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第三章 日ソ開戦編
49 ソ連海軍太平洋艦隊
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シベリアと沿海州の陸上で赤軍が一九四四年八月九日午前零時を待っているように、海上でもまたソ連海軍太平洋艦隊が日付が変わる瞬間に備えていた。
現在、ソ連海軍太平洋艦隊を率いているのは、イワン・ユマシェフ海軍大将であった。一九一二年に当時のロシア帝国海軍に水兵として入隊して以来、三十年以上にわたって海軍に奉職してきた叩き上げともいえる海軍軍人である。
この太平洋艦隊もまた、極東軍総司令官であるヴォロシーロフ元帥の指揮下にあった。
太平洋艦隊はウラジオストクを根拠地とするユマシェフ大将直率の主力艦隊と、タタール海峡(間宮海峡)・オホーツク海方面を担当する北太平洋小艦隊、そしてアムール川を担当するアムール小艦隊の三個艦隊からなる。
北太平洋小艦隊の司令官はウラジーミル・アンドレーエフ中将、アムール小艦隊の司令官はニコライ・アントーノフ少将である。
その編成は、次のようになっていた。
太平洋艦隊 司令長官:イワン・ユマシェフ大将
主力艦隊 司令官:イワン・ユマシェフ大将
【戦艦】〈ソヴィエツキー・ソユーズ〉〈ソビエツカヤ・ウクライナ〉〈クロンシュタット〉〈セヴァストーポリ〉〈アルハンゲリスク〉〈ノヴォロシースク〉
(※〈アルハンゲリスク〉、〈ノヴォロシースク〉は元伊戦艦コンテ・ディ・カブール級)
【水上機母艦】〈チカロフ〉
(※元米水上機母艦〈ラングレー〉)
【重巡】〈キーロフ〉〈ヴォロシーロフ〉〈マクシム・ゴーリキー〉〈モロトフ〉〈カリーニン〉〈ラーザリ・カガノーヴィチ〉
【軽巡】〈チェルヴォナ・ウクライナ〉〈クラスニイ・クリム〉〈クラースヌイ・カフカース〉〈フルンゼ〉〈クイビシェフ〉〈ラーゾ〉〈ジュダノフ〉
【嚮導駆逐艦】〈タシュケント〉〈キエフ〉〈トビリシ〉〈バクー〉
【駆逐艦】〈レーズヴイ〉〈レシーテリヌイ〉〈ラストロープヌイ〉〈リヤーヌイ〉〈レースキイ〉〈レーチヴイ〉〈レシーテリヌイ〉〈レーヴノスノイ〉〈ラズラリョーンヌイ〉〈レコールドヌイ〉〈レートキイ〉〈ラズムーヌイ〉〈スメールイ〉〈スローヴイ〉〈ストラーシュヌイ〉〈スヴィレープイ〉〈ストローギイ〉〈ストローイヌイ〉〈オグネヴォイ〉〈ヴラースヌイ〉〈ヴヌシーテリヌイ〉〈ヴリノースリヴイ〉
【潜水艦】六十三隻
など
北太平洋小艦隊 司令官:ウラジーミル・アンドレーエフ中将
【戦艦】〈ソビエツカヤ・ベロルシア〉
【軽巡】〈ハバロフスク〉〈ウラジオストク〉
(※〈ハバロフスク〉、〈ウラジオストク〉は元米軽巡オマハ級)
【駆逐艦】〈ストレミーテリヌイ〉〈ソクルシーテリヌイ〉
【哨戒艦】二隻
【機雷敷設艦】二隻
【魚雷艇】四十三隻
【潜水艦】十五隻
など
アムール小艦隊 司令官:ニコライ・アントーノフ少将
【モニター艦】八隻
【河川砲艦】十一隻
【装甲艇】五十三隻
など
また、これら艦艇の他に海軍航空隊約一五〇〇機および海軍歩兵部隊が存在していた。
艦隊の編成からは、ソ連海軍(厳密な呼称は「赤色海軍」)が一九四〇年代に入ってから急激に拡大したことがうかがえる。
ロシア革命によってほとんど壊滅状態となった海軍が再建されるようになったのは、ようやく一九三三年になってからであった。第一次五ヶ年計画の完遂によって、ソ連はようやく鉄鋼業など海軍の再建に必要な重工業の発展が望めるようになったからである。
三三年から始まった第二次五ヶ年計画では、まだ大口径砲や装甲鈑の製造能力は整っていなかったものの、それでも巡洋艦の新造計画が実行された。
