32 / 55
【チャプター 32】
しおりを挟む
〈なるほどな。おまえは、ほんとうに妻を愛しているのだな。ならばどうだ。いっそ殺すのをやめて、この夢の中で暮らしていけばいいじゃないか〉
声が言う。
それに、
(僕もそうしたいと思ったよ。だがいつも、気づくと礼子を殺しているんだ。だから僕は……)
中沢は答えた。
それは苦渋な想いだった。
〈妻をばらばらにしようとして失敗し、警察に自首するつもりだったのだな〉
(――――)
中沢は眼を伏せた。
〈だが、警察に行ったことは褒められたことではない。どうせ妻は生き返るのだ〉
「事件の場合は、司法解剖される」
〈そうか。なるほど。おまえは自分にできないことを、警察の手に委ねるつもりでいたのか〉
「確かにそうも思ったよ。でも、ほんとうに罪を償おうとしていたんだ」
〈なのに、罪人になることが恐くなって逃げ出してきた〉
「――――」
中沢には、返す言葉もなかった。
〈しかし、司法解剖されるとしても、今日の今日というわけではあるまい。とすれば、妻はやはり生き返ってくる。生きていれば殺人罪は成立しない。殺人未遂にしても、妻が認めなければやはり成立はしないだろう。自首したとしても無駄骨に終わっていたということだ〉
「だったら、どうしろと言うんだ!」
〈おまえというやつは、どうしてそうもおなじことを問うのだ〉
「わかってるさ。礼子の身体を切断しろと言うんだろう?」
〈そうだ。ほんとうに目醒めたいのならばそれしかない。生き返る前にな。よく考えてみろ。なんどもおまえに殺される妻のことを。その記憶を、生き返るたびに失ってしまうのかどうかは知らんが、しかし、そんな日々は地獄だぞ。妻を解放してやれ。愛しているのならばこそやるのだ〉
「他に方法はないのか」
〈俺はその答えを持っていない〉
「どうしてもやらなきゃだめなのか」
〈やるのだ〉
「そうすれば、目醒めることができるんだな」
〈それはわからない。だがやるのだ〉
「もし、それでも目醒めることができなければどうする」
〈それはそれでしかたがない。だが、なにかが変わるはずだ。これまでとは違うなにかがな。そして思い出すのだ。おまえの中にあるものを。それこそが真実なのだ〉
「なに? 真実?」
〈そうだ。思い出せ〉
そう言う声が、そのとき、わずかばかり小さくなった。
「それを思い出せないから、訊いているんじゃないか」
〈答えは――おま――中に――る――〉
その声は切れ切れになり、しかもかすかに聴こえてくる程度になった。
「おい。なにを言っているのか聞き取れない」
それに声は答えない。
「どうした。なんとか言えよ」
やはりそれにも声は答えない。
「なんだよ、おい」
それからなんども呼びかけてみたが、脳裡にはもう声が響いてくることはなかった。
中沢は放心したように、その場に立ちつくしていた。
(あの声は、いったいなんだったんだ……)
しばらくして、中沢はようやく歩き出した。
まだ人通りも少ないが、それでもちらりほらりと出勤のために駅へと向かっていくサラリーマンの姿がうかがえた。
どの顔にも朝の清々しさはない。
かといってこれから会社という戦場へ向かう気概も凛々しさも見受けられない。
あるのは、前方へと馳せるどんよりとした眼差しと、老兵のように疲れきった足取りだけだった。
すれ違っていくサラリーマンの姿に、自分もあんな姿だったのだろうかと、中沢はそんな思いに浸った。
皆、人生を生きていくために自己を削っている。
それを思えば、納得のいかない解雇ではあったが、それもそれほど悪くはなかったのかもしれない。
ふと、そんな感慨めいたことまで考えている自分に、中沢は首をふった。
声が言う。
それに、
(僕もそうしたいと思ったよ。だがいつも、気づくと礼子を殺しているんだ。だから僕は……)
中沢は答えた。
それは苦渋な想いだった。
〈妻をばらばらにしようとして失敗し、警察に自首するつもりだったのだな〉
(――――)
中沢は眼を伏せた。
〈だが、警察に行ったことは褒められたことではない。どうせ妻は生き返るのだ〉
「事件の場合は、司法解剖される」
〈そうか。なるほど。おまえは自分にできないことを、警察の手に委ねるつもりでいたのか〉
「確かにそうも思ったよ。でも、ほんとうに罪を償おうとしていたんだ」
〈なのに、罪人になることが恐くなって逃げ出してきた〉
「――――」
中沢には、返す言葉もなかった。
〈しかし、司法解剖されるとしても、今日の今日というわけではあるまい。とすれば、妻はやはり生き返ってくる。生きていれば殺人罪は成立しない。殺人未遂にしても、妻が認めなければやはり成立はしないだろう。自首したとしても無駄骨に終わっていたということだ〉
「だったら、どうしろと言うんだ!」
〈おまえというやつは、どうしてそうもおなじことを問うのだ〉
「わかってるさ。礼子の身体を切断しろと言うんだろう?」
〈そうだ。ほんとうに目醒めたいのならばそれしかない。生き返る前にな。よく考えてみろ。なんどもおまえに殺される妻のことを。その記憶を、生き返るたびに失ってしまうのかどうかは知らんが、しかし、そんな日々は地獄だぞ。妻を解放してやれ。愛しているのならばこそやるのだ〉
「他に方法はないのか」
〈俺はその答えを持っていない〉
「どうしてもやらなきゃだめなのか」
〈やるのだ〉
「そうすれば、目醒めることができるんだな」
〈それはわからない。だがやるのだ〉
「もし、それでも目醒めることができなければどうする」
〈それはそれでしかたがない。だが、なにかが変わるはずだ。これまでとは違うなにかがな。そして思い出すのだ。おまえの中にあるものを。それこそが真実なのだ〉
「なに? 真実?」
〈そうだ。思い出せ〉
そう言う声が、そのとき、わずかばかり小さくなった。
「それを思い出せないから、訊いているんじゃないか」
〈答えは――おま――中に――る――〉
その声は切れ切れになり、しかもかすかに聴こえてくる程度になった。
「おい。なにを言っているのか聞き取れない」
それに声は答えない。
「どうした。なんとか言えよ」
やはりそれにも声は答えない。
「なんだよ、おい」
それからなんども呼びかけてみたが、脳裡にはもう声が響いてくることはなかった。
中沢は放心したように、その場に立ちつくしていた。
(あの声は、いったいなんだったんだ……)
しばらくして、中沢はようやく歩き出した。
まだ人通りも少ないが、それでもちらりほらりと出勤のために駅へと向かっていくサラリーマンの姿がうかがえた。
どの顔にも朝の清々しさはない。
かといってこれから会社という戦場へ向かう気概も凛々しさも見受けられない。
あるのは、前方へと馳せるどんよりとした眼差しと、老兵のように疲れきった足取りだけだった。
すれ違っていくサラリーマンの姿に、自分もあんな姿だったのだろうかと、中沢はそんな思いに浸った。
皆、人生を生きていくために自己を削っている。
それを思えば、納得のいかない解雇ではあったが、それもそれほど悪くはなかったのかもしれない。
ふと、そんな感慨めいたことまで考えている自分に、中沢は首をふった。
0
あなたにおすすめの小説
どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~
さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」
あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。
弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。
弟とは凄く仲が良いの!
それはそれはものすごく‥‥‥
「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」
そんな関係のあたしたち。
でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥
「うそっ! お腹が出て来てる!?」
お姉ちゃんの秘密の悩みです。
意味が分かると怖い話(解説付き)
彦彦炎
ホラー
一見普通のよくある話ですが、矛盾に気づけばゾッとするはずです
読みながら話に潜む違和感を探してみてください
最後に解説も載せていますので、是非読んでみてください
実話も混ざっております
わたしの下着 母の私をBBA~と呼ぶことのある息子がまさか...
MisakiNonagase
青春
39才の母・真知子は息子が私の下着を持ち出していることに気づいた。
ネットで同様の事象がないか調べると、案外多いようだ。
さて、真知子は息子を問い詰める? それとも気づかないふりを続けてあげるか?
そのほかに外伝も綴りました。
17歳男子高生と32歳主婦の境界線
MisakiNonagase
恋愛
32歳の主婦・加恋。冷え切った家庭で孤独に苛まれる彼女を救い出したのは、ネットの向こう側にいた二十歳(はたち)と偽っていた17歳の少年・晴人だった。
「未成年との不倫」という、社会から断罪されるべき背徳。それでも二人は、震える手で未来への約束を交わす。少年が大学生になり、社会人となり、守られる存在から「守る男」へと成長していく中で、加恋は自らの手で「妻」という仮面を脱ぎ捨てていく…
同じアパートに住む年上未亡人美女は甘すぎる。
ピコサイクス
青春
大学生の翔太は、一人暮らしを始めたばかり。
真下の階に住むのは、落ち着いた色気と優しさを併せ持つ大人の女性・水無瀬紗夜。
引っ越しの挨拶で出会った瞬間、翔太は心を奪われてしまう。
偶然にもアルバイト先のスーパーで再会した彼女は、翔太をすぐに採用し、温かく仕事を教えてくれる存在だった。
ある日の仕事帰り、ふたりで過ごす時間が増えていき――そして気づけば紗夜の部屋でご飯をご馳走になるほど親密に。
優しくて穏やかで――その色気に触れるたび、翔太の心は揺れていく。
大人の女性と大学生、甘くちょっぴり刺激的な同居生活(?)がはじまる。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる