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3章 画家は絵筆を貪りつくす
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夕飯のルームサービスにはクルテが立った。
「心配してくださったって聞いてます」
含羞んだ笑顔を見せてクルテが給仕係を見る。
「いえ、いいえ! 宿がお客様を心配するのは当たり前ですから! お医者さまをお呼びしなくてよかったのですか?」
「もう治りましたから……でも二・三日は部屋でゆっくり過ごします」
「あのぉ……受付係がご宿泊はいつまでのご予定かと気にしてました」
「そうね、いつまで居ようかな?」
クルテがチラリと振り向いて、ソファーに座っているピエッチェを見る。ピエッチェは怖い顔でこちらを見ていた。
「いつまでにするか、相談しておきます」
クスッと笑ってクルテが答えた。
給仕係が出て行くとマデルがニヤッと笑った。
「ピエッチェ、もう怖い顔してなくたっていいよ」
「元からこんな顔だ。放っとけ」
お茶を飲みながらの作戦会議で、少し給仕係を探ることにした。それにはクルテが親しくなるのが早い。ルームサービスに来るたび、給仕係の対応をクルテがすることにした。その際ピエッチェが不快感を示して、企みが成功すると給仕係に勘違いさせることも決めた。もっとも給仕係に微笑むクルテを見て自然に怖い顔になってしまったピエッチェだ。そんな顔で俺に微笑んだことなんか、ないよな、クルテ?
ソファーに戻って来たクルテにチラリと顔を見られ、慌ててピエッチェが不機嫌を隠して、表情を和らげる。
「まずは飯だ! 食うぞ、カッチー」
「はい! ピエッチェさん! すごいご馳走ですね!」
テーブルには食材をふんだんに使った料理が並んでいる。昨日までは肉料理か魚料理が一品か二品、サラダにスープとパン、そんな感じだった。それが今日は煮こんだ牛肉、焼き野菜が添えられた雉肉のグリル、さらに海老のチーズ焼き、マッシュルームと薄切り肉の炒め物もある。スープは昨日よりも具沢山だ。一種類だったパンも今日は数種類が籐籠に入れられている。飲み物もコーヒーと紅茶はポットで、ピッチャーに入れられたオレンジジュースもある。デザートのカスタードプリンにはクリームが絞られ、さらにブドウと丸ごとのリンゴが盛られた皿もある。
「昨日よりかなり豪勢だな――クルテ、代金は昨日と同じ?」
「お茶のトレイにメモを置いた。急で無理なら明日からって書いたけど間に合ったんだね。代金は三倍」
それを聞いて、マデルがケラケラ笑う。
「ホント、わたしら、大金持ちだって思われても仕方ないよ」
「三倍って……確かにそれくらいにはなりそうだけど、なんで三倍?」
これはピエッチェ、少々蒼褪めている。
「わたしが栄養失調気味だから栄養のあるものをって頼んだんだ。三倍までの料金で、ってね――折角だから冷めないうちに食べよう」
クルテはオレンジジュースをごくごく飲んだあと、『オレンジの味がする』と呟いてから、すぐにブドウに手を伸ばした。なんだと思って飲んだんだ? 訊いてみようかと思ったが、それよりテーブルに並べられた料理が気になるピエッチェだ。
王宮だってこんな贅沢はしてないぞ? カッチーの教育にだって良くない。いろいろ文句を言いたいが、金を払っているのはクルテ、言い難い。それにいちいち文句をつけて、狭量だと思われたくもない。
とりあえず、
「おまえ、デザートは最後に食べるものだぞ。ブドウは後にしたらどうだ?」
文句とも言えない文句を言ってみる。
「そうなんだ? でも、好きな物から食べないとお腹いっぱいになっちゃうよ?」
「ピエッチェ、せっかくクルテが食べる気になってるんだ。好きなように食べさせなよ。細かいことをいちいち言うと嫌われるよ」
マデルがクルテの味方をする。やっぱり小さなヤツだと思われたとムカッとするが、ここでまた何か言えば土壺に嵌るだけだとやめておく。
クルテはそんなピエッチェとマデルをチラチラ見ていたが、クスッと笑うとすべての料理を一口ずつ取り分けた。プディングは食べる気にならなかったらしくカッチーに譲ってから、最初に取ったブドウに取り掛かった。
ブドウを食べ終わると、
