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【第9話】
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「やっぱりお母さん、お父さんのこと気になってたんだ。お父さんがいつになってもデートに誘わないから、自分から行動したのね。それにしても、お母さんすごいな。そんな行動的だったとは驚きだなァ」
話を聞き終え、里子は感慨深げに、うんうん、とうなずいた。
「母さんの名誉のためにも言っておくが、母さん、つき合ってるときは、でしゃばったりせず、慎ましく、父さんを立ててくれたんだからな」
「はいはい、お母さんはそういうひとでした。私と違ってね」
里子は立ち上がるとキッチンに向かい、冷蔵庫を開け、つまみになるようなものを捜した。
かまぼこがあったのできゅうりと合わせて切り、皿に盛ると、テーブルに運んだ。
「それで、映画には行ったの?」
かまぼこをわさび醤油につけ、里子は口にした。
「行ったよ。違う映画だったけどな」
「どういうこと?」
「父さんが買った映画の券は任侠もので、母さんはその手の映画は苦手だったんだ」
「え、初めてのデートなのに、任侠ものの映画に誘おうとしてたの?」
「父さん、菅原文太のファンだったんだ」
「いや、そういうことじゃなくて」
里子は呆れたという顔で宗太郎を見た。
「お父さんから、デートに誘わなくて正解だったわね。初めて誘われたデートが任侠ものだったら、もうそれでジ・エンドよ。そして私も、この世に存在してなかったわね」
「仕方ないだろう。あのときは、どんな映画に誘ったらいいのかわからなかったんだ」
今度は自分の名誉を守ろうとして、宗太郎は言った。
だが、里子には通用しない。
「だからって、任侠ものはないわよ。デートなら、やっぱり恋愛映画でしょう」
「あァ。だから母さんに誘われて行ったのが、フランス映画の恋愛ものだった。これがベタな恋愛もので、父さんずっと寝てたよ」
「それはまァ、仕方ないわね。私だって、フランス映画の恋愛ものって苦手だもん」
そこで里子はひと呼吸おいてから、
「なんにしても、ふたりの交際は始まったのね」
そう言った。
「まァな。父さん、口には出さなかったけど、孝紀くんがお前に言ったように、母さんとつき合えて、世界でいちばんの幸せものだって思ったよ」
「どうして、言ってあげなかったのよ。どんなにクサい台詞だって、女はうれしいものなんだから」
「そうは言ってもな、そういう台詞は、なかなか口に出せないものだよ」
「そんなこと言って、口に出す勇気がなかっただけでしょう」
「いや、まいったな」
宗太郎は苦笑いを浮かべると、自分で水割りを作り始めた。
「まさか、プロポーズもお母さんからだったりして」
「プロポーズは、父さんからしたさ」
「なんて言ったの?」
里子は興味津々だ。
「まァ、たいしたことは言わなかったが……、孝紀くんは、なんて言ったんだ」
「彼は在り来たり。世界一君を幸せにするだったわ。世界一をつければいいって思ってるのよ。それでお父さんは?」
はぐらかそうとしても、やはり里子には通用しない。
宗太郎はわずかに言葉を詰め、
「どうしても聞きたいのか?」
苦い顔をした。
「うん、聞きたい」
すかさず里子は答え、幾分、身を乗り出した。
「笑うなよ」
「うん、笑わない」
「そう言って、どうせ笑うんだろう」
「お母さんに誓って、笑いません」
里子は胸に手を当てた。
その仕草を見て、宗太郎は渋々口を開いた。
「あの日は、朝から雨が降ってたな――」
その日、宗太郎と早苗は、湘南の海に行く約束をしていた。
そのために宗太郎は、前日に友だちに頭を下げ、その友だちの父親の車を借りた。
それなのに、朝から生憎の雨に見舞われたのだ。
それでも宗太郎は、待ち合わせの場所に車で向かった。
早苗は、水色の傘を差して立っていた。
「天気予報って、ほんとうにあてにならないよね」
楽しみにしていた予定が台無しになって、宗太郎は憎々しげに言った。
すると早苗は笑って、
「怒ったって仕方ないですよ。人生、上手くいかないこともあるから楽しいんです」
そう言い、
「雨の海もステキですよ、きっと」
助手席に坐ると、濡れた肩をハンカチで拭った。
話を聞き終え、里子は感慨深げに、うんうん、とうなずいた。
「母さんの名誉のためにも言っておくが、母さん、つき合ってるときは、でしゃばったりせず、慎ましく、父さんを立ててくれたんだからな」
「はいはい、お母さんはそういうひとでした。私と違ってね」
里子は立ち上がるとキッチンに向かい、冷蔵庫を開け、つまみになるようなものを捜した。
かまぼこがあったのできゅうりと合わせて切り、皿に盛ると、テーブルに運んだ。
「それで、映画には行ったの?」
かまぼこをわさび醤油につけ、里子は口にした。
「行ったよ。違う映画だったけどな」
「どういうこと?」
「父さんが買った映画の券は任侠もので、母さんはその手の映画は苦手だったんだ」
「え、初めてのデートなのに、任侠ものの映画に誘おうとしてたの?」
「父さん、菅原文太のファンだったんだ」
「いや、そういうことじゃなくて」
里子は呆れたという顔で宗太郎を見た。
「お父さんから、デートに誘わなくて正解だったわね。初めて誘われたデートが任侠ものだったら、もうそれでジ・エンドよ。そして私も、この世に存在してなかったわね」
「仕方ないだろう。あのときは、どんな映画に誘ったらいいのかわからなかったんだ」
今度は自分の名誉を守ろうとして、宗太郎は言った。
だが、里子には通用しない。
「だからって、任侠ものはないわよ。デートなら、やっぱり恋愛映画でしょう」
「あァ。だから母さんに誘われて行ったのが、フランス映画の恋愛ものだった。これがベタな恋愛もので、父さんずっと寝てたよ」
「それはまァ、仕方ないわね。私だって、フランス映画の恋愛ものって苦手だもん」
そこで里子はひと呼吸おいてから、
「なんにしても、ふたりの交際は始まったのね」
そう言った。
「まァな。父さん、口には出さなかったけど、孝紀くんがお前に言ったように、母さんとつき合えて、世界でいちばんの幸せものだって思ったよ」
「どうして、言ってあげなかったのよ。どんなにクサい台詞だって、女はうれしいものなんだから」
「そうは言ってもな、そういう台詞は、なかなか口に出せないものだよ」
「そんなこと言って、口に出す勇気がなかっただけでしょう」
「いや、まいったな」
宗太郎は苦笑いを浮かべると、自分で水割りを作り始めた。
「まさか、プロポーズもお母さんからだったりして」
「プロポーズは、父さんからしたさ」
「なんて言ったの?」
里子は興味津々だ。
「まァ、たいしたことは言わなかったが……、孝紀くんは、なんて言ったんだ」
「彼は在り来たり。世界一君を幸せにするだったわ。世界一をつければいいって思ってるのよ。それでお父さんは?」
はぐらかそうとしても、やはり里子には通用しない。
宗太郎はわずかに言葉を詰め、
「どうしても聞きたいのか?」
苦い顔をした。
「うん、聞きたい」
すかさず里子は答え、幾分、身を乗り出した。
「笑うなよ」
「うん、笑わない」
「そう言って、どうせ笑うんだろう」
「お母さんに誓って、笑いません」
里子は胸に手を当てた。
その仕草を見て、宗太郎は渋々口を開いた。
「あの日は、朝から雨が降ってたな――」
その日、宗太郎と早苗は、湘南の海に行く約束をしていた。
そのために宗太郎は、前日に友だちに頭を下げ、その友だちの父親の車を借りた。
それなのに、朝から生憎の雨に見舞われたのだ。
それでも宗太郎は、待ち合わせの場所に車で向かった。
早苗は、水色の傘を差して立っていた。
「天気予報って、ほんとうにあてにならないよね」
楽しみにしていた予定が台無しになって、宗太郎は憎々しげに言った。
すると早苗は笑って、
「怒ったって仕方ないですよ。人生、上手くいかないこともあるから楽しいんです」
そう言い、
「雨の海もステキですよ、きっと」
助手席に坐ると、濡れた肩をハンカチで拭った。
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