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第1章
33節 百年に一度の前線
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夜が明けて。
宿泊場所として借りた村長の家で朝食を取ってから、私はもう一度共同墓地に向かい、祈りを捧げた。
昨日は聞こえた気がした怨嗟の声は、今日は耳に届かなかった。
無事に祈りを済ませ、私たちはフェルム村を出発する。
次の目的地は、川の向こう岸にある街、エスクード。
ペルセ川が国境線になっているため、橋を渡り終えた先は隣国、〈エステリオル〉の領土になる。エスクードも、エステリオルの領地の一つだ。
そこを越えれば、目的の〈黄昏の森〉まではもう間もなくだった。
空は昨日に引き続き雲がかかっているが、幸いまだ降り出してはいない。
今のうちにと馬を走らせ、昼頃にはペルセ川を横断する橋の一つ、アクエルド大橋に辿りつく。
「――……」
しばし言葉を忘れ、目の前の光景に見入る。
長大な河川とは聞いていたが、向こう岸が見えづらいほどの幅を持つ川は、私の普段の生活圏ではまず見られない。
平野部にしては速い水の流れは、他より傾斜があり、川底も深いからだという。その流れは浸食となって陸地を削り、場所によってはちょっとした谷ほどの深さになっている。
谷と同程度の高さに架けられた橋は、アーチ状の石橋で、途中途中を橋脚が支えている。水は橋脚同士の間を抜けていくため、流れも阻害されない。
幅広く、頑丈に組み上げられたこの橋は、荷を積んだ馬車の荷重にも耐えられるらしい。私たちも騎乗したままで問題なく渡れるはずだ。
ちなみに橋の建設に携わるのは、主に神殿の事業になっている。
というのも、こうした建築知識の基礎をもたらしたのが、神々の一柱という伝承があるからだ。神が加護の代わりに声を届け、そこから知識を授かる、という事例は歴史上で散見されていた。武術や製紙技術などもその一例であり、橋もその一つと言われている。
橋の建造はまた神殿にとって、川を汚さずに渡ること、そして人々の生活を便利で豊かなものにするという善行に繋がる。神殿の権威,威光を示す意味もあり、積極的に造られた。
実際、これにより川の向こう岸に、さらにその先にまで人類の生活圏は広がり、魔物の領土に対する拠点も増えた、と。閑話休題。
「大きいですね……」
「川が? 橋が?」
「どちらも」
自然と人工、両者の偉容を目にしながら、素直に答える。これも、旅をしなければ見られなかった光景だ。
「もしかして見たの初めて? 結構村から近いけど」
「多分、初めてです。『危ないから近づかないように』と注意されていたのは、なんとなく憶えているので……そもそも村を出る機会も、ほとんどありませんでしたから」
「まあ、そっか。遊び場に向いた川でもないし、わざわざ子供近づかせたりしないかもね」
思い出せるのは辛い記憶ばかりだが、そうして陰で護られていた部分も、きっと少なくなかったのだろう。
それからしばらく、お互い無言で馬を走らせ、橋を駆け抜ける。
風を受けながら進むわずかな息苦しさと、馬から伝わる振動。
そこに、ぽつり、ぽつり、と、小さな雫が顔に当たる感触が加わり始める。
「あ……」
雫は次々に数と勢いを増していき、いつしか顔どころか全身に降り注いでくる。
「あー、降ってきちゃったかぁ」
空に視線を遣りながら、アレニエさんが呟く。
今は降り始めなのでまだいいが、地面が濡れれば転倒の危険は増すし、傍を流れる川も今より嵩を増す。
私たち自身も、雨に打たれ続ければ体力を奪われ、体調を崩す危険もある。高位の神官や医者のいない場所で病気に罹れば、命にも関わる(熱病を治癒する法術もあるが、私はまだ使えない)。
旅をするにあたって、とかく雨というのは歓迎できない存在だ。
対抗する手段もない(当たり前だが)ので、なるべく早く屋根のある場所に辿りつき、おとなしく過ぎ去るのを待つしかない。
風雨に耐えながら橋を走り抜けると、広く横に伸びた城壁と、その奥に並ぶ複数の建物の姿が見えてきた。
雨の勢いは次第に強まっていたが、なんとか本格的に降る前には辿りつけそうだ。
体を濡らす雫を弾きながら、私たちは街までの道を急いだ。
***
「あんたら危なかったな。もう少し遅かったら、門を閉め切ってたよ」
城門傍の詰め所に招いてくれた中年の兵士が、水気を拭く布を渡しながら声をかけてくる。
「もう閉めるんですか?」
布を受け取りながら、反射的に疑問が口をついて出ていた。
雲が厚くて分かりづらいが、今は正午を少し過ぎたくらいだった。通常なら閉めるには早い時刻だ。
「ああ、いつもは日が沈んでからなんだけどな。今日はほら、この天気だろう? 下手すると嵐になりそうだし、早めに閉めるとこだったんだよ」
確かに、雨も風も勢いを増し続け、収まる気配は全く見えない。
「せっかく来たのに災難だな。けど朗報もあるぞ。勇者がこっちに向かってるそうでな。上手くすれば会えるかもしれん」
「え……」
勇者一行が『森』を目指し旅をしている。というのは、私たちにとっては既知の情報なので、それに対する驚きはないけれど……
「あー……あー……うん。んん。――そうなの? じゃあ、今回のルートは『森』から?」
「おぉ、そうなんだよ」
彼女も数瞬戸惑ったようだが、すぐに修正し、さも初めて勇者の噂を耳にしたという演技で対応していた。……流石です。
「前回の勇者は『戦場』を突っ切ってったろう? だから今回は別口だと睨んで『森』に張ってたんだよ。いやぁ、これで同僚から三杯奢りなんだ、ありがたい」
賭けてたんですか。
「この街にも立ち寄りそうなんだ?」
「ああ、ほとんど真っ直ぐこっちに向かって……あ、いや。一か所、立ち寄ったパルティールのとある領地でなにか揉め事に巻き込まれて、後処理に追われてるって話もあったかな。なんでも、領主の屋敷に魔族が入り込んでたとかで……」
「……はぇ? パルティールに魔族? ただの魔物とか、人間の野盗じゃなくて?」
魔物の出没自体はありえなくもないし、野盗はジャイールさんたちを想定してだろう……とか冷静に考えてる場合じゃない、魔族……!?
「はは、例のおとぎ話かい? 実際あの国は魔族どころか魔物も少ないが……今回は、どうも本当に現れたらしい。魔物も大量に入り込んでたそうでな。で、そいつを解決したのが噂の勇者ご一行さま、ってわけだ。あぁ、魔物以外にも、怪しい人影を見た、って話もあったかな」
怪しい人影……それこそ、ジャイールさんたちだろうか。だとすれば噂は、ちゃんと勇者さまの元に辿り着いて足止めしてくれたという…………魔族の話は、どこから……?
足止めのための一芝居? なんらかの誤解? それとも彼が言うように、本当に魔族が暗躍して……? あぁでも、もう解決したというなら、一応問題はない、のかな……?
それなら今は、勇者一行が――おそらくこちらの予想以上に――接近していることのほうが問題だろう。
誰かが意図して歪めない限り、人の噂は人の移動と共に広がっていく。
であれば、ここまで話が届くことそれ自体が、勇者さまが近づいて来ている証に他ならない。あくまで噂の段階で確証がなかったとしても、にわかに焦燥感が募ってくる。
「とりあえず、宿とってこよ」
私とは対照的に、微塵も焦りを感じさせない声で荷物を背負い直し、彼女は詰め所の出口に向かう。
「どのみち今日はここに泊まるつもりだったし、外に出られなくなる前に買い物もしておきたいしね」
それから、兵士には聞こえないくらいの声で私に囁く。
「ここで焦っても仕方ないよ?」
焦燥感は治まらないが、思い悩んでもどうにもならないのも理解できる。
私たちは詰め所の兵士に礼を述べ、城門内へと足を踏み入れた。
***
頑丈な城壁に囲まれ、いくつもの櫓や宿舎が建てられたこの地は、『森』に対する防衛線として建造された城郭都市だ。
魔王復活の報に合わせ、物資や人員がこの場に集まり、襲い来る魔物を撃退する砦として機能する。
……が、この地が砦として使われるのは、およそ百年に一度。魔王の復活による魔物の増殖時だけ。
平時に『森』から現れる魔物に危険なものは少なく、数も多くないため、各施設を十全に使用する機会は訪れない。
また、水源は近いが土壌が農地に適さず、北は山岳に、東は森に塞がれているこの地は流通も制限され、用途が限られる。ペルセ川による水運の集積場としても使われるが、季節による水量・流速等の影響を受けやすく、また前述の地形が行き先を狭めてもいる。魔物と隣り合わせの生活を強いられるため、移住も少ない。
そのためここは、『森』の動向監視と対処の任を負った兵士、最低限の施設維持の人員、及びその家族等が居住するのみで、あとは物資を運ぶ商人か冒険者でもなければ立ち寄らない、小規模な街として存続していた。
十年前には多くの兵士が駐留し、魔物対策の簡易施設も建てられたが、今はほとんどが撤退、解体されている。
魔王が復活した今、再びここが活用される日も近いはずだが、即座にという訳にはいかない。人員や資材が届くのはこれからなのだろう。
***
雨でさらに人気のない通りで細々と備品を買い足し、私たちは宿に向かう。
現在営業している唯一の宿は、櫓の一つを改装したもので、一階の庭(?)には投石器、二階には物見台がそのまま残されていた。
宿の店主は四十代ほどの男性で、たまの客が嬉しいのか私たちを歓迎してくれた。
世間話と情報収集がてら、『森』に変わった様子がないか訊ねてみたが、外から見た限り変化はなく、内部の調査も今年はまだほとんど手つかず(冬が明けてから日が浅いため)だそうだ。
少し前にも外からの冒険者が訪れ、調査依頼で『森』に向かったらしいが、それきり帰ってきていないという。
私とアレニエさんは顔を見合わせる。
もしかしたら、件の魔将と遭遇したのかもしれない。そうであれば、その冒険者は……
とりあえず、他の宿泊客はいないので好きな部屋を使っていいと言われ、わずかに悩んだ末に一番奥の部屋(口外できない話をするかもしれないので)を借り、荷物を置いて一息つく。
私はしばらく、備え付けられた窓に目を向けていた。
窓には木板が打ち付けられ閉鎖されており、外の様子は見られない。が、ガタガタと強風に揺れる建物と、雨粒が壁を強く打ち付ける音とで、天候が一向に回復していないのは容易に知れた。時折、遠雷も聞こえてくる。
どうやら、このまま本格的に嵐になるらしい。そうなれば、収まるまでここで足止めされることになるだろう。この嵐を強行に突破するのは、自殺行為に近い。
「ご飯食べに行こ、リュイスちゃん」
アレニエさんが部屋の外を促す。
他の多くの宿屋と同じく、ここも一階の食堂で食事を提供している。
利用客自体が少ないため他の店員はおらず、店主自らが仕込んでいるという料理の香りが、階下から漂ってくる。その匂いに、お腹がくぅ……っと音を鳴らした。
そういえば、今日は雨の中ここまで急いで来たので、食事を取る暇がなかった。
昼食には遅く、夕飯には早い時刻だが、なにもお腹に入れないままというのも身体に悪い。
どのみち、今日できることはこれ以上ない。早めに夕食を取って就寝してもいいかもしれない。
お腹の音を聞かれた恥ずかしさに少し顔を赤くしながら、私はアレニエさんに続いて階下に降りた。
宿泊場所として借りた村長の家で朝食を取ってから、私はもう一度共同墓地に向かい、祈りを捧げた。
昨日は聞こえた気がした怨嗟の声は、今日は耳に届かなかった。
無事に祈りを済ませ、私たちはフェルム村を出発する。
次の目的地は、川の向こう岸にある街、エスクード。
ペルセ川が国境線になっているため、橋を渡り終えた先は隣国、〈エステリオル〉の領土になる。エスクードも、エステリオルの領地の一つだ。
そこを越えれば、目的の〈黄昏の森〉まではもう間もなくだった。
空は昨日に引き続き雲がかかっているが、幸いまだ降り出してはいない。
今のうちにと馬を走らせ、昼頃にはペルセ川を横断する橋の一つ、アクエルド大橋に辿りつく。
「――……」
しばし言葉を忘れ、目の前の光景に見入る。
長大な河川とは聞いていたが、向こう岸が見えづらいほどの幅を持つ川は、私の普段の生活圏ではまず見られない。
平野部にしては速い水の流れは、他より傾斜があり、川底も深いからだという。その流れは浸食となって陸地を削り、場所によってはちょっとした谷ほどの深さになっている。
谷と同程度の高さに架けられた橋は、アーチ状の石橋で、途中途中を橋脚が支えている。水は橋脚同士の間を抜けていくため、流れも阻害されない。
幅広く、頑丈に組み上げられたこの橋は、荷を積んだ馬車の荷重にも耐えられるらしい。私たちも騎乗したままで問題なく渡れるはずだ。
ちなみに橋の建設に携わるのは、主に神殿の事業になっている。
というのも、こうした建築知識の基礎をもたらしたのが、神々の一柱という伝承があるからだ。神が加護の代わりに声を届け、そこから知識を授かる、という事例は歴史上で散見されていた。武術や製紙技術などもその一例であり、橋もその一つと言われている。
橋の建造はまた神殿にとって、川を汚さずに渡ること、そして人々の生活を便利で豊かなものにするという善行に繋がる。神殿の権威,威光を示す意味もあり、積極的に造られた。
実際、これにより川の向こう岸に、さらにその先にまで人類の生活圏は広がり、魔物の領土に対する拠点も増えた、と。閑話休題。
「大きいですね……」
「川が? 橋が?」
「どちらも」
自然と人工、両者の偉容を目にしながら、素直に答える。これも、旅をしなければ見られなかった光景だ。
「もしかして見たの初めて? 結構村から近いけど」
「多分、初めてです。『危ないから近づかないように』と注意されていたのは、なんとなく憶えているので……そもそも村を出る機会も、ほとんどありませんでしたから」
「まあ、そっか。遊び場に向いた川でもないし、わざわざ子供近づかせたりしないかもね」
思い出せるのは辛い記憶ばかりだが、そうして陰で護られていた部分も、きっと少なくなかったのだろう。
それからしばらく、お互い無言で馬を走らせ、橋を駆け抜ける。
風を受けながら進むわずかな息苦しさと、馬から伝わる振動。
そこに、ぽつり、ぽつり、と、小さな雫が顔に当たる感触が加わり始める。
「あ……」
雫は次々に数と勢いを増していき、いつしか顔どころか全身に降り注いでくる。
「あー、降ってきちゃったかぁ」
空に視線を遣りながら、アレニエさんが呟く。
今は降り始めなのでまだいいが、地面が濡れれば転倒の危険は増すし、傍を流れる川も今より嵩を増す。
私たち自身も、雨に打たれ続ければ体力を奪われ、体調を崩す危険もある。高位の神官や医者のいない場所で病気に罹れば、命にも関わる(熱病を治癒する法術もあるが、私はまだ使えない)。
旅をするにあたって、とかく雨というのは歓迎できない存在だ。
対抗する手段もない(当たり前だが)ので、なるべく早く屋根のある場所に辿りつき、おとなしく過ぎ去るのを待つしかない。
風雨に耐えながら橋を走り抜けると、広く横に伸びた城壁と、その奥に並ぶ複数の建物の姿が見えてきた。
雨の勢いは次第に強まっていたが、なんとか本格的に降る前には辿りつけそうだ。
体を濡らす雫を弾きながら、私たちは街までの道を急いだ。
***
「あんたら危なかったな。もう少し遅かったら、門を閉め切ってたよ」
城門傍の詰め所に招いてくれた中年の兵士が、水気を拭く布を渡しながら声をかけてくる。
「もう閉めるんですか?」
布を受け取りながら、反射的に疑問が口をついて出ていた。
雲が厚くて分かりづらいが、今は正午を少し過ぎたくらいだった。通常なら閉めるには早い時刻だ。
「ああ、いつもは日が沈んでからなんだけどな。今日はほら、この天気だろう? 下手すると嵐になりそうだし、早めに閉めるとこだったんだよ」
確かに、雨も風も勢いを増し続け、収まる気配は全く見えない。
「せっかく来たのに災難だな。けど朗報もあるぞ。勇者がこっちに向かってるそうでな。上手くすれば会えるかもしれん」
「え……」
勇者一行が『森』を目指し旅をしている。というのは、私たちにとっては既知の情報なので、それに対する驚きはないけれど……
「あー……あー……うん。んん。――そうなの? じゃあ、今回のルートは『森』から?」
「おぉ、そうなんだよ」
彼女も数瞬戸惑ったようだが、すぐに修正し、さも初めて勇者の噂を耳にしたという演技で対応していた。……流石です。
「前回の勇者は『戦場』を突っ切ってったろう? だから今回は別口だと睨んで『森』に張ってたんだよ。いやぁ、これで同僚から三杯奢りなんだ、ありがたい」
賭けてたんですか。
「この街にも立ち寄りそうなんだ?」
「ああ、ほとんど真っ直ぐこっちに向かって……あ、いや。一か所、立ち寄ったパルティールのとある領地でなにか揉め事に巻き込まれて、後処理に追われてるって話もあったかな。なんでも、領主の屋敷に魔族が入り込んでたとかで……」
「……はぇ? パルティールに魔族? ただの魔物とか、人間の野盗じゃなくて?」
魔物の出没自体はありえなくもないし、野盗はジャイールさんたちを想定してだろう……とか冷静に考えてる場合じゃない、魔族……!?
「はは、例のおとぎ話かい? 実際あの国は魔族どころか魔物も少ないが……今回は、どうも本当に現れたらしい。魔物も大量に入り込んでたそうでな。で、そいつを解決したのが噂の勇者ご一行さま、ってわけだ。あぁ、魔物以外にも、怪しい人影を見た、って話もあったかな」
怪しい人影……それこそ、ジャイールさんたちだろうか。だとすれば噂は、ちゃんと勇者さまの元に辿り着いて足止めしてくれたという…………魔族の話は、どこから……?
足止めのための一芝居? なんらかの誤解? それとも彼が言うように、本当に魔族が暗躍して……? あぁでも、もう解決したというなら、一応問題はない、のかな……?
それなら今は、勇者一行が――おそらくこちらの予想以上に――接近していることのほうが問題だろう。
誰かが意図して歪めない限り、人の噂は人の移動と共に広がっていく。
であれば、ここまで話が届くことそれ自体が、勇者さまが近づいて来ている証に他ならない。あくまで噂の段階で確証がなかったとしても、にわかに焦燥感が募ってくる。
「とりあえず、宿とってこよ」
私とは対照的に、微塵も焦りを感じさせない声で荷物を背負い直し、彼女は詰め所の出口に向かう。
「どのみち今日はここに泊まるつもりだったし、外に出られなくなる前に買い物もしておきたいしね」
それから、兵士には聞こえないくらいの声で私に囁く。
「ここで焦っても仕方ないよ?」
焦燥感は治まらないが、思い悩んでもどうにもならないのも理解できる。
私たちは詰め所の兵士に礼を述べ、城門内へと足を踏み入れた。
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頑丈な城壁に囲まれ、いくつもの櫓や宿舎が建てられたこの地は、『森』に対する防衛線として建造された城郭都市だ。
魔王復活の報に合わせ、物資や人員がこの場に集まり、襲い来る魔物を撃退する砦として機能する。
……が、この地が砦として使われるのは、およそ百年に一度。魔王の復活による魔物の増殖時だけ。
平時に『森』から現れる魔物に危険なものは少なく、数も多くないため、各施設を十全に使用する機会は訪れない。
また、水源は近いが土壌が農地に適さず、北は山岳に、東は森に塞がれているこの地は流通も制限され、用途が限られる。ペルセ川による水運の集積場としても使われるが、季節による水量・流速等の影響を受けやすく、また前述の地形が行き先を狭めてもいる。魔物と隣り合わせの生活を強いられるため、移住も少ない。
そのためここは、『森』の動向監視と対処の任を負った兵士、最低限の施設維持の人員、及びその家族等が居住するのみで、あとは物資を運ぶ商人か冒険者でもなければ立ち寄らない、小規模な街として存続していた。
十年前には多くの兵士が駐留し、魔物対策の簡易施設も建てられたが、今はほとんどが撤退、解体されている。
魔王が復活した今、再びここが活用される日も近いはずだが、即座にという訳にはいかない。人員や資材が届くのはこれからなのだろう。
***
雨でさらに人気のない通りで細々と備品を買い足し、私たちは宿に向かう。
現在営業している唯一の宿は、櫓の一つを改装したもので、一階の庭(?)には投石器、二階には物見台がそのまま残されていた。
宿の店主は四十代ほどの男性で、たまの客が嬉しいのか私たちを歓迎してくれた。
世間話と情報収集がてら、『森』に変わった様子がないか訊ねてみたが、外から見た限り変化はなく、内部の調査も今年はまだほとんど手つかず(冬が明けてから日が浅いため)だそうだ。
少し前にも外からの冒険者が訪れ、調査依頼で『森』に向かったらしいが、それきり帰ってきていないという。
私とアレニエさんは顔を見合わせる。
もしかしたら、件の魔将と遭遇したのかもしれない。そうであれば、その冒険者は……
とりあえず、他の宿泊客はいないので好きな部屋を使っていいと言われ、わずかに悩んだ末に一番奥の部屋(口外できない話をするかもしれないので)を借り、荷物を置いて一息つく。
私はしばらく、備え付けられた窓に目を向けていた。
窓には木板が打ち付けられ閉鎖されており、外の様子は見られない。が、ガタガタと強風に揺れる建物と、雨粒が壁を強く打ち付ける音とで、天候が一向に回復していないのは容易に知れた。時折、遠雷も聞こえてくる。
どうやら、このまま本格的に嵐になるらしい。そうなれば、収まるまでここで足止めされることになるだろう。この嵐を強行に突破するのは、自殺行為に近い。
「ご飯食べに行こ、リュイスちゃん」
アレニエさんが部屋の外を促す。
他の多くの宿屋と同じく、ここも一階の食堂で食事を提供している。
利用客自体が少ないため他の店員はおらず、店主自らが仕込んでいるという料理の香りが、階下から漂ってくる。その匂いに、お腹がくぅ……っと音を鳴らした。
そういえば、今日は雨の中ここまで急いで来たので、食事を取る暇がなかった。
昼食には遅く、夕飯には早い時刻だが、なにもお腹に入れないままというのも身体に悪い。
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