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クワイエット・テラー
コールドアイズ Ⅳ
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光の集中豪雨が途切れると、その少し前で、マイカは四つん這いになっていた。
「マイカ!大丈夫!?」少女の声がマイカの頭の中でこだましている。
マイカは、右肘に力を入れて起き上がろうとする。
――あっ……。
下半身の感覚がない。接地しているはずの脛が床を感じることができない。恐ろしいまでの違和感にとまどいながら、なんとか上半身を起こすと――
「あああっ……!」
下腹部に激烈な痛みが走った。あまりの痛みで声がでない。
そこからは途切れることなく、経験したことのないような痛みが下腹部と腰回りを襲う。下腹部をおさえると、触りなれたその場所に変な感触があった。
「これって……」
腹を刺す痛みの原因が何か分かり、マイカは絶望した。
下半身全体があの無機質な塊に変わってしまったのである。
「はっ……あっ……」痛みで悲鳴も上げられない。
完全に身動きがとれない。マイカは高密度な金属となった下半身に支えられて、膝立ちの状態のままそこに置かれていた。その下半身は、上半身の台座と化している。
マイカは、ただ空虚を見つめている。体の半分にはもう血が通っていないということがあまりにショックであった。
「マイカ!気を確かにもって!」
少女の声はマイカの空っぽの頭の中を何度も跳ね返って消滅する。
「マイカ!どうしちゃったの!?」
少女の問いかけにも応じられなかった。マイカは激痛を通り越し、完全に思考停止していた。下半身は上半身の動きを封じるための足枷となって、マイカはそこに繋ぎとめられ、少しでも動こうものなら、残された肉が悲鳴を上げてしまう。寝転ぶことすら許されない。
マイカは、まるで自分が「置き物」だと暗示をかけられてしまったかのように、脱力することを選んでしまった。
「マイカ!マイカ!」
少女はマイカの名を何度も呼ぶが、マイカは全く反応しようとしない。「うるさい!黙って!」とでも言い返したいが、声に出したらどれだけ体が痛むだろうかと想像すると、何も言えないのである。
マイカは歪む視界の中に、ずっと直立不動を維持していた怪物の影が、ゆらめきながら何かの動作を始めているのに気づいた。
――何かしている……。
マイカはもう何も考えたくなかった。どうせ、トドメを刺しにくるのだろう。悲観的になるのも面倒くさい。これ以上は何が起きても驚きはしないだろう。
しかし、若干目を凝らしてみると、それは見たことのある動作だった。
――そういうことか……。
巨大な影は、赤眼を見開いたまま胸の前で両手を合わせていた。まるでマイカを弔うかのように。けれど、その動作の意味はそんなものじゃないということはマイカにはよく分かっていた。
――どうしても私を奈落の底に沈めておきたいわけね。
マイカはその時、なぜ自分の体が金属にされたか分かった気がした。それに気づいてからはますますその怪物がおぞましく感じた。下の方から顔まで漂ってくる冷気がますますそれを助長させた。
――私はここで……。
相変わらず、頭の中ではけたたましく警鐘の声が聞こえる。でももう終わりだ。ただでさえ、立ちはだかるのは得体の知れない悪意という悪意が凝り固まってできたような怪物。しかも、こんな体にされては絶望以外の何ものでもないではないか。
――ああ、やだな……。息……できないのは。
次に控える責め苦を目前にして、これまでの人生を振り返ることも、まだまだ先が長いはずの人生を惜しむこともせず、最愛にして唯一の家族である姉のことすら頭に浮かばなかった。ただひとつ、マイカには思うことがあった。
――どうして、私はこの世界に来ちゃったの?なんで、こんな仕打ちを受けなければならないの?
この謎を抱えたまま、自分は消えていくのだろうか。確かに、憧れの女性や不思議な少女、そして大事な友達にこの世界で出会い、私は彼女たちに魅了されていた。
しかし、最後に私のもとを訪れたのは死へと誘う恐怖の化身。
どうして?どうして!?教えて。教えてくれないなら、私にせめてそれを知るチャンスを……!
マイカは、そう悔しさを訴えながら、その時を静かに待った。
覚悟は決まったつもりだ。合掌の構えから、思い切り両手を振り上げたら――。
振り上げたら――。
――やだ……。
しかし、もう遅い。邪悪な影の周囲に渦巻く靄の流れが変化する。マイカの目にもはっきりとそれが確認できた。始まる!
――やだ……!やっぱり……こわい!
両手が振りあげられた。マイカは反射的に目を閉じる。
覚悟なんて決まっていなかった。助かりたい。こんな悪夢から覚めたい。数学の授業を受けたい。普通の生活に戻りたい!
でも、その前に、いやその後なんてあるか分からないが、死神の試練を受けなければならない。
振り上げられた両手は、ただちに振り下ろされ、マイカは果てしない水底に落とされる――はずだったが、それ以上動的な変化は起きず、沈黙の時間が続いていた。
「マイカ!見て!」
少女の声が一際大きく聞こえた。その声のトーンは何か吉報を知らせてくれるような、そんなトーンだった。マイカは何も考えず、少女の声に従った。
――え……!?
怪物の眼は完全に閉じていて、合掌でも万歳でもなく、その両腕はマイカと同じようにだらんと垂れ下がっていた。
「な、な……ん……?」
マイカは声を出そうとした。それと同時にもちろん痛みも襲ってくる。マイカは歯を食いしばって耐えた。歯が削れるのではないかというぐらい。しかし、それを我慢できるぐらい希望が見えた気がした。これは良い状況なのかもしれない。
「マイカ……。ありがとう。」
その声が聞こえた瞬間、マイカは突然、痛みから解放された。下半身と左腕は、依然として金属のままだったが。
「ありがとうって……」マイカは声を発してみた。それはクリーンな音声としてマイカ自身もしっかり認識できた。ほんのちょっとの痛みもない。「痛くない……。喋れる」
「マイカ、助かったんだよ」少女が優しく語りかけた。
「私……助かったの?」マイカの声は震えていた。「あなたが助けてくれたの?」
「私じゃないわ」少女が答えた。「でもあなたが助けられたのは確かよ」
「じゃあ、いったい誰が?」マイカはそう聞いたものの、思い当たる人物が、いやその人であってほしいという人物が、ひとりだけいた。
「もしかして……」
マイカのその先の言葉を待たずに、少女が言った。
「これであなたは前に進めるわ。あなたにその意思の力があれば。」
マイカは、少女がそう言い残して、どこかへ消えてしまいそうな気がした。
「ちょっと待って。」マイカは少女を呼び止めるように言った。「私はこれからも、ずっとあの怪物につきまとわれるの?」
「あなたが……」と少女は言って、少し言葉に詰まる。「あなたが恐れるならたぶん……。」
「そんな……、あれを恐れないだなんて無茶よ!思い出したくもない!」怒りと恐怖の感情が入り交じって、マイカはしゃがれ声になっていた。
「無理に思い出さなくてもいい。あなたはきっと前に進めるから。でも忘れないで。思い出したくないことの中に思い出すべきことがあるということもある。さぁ、デウスのもとに戻って。あなたを助けてくれた人たちのためにも……。」
少女はマイカを諭すように言った。
「デウス?」マイカはその聞きなれない言葉を反復した。
「あなたの世界に戻るのよ。」
少女は目を覚ますように促す。
「最後にひとつだけ……」とマイカはどうしても聞いておきたいことを慌てて言った。「あなたは……、誰なの?」
「私はワイズ。あなたを待ってる。きっと、あなたも来てくれる。」
「ワイズって……」マイカはその名前を覚えていた。
しかし、その人なのか追求する間もなく、ワイズと名乗る少女はマイカを急かす。
「さぁ、早く!あなたが必要とされているのよ」
「私が……?必要とされている?」
ワイズの声はそこで途切れ、マイカは体が軽くなる感覚を覚えた。帰還のサインだ。こんな金属人間のままでは嫌だが、とにかく現実に帰れることが嬉しかった。
マイカは、「助けられた」という言葉を思い出す。その助けてくれた恩人に感謝しつつ、最後にもう一度、怪物の影を瞳に捉えた。意識が現実へと戻る瞬間、その閉じられたまぶたから一筋、赤い血のようなものが垂れたのをマイカは確かに見た。
「マイカ!大丈夫!?」少女の声がマイカの頭の中でこだましている。
マイカは、右肘に力を入れて起き上がろうとする。
――あっ……。
下半身の感覚がない。接地しているはずの脛が床を感じることができない。恐ろしいまでの違和感にとまどいながら、なんとか上半身を起こすと――
「あああっ……!」
下腹部に激烈な痛みが走った。あまりの痛みで声がでない。
そこからは途切れることなく、経験したことのないような痛みが下腹部と腰回りを襲う。下腹部をおさえると、触りなれたその場所に変な感触があった。
「これって……」
腹を刺す痛みの原因が何か分かり、マイカは絶望した。
下半身全体があの無機質な塊に変わってしまったのである。
「はっ……あっ……」痛みで悲鳴も上げられない。
完全に身動きがとれない。マイカは高密度な金属となった下半身に支えられて、膝立ちの状態のままそこに置かれていた。その下半身は、上半身の台座と化している。
マイカは、ただ空虚を見つめている。体の半分にはもう血が通っていないということがあまりにショックであった。
「マイカ!気を確かにもって!」
少女の声はマイカの空っぽの頭の中を何度も跳ね返って消滅する。
「マイカ!どうしちゃったの!?」
少女の問いかけにも応じられなかった。マイカは激痛を通り越し、完全に思考停止していた。下半身は上半身の動きを封じるための足枷となって、マイカはそこに繋ぎとめられ、少しでも動こうものなら、残された肉が悲鳴を上げてしまう。寝転ぶことすら許されない。
マイカは、まるで自分が「置き物」だと暗示をかけられてしまったかのように、脱力することを選んでしまった。
「マイカ!マイカ!」
少女はマイカの名を何度も呼ぶが、マイカは全く反応しようとしない。「うるさい!黙って!」とでも言い返したいが、声に出したらどれだけ体が痛むだろうかと想像すると、何も言えないのである。
マイカは歪む視界の中に、ずっと直立不動を維持していた怪物の影が、ゆらめきながら何かの動作を始めているのに気づいた。
――何かしている……。
マイカはもう何も考えたくなかった。どうせ、トドメを刺しにくるのだろう。悲観的になるのも面倒くさい。これ以上は何が起きても驚きはしないだろう。
しかし、若干目を凝らしてみると、それは見たことのある動作だった。
――そういうことか……。
巨大な影は、赤眼を見開いたまま胸の前で両手を合わせていた。まるでマイカを弔うかのように。けれど、その動作の意味はそんなものじゃないということはマイカにはよく分かっていた。
――どうしても私を奈落の底に沈めておきたいわけね。
マイカはその時、なぜ自分の体が金属にされたか分かった気がした。それに気づいてからはますますその怪物がおぞましく感じた。下の方から顔まで漂ってくる冷気がますますそれを助長させた。
――私はここで……。
相変わらず、頭の中ではけたたましく警鐘の声が聞こえる。でももう終わりだ。ただでさえ、立ちはだかるのは得体の知れない悪意という悪意が凝り固まってできたような怪物。しかも、こんな体にされては絶望以外の何ものでもないではないか。
――ああ、やだな……。息……できないのは。
次に控える責め苦を目前にして、これまでの人生を振り返ることも、まだまだ先が長いはずの人生を惜しむこともせず、最愛にして唯一の家族である姉のことすら頭に浮かばなかった。ただひとつ、マイカには思うことがあった。
――どうして、私はこの世界に来ちゃったの?なんで、こんな仕打ちを受けなければならないの?
この謎を抱えたまま、自分は消えていくのだろうか。確かに、憧れの女性や不思議な少女、そして大事な友達にこの世界で出会い、私は彼女たちに魅了されていた。
しかし、最後に私のもとを訪れたのは死へと誘う恐怖の化身。
どうして?どうして!?教えて。教えてくれないなら、私にせめてそれを知るチャンスを……!
マイカは、そう悔しさを訴えながら、その時を静かに待った。
覚悟は決まったつもりだ。合掌の構えから、思い切り両手を振り上げたら――。
振り上げたら――。
――やだ……。
しかし、もう遅い。邪悪な影の周囲に渦巻く靄の流れが変化する。マイカの目にもはっきりとそれが確認できた。始まる!
――やだ……!やっぱり……こわい!
両手が振りあげられた。マイカは反射的に目を閉じる。
覚悟なんて決まっていなかった。助かりたい。こんな悪夢から覚めたい。数学の授業を受けたい。普通の生活に戻りたい!
でも、その前に、いやその後なんてあるか分からないが、死神の試練を受けなければならない。
振り上げられた両手は、ただちに振り下ろされ、マイカは果てしない水底に落とされる――はずだったが、それ以上動的な変化は起きず、沈黙の時間が続いていた。
「マイカ!見て!」
少女の声が一際大きく聞こえた。その声のトーンは何か吉報を知らせてくれるような、そんなトーンだった。マイカは何も考えず、少女の声に従った。
――え……!?
怪物の眼は完全に閉じていて、合掌でも万歳でもなく、その両腕はマイカと同じようにだらんと垂れ下がっていた。
「な、な……ん……?」
マイカは声を出そうとした。それと同時にもちろん痛みも襲ってくる。マイカは歯を食いしばって耐えた。歯が削れるのではないかというぐらい。しかし、それを我慢できるぐらい希望が見えた気がした。これは良い状況なのかもしれない。
「マイカ……。ありがとう。」
その声が聞こえた瞬間、マイカは突然、痛みから解放された。下半身と左腕は、依然として金属のままだったが。
「ありがとうって……」マイカは声を発してみた。それはクリーンな音声としてマイカ自身もしっかり認識できた。ほんのちょっとの痛みもない。「痛くない……。喋れる」
「マイカ、助かったんだよ」少女が優しく語りかけた。
「私……助かったの?」マイカの声は震えていた。「あなたが助けてくれたの?」
「私じゃないわ」少女が答えた。「でもあなたが助けられたのは確かよ」
「じゃあ、いったい誰が?」マイカはそう聞いたものの、思い当たる人物が、いやその人であってほしいという人物が、ひとりだけいた。
「もしかして……」
マイカのその先の言葉を待たずに、少女が言った。
「これであなたは前に進めるわ。あなたにその意思の力があれば。」
マイカは、少女がそう言い残して、どこかへ消えてしまいそうな気がした。
「ちょっと待って。」マイカは少女を呼び止めるように言った。「私はこれからも、ずっとあの怪物につきまとわれるの?」
「あなたが……」と少女は言って、少し言葉に詰まる。「あなたが恐れるならたぶん……。」
「そんな……、あれを恐れないだなんて無茶よ!思い出したくもない!」怒りと恐怖の感情が入り交じって、マイカはしゃがれ声になっていた。
「無理に思い出さなくてもいい。あなたはきっと前に進めるから。でも忘れないで。思い出したくないことの中に思い出すべきことがあるということもある。さぁ、デウスのもとに戻って。あなたを助けてくれた人たちのためにも……。」
少女はマイカを諭すように言った。
「デウス?」マイカはその聞きなれない言葉を反復した。
「あなたの世界に戻るのよ。」
少女は目を覚ますように促す。
「最後にひとつだけ……」とマイカはどうしても聞いておきたいことを慌てて言った。「あなたは……、誰なの?」
「私はワイズ。あなたを待ってる。きっと、あなたも来てくれる。」
「ワイズって……」マイカはその名前を覚えていた。
しかし、その人なのか追求する間もなく、ワイズと名乗る少女はマイカを急かす。
「さぁ、早く!あなたが必要とされているのよ」
「私が……?必要とされている?」
ワイズの声はそこで途切れ、マイカは体が軽くなる感覚を覚えた。帰還のサインだ。こんな金属人間のままでは嫌だが、とにかく現実に帰れることが嬉しかった。
マイカは、「助けられた」という言葉を思い出す。その助けてくれた恩人に感謝しつつ、最後にもう一度、怪物の影を瞳に捉えた。意識が現実へと戻る瞬間、その閉じられたまぶたから一筋、赤い血のようなものが垂れたのをマイカは確かに見た。
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