蒼穹(そうきゅう)の約束

星 陽月

文字の大きさ
30 / 74

【第30話】

しおりを挟む
 店を出ると、里佳は無性に腹が立った。 
 もちろん、彼女に対してに違いないのだが、たった一度だけ電話を掛けてきた彼女の言葉を鵜呑みにし、彼の言うことを信じることができなかった自分への腹立たしさでもあった。
 その後、彼とは元のさやに納まりはしたが、誤解だったとしても、一度ヒート・ダウンしてしまった結婚への想いは、さらなる高まりが起こることはなく、婚約は解消したままとなった。
 そうなるとやはり、互いのあいだに溝ができてしまうのは避けられず、少しずつ歯車が合わなくなりはじめて、いまではほとんど馴れ合いの状態になっている。

「あのとき、元さやになんてもどらなければよかったのよ」

 そう言いながら、いまだ別れられずにいるのはなぜだろう。
 それも女のサガというものなのだろうか。
 15分ほどして、ようやく席に通され、紀子と里佳はランチを頼んだ。
 ランチには、メインのカレーにタンドリー・チキン、ナン、サラダがつき、そしてソフトドリンクがセットになっている。
 本日のメインは、野菜とチキンのカレーなのだが、その主な野菜が大根だったことにふたりは驚いた。
 大根の独特の甘みが、カレーの辛さをまろやかにし、そして引き立てている。
 ナンにはほうれん草が練りこまれていて、焼きあがったばかりの芳ばしい香りが鼻腔を刺激した。
 ふたりはじゅうぶんにランチを堪能した。

「あー、美味しかった。私も今度作ってみようかな。大根カレー」

 セットのアイス・コーヒーを口にして里佳が言った。

「彼に食べさせるの?」

 紀子もアイス・コーヒーを口にする。

「そんなわけないじゃない。私ひとりで食べるのよ」
「わ、それって寂しい」
「もう、慣れっこよ。それとも、寂しい私のために一緒に食べてくれる?」
「それは侘しい」
「ほんと。それじゃなくたって、侘しさのオンパレードなのに、これ以上に侘しくなったら、もう致命的だわ」

 里佳はため息をこぼす。

「女も、26歳にもなるとダメね。合コンの相手も中々見つからないんだから。26歳って言ったら女ざかりなのに、男たちはなにもわかってない」
「だからって、男を責めてもしかたがないわ。私たちの歳って、どんなにはしゃいでいても、どこかで冷めてるっていうか、冷静になってるところがあるじゃない? それに、もうお遊びではつき合えないっていう危機感みたいなものもあるし。男もそういうのを敏感に感じ取るセンサーがあって、ビビっちゃうんじゃないかな。男って弱き生き物だから」
「そうかもしれないけど、これから女ざかりってときに男が寄りつかないなんて、どうして、人生うまくいかないのかしらね」
「うまくいかないっていうのは、ある意味で刺激なのよ。人生うまくいってばかりじゃ、退屈なだけじゃない」
「紀子って、ときどき、大人って感じになるわよね」

 感心した顔で、里佳は紀子を見た。

「っていうか、私たちって四捨五入したら30歳なのよ。いいかげん大人にならなきゃ」
「いや! 歳を四捨五入なんてしないで。30歳なんて、まだまだ遠い先の話よ」
「私だってそう思いたいけど、でも、ついこの前20歳になったと思ったら、もういまの歳よ。30歳なんて瞬く間よ」
「あー、現実逃避したい」
 
 里佳はがっくりと肩を落とし、そして急に、何かに思いあたったように紀子を見つめ、

「そういえば、紀子って、ゲイ・バーによく行くんでしょ?」

 そう訊いた。

「まァ、そんなにちょくちょくってわけでもないけど」

 ほとんど毎週のように行っているとは、とても言えない。

「だったら、今度連れていってくれない? 私もなんかこう、新しい刺激が欲しいわ。私の中でなにかが変われば、彼とのことも踏ん切りがつくような気がするし」
「それって、どっちの踏ん切り? 別れるほう? それとも結婚?」
「もちろん後者、って言いたいけど、前者ね」
「そう。だったら、今週の金曜か土曜っていうのは?」
「そうね。じゃあ、金曜にしない?」
「わかった、金曜ね」

 予定はすぐに決まった。

「それにしても、男がダメならオカマですか」
「ちょっと、別に私は、男に飢えてるわけじゃないからね」
「やだ、冗談よ」

 紀子はそこで、腕時計に眼をやった。
 ランチの時間帯に長居はできない。
 待ちの列は、まだ店の外までつづいているようだ。

「そろそろ、行こうか」

 ふたりは、アイス・コーヒーを飲み終えると席を立った。
しおりを挟む

あなたにおすすめの小説

あるフィギュアスケーターの性事情

蔵屋
恋愛
この小説はフィクションです。 しかし、そのようなことが現実にあったかもしれません。 何故ならどんな人間も、悪魔や邪神や悪神に憑依された偽善者なのですから。 この物語は浅岡結衣(16才)とそのコーチ(25才)の恋の物語。 そのコーチの名前は高木文哉(25才)という。 この物語はフィクションです。 実在の人物、団体等とは、一切関係がありません。

極上イケメン先生が秘密の溺愛教育に熱心です

朝陽七彩
恋愛
 私は。 「夕鶴、こっちにおいで」  現役の高校生だけど。 「ずっと夕鶴とこうしていたい」  担任の先生と。 「夕鶴を誰にも渡したくない」  付き合っています。  ♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡  神城夕鶴(かみしろ ゆづる)  軽音楽部の絶対的エース  飛鷹隼理(ひだか しゅんり)  アイドル的存在の超イケメン先生  ♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡  彼の名前は飛鷹隼理くん。  隼理くんは。 「夕鶴にこうしていいのは俺だけ」  そう言って……。 「そんなにも可愛い声を出されたら……俺、止められないよ」  そして隼理くんは……。  ……‼  しゅっ……隼理くん……っ。  そんなことをされたら……。  隼理くんと過ごす日々はドキドキとわくわくの連続。  ……だけど……。  え……。  誰……?  誰なの……?  その人はいったい誰なの、隼理くん。  ドキドキとわくわくの連続だった私に突如現れた隼理くんへの疑惑。  その疑惑は次第に大きくなり、私の心の中を不安でいっぱいにさせる。  でも。  でも訊けない。  隼理くんに直接訊くことなんて。  私にはできない。  私は。  私は、これから先、一体どうすればいいの……?

ちょっと大人な体験談はこちらです

神崎未緒里
恋愛
本当にあった!?かもしれない ちょっと大人な体験談です。 日常に突然訪れる刺激的な体験。 少し非日常を覗いてみませんか? あなたにもこんな瞬間が訪れるかもしれませんよ? ※本作品ではGemini PRO、Pixai.artで作成した生成AI画像ならびに  Pixabay並びにUnsplshのロイヤリティフリーの画像を使用しています。 ※不定期更新です。 ※文章中の人物名・地名・年代・建物名・商品名・設定などはすべて架空のものです。

ヤクザに医官はおりません

ユーリ(佐伯瑠璃)
ライト文芸
彼は私の知らない組織の人間でした 会社の飲み会の隣の席のグループが怪しい。 シャバだの、残弾なしだの、会話が物騒すぎる。刈り上げ、角刈り、丸刈り、眉毛シャキーン。 無駄にムキムキした体に、堅い言葉遣い。 反社会組織の集まりか! ヤ◯ザに見初められたら逃げられない? 勘違いから始まる異文化交流のお話です。 ※もちろんフィクションです。 小説家になろう、カクヨムに投稿しています。

Husband's secret (夫の秘密)

設楽理沙
ライト文芸
果たして・・ 秘密などあったのだろうか! むちゃくちゃ、1回投稿文が短いです。(^^ゞ💦アセアセ  10秒~30秒?  何気ない隠し事が、とんでもないことに繋がっていくこともあるんですね。 ❦ イラストはAI生成画像 自作

一億円の花嫁

藤谷 郁
恋愛
奈々子は家族の中の落ちこぼれ。 父親がすすめる縁談を断り切れず、望まぬ結婚をすることになった。 もうすぐ自由が無くなる。せめて最後に、思いきり贅沢な時間を過ごそう。 「きっと、素晴らしい旅になる」 ずっと憧れていた高級ホテルに到着し、わくわくする奈々子だが…… 幸か不幸か!? 思いもよらぬ、運命の出会いが待っていた。 ※エブリスタさまにも掲載

夫婦交換

山田森湖
恋愛
好奇心から始まった一週間の“夫婦交換”。そこで出会った新鮮なときめき

どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~

さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」 あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。 弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。 弟とは凄く仲が良いの! それはそれはものすごく‥‥‥ 「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」 そんな関係のあたしたち。 でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥ 「うそっ! お腹が出て来てる!?」 お姉ちゃんの秘密の悩みです。

処理中です...