当時のソ連では自国で大型艦艇を設計出来る人材・技術が失われていたため、必然的に他国に技術支援を仰ぐこととなった。
その結果、イタリアからの技術支援の元で建造されたのが、キーロフとヴォロシーロフである。十八センチ砲三連装三基を搭載するこの巡洋艦は、ソ連海軍内部では「軽巡」として扱われているが、ロンドン海軍軍縮条約における重巡・軽巡の定義に当てはめれば、「重巡」に相当する艦種であった。
その後、一九三六年よりキーロフ級の改良型として建造されたのが、マクシム・ゴーリキー級の四隻であった。
この六隻の重巡(軽巡)が、ソ連海軍再建の嚆矢となった。
そして一九三八年より開始された第三次五ヶ年計画により、いよいよ戦艦の保有を目指した海軍拡張計画が始動した。
それ以前まではソ連海軍内部では沿岸防衛海軍を志向する者たちが大勢を占めていたのであるが、スターリンによる大粛清によってそうした者たちが一掃されたため、海軍拡張計画が本格化したのである。
スターリンはかつての帝政ロシアのように海洋を支配する大海軍の再建を目論んでいたから、この赤い皇帝の意向もあって海軍拡張計画は急速に具体化していった。
ソ連はノルウェー海、バルト海、黒海、日本海と他国の勢力圏下にある海域を通過しなければ外洋に進出出来ないこともあり、そのためにも周辺諸国の海軍を圧倒する兵力を保有することで海洋進出を実現するしかなかったのである。
海軍拡張計画は最終的に戦艦十五隻を主力とする内容として、スターリンの承認を得た。
この計画で建造されることとなったのが、太平洋艦隊への配備を予定する「A分類」艦艇であるソヴィエツキー・ソユーズ級戦艦と、バルト海および黒海艦隊への配備を予定する「B分類」艦艇であるクロンシュタット級巡洋戦艦であった(なお、ソ連海軍の種別ではクロンシュタット級は「重巡」)。
新型戦艦の設計自体は一九三五年ごろから開始されており、やはり大型艦艇の設計・建造技術が革命や大粛清によって失われていたため、他国からの技術支援を受けながら設計が進められた。
この過程で、アメリカのギブス&コックス社が航空戦艦案を持ち込み、また大粛清の影響で造船技術者たちまでもが処刑・投獄されたため、設計の混乱や停滞があったものの、最終的にはイタリアのリットリオ級戦艦を参考とした形で設計がまとまった。
当初はアメリカのノースカロライナ級を参考とした形で設計がまとまりかけていたのであるが、ソ連のポーランド東部併合や冬戦争を理由としたアメリカの道徳的禁輸によって以後の技術支援が途絶えてしまったため、キーロフ級の設計などで実績のあるイタリアが選ばれたのである。
また、独ソ不可侵条約によってドイツからの技術協力を仰ぐことも出来たため、最終的にまとまったソヴィエツキー・ソユーズの設計は独伊の戦艦の面影を色濃く反映したものとなった。
船体や砲の配置などはリットリオ級を髣髴とさせる形状である一方、艦橋は竣工当初のドイチュラント級装甲艦を思わせる塔型になっていたのである。
こうしてソヴィエツキー・ソユーズ級は、基準排水量五万九〇〇〇トン、四十五口径十六インチ砲三連装三基九門、最大速力二十八ノットの戦艦として竣工することとなった。
一九四三年の段階で一番艦ソヴィエツキー・ソユーズ(レニングラード・オルジョニキーゼ造船所)、ソビエツカヤ・ウクライナ(ニコラエフ造船所)の二隻が竣工し、ウラジオストクへと回航されている。
三番艦ソビエツカヤ・ベロルシア(モロトフスク、後のセヴェロドヴィンスクの造船所)が竣工したのは一九四四年五月のことであり、公試運転や慣熟訓練もそこそこに北極海航路回りで日本海へと向かうことになった。
一方のクロンシュタット級巡洋戦艦は、当初は十二インチ砲三連装三基を搭載した艦として建造される予定であった。これはもともと、クロンシュタット級が日本海軍の重巡を圧倒する「条約型巡洋艦駆逐用巡洋艦」として計画されていたからである。このため、クロンシュタット級の計画番号は「六九号計画艦」であり、これはチャパエフ級軽巡の「六八号計画艦」に続くものとなっていた。