「リンゴは一つしかない」
とピエッチェを見た。
「あぁ、切り分けて食べろってことだ。果物用のナイフが置いてある」
「……切り分ける? どんな風に?」
「なんだ、おまえ、リンゴを食ったことがないのか?」
「あるけど、いつも丸いまま」
「皮ごと?」
「もちろん」
チッと舌打ちし、ピエッチェがナイフに手を伸ばす。皮を剥き、四等分した一つから芯を繰り抜いてクルテに渡すと、嬉しそうにクルテがすぐに嚙り付いた。
「美味しい……」
自分を見上げて微笑むクルテに顔が熱くなるのを感じるが平静を装って、
「そうか、そりゃよかったな」
と、リンゴの処理を続けた。
同じように切ったリンゴを皿に乗せ、マデルとカッチーの前にも置いた。最後のひとつを齧りながら、チラリと見ると、リンゴを食べ終わったクルテはブドウを見ている。
「食いたかったら俺の分、食っていいぞ」
「ホントに? いいの? ありがとう」
喜んで残りのブドウの三分の一を取り分けるクルテ、マデルがクスッと笑う。
「ピエッチェ、今日は随分クルテに優しいじゃないか」
「たまにはな……さっきサロンで倒れたし、労わってやってもいいだろう?」
「それだけ? それにしてもクルテって不思議だね。上流貴族の雰囲気なのに、切ったリンゴは食べたことがないなんてね」
クルテは女神の森で生まれたと言っていた。きっと森に実ったリンゴを食べていたんだろう。そう考えたピエッチェに疑問が浮かぶ。女神の森で生まれたのは、魔物でも人間でもない何かで? それとも魔物として?
「切ったリンゴも食べたことがある」
クルテの声にピエッチェの思考が途切れる。
「でもね、丸ごとのリンゴも食べたことがある。同じものだとは思ってなかった」
「おやおや、こりゃ、正真正銘の上流貴族だ」
ケラケラ笑うマデルにカッチーが
「どういうことですか?」
と尋ねる。
「クルテはね、調理場なんか行ったことないし、料理の食材を訊いたりしたこともないってことだよ。出された料理になんの疑問も持たずに食べてたってことさ。きっと魚は切り身で泳いでると思ってる」
「へぇ、俺、上流貴族って物知りばかりだと思ってました」
「物知りは物知りさ。でも自分の役目に関係ないことは案外知らなかったりする。クルテは食が細いからね、食物に関心なんか持ったことがなかったんだろう?」
同意を求めるようなマデルに、
「そうなのかな?……多分、そうだよね。でも、魚は切り身じゃ泳げないのは知ってる」
クルテが微笑んで、ますますマデルを笑わせた。
食事中はマデルが街で見てきたこと、中でも祭の様子を事細かに話していた。やれ物凄い人出だっただの、やれ山車が立派だっただの、やっぱりカッチーは食べ物ばっかりだっただの、いわば雑談だ。マデルも久しぶりの賑わいに少し浮かれていたのかもしれない。それもカッチーがウトウトし始めてお開きとなる。
やっぱりその夜も、腕にしがみ付く感触に夜中に目を覚ましたピエッチェだ。怠さを感じてクルテの腕を解くと、思ったほどの力でもなく簡単に抜けた。
腕の柔らかさに、触ってはいけないものに触れた気がした。クルテが何かムニャムニャ言ったところを見ると夢うつつなのか。なんとなく寝顔に見入る。
今は魔物になる前の姿だと言った。と、言うことは……
(いいや、コイツは魔物だ)
思い浮かべそうになったことを消すかのように目を閉じる。寝返りを打ってクルテに背を向けると再び眠りについた。
翌日、朝食の受け取りや支払いは打ち合わせ通りクルテがした。優雅に微笑んで見せたりもしている。ピエッチェにしてみると自分でも不思議だが、なんだかイライラして面白くない。いやでもそれが顔に出る。が、やはりこれも打ち合わせ通りだと、マデルもカッチーも怪しんだりしない。クルテも何も言わないが気付かれているんじゃないか? でもそうだ、本人が判らないことはクルテにも判らないんだったと少し安心した。
朝食がすむとワゴンには、『午後にはお茶を、早めの時間に……フルーツの盛り合わせもお願いします』とクルテが書いたメモを乗せておいた。これも打ち合わせ通りだ。
商店が開く時刻になるとマデルは出かけ、ピエッチェとカッチーは屋上で剣の稽古を始めた。クルテも出てきてベンチに座って見ていたが、今日は二十回とピエッチェに断りもせずカッチーに指示を出し、ピエッチェに『おまえは黙ってろ』と怒鳴られる。だがクルテ、負けずに『おまえこそ黙れ』とピエッチェの頭に怒鳴り返し、ピエッチェを後悔させている。
