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○4章 役所へ行こう

 -7 『老人と変人』

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「まず最初はワシじゃ」

 そう言ってゲジイが前に出る。

「なにこれ。順番制なの?」と俺は率直に疑問を漏らしてしまったが、向こうは勝手にその気のようだ。数の振りがあるくせにあまりに堂々としていて、特に文句を起こす気力も湧かない。

「……ヴェーナ。行ってくれ」
「ええー」

 ヴェーナもあからさまにやる気がなさそうに眉間をしかめていた。

「ヒョーッホッホッ。ワシの相手は小娘じゃな」

 声高らかにゲジイが肩を揺らす。
 相対した二人に明らかに温度差があるのはどうしてだろうか。

「はあ、面倒。やるならはやくしてちょうだい」
「よいのか、余裕ぶっておいて。フォルンに置き地蔵ありと言われたワシの実力を見て驚くでないぞ」

 ゲジイが大きく腕を広げて身構える。
 しかしその瞬間、

「ぐはぁ!」とゲジイが悲鳴をあげて倒れた。

 目にもとまらぬ早さでヴェーナが吹き矢を放っていた。それが彼の額に突き刺さっている。

『ダメージ1 残りHP1』

 もともとのHP低すぎだろ!

「わ、ワシはもう無理じゃ……よくぞ、ワシを超えてみせたものじゃ……」

 息も絶え絶えに倒れこんだゲジイが、今にも昇天しそうな弱々しい声を漏らす。

 あっけない結末。
 いや、最初からこの展開は当然だったのかもしれない。アナライズでゲジイを見てみても、ステータスはミュンに勝るとも劣らない非常に低いものだった。

 これが四天王と言うのだから不思議である。

「ワシは頭脳派なんじゃ」

 知らんがな。

「ぐぬぬ。『定時出勤のナカタ』がおれば、このような奴……ガクッ」

 そう言い残して気を失ったゲジイに、俺は手を合わせて拝んでおいた。なるほど、地蔵とはこういうことか、という無駄な納得を抱きながら。

   ◇

 ゲジイの介抱はミュンに任せて、残りの二人と対峙する俺たち。

「次は私よぉ」と名乗り出たのは、『茨の女王エッデル』だ。スタイルの良い四肢を艶かしく動かしながら、俺たちの前に躍り出てきた。しならせた鞭が激しい音を立てる。

 今度こそまともに戦えそうな人だ。少なくともゲジイよりは。

 次は誰が行くかと考えていると、しかし俺たちの前に一人の男が立ち塞がった。

「私が行こう!」

 マルコムだった。
 汚泥こそは落としているが、全身を水にまみれた姿で俺たちに背を向けている。

「お前、帰ったんじゃ」
「私が必要とされる時がくるやもと思ってな。近くの川で急いで泥を落としてきたのだよ」
「そ、そうか。別に必要とはしてないが」

 実際、別に困ってもなかったし。

「とにかく、彼女の相手は任せてくれないか」
「まあ、そこまで言うのなら頼む」

 殊勝な奴だ、とも思ったが、マルコムの視線は明らかに目の前のエッデルの胸元へと注がれていた。ここに来たときからずっとだ。エッデルが体をくねらせて胸を揺らすたびに、鼻を伸ばしてにやついている。

「ぶれないな、お前は」
「勇者は己の信念を貫き通すものさ」
「捨てちまえ、そんな信念」

 まあ相手をしてくれるのなら文句はない。
 多少の不安は残るが、マルコムも何を言っても譲る気はないだろう。

 鼻息を荒くするマルコムが剣を構えると、エッデルも鞭をパチンとしならせて構えた。

「行くわよぉ」
「さあばっち来い!」

 牽制する間もなく、口許を持ち上げたエッデルが目にも見えない早さで鞭を振る。途端、鞭の先端がマルコムの右脇腹の直撃した。鞭の先端は膨らんでいで、鈍器のように固くなっている。

「ぐはぁっ?!」

『ダメージ3 残りHP7』

 ゲジイの時と違って、お互いのステータス差はほとんどない。やすがは四天王を名乗るだけはある。むしろどうしてゲジイはそこに名を連ねられていたのか甚だ疑問だが。

 エッデルとマルコムのステータスはほぼほぼ拮抗。ならばより相手を上回った立ち回りをしたほうが勝つ。

 ――いよいよバトルものっぽくなってきたな。

 そう思いながら、俺は手に汗握る二人の仕合を眺めていた。

「良い一撃だね、きみ」
「あら、どうもぉ」

 マルコムの言葉に不敵に笑んで返すエッデル。
 だが余裕さで言えばマルコムだってまだまだ軽症に見える。直撃を受けた横腹も、痛がる素振りすらせず堪えている。

「次は私の番だ!」

 続いてマルコムのまっすぐな踏み込み。
 迷いのない突出は数歩にして相手の懐までもぐりこみ、横に薙ぎ払おうと剣を振りかぶろうとする。

 しかしエッデルもそれには反応していた。咄嗟に強固な鞭の柄でそれを受け止めようとする。だが不易な笑みを返したのはマルコムだった。

「隙ありだぁ!」と、マルコムは肘をつきたててタックルをかました。

 完全な不意をついた一撃。
 彼の肘鉄は、エッデルの胸元へと綺麗に命中した。

 しかし彼女の豊満すぎる胸の谷間に肘先が吸い込まれ、衝撃を和らげたように収めてしまう。

「くそう、失敗か」と悔しがった俺に反し、マルコムは、

「いや、大成功である」

 エッデルが距離をとって後ろに下がると、マルコムの肘に血痕が付着しているのが見えた。ちゃんとしっかり攻撃が決まってたのか、とマルコムを見直そうと思った瞬間、その血が今もどんどん増えていっていることに気付いた。

「お前、それ……鼻血かよ!」
「この世のすべてがあそこにあった」

 訳のわからないことを言いながら、マルコムは口許を真っ赤に染めて、自分の頬を撫でるように悦に浸っていたのだった。

 気持ち悪い。

 完全な不意をついた良い作戦だと思ったが、まさかただエッデルの胸を触りたいだけの作戦だったとでもいうのだろうか。一瞬でも見直した俺が馬鹿だった。

「最っ低!」

 エッデルが不快に顔を歪ませる。
 そして鞭をまた振るうと、左右に大きくしならせて連続の攻撃を繰り出した。その悉くがマルコムに直撃し、彼の腹や脚、頭部を激しく殴打する。

  『ダメージ3 残りHP4
   ダメージ3 残りHP1
   ダメージ3 スキル発動 残りHP1』

 繰り返されるダメージ。

 さすが女王様。
 膝をついたマルコムに鞭打つ姿は、まさにどこかのSMプレイでも見ているかのようだ。エッデルは終始、いたぶることを楽しそうに腕を動かし続ける。

 いや、これ。教育上よろしくない。
 いますぐミュンの目を塞いでおくべきだろうか。

 しかしマルコムの方も、スキルで生きながらえていつまでも致命には届いていなかった。だがそれでも鞭で打たれ続けていることには違いないのだが、激しい痛みに襲われているはずのマルコムは、どこか悦に満ちているように晴れやかな表情だった。

 こいつ、綺麗な女性にいたぶられて喜んでやがるのか。

 マルコムのスキルが――あくまでなぜか運よく――発動し続けているおかげで、延々と繰り返されるSM女王様プレイ。

 ドSとドM。
 ひどく対照的で、ひどく親和性の高い二人の勝負は、目も当てられない泥試合と化していた。

「この、しぶといわねぇ!」とエッデルは尚も繰り返し鞭を振るう。

 だがその度に、

「ふぁ! ふぁぁぁ! 目覚める! ウェイクアァァップ!」と、気味の悪い歓喜の声を上げて攻撃を受けきっていた。いや、受けきるというか、ほぼ無防備に突っ立っているだけだ。

「どうして死なないのぉ!」
「どうした。手が止まったぞ。もっとやってはくれないのか!」

 不意に止んだ猛攻に、物足りなさそうにマルコムが懇願し始める。それを見てエッデルは汚物を見るような目をしながら半歩たじろいだ。

 圧倒的攻勢。
 そのはずだったのに、何故かエッデルの方が参っているように見える。

 更には、

  『ダメージ1 残りHP9』

 急に、マルコムも誰も何もしていないのにエッデルにダメージが入った。

「ど、どういう訳だ?!」と俺も思わず驚愕に目を見開く。

 と、そんな俺の背後でミュンがバックパックから一冊の本を取り出した。

「おじい様の遺した本にはこう書かれてあります」
「急にどうした、ミュン?!」
「真性のドMはドSを引かせる……と」
「お前のじいちゃん、何を遺してるんだよ!」

 そりゃ廃れるさ、リリーテナ。

 しかしまさか、あのダメージはマルコムを見たエッデルへの精神ダメージとでもいうのか。

「どうした、お嬢さん。私にもっと、何かないのかい!」

 マルコムが一歩前に進むと、

「こ、こっちに来ないで変態」とエッデルが表情を引きつらせる。

 そして更に、一歩近づくたび、エッデルへとダメージが入っていった。やがてマルコムが彼女の元へたどり着いた頃、

  『ダメージ1 残りHP1』

 ついには瀕死にまで追い詰め、エッデルはその場でへたり込んで倒れてしまったのだった。

 結論。
 MはSよりも強い。
 矛と盾の逸話みたいだが、きっとこれほど役に立たない知識は存在しないだろうな、と俺は他人事のように思った。

「参ったわぁ、私の負け。こんな時、『定時出勤のナカタ』さんがいてくれたら……」

 どれだけ信頼を置かれてるんだ、ナカタという奴は。逆に少し気になり始めてきたぞ。

 すっかり戦意をなくして鞭の柄から手を離したエッデルに、マルコムは遊び足りない子供のように、純朴に物足りなさそうな顔でがっかりしていた。

「なんだ、もうおしまいか」

 心底残念そうに戻ってくるマルコム。
 そんな彼を、スクーデリアが出迎える。

「勇者様ぁ」
「おお、スクーデリア。どうだ、私の勇姿――」
「素直にキモイかな」

 ものすごく率直な言葉が刺さったぁー!

 いや、実際、精神攻撃だけで相手を倒したのは凄いが、内容がひどすぎる。しかしそうやってドSの攻撃を退けたマルコムだが、さすがに悪意の無いスクーデリアの言葉には堪えたのか、魂が抜けた風に放心してしまっていた。

「お前、やっぱりあのまま帰ったほうがよかったんじゃねえか?」とは、本人の前では言わないでおくとしよう。
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