しかし、ソユーズ級の十六インチ砲の新規製造だけでソ連の技術力・工業力は限界に達しており、十二インチ砲を自前で製造するだけの能力はなかった(その十六インチ砲ですら当初の計画であった五十口径は技術的に不可能であり、最終的に四十五口径となった)。
結果、独ソ不可侵条約に伴う独ソ通商協定によってドイツからビスマルク級の搭載する三十八センチ砲の技術供与を受けることとなり、最終的にクロンシュタット級は基準排水量三万九〇〇〇トン、十五インチ砲連装三基六門、最大速力三十二ノットの巡洋戦艦として竣工している。
こちらは一番艦クロンシュタット(レニングラード・アドミラルティ造船所)、二番艦セヴァストーポリ(ニコラエフ造船所)の二隻が、現在までに竣工していた。
これらの艦艇は、チャパエフ級軽巡も含めて一九三九年から建造が開始されていたから、ソ連はわずか五年で大規模な艦隊を再建したことになる。とはいえ、多数の海軍艦艇を急激に建造することは、ソ連の工業力にとっても決して軽くない負担となっていた。
ソヴィエツキー・ソユーズ級四隻、クロンシュタット級二隻の建造で、ソ連の造船能力の七十五パーセント以上を費やしていたのである。同時期、この他にもソ連はチャパエフ級軽巡の建造を行っていたから、国内の鉄鋼生産は圧迫され、さらには多くの工場が造船関連の分野に振り向けられることになった。
結果、他の兵器生産やその他の産業分野への少なくない影響を生じさせることになっている。
例えば、ソ連はアメリカや西欧に比べて自動車産業が立ち後れていたが、造船分野が優先されたことで依然としてソ連の自動車生産能力は低いままであった。
また、ソ連軍の主力戦車であるT-34も、その改良型であるT-34Mへの生産の転換が予定されていたが、これもまた工場設備の更新を行う余裕がなく、計画は中止されている。もともとT-34は、量産体制を確立しようとした段階で旧来の戦車工場の設備を大幅に更新する必要があり、短期間でさらなる工場設備の更新は不可能だったのである。
さらに、国家予算に占める海軍予算も、五〇パーセントに達しようとしていた。これは、かつての日本の八八艦隊計画に匹敵する数字である。
実際、戦艦十五隻という当初のスターリンの構想に比して、この五戦艦竣工以降の建造速度はなかなか上がらなかった。
結果として、それでもなお日本海軍に対して劣勢な海軍力を補うため、スターリンはイタリアやアメリカから旧式化した艦艇を購入することで海軍戦力の増強を企てたのである。
ソ連に対するアメリカの道徳的禁輸は、日本海軍が一九四〇年八月に大和を進水させ、そして翌四一年十二月に竣工させたことで、一九四二年一月に解除されていた。流石にレーダーや航空機技術などの最新の軍事技術、そして海軍の砲熕技術などの提供には米軍内部からの反発もあって実現していないが、ルーズベルト政権は旧式艦艇の売却であればむしろ日本海軍を牽制するためにも都合がよいと判断していたのである。
こうしてソ連はイタリアから戦艦コンテ・ディ・カブール、ジュリオ・チェザーレ、アメリカから戦艦ニューヨーク、アーカンソー、水上機母艦ラングレー、軽巡ローリー、デトロイトといった艦艇を手に入れることに成功していた(現在、ニューヨークはレニングラードにて、アーカンソーはモロトフスクにて整備中)。
それでもなおスターリンの目指した大海軍への道は遠いものであったが、少なくとも日本海軍が脅威と認識するだけの海軍力を、この赤き独裁者は手に入れていたといえよう。
そうしてソ連海軍太平洋艦隊もまた、一九四四年八月九日午前零時を迎えたのである。
―――――――――――――――――――――――――――――――――――――
あとがき
【ソ連に対するアメリカの道徳的禁輸解除】
史実では、1941年1月に解除されています。
現在、ソ連海軍太平洋艦隊を率いているのは、イワン・ユマシェフ海軍大将であった。一九一二年に当時のロシア帝国海軍に水兵として入隊して以来、三十年以上にわたって海軍に奉職してきた叩き上げともいえる海軍軍人である。
この太平洋艦隊もまた、極東軍総司令官であるヴォロシーロフ元帥の指揮下にあった。
太平洋艦隊はウラジオストクを根拠地とするユマシェフ大将直率の主力艦隊と、タタール海峡(間宮海峡)・オホーツク海方面を担当する北太平洋小艦隊、そしてアムール川を担当するアムール小艦隊の三個艦隊からなる。
北太平洋小艦隊の司令官はウラジーミル・アンドレーエフ中将、アムール小艦隊の司令官はニコライ・アントーノフ少将である。
その編成は、次のようになっていた。
太平洋艦隊 司令長官:イワン・ユマシェフ大将
主力艦隊 司令官:イワン・ユマシェフ大将
【戦艦】〈ソヴィエツキー・ソユーズ〉〈ソビエツカヤ・ウクライナ〉〈クロンシュタット〉〈セヴァストーポリ〉〈アルハンゲリスク〉〈ノヴォロシースク〉
(※〈アルハンゲリスク〉、〈ノヴォロシースク〉は元伊戦艦コンテ・ディ・カブール級)
【水上機母艦】〈チカロフ〉
(※元米水上機母艦〈ラングレー〉)
【重巡】〈キーロフ〉〈ヴォロシーロフ〉〈マクシム・ゴーリキー〉〈モロトフ〉〈カリーニン〉〈ラーザリ・カガノーヴィチ〉
【軽巡】〈チェルヴォナ・ウクライナ〉〈クラスニイ・クリム〉〈クラースヌイ・カフカース〉〈フルンゼ〉〈クイビシェフ〉〈ラーゾ〉〈ジュダノフ〉
【嚮導駆逐艦】〈タシュケント〉〈キエフ〉〈トビリシ〉〈バクー〉
【駆逐艦】〈レーズヴイ〉〈レシーテリヌイ〉〈ラストロープヌイ〉〈リヤーヌイ〉〈レースキイ〉〈レーチヴイ〉〈レシーテリヌイ〉〈レーヴノスノイ〉〈ラズラリョーンヌイ〉〈レコールドヌイ〉〈レートキイ〉〈ラズムーヌイ〉〈スメールイ〉〈スローヴイ〉〈ストラーシュヌイ〉〈スヴィレープイ〉〈ストローギイ〉〈ストローイヌイ〉〈オグネヴォイ〉〈ヴラースヌイ〉〈ヴヌシーテリヌイ〉〈ヴリノースリヴイ〉
【潜水艦】六十三隻
など
北太平洋小艦隊 司令官:ウラジーミル・アンドレーエフ中将
【戦艦】〈ソビエツカヤ・ベロルシア〉
【軽巡】〈ハバロフスク〉〈ウラジオストク〉
(※〈ハバロフスク〉、〈ウラジオストク〉は元米軽巡オマハ級)
【駆逐艦】〈ストレミーテリヌイ〉〈ソクルシーテリヌイ〉
【哨戒艦】二隻
【機雷敷設艦】二隻
【魚雷艇】四十三隻
【潜水艦】十五隻
など
アムール小艦隊 司令官:ニコライ・アントーノフ少将
【モニター艦】八隻
【河川砲艦】十一隻
【装甲艇】五十三隻
など
また、これら艦艇の他に海軍航空隊約一五〇〇機および海軍歩兵部隊が存在していた。
艦隊の編成からは、ソ連海軍(厳密な呼称は「赤色海軍」)が一九四〇年代に入ってから急激に拡大したことがうかがえる。
ロシア革命によってほとんど壊滅状態となった海軍が再建されるようになったのは、ようやく一九三三年になってからであった。第一次五ヶ年計画の完遂によって、ソ連はようやく鉄鋼業など海軍の再建に必要な重工業の発展が望めるようになったからである。
三三年から始まった第二次五ヶ年計画では、まだ大口径砲や装甲鈑の製造能力は整っていなかったものの、それでも巡洋艦の新造計画が実行された。
当時のソ連では自国で大型艦艇を設計出来る人材・技術が失われていたため、必然的に他国に技術支援を仰ぐこととなった。
その結果、イタリアからの技術支援の元で建造されたのが、キーロフとヴォロシーロフである。十八センチ砲三連装三基を搭載するこの巡洋艦は、ソ連海軍内部では「軽巡」として扱われているが、ロンドン海軍軍縮条約における重巡・軽巡の定義に当てはめれば、「重巡」に相当する艦種であった。
