平凡という名の幸福

星 陽月

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【第18話】

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 自宅に帰り着き、リビングに入っていくと、典子がキッチンで夕食を作っていた。

「ママ、ただいまァ。今日は早く帰ってたんだね」

 そう声をかけるなり、尚行は典子のもとに行った。

「うん。今日は日曜日なのに、仕事に行っちゃってごめんね。そのお詫びとして、夕飯は、尚行の好きなハンバーグとエビフライにしたからね」
「やったァ!」

 尚行は飛び上がって歓んだ。

「今日は楽しかった?」
「うん、楽しかったよ。ダイナレンジャーと写真も撮ったんだ」

 嬉しそうに言うと、尚行は背負っていたリュックから、ヒーローと撮ったスチール写真を取り出して、典子にみせた。

「あら、よく撮れてるじゃない」
「うん。あとね、パパと絶叫マシーンにも乗ったんだよ」
「ほんと? 怖くなかったの?」
「ボクは怖くなかったけど、パパは、こんなもの人間の乗る物じゃない、って言ってた」

 尚行がそう言うと、リビングでTVを点けた道久がふり返り、

「何言ってる。尚行だって泣きそうになってたくせに」

 と言ってきた。

「泣きそうになんて、なってないよ」

 尚行は言い返す。

「なってた」

 さらに道久が言い返すと、尚行は駆け出していき、「なってない!」と道久に突進し、途端にバトルが始まった。
 そんなふたりに典子はため息をつき、

「ちょっと、ふたりとも。もうすぐご飯ができるんだから、お風呂に入っちゃって」

 そう言った。
 それが号令とでもいうように、バトルはぴたりと静まり、ふたりは浴室へと向かっていった。
 食事が終わり、三人揃ってTVを観ていると、一時間も経たないうちに尚行がソファで寝てしまった。

「疲れたのね」

 眠っている尚行の頬を典子は優しくなでた。

「よく、遊んだからな」
「起きてるときは、手のつけられない悪魔くんだけど、こうして眠ってる顔は天使よね」

 尚行の寝息が静かに聴こえている。
 典子は顔がほころばせた。

「あァ。かけがえのない、神様の贈り物だ」

 道久も、尚行の顔を覗きこんだ。

「どんな大人になるんだろ」
「それは誰にもわからないよ。だけど、親を見て育っていくのは確かだから、俺たちが、大人として見本になる生き方をしなきゃいけないな」
「見本になる生き方って?」

 典子は道久に顔を向けた。

「見本、って言ったら、ちょっとオーバーだけど、まァ、何て言うか、俺たちふたりがさ、お互いを信頼し合って、隠しごとや嘘をついたりしない夫婦でいれば、それは自然に伝わるんじゃないかな。上辺じゃなく、心から仲がよければさ。そうじゃないと、子供の眼は純粋だから、真実を見抜かれるよ。喧嘩だってしたほうがいい。自分の言いたいことを言い合って、偽らずに正直な夫婦でいれば、それだけで教育になるんじゃないかな」
「そうね……」

 そう答えると、典子は道久から顔をそらすように、尚行に顔をもどした。
 そうしたのは、道久の言った言葉が胸を突き刺し、その痛みに夫の顔を直視していられなくなったからだった。
 それを気づかれたのではないかと思ったが、道久は気づいた様子もなく、

「ベッドに連れてくよ」

 と尚行を抱き上げ、二階に上がっていった。
 階段を上がっていく道久の足音を耳にしながら、典子は胸を手で抑え、痛みに耐えようとした。
 お互いを信頼し合い、隠しごとや嘘をついたりしない夫婦。
 偽らずに正直な夫婦。
 道久のその言葉は典子をどうしようもないほどに叩きのめし、それはどんな罵りの言葉よりも残酷だった。
 痛みは深く胸を抉(えぐ)る。

(パパ、赦(ゆる)して……)

 堪らず赦しを請おうとする。
 だが、どんなに謝罪しても、どんなに懺悔しようとも、今も尚、犯しつづけている罪は許されはしない。
 たとえこのまま隠しとおせたとしても、裏切ってしまった事実は消えはしないのだから。
 いっそのこと、すべてを告白してしまえばどれだけ楽だろうか。
 それによって、どれほどの罵声を浴びせられたとしても、口を閉ざしつづけるよりは救われるだろう。
 けれど、告白などできるわけがなかった。
 そんなことをすれば、家族が崩壊することは眼に見えている。
 だからこのまま、口を閉ざしつづけ、罪の意識に苛まされながら、心に十字架を刻むしかないのだ。
 やり場のない思いに涙がこみ上げる。

(もう辞めよう……)

 何度そう思ったか知れない。
 何度も何度もそう思い、苦しみの元凶を断とうとした。
 だがその度に、もう少しの辛抱よ、そう言い聞かせてきたのだった。
 その甲斐あって、などと思いたくはないが、それでも、借金は着実に減り、今では二百万を切るまでになっていた。
 オフィスから借りていた残りの分も、ほとんど返済している。
 三ヵ月あまりの短い期間に、それだけ返済してこれたのは、今の仕事をつづけてきたからに他ならない。
 そして、欲しいと思うものにも手を出さず、無駄な出費を避けてきたからともいえた。
 それができたのは、パーティの同伴者としての仕事の依頼が、ないと言っていいほど少なくなり、頻繁に服や靴を買わなくて済んだからだ。
 仕事も週二、三日だったのを三、四日に増やし、道久には、営業に移ったと偽り、依頼の多い時間帯の仕事も受けるようにした。
 すべては、借金を返済するためだった。
 だからこそ、今の仕事を拒絶し、何度も辞めようと思いながらも、典子は依頼を受けつづけているのだ。
 だから今も、葛藤した末に出した答えは、結局、まだ辞められない、という結論だった。
 道久が階段を下りてくる気配がし、典子は慌てて涙を拭ってTVへと視線を向けた。
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