「……二十回でいい。なんか頭痛がしてきた」
「ピエッチェさん、大丈夫ですか?」
顔を顰めるピエッチェ、心配そうなカッチー、ニヤッと笑うのはクルテだ。
「大丈夫、すぐ治まるよ」
怒鳴り声が頭に響いたとは言えないピエッチェが笑顔で答えると、
「だったら、素振りが終わったら部屋で昨日の話をしてもいいですか?」
カッチーが遠慮がちに言った。
「マデルさんがいると話しを横取りされちゃうから、俺、なかなか言いたいことが言えなくて……」
「うん? 遠慮なんかするな。言いたいことはなんでも言っていいんだぞ」
「言いたいって言うか、昨日のお祭りで見たこととか雑談だから、そんな深刻なんじゃないんです」
「そうか、うん。そんな話にはマデルが『そうそう、それでね』とか言いだすな。たまにはカッチーのお喋りも聞きたい。言われてみれば最近、喋ってるのはマデルばっかりだ」
ピエッチェが微笑み、カッチーが『へへっ』と顔を綻ばせた。
素振り二十回なんてすぐ終わる。室内に戻ってソファーに座るとカッチーがピエッチェの顔を見る。ところが、あんなに話したがっていたのになかなか話し始めない。いざとなると、何から話せばいいのか、どう話せばいいのか迷い、切っ掛けも掴めないらしい。
察したピエッチェが苦笑して、
「山車はそんなに見ごたえがあったんだ?」
と話を振ると、
「そうなんです!」
と目を輝かせた。
そこからはぺらぺらと喋り続け、適当に頷いたり相槌を打つだけでよかった。こんなに生き生きとしているカッチーはコゲゼリテで、『一緒に行こう』と誘った時以来だ。
気になったのは、話しの合間合間に『マデルさんが言ってたけど』が入って、マデルの話を補足したことだ。マデルの前では言いたくても言えなかったのはこれか、とピエッチェが思う。
カッチーがどれほど遠慮しているのかが窺えた。ピエッチェとクルテは師匠、マデルは王室魔法使いという身分の高い貴族、それに引き換え自分は? そう考えているんじゃないか?
「それでね!」
カッチーの声が一段と大きくなった。
「これは取っておきの話です。マデルさんは言ってなかったけど、実は俺たち、お芝居を見たんですよ!」
満面の笑顔でカッチーが言った。
「俺、お芝居なんて初めてで、大興奮なのにマデルさんったら始まってすぐに寝ちゃったから――ザジリレンの伝説をもとにしたお話なんだそうです。俺、帰ったらピエッチェさんに話そうと思って瞬きしないで見てました」
そんなの無理だぞ、と思ったが、
「そりゃあ凄いな。でも疲れただろう? だから昨日、早い時刻からウトウトしちゃったんだな」
微笑むピエッチェだ。
「しかし、ザジリレンの伝説? どの話だろう?」
「それがね、女神の娘の話みたいなんです」
「女神の娘? こないだ話したあれか?」
「ピエッチェさんが話してたのとはちょっと違ってました――ザジリレン国王の隠し子、十五歳の王女が主人公の話でした。王女は森に隠れて暮らしていたんだけど、ある日、森に迷い込んだ騎士に見付かってしまいます。騎士は王女とも知らず娘に一目惚れ、求愛するものの怖がって娘は逃げ惑うばかり。焦れた騎士は力づくでもと娘を追いますが、娘が逃げたのはザジリレン王城、ここでやっと娘の正体を騎士も知ります。ですが、そうなるとますますどうしても自分のものにしたいと思うようになりました」
「それって国王は知ってたのか?」
ピエッチェの質問にカッチーがキョトンとする。
「さぁ、どうでしょう? お芝居ではそんな話は出ていませんでした」
少し鼻白んだが、気を取り直してカッチーが続けた。
「舞台は王城、王妃の登場です。国王が匿っている年若い娘を夫の愛人と思い込み、王妃は王女を城から追い出してしまいます。行き場を失った王女がどうしたらいいのか泣いているところに、通りがかった若者が声を掛けました」
「ふふん、その若者と王女がくっ付くのか。ありがちだな」
「ところがピエッチェさん、そう簡単には行きません――王女から話を聞いた若者は取り敢えず女神の森に隠れようと、王女を森に連れて行きます。それを物陰に隠れて見ていたのは王女を襲った騎士、こっそりあとを追っていきます」
「おっ、やっと女神の森が出てきた。どこが女神の娘の話なのかって思ってたぞ」
「茶化さないでくださいよ――若者は大きな木に洞があるのを見つけ、そこに王女を隠します。王女は一人にしないでと引き留めますが、食べ物と飲み物を持ってくるからここを動かないよう言い置いて、若者は街に向かいます」
「ふむ。若者の留守に悪役登場か」
「先走らないでくださいっ! 悪役に遭遇するのは若者の方です――騎士は森に入って暫くして二人を見失ってるんです。どうしたものかと思っていると、すぐそこに若者の後ろ姿、哀れ若者は背後から騎士に討たれて落命してしまいます」
「なんだ、悲劇なのか?」
「若者を討ったものの、探し回っても王女は見つからない。怒り心頭に達した騎士は森に火を放ちます。娘よ、炙られるのがイヤならば出てくるがいい。出て来ないなら焼け死ぬがいい!」
とうとうピエッチェを無視したカッチー、役者のセリフを真似たようだ。
「もちろん森の女神はそんな騎士を許すはずがありません――」
女神の魔法で見る見るうちに騎士の姿は一振りの剣に変えられてしまう。そして女神は木の洞から出て来ない王女に話しかけた。
『出ておいで、もう怖いものはいなくなった』
けれど王女は
『帰ってくるまでここに隠れていると約束したのです』
と言って動かない。
もう若者は死に、帰ってくることはない。その事実を告げるか迷った女神は告げるのをやめ、その代わり王女をいつまでも死なない存在に変えた。今でも王女は十五歳の姿のまま、女神の森の木の洞で若者を待っている――
話し終えるとカッチーはホッと息を吐いた。目が潤んでいるところを見ると、偉く感動したらしい。
「波乱万丈、冷や冷やする展開、最後は少し悲しいけれど、いつか若者は蘇って王女を迎えに来るって女神も言ってるし……早くそうなるといいなぁ」
考え込むのはピエッチェだ。
「そんな伝説、聞いたことないぞ? 王だの王女だの、王家にまつわる伝説だよな。知らない――」
〝はずないんだけどな〟はクルテの『黙れ!』が頭に響いて言えなかった。
(馬鹿者! なぜ王家に詳しいのかと訊かれたらなんて答えるんだ?)
(あ……ついうっかりした。気を付けるからそんなに怒るな)
「ピエッチェさんでも知らないなんて、ザジリレンっていろんな話があるんですね」
当り前と言えば当たり前だがカッチーは、二人の脳内会話に気付くことなくニコニコしている。加えて、ピエッチェの『知らない』に続きがあるとは思わなかったようだ。助かったと思いつつピエッチェが微笑む。
「そうだな、カッチー。楽しめたようで良かったよ」
「はい! また芝居小屋を見付けたら、その時は一緒に見物してください!」
たった一度見ただけで、カッチーは芝居にハマってしまったらしい。
マデルが帰ってきたのはもうすぐ昼になる頃、大きな包みを抱えていた。
「気に入るといいんだけど……」
と言ってクルテに包みを渡す。
「大丈夫、きっと気に入る。注文通りのものを探してくれたんだよね?」
「そのあたりは完璧なつもり。早く着て見せて」
買ってきたのはクルテの服だ。しかも女物。給仕係を罠にかけるには、男物より女物を着ていたほうがいいと、賛否保留のピエッチェを除く全員一致で決まっていた。
手伝うと言うマデルを振り切って、クルテは一人で寝室に籠る。
「どんなのを買ってきたんですか?」
カッチーの問いに
「クルテがね、可愛らしいのがいいって言うんだ。でも、襟が詰まってるものって条件を出されたから、そうなると可愛い感じにするしかないよね。そうじゃなきゃ、カチカチにお堅い服になっちまう」
「そっか……襟が開いてたら胸元が見えちゃって、男だとバレちゃいますよね」
カッチーの真面目さにマデルが少し笑む。
「わたしは開いてたほうがいいと思ったけどね。ピエッチェがクルテの言うとおりにしろって言うからさ」
ピエッチェを盗み見るマデル、聞こえていないふりのピエッチェ、なんだか腹の探り合いだ。
マデルはクルテを女だと見抜いている。ピエッチェは、男と信じて疑っていないフリをしている。魔物になる前の姿ならクルテの身体は女のはずだと判っていながら、否定し続けている。今は魔物、魔物になって性別はなくなった。そう思い込もうとするピエッチェ、だが『性別なんてない』とマデルたちに言えるはずもない。
寝室のドアが開いてクルテが居間に入ってきた――
「心配してくださったって聞いてます」
含羞んだ笑顔を見せてクルテが給仕係を見る。
「いえ、いいえ! 宿がお客様を心配するのは当たり前ですから! お医者さまをお呼びしなくてよかったのですか?」
「もう治りましたから……でも二・三日は部屋でゆっくり過ごします」
「あのぉ……受付係がご宿泊はいつまでのご予定かと気にしてました」
「そうね、いつまで居ようかな?」
クルテがチラリと振り向いて、ソファーに座っているピエッチェを見る。ピエッチェは怖い顔でこちらを見ていた。
「いつまでにするか、相談しておきます」
クスッと笑ってクルテが答えた。
給仕係が出て行くとマデルがニヤッと笑った。
「ピエッチェ、もう怖い顔してなくたっていいよ」
「元からこんな顔だ。放っとけ」
お茶を飲みながらの作戦会議で、少し給仕係を探ることにした。それにはクルテが親しくなるのが早い。ルームサービスに来るたび、給仕係の対応をクルテがすることにした。その際ピエッチェが不快感を示して、企みが成功すると給仕係に勘違いさせることも決めた。もっとも給仕係に微笑むクルテを見て自然に怖い顔になってしまったピエッチェだ。そんな顔で俺に微笑んだことなんか、ないよな、クルテ?
ソファーに戻って来たクルテにチラリと顔を見られ、慌ててピエッチェが不機嫌を隠して、表情を和らげる。
「まずは飯だ! 食うぞ、カッチー」
「はい! ピエッチェさん! すごいご馳走ですね!」
テーブルには食材をふんだんに使った料理が並んでいる。昨日までは肉料理か魚料理が一品か二品、サラダにスープとパン、そんな感じだった。それが今日は煮こんだ牛肉、焼き野菜が添えられた雉肉のグリル、さらに海老のチーズ焼き、マッシュルームと薄切り肉の炒め物もある。スープは昨日よりも具沢山だ。一種類だったパンも今日は数種類が籐籠に入れられている。飲み物もコーヒーと紅茶はポットで、ピッチャーに入れられたオレンジジュースもある。デザートのカスタードプリンにはクリームが絞られ、さらにブドウと丸ごとのリンゴが盛られた皿もある。
「昨日よりかなり豪勢だな――クルテ、代金は昨日と同じ?」
「お茶のトレイにメモを置いた。急で無理なら明日からって書いたけど間に合ったんだね。代金は三倍」
それを聞いて、マデルがケラケラ笑う。
「ホント、わたしら、大金持ちだって思われても仕方ないよ」
「三倍って……確かにそれくらいにはなりそうだけど、なんで三倍?」
これはピエッチェ、少々蒼褪めている。
「わたしが栄養失調気味だから栄養のあるものをって頼んだんだ。三倍までの料金で、ってね――折角だから冷めないうちに食べよう」
クルテはオレンジジュースをごくごく飲んだあと、『オレンジの味がする』と呟いてから、すぐにブドウに手を伸ばした。なんだと思って飲んだんだ? 訊いてみようかと思ったが、それよりテーブルに並べられた料理が気になるピエッチェだ。
王宮だってこんな贅沢はしてないぞ? カッチーの教育にだって良くない。いろいろ文句を言いたいが、金を払っているのはクルテ、言い難い。それにいちいち文句をつけて、狭量だと思われたくもない。
とりあえず、
「おまえ、デザートは最後に食べるものだぞ。ブドウは後にしたらどうだ?」
文句とも言えない文句を言ってみる。
「そうなんだ? でも、好きな物から食べないとお腹いっぱいになっちゃうよ?」
「ピエッチェ、せっかくクルテが食べる気になってるんだ。好きなように食べさせなよ。細かいことをいちいち言うと嫌われるよ」
マデルがクルテの味方をする。やっぱり小さなヤツだと思われたとムカッとするが、ここでまた何か言えば土壺に嵌るだけだとやめておく。
クルテはそんなピエッチェとマデルをチラチラ見ていたが、クスッと笑うとすべての料理を一口ずつ取り分けた。プディングは食べる気にならなかったらしくカッチーに譲ってから、最初に取ったブドウに取り掛かった。
ブドウを食べ終わると、
「リンゴは一つしかない」
とピエッチェを見た。
「あぁ、切り分けて食べろってことだ。果物用のナイフが置いてある」
「……切り分ける? どんな風に?」
「なんだ、おまえ、リンゴを食ったことがないのか?」
「あるけど、いつも丸いまま」
「皮ごと?」
「もちろん」
チッと舌打ちし、ピエッチェがナイフに手を伸ばす。皮を剥き、四等分した一つから芯を繰り抜いてクルテに渡すと、嬉しそうにクルテがすぐに嚙り付いた。
「美味しい……」
自分を見上げて微笑むクルテに顔が熱くなるのを感じるが平静を装って、
「そうか、そりゃよかったな」
と、リンゴの処理を続けた。
同じように切ったリンゴを皿に乗せ、マデルとカッチーの前にも置いた。最後のひとつを齧りながら、チラリと見ると、リンゴを食べ終わったクルテはブドウを見ている。
「食いたかったら俺の分、食っていいぞ」
「ホントに? いいの? ありがとう」
喜んで残りのブドウの三分の一を取り分けるクルテ、マデルがクスッと笑う。
「ピエッチェ、今日は随分クルテに優しいじゃないか」
「たまにはな……さっきサロンで倒れたし、労わってやってもいいだろう?」
「それだけ? それにしてもクルテって不思議だね。上流貴族の雰囲気なのに、切ったリンゴは食べたことがないなんてね」
クルテは女神の森で生まれたと言っていた。きっと森に実ったリンゴを食べていたんだろう。そう考えたピエッチェに疑問が浮かぶ。女神の森で生まれたのは、魔物でも人間でもない何かで? それとも魔物として?
「切ったリンゴも食べたことがある」
クルテの声にピエッチェの思考が途切れる。
「でもね、丸ごとのリンゴも食べたことがある。同じものだとは思ってなかった」
「おやおや、こりゃ、正真正銘の上流貴族だ」
ケラケラ笑うマデルにカッチーが
「どういうことですか?」
と尋ねる。
「クルテはね、調理場なんか行ったことないし、料理の食材を訊いたりしたこともないってことだよ。出された料理になんの疑問も持たずに食べてたってことさ。きっと魚は切り身で泳いでると思ってる」
「へぇ、俺、上流貴族って物知りばかりだと思ってました」
「物知りは物知りさ。でも自分の役目に関係ないことは案外知らなかったりする。クルテは食が細いからね、食物に関心なんか持ったことがなかったんだろう?」
同意を求めるようなマデルに、
「そうなのかな?……多分、そうだよね。でも、魚は切り身じゃ泳げないのは知ってる」
クルテが微笑んで、ますますマデルを笑わせた。
食事中はマデルが街で見てきたこと、中でも祭の様子を事細かに話していた。やれ物凄い人出だっただの、やれ山車が立派だっただの、やっぱりカッチーは食べ物ばっかりだっただの、いわば雑談だ。マデルも久しぶりの賑わいに少し浮かれていたのかもしれない。それもカッチーがウトウトし始めてお開きとなる。
やっぱりその夜も、腕にしがみ付く感触に夜中に目を覚ましたピエッチェだ。怠さを感じてクルテの腕を解くと、思ったほどの力でもなく簡単に抜けた。
腕の柔らかさに、触ってはいけないものに触れた気がした。クルテが何かムニャムニャ言ったところを見ると夢うつつなのか。なんとなく寝顔に見入る。
今は魔物になる前の姿だと言った。と、言うことは……
(いいや、コイツは魔物だ)
思い浮かべそうになったことを消すかのように目を閉じる。寝返りを打ってクルテに背を向けると再び眠りについた。
翌日、朝食の受け取りや支払いは打ち合わせ通りクルテがした。優雅に微笑んで見せたりもしている。ピエッチェにしてみると自分でも不思議だが、なんだかイライラして面白くない。いやでもそれが顔に出る。が、やはりこれも打ち合わせ通りだと、マデルもカッチーも怪しんだりしない。クルテも何も言わないが気付かれているんじゃないか? でもそうだ、本人が判らないことはクルテにも判らないんだったと少し安心した。
朝食がすむとワゴンには、『午後にはお茶を、早めの時間に……フルーツの盛り合わせもお願いします』とクルテが書いたメモを乗せておいた。これも打ち合わせ通りだ。
商店が開く時刻になるとマデルは出かけ、ピエッチェとカッチーは屋上で剣の稽古を始めた。クルテも出てきてベンチに座って見ていたが、今日は二十回とピエッチェに断りもせずカッチーに指示を出し、ピエッチェに『おまえは黙ってろ』と怒鳴られる。だがクルテ、負けずに『おまえこそ黙れ』とピエッチェの頭に怒鳴り返し、ピエッチェを後悔させている。
「……二十回でいい。なんか頭痛がしてきた」
「ピエッチェさん、大丈夫ですか?」
顔を顰めるピエッチェ、心配そうなカッチー、ニヤッと笑うのはクルテだ。
「大丈夫、すぐ治まるよ」
怒鳴り声が頭に響いたとは言えないピエッチェが笑顔で答えると、
「だったら、素振りが終わったら部屋で昨日の話をしてもいいですか?」
カッチーが遠慮がちに言った。
「マデルさんがいると話しを横取りされちゃうから、俺、なかなか言いたいことが言えなくて……」
「うん? 遠慮なんかするな。言いたいことはなんでも言っていいんだぞ」
「言いたいって言うか、昨日のお祭りで見たこととか雑談だから、そんな深刻なんじゃないんです」
「そうか、うん。そんな話にはマデルが『そうそう、それでね』とか言いだすな。たまにはカッチーのお喋りも聞きたい。言われてみれば最近、喋ってるのはマデルばっかりだ」
ピエッチェが微笑み、カッチーが『へへっ』と顔を綻ばせた。
素振り二十回なんてすぐ終わる。室内に戻ってソファーに座るとカッチーがピエッチェの顔を見る。ところが、あんなに話したがっていたのになかなか話し始めない。いざとなると、何から話せばいいのか、どう話せばいいのか迷い、切っ掛けも掴めないらしい。
察したピエッチェが苦笑して、
「山車はそんなに見ごたえがあったんだ?」
と話を振ると、
「そうなんです!」
と目を輝かせた。
そこからはぺらぺらと喋り続け、適当に頷いたり相槌を打つだけでよかった。こんなに生き生きとしているカッチーはコゲゼリテで、『一緒に行こう』と誘った時以来だ。
気になったのは、話しの合間合間に『マデルさんが言ってたけど』が入って、マデルの話を補足したことだ。マデルの前では言いたくても言えなかったのはこれか、とピエッチェが思う。
カッチーがどれほど遠慮しているのかが窺えた。ピエッチェとクルテは師匠、マデルは王室魔法使いという身分の高い貴族、それに引き換え自分は? そう考えているんじゃないか?
「それでね!」
カッチーの声が一段と大きくなった。
「これは取っておきの話です。マデルさんは言ってなかったけど、実は俺たち、お芝居を見たんですよ!」
満面の笑顔でカッチーが言った。
「俺、お芝居なんて初めてで、大興奮なのにマデルさんったら始まってすぐに寝ちゃったから――ザジリレンの伝説をもとにしたお話なんだそうです。俺、帰ったらピエッチェさんに話そうと思って瞬きしないで見てました」
そんなの無理だぞ、と思ったが、
「そりゃあ凄いな。でも疲れただろう? だから昨日、早い時刻からウトウトしちゃったんだな」
微笑むピエッチェだ。
「しかし、ザジリレンの伝説? どの話だろう?」
「それがね、女神の娘の話みたいなんです」
「女神の娘? こないだ話したあれか?」
「ピエッチェさんが話してたのとはちょっと違ってました――ザジリレン国王の隠し子、十五歳の王女が主人公の話でした。王女は森に隠れて暮らしていたんだけど、ある日、森に迷い込んだ騎士に見付かってしまいます。騎士は王女とも知らず娘に一目惚れ、求愛するものの怖がって娘は逃げ惑うばかり。焦れた騎士は力づくでもと娘を追いますが、娘が逃げたのはザジリレン王城、ここでやっと娘の正体を騎士も知ります。ですが、そうなるとますますどうしても自分のものにしたいと思うようになりました」
「それって国王は知ってたのか?」
ピエッチェの質問にカッチーがキョトンとする。
「さぁ、どうでしょう? お芝居ではそんな話は出ていませんでした」
少し鼻白んだが、気を取り直してカッチーが続けた。
「舞台は王城、王妃の登場です。国王が匿っている年若い娘を夫の愛人と思い込み、王妃は王女を城から追い出してしまいます。行き場を失った王女がどうしたらいいのか泣いているところに、通りがかった若者が声を掛けました」
「ふふん、その若者と王女がくっ付くのか。ありがちだな」
「ところがピエッチェさん、そう簡単には行きません――王女から話を聞いた若者は取り敢えず女神の森に隠れようと、王女を森に連れて行きます。それを物陰に隠れて見ていたのは王女を襲った騎士、こっそりあとを追っていきます」
「おっ、やっと女神の森が出てきた。どこが女神の娘の話なのかって思ってたぞ」
