蒼井倫太郎の愉快な夏

糸坂 有

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其の三 回文

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 翌日、蒼井は十八時四十五分に家へとやって来た。にやにやとした顔で、「迎えに来たぜ」なんて言う。
 乗り気ではない有村は、のっそりとした立ち姿のまま「別に来んでも良かったんやけど」と背中を丸めた。
「現地集合派だったか? どっちでもさほど変わらないんだから、どっちだっていいじゃないか、それよりも調子はどうだ、良い回文は思いついてるんだろうな」
 有村はむうとへの字になる。
 実は昨晩、回文について真面目に検索し、あれやこれやと考えていたのである。
 有村の反応を見るや、蒼井は目を細めて笑った。正直に言いたくはないので、有村は言葉を控え、一言だけ返す。
「……こねる猫」
 蒼井はぽちんと楽し気に手を叩く。
「良いじゃないか、何をこねてるんだ?」
「理屈とか?」
「へえ、有村君のことだからハンバーグなんて言い出すかと思ったよ、なかなか良いキャラをした猫だな」
「そりゃどうも」
 蒼井の褒めるポイントはいつだって謎である。
「きっと有村君はそうだと思っていたよ、どうせ真面目なんだから、いやいや言いながらどうせやるんだ、はは、僕には真似できやしない」
 言い返せなくて、有村はじとっとした目つきで蒼井を睨む。
「じゃ行こう、大会は七時からだ」
 蒼井は手を動かし、早く行こうと視線で有村を誘った。有村は逡巡し、あえて溜息を吐くと「仕方ない」と言わん風体でしぶしぶ靴を履く。
 そして、蒼井に引っ張られるようにして家を出た。母友恵は満面の笑みである。引きこもり気味の有村を外に連れ出してくれる蒼井を、神様とでも思っているのかもしれない。いってらっしゃいと、遠くから声がした。
 家を出て少し歩くと、すぐに目的地に到着した。
 元ベトナム料理店の面影はない。煌々と明かりが点いているのが見えて、有村は少し緊張する。
 中でいったい何が行われるのだろうか?
 府立大学回文研究会主催第二十六回回文大会。
 表にはこう書かれた張り紙が貼られていた。
 煌めく笑顔。弾ける汗。楽しい団欒。神秘の回文。
 張り紙に書かれた胡散臭い文字と、やけに楽しそうなイラストのせいで、有村はいっそう不安になる。回文大会なのだから、どう考えてもインドアの娯楽だろうに、何がどうやったら汗が弾けるのだろうか。緊張感?
 有村が立ち止まっていると、蒼井が「入らないのか」と言う。
 ここまで来て、引き返せるわけもない。有村は深呼吸をして、蒼井の後に続いた。
「こんばんは!」
 入った瞬間、目の前に現れたのは地面治と三好だ。至近距離からの元気な挨拶に、有村はしどろもどろになる。
「ど、どうも」
 部屋内は、誕生日パ―ティーのような飾りつけが施されていた。小学生が折り紙やモールなんかで仕上げた、安上がりなパーティーだ。机には飲み物やお菓子が置かれ、「どうぞ」と席へ案内される。蒼井は昨日と同じ緑の椅子に座ると、渡されたメロンソーダを片手に有村を見上げた。
「有村君はここに座ると良いよ、まずは見学だ」
「蒼井君主催のパーティーみたいなこと言うよな」
「これはパーティーじゃなくて大会だぜ」
 有村は蒼井の隣に座ると、周りを見渡した。
 飾りつけ以外、昨日と大きく変わったところはない。ただ、人数は違った。蒼井と有村を含め、現在十人の人間がこの場にいる。
 年齢はまちまちで、有村たちと同じ高校生と言われても違和感のない人から、三十は悠に過ぎているだろうと思われる人もいる。みんな回文研究会のメンバーなのだろう。
 誰もが、温和な笑みを浮かべて蒼井を見ている。有村のことなど見えないような視線は、いっそのこと清々しい。
 座った蒼井に対し、彼らは次々と立ち上がった。蒼井に手を差し伸べながら、自己紹介をしていく。
「八乙女遠矢です」
「三重野絵美です」
「山根真矢です」
「仲間加奈です」
「蔦屋龍です」
 怒涛の自己紹介に、蒼井は物怖じした様子はなかった。じっと彼らの目を見つめ、小さく会釈をする。
 有村は隣で様子を眺めていた。全て、聞いたことのある名前である。確か、昨日地面治から聞いた名前だ。上から読んでも下から読んでも同じ名前は、奇妙である。
 虚言や妄言ではなく、本当にそんな名前の人間たちが集うものだろうか?
 有村はぽかんとして光景を眺めていた。
「黒羽一輝です」
 遠ざかる思考を現実へ引き戻すのは、若い男の声である。
 はっとして顔を上げると、柔和とは言い難い表情をした人物が立っている。実年齢は不明だが、青年というよりも少年という方が似合うような童顔である。誰もが有村を視界に入れることはなかったのに、黒羽だけはむしろ有村に視線を送っていた。
 蒼井は隣で眉間に皺を寄せた。
 気持ちは分からなくもない。有村を見ているのもそうだが、一人だけ浮いている。名前が、回文とはかけ離れているのだ。
 地面治と三好も回文ではないが、回文的である。それを思うと、黒羽は全く回文ではない。普通の名前だ。
「よろしく」
 黒羽の真っ黒な瞳は、有村だけを見つめていた。右手を差し出され、有村は引かれるように手を出した。
「本日はお忙しい中お集まりいただきまして、誠にありがとうございます。では、メンバーも揃いましたので、これから第二十六回回文大会を始めたいと思います」
 地面治は真面目な声で開会宣言をする。
「では選手宣誓を」
 すると、八乙女が立ち上がる。
「宣誓。私たちは正々堂々、愉快をモットーとしながら美しく競い合うことをここに誓います」
 まるで体育祭だ。
 有村は静かに耳を傾けた。奇妙な空間は、やはり居心地が良いものではない。
 蒼井は黙っているばかりだ。何を考えているのか分かったものではない。
 回文大会は、予定通り始められた。
 有村と蒼井は言われるがまま壁際へ寄り、まずは見学という形である。
 部屋の中央に立つのは、八乙女と三重野だ。まずは二人の勝負ということだった。二人は見合いながら首や腕を回して、準備運動でもしているようである。
 緊張感が漂う時間だった。二人の目は真剣だ。
 中央から目を逸らし、壁に貼られたトーナメント表を眺めると、右側に飛び込み参加者の文字を発見した。この表によると、大会参加者は六名、二回戦に勝ち上がるのは三人、決勝に進むのは二人だ。二回戦の空白になっている欄に誰かが参加しなければ、勝負が成り立たなくなるのである。
 有村は苦い顔をしながら、部屋の中央へと視線を戻す。もう試合が始まるようだった。
 審判は、両手に赤白の旗を持った地面治だ。「勝負!」という鋭い声と共に、二人は口を開いた。
「竹やぶ焼けた」
「寝つき良いキツネ」
 二人は睨み合うと、また口を開く。
「関係ないケンカ」
「品物、儲からないなら買うものもなし」
 有村はぼんやりとして見守る。こうやって、ただ回文を言い合うだけで、どう勝ち負けを決めるのだろうか。見たところ、優勢や劣性も分からない。二人の睨み合いに変化もない。
 すると、八乙女が苦し気に呻いた。ふらふら、と後ろへよろけ、そのまま尻餅を着いてしまう。
 赤の旗が上がった。
「三重野君の勝利!」
 歓声が上がる。三重野の額からは汗が流れ落ちていた。軽く汗を拭うと、尻餅を着く八乙女へ近付き、手を差し伸べ「ありがとう」と笑顔を浮かべる。
「さすが三重野ちゃん、今の強かったなあ」
「いやいや、そっちこそ。ぎりぎりやったで」
 二人は笑顔で握手を交わす。
 有村は終始ぽかんとしていた。
「え。全然ルール分からんねんけど」
「奇遇だな、僕もだ」
「何? 何で尻餅着いたん? 汗かく場面なんてあった?」
 有村は腕を組み、首を捻る。訳の分からない世界があるものだと、逆に感心してしまう。
 解説を求めるとするならば、三好だ。有村はちらと後方を見た。
 三好は裏方に徹していて、後方で待機している。暇そうに見えるが、有村たちに説明してくれそうな様子はなかった。
 他の参加者たちは、目を閉じ精神統一している人、準備運動のように体を動かす人、様々だ。
 大会は滞りなく進んでいった。回文を言い合い、どちらかが倒れたり、ふらついたりするまで勝負を続ける。
「来てもよい頃だろ、来いよモテ期」
「イカのダンスは済んだのかい」
「世界を崩したいなら泣いた雫を活かせ」
「世の中ね顔かお金かなのよ」
「黒羽君の勝利!」
 やがて、一回戦が終わった。よく分からないまま、二回戦に進んだのは三人である。
 蒼井は大会に釘付けだ。分からないから、理解しようと躍起になっているのである。世の中には理解出来ないことってあるよなあ、と諭すことはしない。蒼井は真剣な表情だった。三好はその様子を見て、満足そうに頷いていた。放置しながらも、気にはかけているようだ。どうせならルールを説明してくれたらいいのに、と有村は内心で思う。
「芸術」
 蒼井は突然閃いたように呟いた。
「何て?」
「芸術だよ、文化庁は芸術文化を支援しているだろう、人生を豊かにするものだって」
「それがどしたん?」
「芸術っていうのは曖昧だ、定義についても僕は分かっちゃいないんだよ、何をもってして良いとされるのか分からないし、時代によっても変わるだろう。例えば一つ挙げるなら絵画だ、あれは僕には理解出来ないね、僕にモナリザは描けない気はするけど、ムンクの叫びなんかはきっと描けるぜ、ピカソもいける」
「怒られんで? 急に何?」
「鈍いな、回文も芸術ってことだよ」
「そうかあ?」
 有村は不満気な声を出す。
「でもこの大会、みんな回文で何かしらの圧を感じて尻餅着いてるわけやん? 汗かいてるしむしろスポーツ……あれ、スポーツって芸術か?」
「日本スポーツ芸術協会の話なら出来るけど?」
「蒼井君って、なんちゃら協会って名前のもの好きやんな?」
 二人がこそこそと談笑していると、地面治が高らかに宣言した。二人は黙り込む。
「では二回戦に参りましょう。せっかくなので、今回は特別に飛び入り参加者を募集したいのですが」
 トーナメント表の不穏な文字を思い出し、有村は目を逸らす。ルールも分からないのに参加なんて出来るわけがない。何をしたら勝てるのか分からないまま参加しても、双方にとって無意味だ。
 地面治たちの視線は、明らかに蒼井に向かっていた。よし、と心の奥でガッツポーズを取る。
 そもそも、地面治たちは有村に興味がないのである。当然、蒼井に参加してほしいに決まっている。
 有村は空気に徹しようと、気持ちだけ壁に張り付いた。
「蒼井君、行ってき」
 無言を貫く蒼井を、肘で突く。注目を浴びていることに気付いていないとは言わせないぞと、視線で訴えた。
 蒼井はメロンソーダを片手に、にやりと笑った。そして有村の腕を取る。
「有村君がやりたいそうです」
 一気に視線が有村へ映る。いやいやと首を振るも、蒼井の言葉によって、有村は窮地に立たされた。空気から一転、英雄に仕立て上げられた気分である。
 地面治は高揚したように言った。
「そうですか! ではこちらへ」
「おいおいおい」
 蒼井に手を伸ばすも、取ってくれるわけはない。三好に背中を押され、有村は部屋の中央まで連れて来られてしまった。壁際の蒼井は楽し気な顔をして、ひらひらと手を振っている。 
 いや逆やろ、と言いたくても言えない。もう有村は、戻れない場所に立ってしまっている。
「よろしくね」
 対戦相手は黒羽だった。微笑まれ、有村は会釈を返す。
「えっと、はい、よろしくお願いします」
「分からなかったら聞いてくれたら良いから。緊張する必要もないしね。気楽にやろう」
 黒羽は、有村の子ことを読んだかのような優しい言葉をかけてくれる。
 ああ、良い人だ。有村は感謝しながら「はい」と頷く。
 ルールも分からないままだが、黒羽が相手なら何となくやれるかもしれない。
 今までの試合を思い出しながら仁王立ちでいると、「先どうぞ」と黒羽が紳士的に先行を譲った。
「どんなものでも良いから、思いついた回文を言ってみて」
 有村はこくこくと頷く。今までの試合では、先攻後攻の相談もなしに始まっていたので、これは初心者の有村のために黒羽が気を遣ってくれているおかげだろうと納得する。
 言われた通り、有村は口を開いた。
「狐憑き」
 昨晩考えていたうちの一つである。強い回文かどうかはさておき、有村は強めの口調で言い放った。
 今回の大会に敗れたところで何がどうなることもないが、やるなら真剣勝負、例えルールが分からずとも頑張るしかない。
 しん、と辺りは静まり返った。何か盛大に間違えてしまっただろうかと冷や汗をかきそうになって来た頃、目を丸くした審判地面治が声を上げる。
「なかなか強いじゃないですか! 初心者とは思えない強い手ですよ!」
「すごいすごい!」
「これなら優勝も狙えるんじゃないですか?」
 周りから飛び交う言葉に、有村は目を瞬かせる。やはりルールは分からない。
 黒羽は「どうぞ続けて」と有村を促す。交互に言って行くものとばかり思っていたが、今回は少しやり方が違うらしい。有村は続けた。
「うどんどう?」
 拍手が響く。有村はさらに続けた。
「妖怪買うよ!」
「おおー!」
 会場の盛り上がりは最高潮である。何が何だか分からないままだが、有村は強い口調を崩さなかった。
「馬鹿なカバ!」
 すると黒羽は、胸を押さえ、床に膝を付く。
「なかなかですね」
 ぜえぜえと息をし、両手がゆるゆると床に着く。有村の回文が、黒羽に多大な影響を与えているようである。よく分からないが、現在有村は優勢のようだ。黒羽の状態を見るに、勝利一歩手前である。
「どうぞ、続けて下さい!」
 地面治は旗を振って有村を促した。興奮気味の瞳に圧倒されそうだ。
 ちら、と蒼井を見れば、一人静かに観戦している。溢れる熱気をいともせず、一人だけ違う世界にいるようだ。
 目が合うと、蒼井はにやりと笑った。
 有村は視線を戻すと、黒羽へ向けて言葉を吐き出す。
「こねる猫」
「蒼井さんの友人さんの勝利!」
 歓声が上がる。黒羽は諸手を上げて、「完全に負けたよ」と疲れ切った表情で頭を下げた。
 やはり、ルールは全く分からない。
 拍手を浴びながら、有村は壁へと移動する。蒼井はにやにやとして有村を迎えた。
「ルール分からんけど、勝つと嬉しいもんやな。何で勝ったか分からんけどな」
「まるで英雄みたいだ、僕もルールは分からないが、もしかして有村君は回文の才能があるんじゃないのか」
「ないない。回文の才能って何やねん」
「謙遜するのも時と場合によるぜ」
「あったところで大して嬉しくない」
「よく言うよ、にやけ面してさ」
 有村は両手で頬に触れる。訳が分からなくても、褒め称えられるとつい嬉しくなってしまう。どうしたってルールは分からないけれど。
「まさか有村君が、ラーメンの敵であるうどんで回文を作るなんてな。ラーメンで何か回文は出来ないのか」
「無茶言うなって。最後が「ンメーラ」になるのはどう頑張っても無理やろ。ラーメンの敵ってわけでもないし、僕はうどんもラーメンも平等に愛してるから。回文初心者やし、ここまで捻り出したのだけでもめちゃめちゃすごいと思ってるくらいやわ」
「分からないじゃないか、どうにかして上手いこと作れるかもしれないぜ」
「じゃあ蒼井君考えてみいや。けっこう難しいで」
「僕は回文が得意だとは言ってないさ、だから有村君に託したんじゃないか」
「託さんといてくれ。まじでどうしようかと思ったわ」
「そんなこと言って、真面目に回文を考えていたのはどこの誰だ?}
 蒼井は、有村の背中をぽんと叩いた。
「僕の判断は正解だったよ、このままなら優勝を狙えるぜ」
 勝負をするなら、もちろん優勝を狙うべきだ。しかし有村は、「いやあ」と弱弱しい声を出した。
「もうストック尽きそうやねん。そんないっぱい考えて来てなかった」
「同じのを使うとアウトなのか?」
「知らんけど」
 少なくとも、今までで同じ回文が出て来たことはない。首を捻っていると、背後から三好が現れた。ぎょっとする。
「そうなんです。伝え忘れていましたが、同じものを使った時点で失格となってしまうんですよ。ただ、有村さんは初心者ですから、一度くらいならセーフです」
 三好はそれだけ言ってにこにことしている。何事かと思って少しどきどきしてしまった。
 なら早く言わんかい、と言いたいのも山々だが、まあいい。
 有村は、どうしたものかと腕を組んだ。初心者だからオッケーと言われたところで、有村の謎のプライドが、ルールを犯してはならないという頑なな気分にさせる。そうなれば、有村はもう持ち手がないに等しかった。
「勝敗の判定は、審判が公平に行います」
 三好はさらに付け加えた。しかし、ルールの説明はない。蒼井は不機嫌そうに眉を動かした。
 まるで、ルールを教えたくないと言わんばかりだ。あるいは、ルールなんて最初からなく、全て適当に勝敗を決めているとか。
 公平とか公正とか、どこまで信じて良いものか分からない。
 十分の休憩を挟み、決勝が始まった。
 三重野絵美対有村。勝った方が優勝である。
 負けた彼らは、壁際によって静かに勝負を見守っていた。黒羽は十分の間に回復したようで、澄ました顔で立っている。
 もう手がない。しかも、ルールもよく分からない。
 有村は仁王立ちで相手を見つめた。訳の分からない大会であっても、参加した以上、勝ちに行くべきである。さっきの様子からすると、とにかく心を強く言葉を発することが決め手な気がして、有村は深呼吸をした。
 三重野は有村に先行を譲った。有村は頷き、口を開く。
「八百屋!」
「ダメ男子モテ期が来ても死んだ目だ」
 すかさず三重野の返しがやって来る。ギャラリーたちは、「おおー!」と歓声を上げた。
「新聞紙!」
「酢豚つくりモリモリ食ったブス」
 拍手喝采である。三重野には多少ダメージが見えたが、やはり返しが早い。
 有村の言葉のどこにダメージを与える要素があるのかは分からないが、とにかくこのまま続けるしかなかった。
「トマト!」
 最終奥義として残しておいた「トマト」を、有村は早々に使ってしまった。もう次の手はない。よく考えればいろいろあるのだろうが、いざという時に頭が真っ白になるのが有村である。
 三重野は荒い息をしている。絞り出すような声で、こう言った。
「世の中バカなのよ」
 有村の動きは止まった。他に、何か回文はあっただろうか?
 考えろ、考えろ。
 必死に考えていると、地面治はカウントを取り始める。タイム制限があるとは聞いていなかったが、カウントがゼロになる前に何か返さなければ、勝負が終わることは明白だ。
 その時、有村は負けることになる。
 ええと、ええと。
 カウントは一秒ごとに減っていく。もう時間はない。
「三重野君の勝利!」
 赤い旗が上がった。
 有村は項垂れる。胸に悔しさが滲んだ。
 三重野はがくっと片膝を付く。疲れ切った表情で、右手を差し出した。
「かなりぎりぎりやったわ。ありがとう」
「いえ」
 有村は手を取り、三重野を引き起こした。
 負けた。
 事実が、重くのしかかる。
 もう一個思いついていれば、有村は勝利していたのだろうか。そんなことを考えながら蒼井の元へ戻ろうとして、はっと思いつく。
「紳士!」
 想像以上に大きな声が出て、有村は慌てて口を塞ぐ。すると、回文研究会のメンバーたちは一斉に吹き飛ばされたようになって、転がったり壁に背中を打ち当てたりしていた。
 中央にぶら下がる七福神の絵が、大きく揺れていた。
「つ、強い……!」
 三好が尻餅を着きながら有村を見上げる。三重野もしたたかに背中を打ち付けていた。
 蒼井だけはきょとんとして立っていて、有村と目が合うとひょいと肩を上げた。
 有村は、すいませんとぺこぺこ頭を下げてから、蒼井の隣に戻った。
「惜しかったな、思いつくのが少し早ければ優勝だったんじゃないか」
「まじか」
「はは、僕にはやっぱり理解出来なかったけど」
 蒼井はそれだけ言うと、にんまりと笑った。
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