舞台装置の悪役令息はようやく自由を手に入れます

ゥヵィ

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本編

1.始動と追憶

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目が覚めると、王都にある別荘の自室に横たわっていた。柔らかなベッドとほのかに香るコロン。ゆっくりとベッドから起き上がると、丁度誰かが扉を開けた。

「…!?お、お目覚めですか、ナーシュ様!!」
「ああ、いま起きた…おはようラーラ」

そう言って笑うと、ラーラは「3日も眠っておられたのです、安静にしてくださいまし!いま他の者をお呼びいたします!!」と言って、水差しとグラスの乗ったアシェットを置いて出ていった。半開きになったドアから漏れ聞こえる騒がしさが、これが現実なのだと叫んでいる。

水差しから水を汲み、ひとくち飲む。冷たくて、火照った体にちょうどいい。
ラーラには感謝しないとだ。今がいったいいつなのか、見当がつかなかったから。『3日も眠っていた』なんて日は、あの日しかありえない。ぼーっと寝起きで回らぬ頭で記憶を探る。

15歳になったナーシュは、他の者と同じ様に魔術学院の始業式に参加するため、その2日前から従者を引き連れ王都へ馬車で向かっていた。公爵家から王都までは短く、半日でつく距離であった。
しかし不運なことに、途中で盗賊に襲われる。幸い、公爵家自慢の優秀な騎士によって盗まれるものはなかったが、賊はやけくそに一匹の馬車馬を傷つけた。そしてパニックになった馬は駆け出し、ボディを転倒させてしまう──ナーシュの乗ったボディを。従者が慌ただしく令息の安否を確認する最中、混乱に乗じて賊は森の方へ逃げ出し行方がわからなくなってしまった。
意識不明だったナーシュは、始業式当日に覚ました。
それが今。
おそらくラーラは今医者を呼んでいる。そしてナーシュは医者にこう言う。「お願いです、魔術学院にすぐ通わせて」。

その翌日から、弱った体のお目付け役として1人従者を携えることを条件に登校する。久方ぶりに婚約者と顔を合わせられる、と幼いながらに胸を高鳴らせながら教室へ向かうと、王子の隣には少女がいた。何事なの、と、王子を詰問すると少女にとめられる。喧嘩はよして、と。
怒ったナーシュは、従者に彼女を調べさせる。そして男爵令嬢、しかも元平民であることを知ったナーシュは、さらに憎しみを募らせ彼女を虐めはじめた。このころは些細なものだった。筆箱を隠したり、本人の聞こえないところで悪口を言い合って、孤立させて。王子は表立って彼女を庇うことはしなかったが、あるときから決定的にナーシュと決裂する。
それは魔力測定の時だった。
魔力量は少ないものの、魔法の才があったナーシュは喜んで王子に駆け寄────ろうとした。

「〈聖女〉だ!!!」

誰かが叫んだ。歓喜に震えた、かしましい声で。
目の前の出来事が、理解できなかった。
なんで、どうして。

〈聖女〉と言われた亜麻色の髪の少女は、王子に抱きついていた。
王子は、見たこともない顔をしていた。頬を赤らめ、くちびるを固く噛みしめて。両腕を震わせて、今にも抱き返そうとしているよう。
その顔をナーシュは知っていた。

恋をしている顔だった。

───ゆるせない。
なんで、なんで、なんで?たった1日で、僕のいない1日で、何があったの?ねえ、なんで?
あの顔は、なに?

いっそのこと、腕を回していたらよかったのに。幼子のように喜び合って、『運命だ!』って笑い合って。そうすれば責められるのは向こうで、そうすれば忌まわしい亜麻色は神殿預かりになって、そうすれば僕らはずっといっしょで。

そのあとの記憶はあいまいだ。どんな顔をしていたのか、とか、どうやって自室に戻ったのか、とか。ただひとつ、ラーラに当たり散らかして、泣き喚いたのを覚えている。
これが地獄のはじまり。具体的に始まるタイミングは違うものの、ほとんど全て同じように繰り返されたものだった。記憶こそあいまいだが、今でも痛む心が「これは紛いもなく『ナーシュ』の記憶である」と告げている。



翌日から、ナーシュは彼女の運命の奴隷になった。
何通りも分岐する記憶が、まったく共感できない感情が、それを告げる。〈シナリオ〉の強制力で生まれた殺意までも孕んだ激情、婚約者に対する独占欲と、それに矛盾する諦念感も、裏切られた時に感じた悲しみと絶望も。その全てがにせもの。あの夜から、ナーシュは舞台装置の一つでしかなかったのだ。
イヤな記憶を思い出して、頭が冷える。

「俺は──僕は、もう彼女のいいなりになどならない」

自己暗示のような言葉をつぶやき、自然と力の入った手を緩めて、掌を見つめる。爪が食い込んで血が出ていた。痛みを感じて、それに安堵する。深い、深い安堵。
そういえば、と、試しにをしてみる。
血のにじむ右手に左手を乗せて、ぐっと力をこめる。
すっと痛みの引く感覚に手を外すと、案の定傷はまっさらになっていた。
やっぱり。皮肉なことに〈聖女〉みずからが何十回もナーシュを手に掛けたからか、〈聖女〉の魔法である聖魔法がほぼ完全に使えるようになっていた。
思わず笑ってしまう。あの頃の下品な笑い方とは違う、躾けられた上品なほうで。
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