その後、一九三六年よりキーロフ級の改良型として建造されたのが、マクシム・ゴーリキー級の四隻であった。
この六隻の重巡(軽巡)が、ソ連海軍再建の嚆矢となった。
そして一九三八年より開始された第三次五ヶ年計画により、いよいよ戦艦の保有を目指した海軍拡張計画が始動した。
それ以前まではソ連海軍内部では沿岸防衛海軍を志向する者たちが大勢を占めていたのであるが、スターリンによる大粛清によってそうした者たちが一掃されたため、海軍拡張計画が本格化したのである。
スターリンはかつての帝政ロシアのように海洋を支配する大海軍の再建を目論んでいたから、この赤い皇帝の意向もあって海軍拡張計画は急速に具体化していった。
ソ連はノルウェー海、バルト海、黒海、日本海と他国の勢力圏下にある海域を通過しなければ外洋に進出出来ないこともあり、そのためにも周辺諸国の海軍を圧倒する兵力を保有することで海洋進出を実現するしかなかったのである。
海軍拡張計画は最終的に戦艦十五隻を主力とする内容として、スターリンの承認を得た。
この計画で建造されることとなったのが、太平洋艦隊への配備を予定する「A分類」艦艇であるソヴィエツキー・ソユーズ級戦艦と、バルト海および黒海艦隊への配備を予定する「B分類」艦艇であるクロンシュタット級巡洋戦艦であった(なお、ソ連海軍の種別ではクロンシュタット級は「重巡」)。
新型戦艦の設計自体は一九三五年ごろから開始されており、やはり大型艦艇の設計・建造技術が革命や大粛清によって失われていたため、他国からの技術支援を受けながら設計が進められた。
この過程で、アメリカのギブス&コックス社が航空戦艦案を持ち込み、また大粛清の影響で造船技術者たちまでもが処刑・投獄されたため、設計の混乱や停滞があったものの、最終的にはイタリアのリットリオ級戦艦を参考とした形で設計がまとまった。
当初はアメリカのノースカロライナ級を参考とした形で設計がまとまりかけていたのであるが、ソ連のポーランド東部併合や冬戦争を理由としたアメリカの道徳的禁輸によって以後の技術支援が途絶えてしまったため、キーロフ級の設計などで実績のあるイタリアが選ばれたのである。
また、独ソ不可侵条約によってドイツからの技術協力を仰ぐことも出来たため、最終的にまとまったソヴィエツキー・ソユーズの設計は独伊の戦艦の面影を色濃く反映したものとなった。
船体や砲の配置などはリットリオ級を髣髴とさせる形状である一方、艦橋は竣工当初のドイチュラント級装甲艦を思わせる塔型になっていたのである。
こうしてソヴィエツキー・ソユーズ級は、基準排水量五万九〇〇〇トン、四十五口径十六インチ砲三連装三基九門、最大速力二十八ノットの戦艦として竣工することとなった。
一九四三年の段階で一番艦ソヴィエツキー・ソユーズ(レニングラード・オルジョニキーゼ造船所)、ソビエツカヤ・ウクライナ(ニコラエフ造船所)の二隻が竣工し、ウラジオストクへと回航されている。
三番艦ソビエツカヤ・ベロルシア(モロトフスク、後のセヴェロドヴィンスクの造船所)が竣工したのは一九四四年五月のことであり、公試運転や慣熟訓練もそこそこに北極海航路回りで日本海へと向かうことになった。
一方のクロンシュタット級巡洋戦艦は、当初は十二インチ砲三連装三基を搭載した艦として建造される予定であった。これはもともと、クロンシュタット級が日本海軍の重巡を圧倒する「条約型巡洋艦駆逐用巡洋艦」として計画されていたからである。このため、クロンシュタット級の計画番号は「六九号計画艦」であり、これはチャパエフ級軽巡の「六八号計画艦」に続くものとなっていた。
