イセリック/クワイエット・テラー

@etheric

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クワイエット・テラー

デウス・アグナの遣い Ⅳ

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「ちょっと、飛ばしすぎじゃない!?」

 レインは、ビルの谷間を恐ろしいほどのスピードで飛行していた。後部座席に腰をかけたマイカの体はシートベルトがなくても安定しているが、レインがビルに接触しそうなぐらいスレスレなコース取りをしていたため、恐怖感は否応なく襲ってきた。

「こんなのまだまだ!」レインは余裕の笑みを浮かべて言った。「俺はこいつのテクニックで、SOMMEに抜擢されたんだ。あっという間にクライマックスの現場に連れて行ってあげるよ!」

 マイカは時間の心配をするものの、1番大事なことをまだ知らなかった。とりあえず、あの怪物の所に向かってくれてはいるが、そこに行ったところで自分に何ができるのだろうか。

「でも、私、何もできる気がしないよ……」

 マイカの口元は小刻みに震えていた。

「そうかな?」レインはハンドルを細かく左右に振りながら言った。「行ってなければ分からないよ。もしかしたら、根絶者を前にしたら、能力を発揮できるかもしれないよ」

「そんな無責任な……」

 マイカは憂鬱そうにして、黙り込んでしまうと、レインはマイカの気分が沈んでしまわないように、なんとか励まそうと努めた。

「大丈夫だって!俺はマイカならなんとかしてくれる気がする」

「……根拠は?」

「根拠はないけど。とにかく、そんな感じがするんだよ。自分で言うのもなんだけど、俺の勘はよく当たると思うんだ」

 自信をもってそう言うが、レインは後方から冷たい視線をひしひしと感じた。

「もしダメだったとして……、君がソートエッジを見捨てて、現実世界へと去ってしまうとしても、少なくとも俺は君を恨まないよ。軽蔑もしない。俺たちの最後の希望として、根絶者に立ち向かってくれた。その事実だけで、俺は悔いなく死ねるさ」

 レインはシビアなハンドル操作が要求されればされるほど饒舌になった。マイカは、その立ち向かうことすらできるのか自信がなかった。いざ、あの怪物と対峙したら、逃げ出してしまうのではないかと臆病になっていた。

「根絶者っていうのはあの怪物のことだよね?」

 マイカは敵に関する情報を少しでも多く仕入れておきたかった。

「そうだよ。根絶者のこともよく知らないの?」

「う……うん。」マイカは申し訳なさそうに答えた。「あれは一体何なの?」

「根絶者は、リトリーバルの気運が高まって産まれた」

「リトリーバル?」

「ここの住民が、現実世界に戻ろうっていう運動だよ」

「戻るって……」マイカは驚いた。「ここに住んでいる人たちって、もともと現実世界にいたの?」

「本当に何も知らないんだな」レインが不思議そうにつぶやいた。

「俺たちの先祖は現実世界から200年ほど前にソートエッジに移り住んだ。そして、彼らは現実世界に戻ることなく、世代を受け継いでいき、やがて俺たちがこの世界で生まれた。だから、今ここに住んでいる人たちは皆、現実世界に実体を持っていない」

――200年前って……この人たちの先祖は江戸時代の人なの?

 にわかには信じられない話だ。そもそもそんなことは聞いたことがない。仮にそうであったとしても、200年でこれだけテクノロジーが進むなんて考えられない。

――話半分に聞いておけばいいか。

 マイカはフロントガラスのまだだいぶ向こう側に、通せんぼするようにビルが立ち並んでいるのが見えた。どうやらT字路になっているらしい。暗くて距離感がつかめなかったせいか、気が付いたらビルはすぐ目の前にあった。

「ぶつかる!」

 マイカは悲鳴をあげた。しかし、悲鳴をあげている最中にも、レインはほぼ直角に曲がったのではないかというぐらい強引なコーナリングでT字路をクリアした。

 マイカの体はとうとう遠心力でシートの上をごろごろ転がった。見えないクッションのおかげで体は痛くはなかったが、体はヘナヘナになってしまってすぐには動けなかった。

「大丈夫!?」レインがぐったりするマイカに声をかけた。

「死ぬかと思った」マイカは体を起こしながら言った。「なるべく安全運転でお願い」

「俺にとっては安全運転だよ。でも、もうあとは簡単な道だからさ。安心してよ」

「あなたに殺されてしまわないか心配になってきた」

 マイカは一息ついて、元の話題に戻した。200年前うんぬんはともかく――

「それで実際問題、現実世界に戻るなんてできるの?」

「どう考えたって、難しいよね。現実世界に実体がないのに、どうやって戻ればいいのやら。でも、MIOはこのリトリーバル政策を積極的に推し進めたんだ。」

「MIO……」

 マイカはMIOという言葉に反応した。その謎のアルファベット3文字は、3人の美女の夢にも出現する。マイカにとってはある意味、馴染みのあるワードだ。レインは説明不足に気づき、すぐに付け足した。

「MIOってのはこの島、ソートエッジの管理団体だよ。俺たちの先祖がここに移住してからずっとこの世界の統治者はMIOだ」 

「ふうん」

 マイカはそんな薄いリアクションで応答したが、よく考えてみると、レインの短い言葉には重要な情報がたくさん盛り込まれていることに気付いた。

 まず、やはり、この世界が島であったこと。マイカは、作倉に初めてこの世界に導かれた時、すでにこの場所が海に囲まれている小さな島であることを知っていた。これにより、今さらながら、ここが夢で見た世界だという確信が強くなった。

