NEVER ENDING STORY WRITER≫≫

ペイザンヌ

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03:『変化のない物語』の始まり≫≫

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 梅雨が明け、季節は初夏に移り変わろうとしている。

 ベッドにごろりと転がると本棚の『ゲド戦記』の全巻セットが目に入った。その隣にはエンデの『はてしない物語』も仲間入りしている。

『NEVER ENDING STORY』
 はてしない物語――
 終わりのない物語――

 終わりがないどころか、私の物語はまだ始まってすらいない。もう十七年も生きているというのに、だ。

 アトレイユ――
 イトベユウ――
 井戸部いとべくん――

 そう、井戸部いとべくんが読んでいたから購入してみた『ゲド戦記』。けれど結局一巻以外は真新しいボックスの中に入ったまま。

 ――せめて本でも読むか

 だらしなく枝毛を抜きながらそんな思いがちらりと頭をかすめる。ふと我に返り、私は首を横にを振るとベッドから跳ね起きた。


『だめだだめだ、こんなのが健全な女子高生の日常であっていいはずがない!』


 私はそう意気込むと野暮ったい部屋着を乱暴に脱ぎ捨てた。肩まで伸びた髪を綺麗にかし、出来うるかぎりのお洒落をして出掛けることにした。全身を映せる姿見すがたみの前で微笑んでみせる。うん、私もなかなか捨てたもんではないじゃないか。くるりと一回りすると短めのスカートがふわりと浮いた。

 その時だった。妙な違和感を覚え私は鏡をじっと見つめた。一瞬見知らぬ人影が見えた気がしたのだ。

 ハッと後ろを振り返ってみるがもちろんそこには誰もいない。あたりまえだ。カーテンだってちゃんと閉まっているし覗かれる心配だってあるはずがない。

 ――気のせいか……。

 私は鏡の中の自分に肩をすくめてみせると、バッグを手に部屋を出た。



 さて、そうやって見切り発車で飛び出してみたのは良いが果たしてどこへ行けばよいものやら当てがさっぱり思い付かない。ショッピング? 映画? それともヒトカラ? はぁ、休みの日に高校生が一人でできることなんてつくづくたかが知れてるのだな。そもそもそれじゃいつもの休みと変わらないじゃないか。

 とりあえず私は一番近い繁華街まで電車で行ってみることにした。

 車内では家族連れやカップルが幸せオーラをこれでもかと押し付けてくる。いったい皆どこでそんなパートナーを見つけてくるのだろう。どこか私の知らないところでバーゲンセールでもやってるのだろうか? 

 そんな中でふと我に立ち返ると、なんだか一人めかしこんできたのがバカみたいにも思える。

 ――なんとなく今日は一人でいたい気分だったけど、こんなことなららんからの誘いを断るんじゃなかったかな。

 休日ののぼり車両はそこそこ込み合っていた。二ヶ月前、蘭と別れた図書館のある駅に停車するとそこでさらに人は増してくる。

 ――あれからもう二ヶ月も経つんだな。

 まるで昨日のことのようだ。よかれと思ってやったことがよけい蘭との関係をギクシャクさせる結果となってしまった。まあ、一方的に私がそう思い込んでるだけかもしんないけど。

(私のことは気にしなくていいよ。ホントにただの幼馴染みなだけなんだし──)

 どちらにせよギクシャクするのであれば蘭がそう言ってくれた時、最初からその言葉を素直に受け入れていればよかったのだ。ありがとうと言って応援してもらえばよかったのだ。

 せっかく外に飛び出してきたというのに先程ベッドの上で考えていたことがまたループをし始める。どうしてもこの環状線から抜け出せない。

 窓外から『コンタクト・レンズ』の看板が目に飛び込んできた。

 ――コンタクトにでもしてみようかな……


 そんなことを考えている時だった。電車が減速しガクリと揺れたのをいいことに誰かの手が私の腰の辺りに触れた。なんとなく嫌な予感はしていたのだが案の定だった。その手はだんだん下の方へ降りてくると、自然を装い甲の辺りで私のお尻に触れてきたのだ。

 この女がインパラなのかか、それとも噛みついてくる女豹なのか確かめているに違いない。

 これが蘭だったらわめきたてるか腕の一つでも掴んだりするのであろうが、残念ながら私はインパラの方だった。

 ――これじゃあまるで痴漢されるためにお洒落してきたようなものじゃないか……。

 私はますます悲しくなってきた。これが映画やドラマだったら素敵な男の人が助けてくれて、そこからラブストーリーに発展してハッピーエンドになったりもするのに……。こんな時にそんな妄想をしている自分がより虚しかった。

 私は左右に視線を動かすと周囲にさりげなく助けを求めた。ふと視線の片隅にどこかで見た顔が映った気がする。私の心臓はトクンと跳ね上がった。井戸部いとべくんだった。いつからそこにいたのか、私服姿の井戸部くんは乗降口のところで本を読みながら立っていた。

 ――ど、どうしよう。

 緊急事態なんだし『久し振り~』とか言いながら近寄って行った方がいいのかな。どうしよ、あ、その前に眼鏡外した方がいいのかな。

 そんな呑気なことを考えている間に敵は次第に大胆になってきていた。そしてついに太ももの方から短めのスカートの中に手が侵入してきたのだ。

 ――ひっ!

 井戸部くんに話しかけなきゃという緊張と痴漢への恐怖が連なり私の足は棒切れのようにすくんでいた。

 ――助けて、井戸部くん……。

 そう祈るように目を瞑った時だった。

「よう、麗美れみちゃん。久し振り!」と、誰かに肩を掴まれたかと思うやいなや、私のスカートの中からぐっと強引に腕が引き下ろされる気配がした。

「随分おめかしだね、デートなの?」

 ――井戸部くん!

 私は振り向いた。

 男が馴れ馴れしく話しかけてきたのに萎縮したのか、小太りの男が一人すごすごと逃げるように離れていくのがチラリと見えた。痴漢をしてたのがまだ若い男性だったことにも驚いたが、さらに驚いたのは私を助けてくれたのが見も知らぬ男だったということだ。

「よっ、と」

 男はつり革を掴み、私の隣へ強引に割って入ってきた。ハッと乗降口の方を見ると井戸部くんはこちら側の騒動に気付いた様子もなく本に夢中になっている。

 ――誰、この人……?

 男は私を見下ろし、口もとを上げてニッと笑みを浮かべた。パッと見三十代前半くらいに見える。黒シャツにやはり黒のチェスターコートというのだろうか、やや長めのそれを身に付けていた。ツバ広のペーパーハットが少し車内では浮いて見えるが端正な顔立ちに加え後ろで縛った長い髪と妙にマッチしていた。

 ――どうして私の名前を……?

 もう一度こっそり顔を横目で確かめてみたが、どう考えてもこんなビジュアル系に知り合いなどいない。私は少し怖くなってきていた。

 外見になんかに騙されちゃいけない。ひょっとするとさっきの痴漢なんかよりももっとヤバい人かもしれない。イケメンというのはテレビや雑誌なんかで見ている分にはいいがリアルの世界で会うとどうしてこんなにも警戒心をあおるのだろう。

「あの……どうも、ありがとうございました」

 電車が駅に着くと私は小声で一言お礼を言い、井戸部くんのいる方とは反対の乗降口からそそくさと降りることにした。

 ようやくホームに降り立ち、軽く深呼吸をすると開放感と共にどっと疲れが出てきた。一駅がこんなに長く感じたのは初めてだった。ドアが閉まり電車が再び動き出したが井戸部くんはとうとう最後まで私に気付くことはなかった。

「…………」
「どうして彼に助けを求めなかったんだい? 奥田麗美おくだれみさん」と、急に背後から名指しで話かけられたので私はビクリとした。先程の黒チェスターの男だ。彼もこの駅で降りていたのだ。

「あの……どうして私の名前を知ってるんですか?」
「さあ? どうしてだろうね」

 男は肩をすくめ、こちらの質問に対して質問口調で返してくる。やっぱり、なんかいけ好かない。

「助けていただいたことはありがたいと思ってます。でも……誰なんですか? あなた」

 男はいかにもというように考え込むような顔つきになり眉間みけんに指を当てた。

「そこなんだよなぁ。そう、そこなんだよ。本当なら俺が君を助ける展開じゃなかったはずなんだ。そこが問題なんだ」
「あの、答えになってないんですけど」
「本来であればあの井戸部くんが君を助けるシナリオのはずなんだ。そうじゃなきゃいつになったってドラマが始まらない」

 ――どうして井戸部くんの名前まで。

「だけど、彼は動かなかった。君に気付かなかった。だからあの場合、恥ずかしがってないで君の方から助けを求めるべきだったんだよ。あの井戸部くんにね」

 男はふうと哀れむような目付きで溜め息をついた。

「君は臆病すぎる。だから君の人生は何も始まらないんだ。この十七年間ずっと。何もね」

 ――なに、何なの? 意味わかんないんだけど。なんで説教されてんの? 私。

「それは君自身、イヤというほどわかってるはずだろ?」

 後退あとずさりする私に彼はそっと左手を差し出してきた。

「さあ、物語を始めよう──」
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