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-10『理想と現実』
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フェロの屋敷でのパーティは、突発だったにも関わらずそれはそれは盛大に行われた。といっても格式ばったものでもなく、制服姿で集まってテラスに用意された夕食をつまみながら話をするだけのものだ。
それでも出てくる料理やら机上や部屋の飾り付けやら、ふんだんに装飾が盛られていて、誰かの誕生日でも祝うのかと思うほどフェロの父親は気合を入れていた。
「なんだかお祭りだねー」とはしゃぐスコッティや「い、いいんでしょうか、こんなに」と畏まりながらもデザートを口にして顔をほころばせるリリィに、私もやってよかったと素直に思った。
ルックも頭の鳩に餌をやりながら、乙女達がきゃっきゃとはしゃいでいるのを見て微笑んでいた。
「叔母さんも美味い豆があってよろこんでるよ」
「また変わってるじゃない……」
「さて、なんのことか。……お、そうだ。おいスコッティ。キミもこの豆を食べるかい。一粒食べるたびに五グラム痩せる不思議な豆だよ」
「ええっ、なにそれ! 食べる!」
ひょいと釣られて目を輝かせながら駆け寄ってきたスコッティに、私はもはや何を言うでもなく苦笑を浮かべておいた。
「この豆、味がないよ」
「味があったら太っちゃうじゃないか」
「あ、そっか」
なにが「そっか」なのかはわからないが、その純朴さは眩しいほどだ。しかし調子に乗りすぎてその豆ばかり食べ続け、やがてお腹をパンパンに膨らませて倒れてしまった。
「だ、大丈夫ですか」とリリィが慌てて介抱している姿は、女の子同士の尊い絡み合いとして脳内のアルバムにしっかりと保存しておいた。あの空間、すごくいい匂いしそう。
――こほん。
じゅるり。
心の涎をひたかくしながら、私は微笑ましくそんな彼女達を眺めていた。
そうして賑やかなうちに、パーティはあっという間に終わってしまった。本当に一瞬のようで、日が暮れてリリィたちが帰り、使用人たちによって片づけが行われている宴後のテラスを見て、私は心が縮むような物悲しさを覚えた。
――ああ、そうか。友人を持つってこういうことなのね。
ずっと田舎で屋敷にこもって過ごしていた私の心の隙間に、リリィたちはすっぽりと収まっていたのだった。
目を閉じればほんの少し前の喧騒が蘇るよう反響し、自然と口許が綻んでくる。
「もうお風呂も用意されてるよ。入ったらどう?」
余韻に浸っている私のところへやって来たフェロが言った。
けれど私はここからまだしばらく動く気になれず、心を火照らせたように気分を浮つかせていた。それがきっと傍から見ても伝わったのだろう。
「今日はなんだか、夢の中にいるようだったね」
フェロはそう言って、もうすっかり片付けの終わったテラスが見える椅子に座り込んだ。
夜風が頬を撫で、優しく体を冷ましてくれる。いつしか見えていた一番星の周りにはもう多くの星達が輝き始め、雲ひとつない空一面に散らばっていた。
「そうね。とっても楽しかったわ。王都って随分息苦しいところだと思ってたけど、悪くはないものね」
「そっか。よかった」
ふっとフェロは笑う。
「ああ、違うのよ。別に貴方との生活が息苦しいってわけじゃ」
「うん、ありがとう。わかってるよ」
それから私たちは、ぼうっと呆けるように時間を過ごした。
沈黙。
けれど、特に気まずいというわけでもない、心地よい静間。
お互いに気を許した証なのだと思う。言葉を無理に繕って盛り上げる必要もない。会話が途切れて息苦しさを感じることもない。ただ自然体でいられるこの静寂が、私はひどく大好きだった。
どれくらい経っただろう。
壁にかけられた時計の長針が何周かした頃、フェロがゆったりと口を開いた。
「ユフィってすごいよね」
「なによ、急に」
突然のことに振り返ると、フェロは一変して神妙な面持ちを見せていた。
「リリィが疑われた時、僕は何も言えなかった。リリィがそんなことするわけないって思ってたのは僕も一緒なのに。でも、言えなかった」
フェロの声は少し弱々しさを孕んでいた。
「だから、自分の気持ちをはっきりと伝えられるユフィは凄いよ」
「そうかしら。何も考えていないだけよ。私はただ自分が思ったことをやってるだけ。学園の級友に疎ましく思われるような女よ」
ある意味では、私は彼らとは根底的に考え方が違うのかもしれない。『彼ら』とはフェロだけじゃなく、この王都に住まうみんなだ。彼らの一挙手一投足は常に、この街に根付く貴族の階級社会が陰で見え隠れしている。
温室の火災事件だって同じだ。
下級の貴族は雑に扱われ、上級貴族には無駄な敬意が払われる。同じ貴族であるはずなのに優劣がそこには明確にある。扱いの差は見るからに顕著だ。
こびりついた、絶対的な固定概念。
そこから外れることに恐怖を抱き、抜け出せない。そうして思想はより凝り固まっていく。
それに比べて私は最初からそれがなかった。
だからおかしいと思えるし、イヤだったら反抗したくなる。
フェロのあの言葉は、そんな私の自由さを羨んでいるのだろうと思った。
「ユフィが格好いいなって思っちゃう。……僕とは大違いで」
自分の華奢な体を抱きかかえながらフェロは寂しげに言った。
「やっぱり僕はひ弱で弱虫だから。ユフィの強さが羨ましいよ」
「……フェロ」
「なに?」
「私は前にも言ったでしょう。貴族だから偉いという訳じゃないのと同じよ。男だからって強くなる必要はない。その人にはその人の、それぞれの伸び代があるものよ。武芸が得意な女の子もいれば、料理や裁縫が趣味の男の子だっている。傍から見ればおかしなことに見えるかもしれないけれど、それはとても凄いことよ。自分にあったものを見つけられているのだから」
「そう、だね」
「フェロ。貴方は優しいわ。私がこれまで見知ってきた男子とは違う。その優しさを突き詰めればいいじゃない」
「でもっ! ……変われないままじゃあイヤなんだ!」
いつにない語気の強さでフェロはそう言い放ってきた。
どうしてそこまで、と思ったが、フェロは途端に肩を窄ませてしまう。
「……でなきゃ、ユフィのためになれないから」
萎んだようなその声は、私の耳にまでは微かにしか届いてこなかった。けれど、何かを届けたいという彼の気持ちはひどく伝わってきていた。
「フェロ……」
私はたまらずフェロへと歩み寄り、その縮こまった肩を包み込むように優しく抱きしめた。
「ふぇっ?!」とフェロの顔が高く持ち上がり、声を上擦らせる。
「貴方は何も変わってないなんてことはないわ。私が始めてここに来たときよりもずっと、ちゃんと私を見て、そんなことまで言ってくれるようになった。それに友達だってできたでしょう? 私も、フェロのおかげで初めて同年代の友達ができて、あんな楽しい時間を過ごせたわ。とても、貴方には感謝してる」
細い四肢、小さな頭。
赤子のようにか細いそれを、私は優しく撫でた。
「くだらない概念だけで決め付ける奴らよりずっと貴方は良い人よ」
だからそのままの可愛いままでいて……という欲望は喉もとに引っ込めておいた。
フェロがまた何か言い返すかと思ったが、彼は私に抱かれたまま顔を真っ赤にさせ、ふるふると震えながら体を固まらせていた。
「……どうしたの」
「ぼ、僕。女の子に抱かれるの、初めてで」
上擦った声が私の耳元でささやかれる。くすぐったくて、私も無性に気恥ずかしくなってしまった。
「べ、別にこれくらい大したことないじゃない。私たち――婚約者、なんでしょ?」
「そ、そうだね。うん。そうだね」
わたわたしていたフェロだったが、私の言葉に、それを噛みしめるように頷くと、ようやく落ち着きを見せて瞳を閉じていた。
おとなしく身を預けてきたフェロの体は本当に人形のように小さくて、細くて、けれど抱きしめても簡単には壊れなさそうな力強さもあった。
いい匂いがする。
同じ浴槽のシャンプーを使っているのに、私とは少し違う。
なんだか少し、懐かしい、落ち着く匂い。
ずっとくんくんしていたい。
くんくん。くんくん。
「――あの、ユフィ。ちょっと苦しいんだけど」
「あ、ごめんなさい」
たまらず顔を埋めるように抱きしめ続けていた私に、フェロは苦笑を浮かべながらそう言った。けれど声色は決してまんざらでもないようだった。と私は思う。思いたい。
「本当にありがとう、ユフィ」
「なにが?」
「こんな僕なんかと婚約してくれて」
「またそんなこと言ってる」
「僕、男らしくなるから」
「別に。無理しなくていいわ」
私はこの子を女の子にしたいとずっと思っている。けれど彼は男らしくなりたいと言う。
そこまでこだわる必要なんてどこにあるのだろう。私はきっと、今のままの彼なら婚約者としてやっていけると思う。少なくとも、こうして恥ずかしさを押し殺しながらも抱きしめられるくらいには、私は彼に近づけているのだから。
――これからの私たちはどうなるだろう。
そんなことを漠然と思いながら、私はささやかな一日の夜を過ごしていったのだった。
それでも出てくる料理やら机上や部屋の飾り付けやら、ふんだんに装飾が盛られていて、誰かの誕生日でも祝うのかと思うほどフェロの父親は気合を入れていた。
「なんだかお祭りだねー」とはしゃぐスコッティや「い、いいんでしょうか、こんなに」と畏まりながらもデザートを口にして顔をほころばせるリリィに、私もやってよかったと素直に思った。
ルックも頭の鳩に餌をやりながら、乙女達がきゃっきゃとはしゃいでいるのを見て微笑んでいた。
「叔母さんも美味い豆があってよろこんでるよ」
「また変わってるじゃない……」
「さて、なんのことか。……お、そうだ。おいスコッティ。キミもこの豆を食べるかい。一粒食べるたびに五グラム痩せる不思議な豆だよ」
「ええっ、なにそれ! 食べる!」
ひょいと釣られて目を輝かせながら駆け寄ってきたスコッティに、私はもはや何を言うでもなく苦笑を浮かべておいた。
「この豆、味がないよ」
「味があったら太っちゃうじゃないか」
「あ、そっか」
なにが「そっか」なのかはわからないが、その純朴さは眩しいほどだ。しかし調子に乗りすぎてその豆ばかり食べ続け、やがてお腹をパンパンに膨らませて倒れてしまった。
「だ、大丈夫ですか」とリリィが慌てて介抱している姿は、女の子同士の尊い絡み合いとして脳内のアルバムにしっかりと保存しておいた。あの空間、すごくいい匂いしそう。
――こほん。
じゅるり。
心の涎をひたかくしながら、私は微笑ましくそんな彼女達を眺めていた。
そうして賑やかなうちに、パーティはあっという間に終わってしまった。本当に一瞬のようで、日が暮れてリリィたちが帰り、使用人たちによって片づけが行われている宴後のテラスを見て、私は心が縮むような物悲しさを覚えた。
――ああ、そうか。友人を持つってこういうことなのね。
ずっと田舎で屋敷にこもって過ごしていた私の心の隙間に、リリィたちはすっぽりと収まっていたのだった。
目を閉じればほんの少し前の喧騒が蘇るよう反響し、自然と口許が綻んでくる。
「もうお風呂も用意されてるよ。入ったらどう?」
余韻に浸っている私のところへやって来たフェロが言った。
けれど私はここからまだしばらく動く気になれず、心を火照らせたように気分を浮つかせていた。それがきっと傍から見ても伝わったのだろう。
「今日はなんだか、夢の中にいるようだったね」
フェロはそう言って、もうすっかり片付けの終わったテラスが見える椅子に座り込んだ。
夜風が頬を撫で、優しく体を冷ましてくれる。いつしか見えていた一番星の周りにはもう多くの星達が輝き始め、雲ひとつない空一面に散らばっていた。
「そうね。とっても楽しかったわ。王都って随分息苦しいところだと思ってたけど、悪くはないものね」
「そっか。よかった」
ふっとフェロは笑う。
「ああ、違うのよ。別に貴方との生活が息苦しいってわけじゃ」
「うん、ありがとう。わかってるよ」
それから私たちは、ぼうっと呆けるように時間を過ごした。
沈黙。
けれど、特に気まずいというわけでもない、心地よい静間。
お互いに気を許した証なのだと思う。言葉を無理に繕って盛り上げる必要もない。会話が途切れて息苦しさを感じることもない。ただ自然体でいられるこの静寂が、私はひどく大好きだった。
どれくらい経っただろう。
壁にかけられた時計の長針が何周かした頃、フェロがゆったりと口を開いた。
「ユフィってすごいよね」
「なによ、急に」
突然のことに振り返ると、フェロは一変して神妙な面持ちを見せていた。
「リリィが疑われた時、僕は何も言えなかった。リリィがそんなことするわけないって思ってたのは僕も一緒なのに。でも、言えなかった」
フェロの声は少し弱々しさを孕んでいた。
「だから、自分の気持ちをはっきりと伝えられるユフィは凄いよ」
「そうかしら。何も考えていないだけよ。私はただ自分が思ったことをやってるだけ。学園の級友に疎ましく思われるような女よ」
ある意味では、私は彼らとは根底的に考え方が違うのかもしれない。『彼ら』とはフェロだけじゃなく、この王都に住まうみんなだ。彼らの一挙手一投足は常に、この街に根付く貴族の階級社会が陰で見え隠れしている。
温室の火災事件だって同じだ。
下級の貴族は雑に扱われ、上級貴族には無駄な敬意が払われる。同じ貴族であるはずなのに優劣がそこには明確にある。扱いの差は見るからに顕著だ。
こびりついた、絶対的な固定概念。
そこから外れることに恐怖を抱き、抜け出せない。そうして思想はより凝り固まっていく。
それに比べて私は最初からそれがなかった。
だからおかしいと思えるし、イヤだったら反抗したくなる。
フェロのあの言葉は、そんな私の自由さを羨んでいるのだろうと思った。
「ユフィが格好いいなって思っちゃう。……僕とは大違いで」
自分の華奢な体を抱きかかえながらフェロは寂しげに言った。
「やっぱり僕はひ弱で弱虫だから。ユフィの強さが羨ましいよ」
「……フェロ」
「なに?」
「私は前にも言ったでしょう。貴族だから偉いという訳じゃないのと同じよ。男だからって強くなる必要はない。その人にはその人の、それぞれの伸び代があるものよ。武芸が得意な女の子もいれば、料理や裁縫が趣味の男の子だっている。傍から見ればおかしなことに見えるかもしれないけれど、それはとても凄いことよ。自分にあったものを見つけられているのだから」
「そう、だね」
「フェロ。貴方は優しいわ。私がこれまで見知ってきた男子とは違う。その優しさを突き詰めればいいじゃない」
「でもっ! ……変われないままじゃあイヤなんだ!」
いつにない語気の強さでフェロはそう言い放ってきた。
どうしてそこまで、と思ったが、フェロは途端に肩を窄ませてしまう。
「……でなきゃ、ユフィのためになれないから」
萎んだようなその声は、私の耳にまでは微かにしか届いてこなかった。けれど、何かを届けたいという彼の気持ちはひどく伝わってきていた。
「フェロ……」
私はたまらずフェロへと歩み寄り、その縮こまった肩を包み込むように優しく抱きしめた。
「ふぇっ?!」とフェロの顔が高く持ち上がり、声を上擦らせる。
「貴方は何も変わってないなんてことはないわ。私が始めてここに来たときよりもずっと、ちゃんと私を見て、そんなことまで言ってくれるようになった。それに友達だってできたでしょう? 私も、フェロのおかげで初めて同年代の友達ができて、あんな楽しい時間を過ごせたわ。とても、貴方には感謝してる」
細い四肢、小さな頭。
赤子のようにか細いそれを、私は優しく撫でた。
「くだらない概念だけで決め付ける奴らよりずっと貴方は良い人よ」
だからそのままの可愛いままでいて……という欲望は喉もとに引っ込めておいた。
フェロがまた何か言い返すかと思ったが、彼は私に抱かれたまま顔を真っ赤にさせ、ふるふると震えながら体を固まらせていた。
「……どうしたの」
「ぼ、僕。女の子に抱かれるの、初めてで」
上擦った声が私の耳元でささやかれる。くすぐったくて、私も無性に気恥ずかしくなってしまった。
「べ、別にこれくらい大したことないじゃない。私たち――婚約者、なんでしょ?」
「そ、そうだね。うん。そうだね」
わたわたしていたフェロだったが、私の言葉に、それを噛みしめるように頷くと、ようやく落ち着きを見せて瞳を閉じていた。
おとなしく身を預けてきたフェロの体は本当に人形のように小さくて、細くて、けれど抱きしめても簡単には壊れなさそうな力強さもあった。
いい匂いがする。
同じ浴槽のシャンプーを使っているのに、私とは少し違う。
なんだか少し、懐かしい、落ち着く匂い。
ずっとくんくんしていたい。
くんくん。くんくん。
「――あの、ユフィ。ちょっと苦しいんだけど」
「あ、ごめんなさい」
たまらず顔を埋めるように抱きしめ続けていた私に、フェロは苦笑を浮かべながらそう言った。けれど声色は決してまんざらでもないようだった。と私は思う。思いたい。
「本当にありがとう、ユフィ」
「なにが?」
「こんな僕なんかと婚約してくれて」
「またそんなこと言ってる」
「僕、男らしくなるから」
「別に。無理しなくていいわ」
私はこの子を女の子にしたいとずっと思っている。けれど彼は男らしくなりたいと言う。
そこまでこだわる必要なんてどこにあるのだろう。私はきっと、今のままの彼なら婚約者としてやっていけると思う。少なくとも、こうして恥ずかしさを押し殺しながらも抱きしめられるくらいには、私は彼に近づけているのだから。
――これからの私たちはどうなるだろう。
そんなことを漠然と思いながら、私はささやかな一日の夜を過ごしていったのだった。
応援ありがとうございます!
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