しかし、ソユーズ級の十六インチ砲の新規製造だけでソ連の技術力・工業力は限界に達しており、十二インチ砲を自前で製造するだけの能力はなかった(その十六インチ砲ですら当初の計画であった五十口径は技術的に不可能であり、最終的に四十五口径となった)。
結果、独ソ不可侵条約に伴う独ソ通商協定によってドイツからビスマルク級の搭載する三十八センチ砲の技術供与を受けることとなり、最終的にクロンシュタット級は基準排水量三万九〇〇〇トン、十五インチ砲連装三基六門、最大速力三十二ノットの巡洋戦艦として竣工している。
こちらは一番艦クロンシュタット(レニングラード・アドミラルティ造船所)、二番艦セヴァストーポリ(ニコラエフ造船所)の二隻が、現在までに竣工していた。
これらの艦艇は、チャパエフ級軽巡も含めて一九三九年から建造が開始されていたから、ソ連はわずか五年で大規模な艦隊を再建したことになる。とはいえ、多数の海軍艦艇を急激に建造することは、ソ連の工業力にとっても決して軽くない負担となっていた。
ソヴィエツキー・ソユーズ級四隻、クロンシュタット級二隻の建造で、ソ連の造船能力の七十五パーセント以上を費やしていたのである。同時期、この他にもソ連はチャパエフ級軽巡の建造を行っていたから、国内の鉄鋼生産は圧迫され、さらには多くの工場が造船関連の分野に振り向けられることになった。
結果、他の兵器生産やその他の産業分野への少なくない影響を生じさせることになっている。
例えば、ソ連はアメリカや西欧に比べて自動車産業が立ち後れていたが、造船分野が優先されたことで依然としてソ連の自動車生産能力は低いままであった。
また、ソ連軍の主力戦車であるT-34も、その改良型であるT-34Mへの生産の転換が予定されていたが、これもまた工場設備の更新を行う余裕がなく、計画は中止されている。もともとT-34は、量産体制を確立しようとした段階で旧来の戦車工場の設備を大幅に更新する必要があり、短期間でさらなる工場設備の更新は不可能だったのである。
さらに、国家予算に占める海軍予算も、五〇パーセントに達しようとしていた。これは、かつての日本の八八艦隊計画に匹敵する数字である。
実際、戦艦十五隻という当初のスターリンの構想に比して、この五戦艦竣工以降の建造速度はなかなか上がらなかった。
結果として、それでもなお日本海軍に対して劣勢な海軍力を補うため、スターリンはイタリアやアメリカから旧式化した艦艇を購入することで海軍戦力の増強を企てたのである。
ソ連に対するアメリカの道徳的禁輸は、日本海軍が一九四〇年八月に大和を進水させ、そして翌四一年十二月に竣工させたことで、一九四二年一月に解除されていた。流石にレーダーや航空機技術などの最新の軍事技術、そして海軍の砲熕技術などの提供には米軍内部からの反発もあって実現していないが、ルーズベルト政権は旧式艦艇の売却であればむしろ日本海軍を牽制するためにも都合がよいと判断していたのである。
こうしてソ連はイタリアから戦艦コンテ・ディ・カブール、ジュリオ・チェザーレ、アメリカから戦艦ニューヨーク、アーカンソー、水上機母艦ラングレー、軽巡ローリー、デトロイトといった艦艇を手に入れることに成功していた(現在、ニューヨークはレニングラードにて、アーカンソーはモロトフスクにて整備中)。
それでもなおスターリンの目指した大海軍への道は遠いものであったが、少なくとも日本海軍が脅威と認識するだけの海軍力を、この赤き独裁者は手に入れていたといえよう。
そうしてソ連海軍太平洋艦隊もまた、一九四四年八月九日午前零時を迎えたのである。
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あとがき
【ソ連に対するアメリカの道徳的禁輸解除】
史実では、1941年1月に解除されています。
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