「茶化さないでくださいよ――若者は大きな木に洞があるのを見つけ、そこに王女を隠します。王女は一人にしないでと引き留めますが、食べ物と飲み物を持ってくるからここを動かないよう言い置いて、若者は街に向かいます」
「ふむ。若者の留守に悪役登場か」
「先走らないでくださいっ! 悪役に遭遇するのは若者の方です――騎士は森に入って暫くして二人を見失ってるんです。どうしたものかと思っていると、すぐそこに若者の後ろ姿、哀れ若者は背後から騎士に討たれて落命してしまいます」
「なんだ、悲劇なのか?」
「若者を討ったものの、探し回っても王女は見つからない。怒り心頭に達した騎士は森に火を放ちます。娘よ、炙られるのがイヤならば出てくるがいい。出て来ないなら焼け死ぬがいい!」
とうとうピエッチェを無視したカッチー、役者のセリフを真似たようだ。
「もちろん森の女神はそんな騎士を許すはずがありません――」
女神の魔法で見る見るうちに騎士の姿は一振りの剣に変えられてしまう。そして女神は木の洞から出て来ない王女に話しかけた。
『出ておいで、もう怖いものはいなくなった』
けれど王女は
『帰ってくるまでここに隠れていると約束したのです』
と言って動かない。
もう若者は死に、帰ってくることはない。その事実を告げるか迷った女神は告げるのをやめ、その代わり王女をいつまでも死なない存在に変えた。今でも王女は十五歳の姿のまま、女神の森の木の洞で若者を待っている――
話し終えるとカッチーはホッと息を吐いた。目が潤んでいるところを見ると、偉く感動したらしい。
「波乱万丈、冷や冷やする展開、最後は少し悲しいけれど、いつか若者は蘇って王女を迎えに来るって女神も言ってるし……早くそうなるといいなぁ」
考え込むのはピエッチェだ。
「そんな伝説、聞いたことないぞ? 王だの王女だの、王家にまつわる伝説だよな。知らない――」
〝はずないんだけどな〟はクルテの『黙れ!』が頭に響いて言えなかった。
(馬鹿者! なぜ王家に詳しいのかと訊かれたらなんて答えるんだ?)
(あ……ついうっかりした。気を付けるからそんなに怒るな)
「ピエッチェさんでも知らないなんて、ザジリレンっていろんな話があるんですね」
当り前と言えば当たり前だがカッチーは、二人の脳内会話に気付くことなくニコニコしている。加えて、ピエッチェの『知らない』に続きがあるとは思わなかったようだ。助かったと思いつつピエッチェが微笑む。
「そうだな、カッチー。楽しめたようで良かったよ」
「はい! また芝居小屋を見付けたら、その時は一緒に見物してください!」
たった一度見ただけで、カッチーは芝居にハマってしまったらしい。
マデルが帰ってきたのはもうすぐ昼になる頃、大きな包みを抱えていた。
「気に入るといいんだけど……」
と言ってクルテに包みを渡す。
「大丈夫、きっと気に入る。注文通りのものを探してくれたんだよね?」
「そのあたりは完璧なつもり。早く着て見せて」
買ってきたのはクルテの服だ。しかも女物。給仕係を罠にかけるには、男物より女物を着ていたほうがいいと、賛否保留のピエッチェを除く全員一致で決まっていた。
手伝うと言うマデルを振り切って、クルテは一人で寝室に籠る。
「どんなのを買ってきたんですか?」
カッチーの問いに
「クルテがね、可愛らしいのがいいって言うんだ。でも、襟が詰まってるものって条件を出されたから、そうなると可愛い感じにするしかないよね。そうじゃなきゃ、カチカチにお堅い服になっちまう」
「そっか……襟が開いてたら胸元が見えちゃって、男だとバレちゃいますよね」
カッチーの真面目さにマデルが少し笑む。
「わたしは開いてたほうがいいと思ったけどね。ピエッチェがクルテの言うとおりにしろって言うからさ」
ピエッチェを盗み見るマデル、聞こえていないふりのピエッチェ、なんだか腹の探り合いだ。
マデルはクルテを女だと見抜いている。ピエッチェは、男と信じて疑っていないフリをしている。魔物になる前の姿ならクルテの身体は女のはずだと判っていながら、否定し続けている。今は魔物、魔物になって性別はなくなった。そう思い込もうとするピエッチェ、だが『性別なんてない』とマデルたちに言えるはずもない。
寝室のドアが開いてクルテが居間に入ってきた――
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