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○3章 温泉へ行こう
-10『怪しいお店』
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「仲居さん?! なんでここに」
「わあ、奇遇ですね」
俺たちのところにやってきたのは、あの露天風呂で会った仲居さんだった。このやりとり、物凄く既視感があるのは気のせいだろうか。
さすがにここでは仲居さんの格好ではなかったが、同じような着物姿である。胸元が少し肌蹴ていて色っぽいが、これで男だというのだから悩ましい。
「お客様、こちらにも遊びにいらしてたんですね」
「あ、ああ。キミはここでも働いてるの?」
「はい。旅館の仕事がない夜の間だけですけど」
朗らかな微笑を浮かべながらグラスに氷を入れて酒を注いでいく姿は、非常に手慣れていて板についている。
水滴が飛び跳ねて彼女――いや、彼の頬につくと、きゃっとうろたえて目を細めるところも可愛らしい。そのあと、それを誤魔化すように「えへへ」とはにかんでくるのもベリーナイスだ。
この子、本当は女なんじゃないだろうかと思うくらいに可愛い。少なくとも、あのヒットマンのヴェーナよりずっと。
「な、なあ。私は、いったい彼にどんな感情を抱けば良いと思う?」
愕然と仲居さんを見やるマルコム。
生粋の女好きである彼も、その初めて至る新境地のような可愛さを前に、心底複雑そうな表情を浮かべていた。
わかる。
わかってしまう、その気持ち。
「なあ友よ。こんな時、どういう感情を持てばいいかわからないんだ」
「愛でればいいと思うよ」
俺はもうこの仲居さんを女の子であると決めた。これが女の子じゃなくて何が女の子だというのか。この子に比べればヴェーナなんて野獣だ。女の皮を被った猛獣であるに違いない。あんな粗暴で、何をしでかすかわからない、殺し屋なんて――。
「へえ、随分な言いようじゃない」
不意に背後から撫でるような吐息と声が首筋に当たり、ぞわざわと寒気が走った。
振り返るとヴェーナがいた。
「な、なんでここに」
「あんたたちがそそくさといなくなるから、何やってるのかと思ってついてきたのよ」
「そんな。確かに隙を突いて自然に出て行ったと思ったのに」
「バレバレだったわよ。マルコムが」
この野郎。
「それよりも、随分な物言いじゃない。あたしが女じゃないですって?」
「な、なんでそれを。心の中で思ってたはずなのに。お前、さてはエスパーだな」
「思いっきり言葉に出てたわよ!」
「いてぇっ!」
手に握った吹き矢の針を思い切り肩に叩き下ろされ、電気が走るような痛みに襲われた。
『ダメージ2 残りHP8』
ちくしょう。やばいくらいに殺意こもってやがる。
まあこの場合は自業自得だから仕方ないのだろうけど。
「お姉さんたちを置いて、まさかこんな女の子のお店に来てたとはねぇ」
「エイタさん……こういうのがお好き、なんですか?」
気付けばヴェーナのほかにも、スクーデリアとミュンまでいた。心なしかミュンは落ち込んでいるようにも見える。旦那の浮気現場を見た、みたいな悲壮感だ。
やめてくれ。途端にうしろめたさがこみ上げてくるではないか。
「そうですよね。私みたいなちんちくりんより、こういうお店で綺麗な女の人と一緒にいるほうが楽しいですよね」
「ミュン、誤解だ。俺は別に好きで来たわけじゃない」
「好きで意外なんの理由があってくるのよ!」とヴェーナに突っ込まれたが、さすがに調査内容を言えるはずがなく、俺は甘んじて受け入れるほかなかった。
「皆さんもご一緒だったんですね。どうぞお座りください」
修羅場のような空気もどこ知らず、仲居さんが明るくヴェーナたちを出迎える。彼の計らいでドリンクやデザートが用意されると、膨れっ面だったヴェーナの表情はたちまちに明るいものへと変わっていた。
「あんたの奢りだからね」
「え、なんでだよ」
「あたしたちに黙って良い思いしようとしてたんだもの。当然じゃない」
仕事のためなんだから仕方ないだろ、とは言えないのが口惜しい。
だがまあ、ミュンやスクーデリアも一緒に腰掛け、美味しそうなデザートを前にしてすっかり破顔させたところを見ると、まあいいか、とも思った。ここはミュンの笑顔を買ったと思っておこう。
「あ、あたしこのケーキひとつ」
「えっと。じゃあ私は、この季節の果実ゼリーを」
「それじゃあ私はぁ、この山菜盛りだくさん天ぷらと、干し肉と山菜の和えパスタ、最高級牛肉を使った丸焼きステーキセットマシマシ大盛りバージョン、それと……」
まるでファミレスかのようにどんどん注文が追加されていく。
おいおい。こういう店の料理はどれも高いって相場が決まってるんだぞ。そんなほいほい頼まれたら馬鹿みたいな金額に――。
「ごちそうさまです、エイタさん」
ミュンの天使のような微笑に、俺はそれを打ち砕く勇気を持てなかった。
さようなら、俺の財布。
さようなら、俺のスローライフ。
俺は今、借金生活、真っ只中である。
「それじゃあ、私はお触りのサービスは――」
「それはねえよ!」
下心丸出しで言うマルコムの顔を、俺は八つ当たりとばかりにぶん殴った。
なんで?! とぶたれた頬を擦りながら呆然とするマルコムだったが、次の瞬間には、仲居さんに渡された酒を機嫌よくあおっていたのだった。
◇
「私はエルといいます。エル・ファナージです」
仲居さんは改めてそう自己紹介してくれた。
どうやら彼は朝からは旅館、夜からはここと、二つの仕事を掛け持ちしているようだ。おまけにほぼ休みはないという。気丈に振舞っているが、時折、目許をしかめて疲れを見せるのが気になった。
それでもしっかりと接客をこなすあたり、エルの真面目さが窺える。
「俺はエイタ。んで、こっちの生意気なのがヴェーナ」
「誰が生意気よ」
「おいこら、また刺そうとするな! そういうとこを言ってんだよ!」
針を握ったヴェーナと取っ組み合いになる俺を、エルは微笑ましそうに眺めていた。
「お二人は仲が良いんですね」
「「よくない!」」
俺とヴェーナの息のあった否定に、エルは殊更笑みを深めていた。
命を狙ってくる性悪女と仲が良いなど、冗談としても勘弁願いたいものだ。
俺は絶対に、こいつがピンチに陥ったって助けたりはしない。手を差し伸べてだってやるものか。むしろ、ざまあみろと嘲笑してやろうか。
「私はスクーデリアっていうのぉ。よろしくねぇ」
「みゅ、ミュンです!」
早速お酒が入って声を蕩けさせたスクーデリアに、ミュンも快活な声で続ける。
会釈で返した得るの目の前に、マルコムが膝をついて頭を持ち上げた。
「私はマルコム。勇者です。あえてもう一度。勇者、です!」
無駄に勇者を強調するのはなんなのか。
お前の持ってる勇気は女湯を覗く汚れた勇気だろうが。
そんなマルコムにもエルは優しく笑みを返している。本当に良い子だ。
「それと、この子がポチちゃんです」とミュンがケルベロスのポチを膝に乗せた。
こいつまで連れてきてたのか。
「お、おい。ここ飲食店だぞ。動物の持ち込みは――」
「大丈夫ですよ?」
焦って引っ込めようとした俺に、エルが柔らかい物腰で教えてくれた。
「え、いいのか?」
「はい。ここはペットの同伴可なんです」
「マジか。けっこう融通きく店なんだな。向こうの世界だとけっこう限られるのに」
「向こうの世界?」
小首を傾げるエルに、俺は「なんでもない」と慌てて誤魔化した。
「他のお客様も、ペットを連れている方は少なくありません。ほら、向こうも」
そう言われたとおり、確かに他の客も、小型犬などを抱きながら酒を飲んでいるグループもいた。鳥を肩に乗せた大道芸人のような人もいる。四つん這いになった半裸の男に首輪を繋いだ女性もいる。
いや、最後の奴は別の意味で犬だが、問題ではないのか?
「なんか変わったペットもいるみたいだけど」
「いろんなお客様がいらっしゃいますから」
「そ、そうか」
エルの笑顔に説き伏せられ、俺はこれ以上深く考えないことにした。
酒を酌み交わしながら、俺たちはエルといろんな話をした。
まずは何を聞き出すにしても親睦を深めてることが大事だろう。
「みなさんはどちらからいらしたんですか?」
「フォルンからだよ」
「そうなんですか。あそこも大きな町ですよね。フミーネルとはまた少し違った活気があって」
「まあ観光地じゃないからね、フォルンは」
「私たちはそこでどんな難解なクエストをもこなす冒険者として生活しているのだよ」
マルコムが会話に割って入る。
だが威勢よくそう言った途端、店の奥が微かにざわついたような気がした。
他意のない発言だったが、フォルンの斡旋所の関係者だとわかり警戒されてしまっただろうか。見たところ店の様子に変化はないが、気取られていてもおかしくはない。
だがその微妙な場の変化こそ、何かしらこの店が後ろめたさを抱いている証左でもある。
この店――いや、この町か。
バーゼンの言ったとおり、本当に何かがあるのかもしれない。
ここは少しでも情報を引き出しておきべきか。
「エルはどうしてここで働いてるんだ? 旅館の方だってあるのに」
「それは……」
エルは少し言いづらそうに口ごもってしまった。
しまった。いきなり核心にいきすぎたか。
「悪い。なんか事情があるかもしれないのに踏み入ったことを聞いちまって。気にしないでいいから」
「あ、いえ。そういうわけじゃないんです。ただ、みっともない話でして」
「みっともない?」
「実は父親が事業に失敗をして借金を抱えちゃいまして。それをここの領主のドミナータ様に肩代わりしていただくことになったんです」
きた。
それでそれで、と視線で話の続きを促す。
「ただ借金も高額だったためすぐには返せず、父親も姿をくらませてしまいました。体の弱い母親の世話もあるので、私はこの町からも出られないままで」
「それは……」
思ったよりも重い話で、軽い気持ちで聞いたことを後悔した。
「悪いな。そんな話を」
「いえ。事実を話してるだけですから」
そうなると、やはりその借金を返すためにその身を削って働いているということか。
だがそれだけでは債務返済に勤しむ苦労話にすぎず、それほどバーゼンが問題にするほどのことでもないように思う。
言い方は悪いが、よくある話の範疇だ。
「借金ってそんなに多いの?」
「金額は……実はよくわかっていなくて」
「え?」
どういうことだ。
「父親が借用書を持っていたのですが、そのままいなくなってしまいまして。詳しい金額を知っているのは父親だけなんです」
「いや、そんな話はおかしいだろ。じゃあ返済ってどうやってるんだ?
「ドミナータ様から、いなくなった父親の代わりに新しい誓約書をかわすように言われ、それに従うことになりました」
「誓約書?」
「はい。『父親の借金は途方もない金額であったが、その父親が借用書ともども姿をくらませたため、十年間ここで働くことで完済とする』というものです。なので、あと九年は頑張らないとですね」
「九年?! いま何歳なんだ?」
「えっ、十六ですけど」
なんという出鱈目な話だ。
借金の金額もわからず、言われたままに働いているというのか。そのために一番華のある年頃を仕事詰めで潰すことになるなんて、あまりに可哀想すぎる。
なんというか、呆れて言葉すら出てこない。
そもそもそういう意識がないのかもしれない。危機管理的な、そういう判断力が。
『獣人は肉体労働が得意な反面、理知的な思考は苦手なんだよー』
出立前、エマがそんなことを教えてくれたのを思い出した。
つまり、そういう思考に至れない獣人たちをドミナータが取り纏めているということか。場合によってはとんでもない酷使を働いているかもしれない。確かに、調査する必要はありそうだ。
「お母さんのためにも私は頑張らないといけないんです」
養う家族のためにも働き口を失えない。
なるほど。
思ったよりも厄介な話だ。
「なあ、その契約の話をもっと詳しく――」
と俺が掘り下げようとした時だった。
ふと、俺たちの後ろに黒服の男が数人、回りこんでいることに気付けなかった。
「お客様、少しよろしいですか」
「な、なんだねキミたちは」
黒服の男に腕を掴まれたマルコムがうろたえる。
しまった。深入りしすぎたか。
「みんな、逃げ……うっ」
咄嗟に声を上げようとした俺だが、途端に視界がぐらりと歪む。
酒のせいか。
なにか入れられていたとでもいうのだろうか。
手足が痺れたように動かなくなり、倒れこんでしまう。
「エイタさん? エイタさんっ?!」
張り裂けるようなエルの声を聞きながら、俺の意識は遠ざかっていった。
「わあ、奇遇ですね」
俺たちのところにやってきたのは、あの露天風呂で会った仲居さんだった。このやりとり、物凄く既視感があるのは気のせいだろうか。
さすがにここでは仲居さんの格好ではなかったが、同じような着物姿である。胸元が少し肌蹴ていて色っぽいが、これで男だというのだから悩ましい。
「お客様、こちらにも遊びにいらしてたんですね」
「あ、ああ。キミはここでも働いてるの?」
「はい。旅館の仕事がない夜の間だけですけど」
朗らかな微笑を浮かべながらグラスに氷を入れて酒を注いでいく姿は、非常に手慣れていて板についている。
水滴が飛び跳ねて彼女――いや、彼の頬につくと、きゃっとうろたえて目を細めるところも可愛らしい。そのあと、それを誤魔化すように「えへへ」とはにかんでくるのもベリーナイスだ。
この子、本当は女なんじゃないだろうかと思うくらいに可愛い。少なくとも、あのヒットマンのヴェーナよりずっと。
「な、なあ。私は、いったい彼にどんな感情を抱けば良いと思う?」
愕然と仲居さんを見やるマルコム。
生粋の女好きである彼も、その初めて至る新境地のような可愛さを前に、心底複雑そうな表情を浮かべていた。
わかる。
わかってしまう、その気持ち。
「なあ友よ。こんな時、どういう感情を持てばいいかわからないんだ」
「愛でればいいと思うよ」
俺はもうこの仲居さんを女の子であると決めた。これが女の子じゃなくて何が女の子だというのか。この子に比べればヴェーナなんて野獣だ。女の皮を被った猛獣であるに違いない。あんな粗暴で、何をしでかすかわからない、殺し屋なんて――。
「へえ、随分な言いようじゃない」
不意に背後から撫でるような吐息と声が首筋に当たり、ぞわざわと寒気が走った。
振り返るとヴェーナがいた。
「な、なんでここに」
「あんたたちがそそくさといなくなるから、何やってるのかと思ってついてきたのよ」
「そんな。確かに隙を突いて自然に出て行ったと思ったのに」
「バレバレだったわよ。マルコムが」
この野郎。
「それよりも、随分な物言いじゃない。あたしが女じゃないですって?」
「な、なんでそれを。心の中で思ってたはずなのに。お前、さてはエスパーだな」
「思いっきり言葉に出てたわよ!」
「いてぇっ!」
手に握った吹き矢の針を思い切り肩に叩き下ろされ、電気が走るような痛みに襲われた。
『ダメージ2 残りHP8』
ちくしょう。やばいくらいに殺意こもってやがる。
まあこの場合は自業自得だから仕方ないのだろうけど。
「お姉さんたちを置いて、まさかこんな女の子のお店に来てたとはねぇ」
「エイタさん……こういうのがお好き、なんですか?」
気付けばヴェーナのほかにも、スクーデリアとミュンまでいた。心なしかミュンは落ち込んでいるようにも見える。旦那の浮気現場を見た、みたいな悲壮感だ。
やめてくれ。途端にうしろめたさがこみ上げてくるではないか。
「そうですよね。私みたいなちんちくりんより、こういうお店で綺麗な女の人と一緒にいるほうが楽しいですよね」
「ミュン、誤解だ。俺は別に好きで来たわけじゃない」
「好きで意外なんの理由があってくるのよ!」とヴェーナに突っ込まれたが、さすがに調査内容を言えるはずがなく、俺は甘んじて受け入れるほかなかった。
「皆さんもご一緒だったんですね。どうぞお座りください」
修羅場のような空気もどこ知らず、仲居さんが明るくヴェーナたちを出迎える。彼の計らいでドリンクやデザートが用意されると、膨れっ面だったヴェーナの表情はたちまちに明るいものへと変わっていた。
「あんたの奢りだからね」
「え、なんでだよ」
「あたしたちに黙って良い思いしようとしてたんだもの。当然じゃない」
仕事のためなんだから仕方ないだろ、とは言えないのが口惜しい。
だがまあ、ミュンやスクーデリアも一緒に腰掛け、美味しそうなデザートを前にしてすっかり破顔させたところを見ると、まあいいか、とも思った。ここはミュンの笑顔を買ったと思っておこう。
「あ、あたしこのケーキひとつ」
「えっと。じゃあ私は、この季節の果実ゼリーを」
「それじゃあ私はぁ、この山菜盛りだくさん天ぷらと、干し肉と山菜の和えパスタ、最高級牛肉を使った丸焼きステーキセットマシマシ大盛りバージョン、それと……」
まるでファミレスかのようにどんどん注文が追加されていく。
おいおい。こういう店の料理はどれも高いって相場が決まってるんだぞ。そんなほいほい頼まれたら馬鹿みたいな金額に――。
「ごちそうさまです、エイタさん」
ミュンの天使のような微笑に、俺はそれを打ち砕く勇気を持てなかった。
さようなら、俺の財布。
さようなら、俺のスローライフ。
俺は今、借金生活、真っ只中である。
「それじゃあ、私はお触りのサービスは――」
「それはねえよ!」
下心丸出しで言うマルコムの顔を、俺は八つ当たりとばかりにぶん殴った。
なんで?! とぶたれた頬を擦りながら呆然とするマルコムだったが、次の瞬間には、仲居さんに渡された酒を機嫌よくあおっていたのだった。
◇
「私はエルといいます。エル・ファナージです」
仲居さんは改めてそう自己紹介してくれた。
どうやら彼は朝からは旅館、夜からはここと、二つの仕事を掛け持ちしているようだ。おまけにほぼ休みはないという。気丈に振舞っているが、時折、目許をしかめて疲れを見せるのが気になった。
それでもしっかりと接客をこなすあたり、エルの真面目さが窺える。
「俺はエイタ。んで、こっちの生意気なのがヴェーナ」
「誰が生意気よ」
「おいこら、また刺そうとするな! そういうとこを言ってんだよ!」
針を握ったヴェーナと取っ組み合いになる俺を、エルは微笑ましそうに眺めていた。
「お二人は仲が良いんですね」
「「よくない!」」
俺とヴェーナの息のあった否定に、エルは殊更笑みを深めていた。
命を狙ってくる性悪女と仲が良いなど、冗談としても勘弁願いたいものだ。
俺は絶対に、こいつがピンチに陥ったって助けたりはしない。手を差し伸べてだってやるものか。むしろ、ざまあみろと嘲笑してやろうか。
「私はスクーデリアっていうのぉ。よろしくねぇ」
「みゅ、ミュンです!」
早速お酒が入って声を蕩けさせたスクーデリアに、ミュンも快活な声で続ける。
会釈で返した得るの目の前に、マルコムが膝をついて頭を持ち上げた。
「私はマルコム。勇者です。あえてもう一度。勇者、です!」
無駄に勇者を強調するのはなんなのか。
お前の持ってる勇気は女湯を覗く汚れた勇気だろうが。
そんなマルコムにもエルは優しく笑みを返している。本当に良い子だ。
「それと、この子がポチちゃんです」とミュンがケルベロスのポチを膝に乗せた。
こいつまで連れてきてたのか。
「お、おい。ここ飲食店だぞ。動物の持ち込みは――」
「大丈夫ですよ?」
焦って引っ込めようとした俺に、エルが柔らかい物腰で教えてくれた。
「え、いいのか?」
「はい。ここはペットの同伴可なんです」
「マジか。けっこう融通きく店なんだな。向こうの世界だとけっこう限られるのに」
「向こうの世界?」
小首を傾げるエルに、俺は「なんでもない」と慌てて誤魔化した。
「他のお客様も、ペットを連れている方は少なくありません。ほら、向こうも」
そう言われたとおり、確かに他の客も、小型犬などを抱きながら酒を飲んでいるグループもいた。鳥を肩に乗せた大道芸人のような人もいる。四つん這いになった半裸の男に首輪を繋いだ女性もいる。
いや、最後の奴は別の意味で犬だが、問題ではないのか?
「なんか変わったペットもいるみたいだけど」
「いろんなお客様がいらっしゃいますから」
「そ、そうか」
エルの笑顔に説き伏せられ、俺はこれ以上深く考えないことにした。
酒を酌み交わしながら、俺たちはエルといろんな話をした。
まずは何を聞き出すにしても親睦を深めてることが大事だろう。
「みなさんはどちらからいらしたんですか?」
「フォルンからだよ」
「そうなんですか。あそこも大きな町ですよね。フミーネルとはまた少し違った活気があって」
「まあ観光地じゃないからね、フォルンは」
「私たちはそこでどんな難解なクエストをもこなす冒険者として生活しているのだよ」
マルコムが会話に割って入る。
だが威勢よくそう言った途端、店の奥が微かにざわついたような気がした。
他意のない発言だったが、フォルンの斡旋所の関係者だとわかり警戒されてしまっただろうか。見たところ店の様子に変化はないが、気取られていてもおかしくはない。
だがその微妙な場の変化こそ、何かしらこの店が後ろめたさを抱いている証左でもある。
この店――いや、この町か。
バーゼンの言ったとおり、本当に何かがあるのかもしれない。
ここは少しでも情報を引き出しておきべきか。
「エルはどうしてここで働いてるんだ? 旅館の方だってあるのに」
「それは……」
エルは少し言いづらそうに口ごもってしまった。
しまった。いきなり核心にいきすぎたか。
「悪い。なんか事情があるかもしれないのに踏み入ったことを聞いちまって。気にしないでいいから」
「あ、いえ。そういうわけじゃないんです。ただ、みっともない話でして」
「みっともない?」
「実は父親が事業に失敗をして借金を抱えちゃいまして。それをここの領主のドミナータ様に肩代わりしていただくことになったんです」
きた。
それでそれで、と視線で話の続きを促す。
「ただ借金も高額だったためすぐには返せず、父親も姿をくらませてしまいました。体の弱い母親の世話もあるので、私はこの町からも出られないままで」
「それは……」
思ったよりも重い話で、軽い気持ちで聞いたことを後悔した。
「悪いな。そんな話を」
「いえ。事実を話してるだけですから」
そうなると、やはりその借金を返すためにその身を削って働いているということか。
だがそれだけでは債務返済に勤しむ苦労話にすぎず、それほどバーゼンが問題にするほどのことでもないように思う。
言い方は悪いが、よくある話の範疇だ。
「借金ってそんなに多いの?」
「金額は……実はよくわかっていなくて」
「え?」
どういうことだ。
「父親が借用書を持っていたのですが、そのままいなくなってしまいまして。詳しい金額を知っているのは父親だけなんです」
「いや、そんな話はおかしいだろ。じゃあ返済ってどうやってるんだ?
「ドミナータ様から、いなくなった父親の代わりに新しい誓約書をかわすように言われ、それに従うことになりました」
「誓約書?」
「はい。『父親の借金は途方もない金額であったが、その父親が借用書ともども姿をくらませたため、十年間ここで働くことで完済とする』というものです。なので、あと九年は頑張らないとですね」
「九年?! いま何歳なんだ?」
「えっ、十六ですけど」
なんという出鱈目な話だ。
借金の金額もわからず、言われたままに働いているというのか。そのために一番華のある年頃を仕事詰めで潰すことになるなんて、あまりに可哀想すぎる。
なんというか、呆れて言葉すら出てこない。
そもそもそういう意識がないのかもしれない。危機管理的な、そういう判断力が。
『獣人は肉体労働が得意な反面、理知的な思考は苦手なんだよー』
出立前、エマがそんなことを教えてくれたのを思い出した。
つまり、そういう思考に至れない獣人たちをドミナータが取り纏めているということか。場合によってはとんでもない酷使を働いているかもしれない。確かに、調査する必要はありそうだ。
「お母さんのためにも私は頑張らないといけないんです」
養う家族のためにも働き口を失えない。
なるほど。
思ったよりも厄介な話だ。
「なあ、その契約の話をもっと詳しく――」
と俺が掘り下げようとした時だった。
ふと、俺たちの後ろに黒服の男が数人、回りこんでいることに気付けなかった。
「お客様、少しよろしいですか」
「な、なんだねキミたちは」
黒服の男に腕を掴まれたマルコムがうろたえる。
しまった。深入りしすぎたか。
「みんな、逃げ……うっ」
咄嗟に声を上げようとした俺だが、途端に視界がぐらりと歪む。
酒のせいか。
なにか入れられていたとでもいうのだろうか。
手足が痺れたように動かなくなり、倒れこんでしまう。
「エイタさん? エイタさんっ?!」
張り裂けるようなエルの声を聞きながら、俺の意識は遠ざかっていった。
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