18 / 38
【第18話】
しおりを挟む
自宅に帰り着き、リビングに入っていくと、典子がキッチンで夕食を作っていた。
「ママ、ただいまァ。今日は早く帰ってたんだね」
そう声をかけるなり、尚行は典子のもとに行った。
「うん。今日は日曜日なのに、仕事に行っちゃってごめんね。そのお詫びとして、夕飯は、尚行の好きなハンバーグとエビフライにしたからね」
「やったァ!」
尚行は飛び上がって歓んだ。
「今日は楽しかった?」
「うん、楽しかったよ。ダイナレンジャーと写真も撮ったんだ」
嬉しそうに言うと、尚行は背負っていたリュックから、ヒーローと撮ったスチール写真を取り出して、典子にみせた。
「あら、よく撮れてるじゃない」
「うん。あとね、パパと絶叫マシーンにも乗ったんだよ」
「ほんと? 怖くなかったの?」
「ボクは怖くなかったけど、パパは、こんなもの人間の乗る物じゃない、って言ってた」
尚行がそう言うと、リビングでTVを点けた道久がふり返り、
「何言ってる。尚行だって泣きそうになってたくせに」
と言ってきた。
「泣きそうになんて、なってないよ」
尚行は言い返す。
「なってた」
さらに道久が言い返すと、尚行は駆け出していき、「なってない!」と道久に突進し、途端にバトルが始まった。
そんなふたりに典子はため息をつき、
「ちょっと、ふたりとも。もうすぐご飯ができるんだから、お風呂に入っちゃって」
そう言った。
それが号令とでもいうように、バトルはぴたりと静まり、ふたりは浴室へと向かっていった。
食事が終わり、三人揃ってTVを観ていると、一時間も経たないうちに尚行がソファで寝てしまった。
「疲れたのね」
眠っている尚行の頬を典子は優しくなでた。
「よく、遊んだからな」
「起きてるときは、手のつけられない悪魔くんだけど、こうして眠ってる顔は天使よね」
尚行の寝息が静かに聴こえている。
典子は顔がほころばせた。
「あァ。かけがえのない、神様の贈り物だ」
道久も、尚行の顔を覗きこんだ。
「どんな大人になるんだろ」
「それは誰にもわからないよ。だけど、親を見て育っていくのは確かだから、俺たちが、大人として見本になる生き方をしなきゃいけないな」
「見本になる生き方って?」
典子は道久に顔を向けた。
「見本、って言ったら、ちょっとオーバーだけど、まァ、何て言うか、俺たちふたりがさ、お互いを信頼し合って、隠しごとや嘘をついたりしない夫婦でいれば、それは自然に伝わるんじゃないかな。上辺じゃなく、心から仲がよければさ。そうじゃないと、子供の眼は純粋だから、真実を見抜かれるよ。喧嘩だってしたほうがいい。自分の言いたいことを言い合って、偽らずに正直な夫婦でいれば、それだけで教育になるんじゃないかな」
「そうね……」
そう答えると、典子は道久から顔をそらすように、尚行に顔をもどした。
そうしたのは、道久の言った言葉が胸を突き刺し、その痛みに夫の顔を直視していられなくなったからだった。
それを気づかれたのではないかと思ったが、道久は気づいた様子もなく、
「ベッドに連れてくよ」
と尚行を抱き上げ、二階に上がっていった。
階段を上がっていく道久の足音を耳にしながら、典子は胸を手で抑え、痛みに耐えようとした。
お互いを信頼し合い、隠しごとや嘘をついたりしない夫婦。
偽らずに正直な夫婦。
道久のその言葉は典子をどうしようもないほどに叩きのめし、それはどんな罵りの言葉よりも残酷だった。
痛みは深く胸を抉(えぐ)る。
(パパ、赦(ゆる)して……)
堪らず赦しを請おうとする。
だが、どんなに謝罪しても、どんなに懺悔しようとも、今も尚、犯しつづけている罪は許されはしない。
たとえこのまま隠しとおせたとしても、裏切ってしまった事実は消えはしないのだから。
いっそのこと、すべてを告白してしまえばどれだけ楽だろうか。
それによって、どれほどの罵声を浴びせられたとしても、口を閉ざしつづけるよりは救われるだろう。
けれど、告白などできるわけがなかった。
そんなことをすれば、家族が崩壊することは眼に見えている。
だからこのまま、口を閉ざしつづけ、罪の意識に苛まされながら、心に十字架を刻むしかないのだ。
やり場のない思いに涙がこみ上げる。
(もう辞めよう……)
何度そう思ったか知れない。
何度も何度もそう思い、苦しみの元凶を断とうとした。
だがその度に、もう少しの辛抱よ、そう言い聞かせてきたのだった。
その甲斐あって、などと思いたくはないが、それでも、借金は着実に減り、今では二百万を切るまでになっていた。
オフィスから借りていた残りの分も、ほとんど返済している。
三ヵ月あまりの短い期間に、それだけ返済してこれたのは、今の仕事をつづけてきたからに他ならない。
そして、欲しいと思うものにも手を出さず、無駄な出費を避けてきたからともいえた。
それができたのは、パーティの同伴者としての仕事の依頼が、ないと言っていいほど少なくなり、頻繁に服や靴を買わなくて済んだからだ。
仕事も週二、三日だったのを三、四日に増やし、道久には、営業に移ったと偽り、依頼の多い時間帯の仕事も受けるようにした。
すべては、借金を返済するためだった。
だからこそ、今の仕事を拒絶し、何度も辞めようと思いながらも、典子は依頼を受けつづけているのだ。
だから今も、葛藤した末に出した答えは、結局、まだ辞められない、という結論だった。
道久が階段を下りてくる気配がし、典子は慌てて涙を拭ってTVへと視線を向けた。
「ママ、ただいまァ。今日は早く帰ってたんだね」
そう声をかけるなり、尚行は典子のもとに行った。
「うん。今日は日曜日なのに、仕事に行っちゃってごめんね。そのお詫びとして、夕飯は、尚行の好きなハンバーグとエビフライにしたからね」
「やったァ!」
尚行は飛び上がって歓んだ。
「今日は楽しかった?」
「うん、楽しかったよ。ダイナレンジャーと写真も撮ったんだ」
嬉しそうに言うと、尚行は背負っていたリュックから、ヒーローと撮ったスチール写真を取り出して、典子にみせた。
「あら、よく撮れてるじゃない」
「うん。あとね、パパと絶叫マシーンにも乗ったんだよ」
「ほんと? 怖くなかったの?」
「ボクは怖くなかったけど、パパは、こんなもの人間の乗る物じゃない、って言ってた」
尚行がそう言うと、リビングでTVを点けた道久がふり返り、
「何言ってる。尚行だって泣きそうになってたくせに」
と言ってきた。
「泣きそうになんて、なってないよ」
尚行は言い返す。
「なってた」
さらに道久が言い返すと、尚行は駆け出していき、「なってない!」と道久に突進し、途端にバトルが始まった。
そんなふたりに典子はため息をつき、
「ちょっと、ふたりとも。もうすぐご飯ができるんだから、お風呂に入っちゃって」
そう言った。
それが号令とでもいうように、バトルはぴたりと静まり、ふたりは浴室へと向かっていった。
食事が終わり、三人揃ってTVを観ていると、一時間も経たないうちに尚行がソファで寝てしまった。
「疲れたのね」
眠っている尚行の頬を典子は優しくなでた。
「よく、遊んだからな」
「起きてるときは、手のつけられない悪魔くんだけど、こうして眠ってる顔は天使よね」
尚行の寝息が静かに聴こえている。
典子は顔がほころばせた。
「あァ。かけがえのない、神様の贈り物だ」
道久も、尚行の顔を覗きこんだ。
「どんな大人になるんだろ」
「それは誰にもわからないよ。だけど、親を見て育っていくのは確かだから、俺たちが、大人として見本になる生き方をしなきゃいけないな」
「見本になる生き方って?」
典子は道久に顔を向けた。
「見本、って言ったら、ちょっとオーバーだけど、まァ、何て言うか、俺たちふたりがさ、お互いを信頼し合って、隠しごとや嘘をついたりしない夫婦でいれば、それは自然に伝わるんじゃないかな。上辺じゃなく、心から仲がよければさ。そうじゃないと、子供の眼は純粋だから、真実を見抜かれるよ。喧嘩だってしたほうがいい。自分の言いたいことを言い合って、偽らずに正直な夫婦でいれば、それだけで教育になるんじゃないかな」
「そうね……」
そう答えると、典子は道久から顔をそらすように、尚行に顔をもどした。
そうしたのは、道久の言った言葉が胸を突き刺し、その痛みに夫の顔を直視していられなくなったからだった。
それを気づかれたのではないかと思ったが、道久は気づいた様子もなく、
「ベッドに連れてくよ」
と尚行を抱き上げ、二階に上がっていった。
階段を上がっていく道久の足音を耳にしながら、典子は胸を手で抑え、痛みに耐えようとした。
お互いを信頼し合い、隠しごとや嘘をついたりしない夫婦。
偽らずに正直な夫婦。
道久のその言葉は典子をどうしようもないほどに叩きのめし、それはどんな罵りの言葉よりも残酷だった。
痛みは深く胸を抉(えぐ)る。
(パパ、赦(ゆる)して……)
堪らず赦しを請おうとする。
だが、どんなに謝罪しても、どんなに懺悔しようとも、今も尚、犯しつづけている罪は許されはしない。
たとえこのまま隠しとおせたとしても、裏切ってしまった事実は消えはしないのだから。
いっそのこと、すべてを告白してしまえばどれだけ楽だろうか。
それによって、どれほどの罵声を浴びせられたとしても、口を閉ざしつづけるよりは救われるだろう。
