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○4章 役所へ行こう

 -6 『四天王』

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 しばらく経って、扉の方から鍵の開く音がした。

 中から現れた泥まみれのマルコムの姿を見て、みんな一同に同情の温かい眼差しで彼を迎え入れていた。柔らかい拍手まで注がれた。

「……なあ、友よ」
「い、いったん帰っていいぞ?」

 あまりに可哀想な姿に、ついつい俺もやさしく声をかけてしまう。自分からそうさせただけあって、申し訳なさもひとしおだ。

 改めて自分の泥まみれの姿を見返したマルコムは、まるでゾンビのように薄弱とした様子で、そのままのたのたと歩き去っていった。

「お前の犠牲、無駄にはしないからな」

 マルコムのためにも、実りのある結果を得なくては。

「よし、いくぞ」とヴェーナたちに声をかけ、俺は中へと入った。

 塀の中は、平屋のような背の低い建物がいくつか並んでいるばかりだった。それらが続いた先の最奥に、まるで居城のように一際目立つ屋敷がある。

 おそらく領主邸だろう。
 そこを目指せばかならずバーゼンに出会えるはずだ。

 なるたけ人目につかなさそうに壁沿いを進みながら、俺たちは領主邸の方角へと着実に近づいていった。

 この調子なら直接バーゼンに会えるんじゃないか。簡単だ。
 そう思ってしまうと、大概にしてうまくいかないものである。

「ヒョーーーーーホッホッ!」

 壁沿いの裏庭を走っていた俺たちに、突如として奇妙な甲高い声が向けられる。立ち止まって周囲を見回すと、いつの間にか目の前に、初老の老人が佇んでいた。

 いや、確かにさっきはいなかった。それなのに、一瞬にして現れたのだ。

 薄い白髪にしわのよった肌。痩せ細った頬はまるでミイラのようだ。太い杖を突いたその男性は、面妖な笑みを浮かべてこちらを眺めていた。

「おやおや。なにやら不信な人の気配がすると思って来てみれば、めんこい少女が数人とその他一名とは」

 ひっかかる言い方だが今は堪えておこう。

 ワンッ、と自分の存在を抗議するように、ミュンの胸元のポチが鳴く。

「これは失礼。それと一匹、でしたかな。いやはや、ここは一般人の立ち入るような場所ではないのじゃが。迷子かなにかじゃろうか」

 耄碌と見せかけて、その実、据わった瞳は明らかに俺たちのことを見抜いている。ただの通行人と思うはずがない。

 ここはなんと答えるべきか。
 下手な嘘よりも、真実をまじえて信憑性をもたせてみよう。

「実は俺たち、バーゼンの知人なんだ。それで今日はバーゼンの知人に呼ばれたから来たんだ、って言ったら信じる?」
「信じ…………ない」
「ですよねー」

 微妙な間を溜めた思わせぶりな返事。この老人、意外とノリがいいぞ


「バーゼン様は現在、自室にて重要なもふもふタイム……ごっほん。もとい、公務の真っ最中でございます」
「おい、いまなんつった?!」

 くそう。
 やっぱり、獣人たちを手篭めにいてあんなことやこんなことをやってるんじゃないか。

「確かに、獣人は毛もふさふさで顔を埋めたら気持ちよさそうだし、健康的な体つきの子が多くてついつい目を奪われちまうけど……そういうのはよくねえぞ!」
「ほう、おぬしも理解が深いようじゃ」

 ついつい本音が声から漏れてしまった。女性陣から冷ややかな視線が送られている気がするが、精神衛生上、気付いていないことにしておこう

 マルコムに普段いろいろ言ってるが、俺だって男子である。

 気を取り直して、俺は顔を引き締めて老人に指をさした。

「と、とにかく。お前たちが獣人の子たちを相手にひどいことをしているのはわかってるんだ。そこから逃げ出してきたっていう子からの証言だってある。彼女たちの意思に反して横暴を働いているってな」

「おやおや。やはりあの小娘か。行方知れずとなって探していたのじゃが、遅かったようじゃな」
「やっぱりお前らが」
「知ってしまった以上、生かしては帰せんぞ」

 途端に、穏やかだった老人の表情が鬼のように険しく変わる。

「来るのじゃ、みなの衆!」

 そう老人が叫んだかと思うと、彼の背後から突如として噴煙が巻き起こった。しかしすぐにそれは晴れ、中から新たにいくつかの人影が現れる。

「しまった。増援か」
「ヒョーッホッホッッ。もう遅いのじゃ。見よ、これが我らバーゼン様親衛隊四天王なのじゃ!」
「し、四天王だと?!」

 やばい。
 すごい強そうじゃないか。

 老人が、背後から現れた人影の一人を指し示す。

「まず一人目。どんな豚も従順にしつける史上最強の家畜の調教師。別名『茨の女王エッデル』。なお、オスに限る」

 姿を現したのは、長身で細身な妙齢の女性。セミロングの水色の髪に切れ長の目が高圧的な印象を持たせる。彼女の手には鞭の様なものが握られており、それがしなって地面を叩くたび、地面が喜ぶように軽快に音を鳴らした。

「ふふっ。可愛い子猫ちゃんたちばかりじゃない。ゾクゾクするわぁ」

 エッデルと呼ばれた女性が艶っぽい声で微笑むと、俺の背筋にぶるりと悪寒が走った。本能がわかる。男が関わったらヤバイタイプの女性だ。

 その象徴とばかりに、彼女のたわわ過ぎる豊かな二つの膨らみが、まるで生きているように激しく動いている。いや、もう生きているのではないか。スクーデリアも大したものだが、それを遥かに凌駕しているだろう。

 もしマルコムがここにいたら卒倒物だった。

「いたぶってあげるわぁ」と上から目線で口にする彼女に続いて、その隣にもう一人の少女。

 こちらはやや幼げで、金髪のツインテールの女の子だ。この子も釣り目だが、童顔のせいか恐さはあまり感じられない。凛々しい女性を取り繕っているのか、腕を組みながら涼しげな微笑を浮かべて佇んでいるが、背伸びをして格好つけているようで少し可愛らしくもある。

「こっちも四天王の一人、『ツンデレのマリー』じゃ」
「ちょっと、ワタシはそんな二つ名認めてないわよ!」

 小柄な少女――マリーが頬を膨らませて抗議する。

「何を言うんじゃ。初めてバーゼン様から二つ名を授かった時その夜、嬉しくて一睡も出来ずに、翌日寝坊しそうだったくせに」
「な、なんで知って……って、そ、そんなことないし!」

 意地になって言い返すマリーの顔は真っ赤になっていた。
 そんな彼女をてきとうにあしらいながら、老人が今度は自らを指す。

「そしてこのワシ、『置き地蔵のゲジイ』じゃ」

 なんかひどい二つ名だな。
 というか、最初の一人はまだともかく、ツンデレだとか置き地蔵だとか、いまいちよくわからない。主にコンセプトだとか、強さの雰囲気とか。

 果たして彼らは真面目にやってるのか?
 俺がただからかわれているだけなんじゃないか?

 思わずそう言いたくのを喉元で抑える。

「以上が我ら、バーゼン様親衛隊四天王じゃ!」
「いや、ちょっと待て」

 我慢できずに喉から飛び出してしまった。

「あんた含めて三人しか紹介されてないけど」
「今日はこの三人じゃ」
「いやいや。意味がわからねえよ」

 一瞬の沈黙が流れる。
 しばらくして、老人ことゲジイが目を泳がせながらぼそりと呟いた。

「…………もう一人は非番なんじゃい」
「…………はい?」
「だから、もう一人は今日は休暇なんじゃい!」

 開き直った風にゲジイが怒鳴りつけてきて、思わず気圧されそうになった。

 だがすぐ冷静になって問い詰める。

「いやいや。普通は四天王で四人いるっていうんだったら全員出てくるもんだろ。立ちはだかる四天王はみんな倒すもんだろうが!」

「知らんわいそんなもん! なんじゃ、ワシらが休暇とったらいかんのか! なんじゃい、ワシだって公務員なんじゃい! 仕事してても休む時は休むし、それは当然の権利じゃろうがい!」

「いや、確かに言ってることは正しいけどさ。あるじゃん、様式美ってやつ」
「知るかい!」

 ぜひとも日本の頂点に立って言ってほしい言葉ではあるが、いま、まさに敵の本丸に切り込んできた奴に言う台詞ではないのは確かだろう。

 しかしどこの世界に、四天王一人が休んでて不戦勝、なんてものがあるんだよ。

 なんというか、雰囲気ぶち壊しである。
 おまけに激昂して興奮しすぎたのか、ゲジイは息切れを起こして胸を押さえ込んでいる。

「いかん、高血圧が……」
「大丈夫かよじいさん」

 戦う前にぽっくり逝きそうでとても怖い。

「……ふぅ。まあ、よい。お前たちなど我ら三人で十分。最後の一席、『定時出勤のナカタ』が出てくる幕もないということじゃ」
「うわー、なんか平凡そうな名前だなー」

 普通のサラリーマンじゃないかと疑いたくなるほどに普通な名前だ。

 わかった。
 こいつらギャグなんだな。

「さあ、バーゼン様の元にたどり着きたくば、ワシら四天王を倒してから向かうのじゃ!」

 そう改まって構えるゲジイを、俺は身の締まらない薄ら笑いで受け返していた。
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