 そして、この島……すなわちこの世界がソートエッジという名前であるということ。さらに、MIOという謎のアルファベット3文字の意味まで。

「MIOってそういう意味だったんだ」

 そう言うものの、マイカには、その言葉が何らかの組織の名前であるというのは、この世界に降り立ってからは、至る所で見られたのでなんとなく予想はついていた。

「根絶者とそのリトリーバルにはどういう関係があるの?」

「リトリーバルは本来、ここの住民が抱いてはいけない思想だったんだ。だから、そんな思想がはびこったこの島を破壊するために、根絶者は誕生したんだって言われているよ。」

 レインは丁寧に説明しているつもりであったが、マイカにとっては疑問が次々と湧いてくる。

「なぜここの人たちは現実世界に戻りたいの?ここはとても便利で何不自由なく暮らせそうだけど?どちらかというと理想郷のように見えるわ」

「案外それが分からないもんさ。君はこの世界を完璧みたいにいうけど、俺たちにとってはこれが当たり前なんだ。……君たちが完璧な世界を追い求める一方で、俺たちは不完全な世界を追い求めているのかもしれないね」

「哲学的ね」マイカは腑に落ちない様子だった。

「それにここは狭すぎる。人口も増えてきて、窮屈になってきているんだ。広大な大地を求めて飛び出していきたいっていう気持ち、分かるだろう?」

「まぁ……」マイカは気の抜けた返事をした。

「MIOに住民がたぶらかされているってのもあるかもしれない。もちろん、リトリーバルに反対する声も少数派だが、根強く存在する。この世界に居続けたいってね。それがレジデュアルという連中だ」

 マイカは、その言葉をレインの上司カーラが言っていたのを思い出した。

「レジデュアルってさっき……」

「そうそう。そのレジデュアルって連中の中には、自分たちとは正反対の思想を咎める根絶者を、崇拝すべきだとしている過激な奴らも多い。で、その過激派の奴らが暴れ出したもんだから、うちの支部も応援に行ったってわけ」

「なんかゴチャゴチャしてきた!」

 マイカはレインの言ったことを整理しようとしたが、半分も理解できていなかった。なんとか分かったことといえば、あの怪物は根絶者と呼ばれていて、MIOというこの世界の統治者が推進した、現実世界に戻ろうとする思想に怒って現れた、ということぐらいだった。それにこの世界の事情など分かったところで、その根絶者を倒すには全く役に立たないように思われた。

「ずいぶんかいつまんで説明したからね。混乱するのも無理はないよ!」

 マイカはハア~と大きなため息をついた。

「俺からもひとつ聞いていいかな?」とレインは言った。「実のところ、君たちのいる現実世界は今どうなっているんだい?」

「どうなっているって?」マイカが聞き返した。

「この島のテクノロジーにずいぶん驚いているけど、マイカの生きている日本はここに比べてどう?」

「私の住んでいるところは、こんな大都市な感じじゃない。むしろ恥ずかしいぐらい田舎だよ。こんな高いビルなんてないし、空飛ぶ車もないし、固形物の飲み物なんてのもないよ」

 レインはしばらく黙り、「そうか。」と言った。その反応が、マイカには不可解だった。意外とでも言うのだろうか。それとも案の定とでも思ったのか。

「あなたはどう思っていたの?」

「想像もつかないな。俺は想像力に乏しいからな。」レインが照れくさそうに言った。「でも俺たちはまだ見ぬ現実の世界に夢を抱いているんだ。この島の住民それぞれが現実世界に対して独自のイメージを抱いている」

「ここに比べたら、そんな大したものじゃないかもよ。こんなこと、現実世界から来た私が言うのもなんだけど。」

 マイカは現実世界を代表して言っているようで、何だか気が引けた。

「これはヨタ話なんだけど」とレインは言った。「俺たちの祖先がこの島に移住した直後、現実世界はカタストロフィを迎え、人間は大勢死に、ひどく大地は荒廃し、今も復興に尽力しているだろうって説もあるんだ。もちろん、そんなおとぎ話、誰も信じてやいないけどね。」

 マイカは何のことやら全く意味がわからなかった。

「カタストロフィ?なんのこと?」

「デウス・マトリの予言したカタストロフィだよ。ナインアーティクルズっていうやつ。知らないの?」

 マイカはまた「デウス」という言葉が出てきて、うんざりした。マイカは突っぱねるように「知らない」と答えた。

「歴史をもっと勉強した方がいいな」レインはあざ笑うかのように言った。「でも、マイカを見ていると、現実世界は良い世界なんじゃないかって思えてきたよ」

「そうね。私は早く現実世界に帰りたいって思ってるよ」

  レインはクルーズの高度をだんだんと上げていった。マイカはそれを体で感じて、とっさにレインの座っている操縦席を両手でがっしり掴んだ。

「さあ、もうすぐ見えてくるよ!この世界に終焉をもたらす怪物が!」

 レインは気持ちが高ぶって、ハンドルを握る手に力が入った。

「ずいぶん楽しそうじゃない」

「そりゃあそうさ!この島で、君の真の存在に気づいているのはまだ俺以外誰もいないんだ!こんな痛快なことはないよ!」

 そう言って、レインとマイカは地上に敷きつめられたビル群から抜け出し、遮るものがない夜陰の大空に舞い上がった。スピードがさらにグングンと上がっていく。

 マイカは、結局この世界のことがよく分からなかった。荒廃していると思っている現実世界に戻りたい人たちと戻りたくないからと言ってあんな怪物を崇拝する人たちが混在する世界。

――こんな変な世界だったなんて。

 マイカはもやもやしたまま戦場に向かう。
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