平凡という名の幸福

星 陽月

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【第17話】

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 日曜日の後楽園遊園地は、溢れんばかりの人で賑わっていた。
 園内は、若者たちよりも、幼稚園児や小学生の低学年の子供を連れた母親の姿が圧倒的に多い。
 それもそのはず、本日、園内の会場では「ダイナレンジャー・ショー」が催されていて、母親たちは皆、そのショーのヒーロー役の若い俳優を目当てにやって来たのだ。
 そして間もなく、そのショーの開演が始まるところだった。
 会場はほとんどが母子で埋め尽くされ、ショーが始まると、ヒーロー役の俳優が登場するとともに、子供よりも母親の黄色い声が飛び交った。
 今ではその光景も珍しくはなく、そんな中に、道久と尚行の姿があった。
 以前から行きたいと言っていた尚行のために、典子が、連れてってあげて、と道久に二万円を渡したのだった。
 道久は、母親たちの発する声に圧倒されていたが、尚行は瞳を爛々と輝かせ、舞台で演じられているショーに眼を向けていた。
 そんな息子の横顔を道久は見つめ、そして黄色い声を発しつづける母親たちに眼を向け、あのパワーはいったいどこからくるんだ、そう思い、今の母親っていうのは、ストレス発散の場所をちゃんと持ってるんだな、とそんな感慨に耽った。
 ショーが終わり、ヒーローたちとの写真撮影が始まると、子供たちは我先にと駆け出していき、尚行もその中に入っていった。
 母親たちは、変身後のヒーローには興味がなく、その写真撮影が終わり、ヒーロー役の俳優が出てくるのを待っているようだった。
 しばらくして尚行がもどってきて、ふたりは撮影したスチール写真を取りにいった。スチール写真を受け取ると、尚行は嬉しそうに魅入った。

「よく撮れてるな」

 道久が言うと、尚行はとても嬉しそうに、うん、と頷いた。

「パパも撮ってもらえばよかったのに」
「そうだな、パパも撮ってもらえばよかったな。今度来たときはそうするよ」

 尚行に合わせて、道久はそう答えた。
 会場をあとにし、ふたりはスタンド・バーでソフトクリームを買った。
 テーブルに坐ろうとしたが空いておらず、ふたりはベンチを捜して坐った。

「ママも来れればよかったのに」

 ソフトクリームを舌先ですくうと、尚行が言った。

「そうだな。ママも来たがってたけど、仕事になっちゃったからな」
「だけど、今日は日曜日でしょ? いつも仕事に行った日だって遅く帰ってくるのに、どうして日曜日も仕事なの?」
「どうしても大切な仕事があって、行かなきゃならなかったんだから仕方ないさ」

 尚行の言いたい気持ちがわかっていながらも、道久はそう言うしかなかった。
 それでも、胸の内では尚行と同じ気持ちで揺れている。
 二月に入って間もなくして、道久は、典子から営業に移ったという話を聞かされた。
 その理由を訊くと、営業のほうが給料がいいから、と典子はそんな単純な答えを返してきた。
 営業の大変さを知っている道久は心配になったが、典子が生活のために頑張ろうとしているのだから、水を差すようなことはよそうと、何も口出しはしなかった。
 だが、それからというもの典子の帰宅する時間は遅くなるばかりで、仕事に行く日も、週に二、三回だったのが三、四回に増えた。
 そして二日前、

「日曜日じゃないと会えないお客がいるの」

 典子はそう言い、尚行が行きたがっていた「ダイナレンジャー・ショー」に連れていってあげてと、二万円を渡してきたのだった。
 さすがに道久もそのときは、

「日曜日まで、仕事をすることはないじゃないか」

 そう言ったが、

「これも生活のためよ。パパだって、前の仕事をしてたときは、家族のために休みなしで働いてくれたでしょ? 今度は私が頑張る番よ。それに、毎週日曜も働くってわけじゃないから」

 そう返されてしまい、道久はそれ以上、何も返す言葉がなかった。
 そして今も、尚行の言った言葉が自分と同じ思いでありながら、

「ママは、パパや尚行のために頑張ってるんだから、応援してあげないとな」

 そんな言葉をつけ加えた。
 尚行は力なく肩を落とし、うん、と頷くとソフトクリームを見つめた。
 そのしょげた息子の肩に、道久は腕を廻した。

「ママは、僕のこと嫌いになったんじゃないのかな?」

 ポツリと尚行が訊いた。ふいに、そんなことを言い出した息子に驚いて、道久は顔を向けた。

「どうしてそんなこと思うんだ?」

 そう訊くと、

「ボクがママを困らせてばかりだから……」

 尚行は呟くように答え、唇を真一文字にきつく閉じた。

「ママを困らせるのは悪いことだな。だけど、ママは尚行を嫌いになったりしないよ」

 宥めるように道久は言った。

「でも、ボクがママの言うことを聞かないから、それでボクのこと嫌いになって、だから、仕事も遅く帰ってきて、今日だって、それで仕事に行っちゃったんじゃないの?」

 尚行は顔を上げ、訴えるような眼で道久を見上げた。
 その眼には涙が潤んでいる。

「バカだな、ママは絶対に尚行を嫌いになったりするもんか。ママもパパも、世界で一番、尚行が好きなんだ」
「ほんとに?」

 そう訊いたとき、尚行の眼から涙が零れた。

「あたり前じゃないか。今まで、パパがウソをついたことあるか?」

 その言葉に、尚行は首をふった。

「だったら泣くな。男は滅多なことで、泣いちゃいけないんだぞ。どうしても泣きたいときは、黙って胸の中で泣くもんなんだ」

 道久は尚行の頬を伝う涙を、指先で拭った。

「ほら、ソフトクリームが溶けちゃうぞ」

 尚行はコクリとうなずくとソフトクリームを舐めた。
 その姿を見つめていると、道久は胸が詰まった。
 尚行はいじらしくも、母親の帰りが遅いのは、自分が悪いからだと思っていたのだ。
 その思いをずっと胸に抱き、苦しんでいたのだろう。
 そしてそれは、母親が一緒に来れなかったことで拍車がかかり、遂に言葉となって零れ出し、涙となって結晶した。
 そんな息子が痛ましくて、道久は、尚行のためにも典子と少し話し合ったほうがいいだろうと考えた。
 日和もよく、穏やかな暖かさに、ついソフトクリームを買ってしまったが、食べ終わってみると少し冷えてきた。

「パパ、乗り物乗ろうよ」

 尚行は立ち上がって道久の手を引いた。

「よし、何に乗ろうか」

 手を引かれるまま道久も立ち上がり、ふたりは乗り物のチケットを買いに向かった。
 それからふたりは絶叫マシーンや幾つもの乗り物に乗り、そしてアミューズメント・パークで色んなゲームをして遊んだ。
 遊園地を出た時には、すでに陽が沈み、西の空が茜色に染っていて、それは東京ドームの屋根に美しく反射していた。
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