けれど、告白などできるわけがなかった。
そんなことをすれば、家族が崩壊することは眼に見えている。
だからこのまま、口を閉ざしつづけ、罪の意識に苛まされながら、心に十字架を刻むしかないのだ。
やり場のない思いに涙がこみ上げる。
(もう辞めよう……)
何度そう思ったか知れない。
何度も何度もそう思い、苦しみの元凶を断とうとした。
だがその度に、もう少しの辛抱よ、そう言い聞かせてきたのだった。
その甲斐あって、などと思いたくはないが、それでも、借金は着実に減り、今では二百万を切るまでになっていた。
オフィスから借りていた残りの分も、ほとんど返済している。
三ヵ月あまりの短い期間に、それだけ返済してこれたのは、今の仕事をつづけてきたからに他ならない。
そして、欲しいと思うものにも手を出さず、無駄な出費を避けてきたからともいえた。
それができたのは、パーティの同伴者としての仕事の依頼が、ないと言っていいほど少なくなり、頻繁に服や靴を買わなくて済んだからだ。
仕事も週二、三日だったのを三、四日に増やし、道久には、営業に移ったと偽り、依頼の多い時間帯の仕事も受けるようにした。
すべては、借金を返済するためだった。
だからこそ、今の仕事を拒絶し、何度も辞めようと思いながらも、典子は依頼を受けつづけているのだ。
だから今も、葛藤した末に出した答えは、結局、まだ辞められない、という結論だった。
道久が階段を下りてくる気配がし、典子は慌てて涙を拭ってTVへと視線を向けた。
0
あなたにおすすめの小説
どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~
さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」
あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。
弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。
弟とは凄く仲が良いの!
それはそれはものすごく‥‥‥
「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」
そんな関係のあたしたち。
でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥
「うそっ! お腹が出て来てる!?」
お姉ちゃんの秘密の悩みです。
極上イケメン先生が秘密の溺愛教育に熱心です
朝陽七彩
恋愛
私は。
「夕鶴、こっちにおいで」
現役の高校生だけど。
「ずっと夕鶴とこうしていたい」
担任の先生と。
「夕鶴を誰にも渡したくない」
付き合っています。
♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡
神城夕鶴(かみしろ ゆづる)
軽音楽部の絶対的エース
飛鷹隼理(ひだか しゅんり)
アイドル的存在の超イケメン先生
♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡
彼の名前は飛鷹隼理くん。
隼理くんは。
「夕鶴にこうしていいのは俺だけ」
そう言って……。
「そんなにも可愛い声を出されたら……俺、止められないよ」
そして隼理くんは……。
……‼
しゅっ……隼理くん……っ。
そんなことをされたら……。
隼理くんと過ごす日々はドキドキとわくわくの連続。
……だけど……。
え……。
誰……?
誰なの……?
その人はいったい誰なの、隼理くん。
ドキドキとわくわくの連続だった私に突如現れた隼理くんへの疑惑。
その疑惑は次第に大きくなり、私の心の中を不安でいっぱいにさせる。
でも。
でも訊けない。
隼理くんに直接訊くことなんて。
私にはできない。
私は。
私は、これから先、一体どうすればいいの……?
ちょっと大人な体験談はこちらです
神崎未緒里
恋愛
本当にあった!?かもしれない
ちょっと大人な体験談です。
日常に突然訪れる刺激的な体験。
少し非日常を覗いてみませんか?
あなたにもこんな瞬間が訪れるかもしれませんよ?
※本作品ではGemini PRO、Pixai.artで作成した生成AI画像ならびに
Pixabay並びにUnsplshのロイヤリティフリーの画像を使用しています。
※不定期更新です。
※文章中の人物名・地名・年代・建物名・商品名・設定などはすべて架空のものです。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる