蒼穹(そうきゅう)の約束

星 陽月

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【第65話】

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 正吉は夢を観ていた。
 霊となった正吉が、睡眠をとるのかどうかは定かではないが、夢を観ているのは確かだった。
 だが、それを夢と思うか幻覚のたぐいと思うかは、正吉自身の問題である。
 正吉は、小高い丘の上に立っていた。
 正確にいうならば、神社の境内だ。
 風が流れていて、それを肌で感じることができる。
 涼やかなその風に浸されて、正吉は大きく息を吸う。
 空気がうまい。
 見上げる空は、どこまでも清んで蒼い。
 左手に眼をやると、そこには大きな欅の樹があって、威風堂々と天に向かって枝を広げている。
 右手は勾配になっていて、眼下には家並みが臨み、そのはるか前方には山並みの稜線が見えた。
 そしてその光景を見渡すために置かれている横倒しの丸太がある。
 正吉はその場所を知ってた。
 忘れることなどあろうはずのない、想い出の場所。
 どうしてここにいるのか、そう思っていると、ひとりの女性が石段から上がってきた。
 その女性を正吉は知っていた。
 もんぺ姿におさげ髪の、そうそれは、あのときのままの志乃だった。

「志乃さん!」

 正吉は思わず声を上げていた。
 だが、その声が彼女には聴こえないらしい。
 彼女は、正吉にふり向きもせず、真っ直ぐ欅の下へ行き、足を止めると大木に背をあずけた。

「志乃さん。僕だ、正吉だ!」

 その声はやはり、彼女には届かない。
 正吉は彼女に近づいていく。

「僕だ、志乃さん。わからないのかい? 僕はこんなに歳をとってしまったけど、正吉だよ」

 彼女のすぐそばまできてそう言う。
 だが彼女は、正吉に顔を向けようともせずに、石段のほうへと眼を向けたままでいた。
 どうやら、正吉の姿も見えていないようだった。
 正吉は落胆した。
 彼女がこんなに近くにいるというのに、声も届かず、姿までも見えていないのだ。

「僕は、君との約束を守って、こうして帰ってきたんだ。それなのに、どうして君には僕が見えないんだ……。そうか、僕は死んでしまっているから、君には見えないんだね」

 正吉には夢であることなどわからない。
 それどころか、意識までが青年のころの彼にもどっていた。
 途方に暮れながら、彼女の顔を見つめる正吉。
 すると、石段へと視線を投げていた彼女が、背をあずけていた大木から一歩離れ、笑顔を浮かべた。
 正吉は石段へと眼を向ける。
 そこには、肩で息をする青年の姿があった。
 それはまぎれもなく、青年のときの正吉の姿だった。
 ふたりは向かい合い、そして彼女が彼の手を引いて丸太に坐った。

「いい日和ですね」

 眼下の家並みを眺めながら、彼女はそう呟いた。
 そのときになって正吉はやっと、これは夢なのだということに気づいた。
 自分はいま、あのときの夢を観ているのだと。
 正吉は懐かしむように、後方からふたりを見守った。
 そうしてふたりを眺めていると、あのときの自分の感情が甦る。
 切なく苦しく、そして幸福感に包まれたひとときだった。
 もう、彼女とは逢えないのではないかという不安が、そのひとときをかけがえのないものにした。
 そして――胸を切り裂く痛みまでが甦って、正吉は瞼を閉じた。
 と、そのときだった。
 とつぜん、静寂が破られ、瞼を開けると人だかりの喧騒の中にいた。
 そこは駅のプラットホームだった。
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