戦国奇人譚 孟嘗ちゃんとおかしな食客

風来坊の就職

　泥棒を少々嗜みますが、こちらでは張り合いがありませんナ──

　そう言ってのけた 馮驩ふうかんに食客たちは鼻白んだ。かの孟嘗君を前に大言壮語も甚だしい、それではどこの誰から盗みを働けば張り合いがでるの言うのだ。

「王ですかナ」

　爆笑から一転、怒号が飛びかう。怒声だけではない。皿が飛ぶ。杯が飛ぶ。騒然となった。
　いきりたつもの。地団太踏むもの。嘲いだすもの。泣いているもの。狼狽えるもの。席をたつもの。どさくさ紛れに嫌いなやつを殴るもの。

「肝要なのは！」

　びいん──

　と、大気の振動を肌で感じる声量に、その場がぴたりと静止した。
　立ち上がるものは立ち上がったまま。振りかぶるものは振りかぶったまま。その手から落ちた杯がかちゃんと割れて、あとは何も聞こえない。
　馮驩は続けて、

「肝要なのはみっつ。観察、分析、実行なり。すなわち対象に予断をもたず、ありのままを観察せしこと。次にそれが何を意味するか、客観的に分析せしこと。最後に分析に有効な対策を、タイミングを過たず実行せしこと」

　間近で大太鼓を打ち鳴らされたかのように、声がどすんと腹に響く。
　それでいて馮驩は高説をぶった気負いもなく、合間、合間に手掴みで料理を口に入れては食んでいた。
　そのうち杯をひょいと差し上げた。
　気づいた給仕の少女が駆け寄ると、あきれた男は注がれるのを受けながら、

「おわかりですかナ」
「え？」
「あなたに言っているのだが」

　今度こそ一同は腰をぬかした。
　威王・宣王の二代に仕えた名宰相の跡取りにして、あまりの才覚に怖れをなした実父が一時は殺そうとしたほどの異能、のちに戦国四君のひとりと称えられる孟嘗君の正体は、まだあどけなさの残る少女だったのである。

「つまりこれが、観察ですナ」

　馮驩は口のものを、ごくんと飲み込んで、

「皆さんの様子を見ればわかりますよ。上座の真ん中に座っておられる御仁が、身代わりであることくらいはね。表向きにはそれらしい影武者をたてておき、本人は思いもよらぬ姿で同じ場所にいる。成る程うまい手ですが、しかし気をつけられよ。あなたに懸想する狼がいるのはいいとして、櫓や趙あたりの息がかかる者も、若干いるようですからナ」

　図星だったか、その晩のうちに数名が出奔した。
　こうして馮驩は孟嘗君の食客に迎えられたのだった。