは、 遅れて届いた手紙が、 人生と運命を静かに書き換えていく物語。

妻からの手紙~18年の後悔を添えて~

Mio
ファンタジー
妻から手紙が来た。 妻が死んで18年目の今日。 息子の誕生日。 「お誕生日おめでとう、ルカ!愛してるわ。エミリア・シェラード」 息子は…17年前に死んだ。 手紙はもう一通あった。 俺はその手紙を読んで、一生分の後悔をした。 ------------------------------

貧乏男爵家の末っ子が眠り姫になるまでとその後

空月
恋愛
貧乏男爵家の末っ子・アルティアの婚約者は、何故か公爵家嫡男で非の打ち所のない男・キースである。 魔術学院の二年生に進学して少し経った頃、「君と俺とでは釣り合わないと思わないか」と言われる。 そのときは曖昧な笑みで流したアルティアだったが、その数日後、倒れて眠ったままの状態になってしまう。 すると、キースの態度が豹変して……?

七日後に神罰が落ちる。上層部は「下を切り捨てろ」と言った——私は全員を逃がす

蒼月よる
ファンタジー
七日後、この港に神罰が落ちる。 追放された元観測士イオナだけが、その事実を知っていた。 しかも災害は自然現象ではない——誰かが、意図的に引き起こそうとしている。 港の上層部はすでに手を打っていた。「下層区画を緩衝被害区として切り捨てる」秘密契約。被害を最小限に見せかけ、体制を守る冷徹な計画だ。 イオナは元護送隊長ガルム、荷運び組合長メラとともに動き出す。 犯人を暴き、証拠を公開し、住民を逃がし、工廠を止める——すべてを七日で。 被害を「選ぶ」管理か、全員を「残す」運用か。 追放観測士の、七日間の港湾カウントダウン・サスペンス。 この作品は以下の箇所にAI(Claude Code)を利用しています。 ・世界観・設定の管理補助 ・プロット段階の壁打ち ・作者による執筆後の校正

【完結】20年後の真実

ゴールデンフィッシュメダル
恋愛
公爵令息のマリウスがが婚約者タチアナに婚約破棄を言い渡した。 マリウスは子爵令嬢のゾフィーとの恋に溺れ、婚約者を蔑ろにしていた。 それから20年。 マリウスはゾフィーと結婚し、タチアナは伯爵夫人となっていた。 そして、娘の恋愛を機にマリウスは婚約破棄騒動の真実を知る。 おじさんが昔を思い出しながらもだもだするだけのお話です。 全4話書き上げ済み。

処理中です...