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馴れ初め編/第二章 お酒と油断はデンジャラス
21.アルコール警報 その1
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心地良い温もりと身体へ伝わる振動に、千優の意識がゆっくり覚醒する。
重い瞼を押し上げれば、道を踏みしめ歩く足元が、ぼんやりと視界に映り込む。
しかし、いつまで経っても歩いている実感は湧いてこず、歩いていないのに移動を続ける状況に疑問を抱いた。
「んんっ」
「……っ! あぁ、吃驚した。柳ちゃん、起きたの?」
頭の中にモヤモヤと広がる白い霧が、小さな苛立ちを生む。
それらを追い出したい一心で唸るように咳払いすると、突如一定の速度で動いていた足が止まった。
次いで聞こえてくるのは、耳元で息を呑む音と声。
「くに、えだ……さん?」
聞き覚えのあるそれに、脳裏に浮かぶのは、彼の微笑み。
否定の声が無いという事は、間違ってはいないらしい。
わずかに視線を動すと、こちらをふり向くやけに整った顔が目と鼻の先にあり、一瞬呼吸を忘れそうになった。
カッと熱を帯びた頬を隠したい。そんな衝動に突き動かされ下を向くと、千優の額にコツンと硬いものに当たる。
痛みなどは無く、感じるのはわずかな熱と、鼻先を掠める香水の匂い。
(もしかして、私、背負われてるの?)
いつもより少しだけ速い鼓動が、夢と現実の狭間を行き来する意識をかき乱す。
覚醒しきらない頭では、憶測が正しいかさえわからない状況だ。
次第に考えることが億劫にった千優は、再び移動を始めたモノに身を預け、小さく息を吐く。
(そんなわけ、ないか)
もし憶測が正しいとすれば、どうして自分は國枝に背負われているのだろう。
理由を求める彼女の周囲には、残念なことに答えが落ちていない。
ふわふわと、危うげな微睡みに誘われ、千優はすぐそばにあるぬくもりに、そっとその身をすり寄せた。
それからの千優は、夢の中へ旅立とうとする意識を必死に繋ぎとめていた。
「寝ててもいいのよ?」
「嫌、です」
「……ふふっ」
自分が声を発するたび、耳に届く心地良い声をもっと聴きたい、言葉を交わしたいと思ったからだ。
次々と溢れる欲がストッパーとなり、どうにか千優の意識を保たせている。
小さく首を左右へ動かすが、すぐにコテンと温い首元へ顔を埋めてしまう。
「あ、そうだ。柳ちゃん、貴方のお家ってどのあたりなの?」
「家、は……えっと……」
不意に投げかけられた問いを、脳内でゆっくり砕き、少し時間をかけ理解する。
その後、頼りない思考のもと、どうにか大まかな場所を伝えれば、待っていたのはしばしの沈黙だった。
「……?」
埋めていた顔をあげ、小首を傾げると、眉間に皺を寄せたイケメンの横顔が目につく。
怒っているのか、悩んでいるのか。それとも、まったく違う別の感情か。彼は今、何を考えているのだろう。
わかるのは、男を支配する何かが、二人にとって良くないものであることくらい。
千優は、國枝の中に生み出されたものを追い出そうと、彼の首元に再び顔を埋め自ら体を密着させる。
そのまま、「出ていけ、出ていけ」と念じながら、グリグリと頬や鼻先を押しつける。その姿はまるで甘えている猫のよう。
「っ、こーら、何やってるの。ちょ、んん……くすぐったいってば」
清涼感ある香りが心地良く、つい止め時を見失う。
聞こえてくるお叱りの声は迫力が感じられず、ついこのままでもいいかと思ってしまうのだ。
「ん……ふふっ」
「まったく、本当変な子」
攻撃はいつまでも止まらず、千優の楽しげな声と、呆れを含む國枝の声がすぐそばで交じり合った。
時折言葉を交わしながら移動すること約十分、千優は國枝に背負われたまま、彼が暮らすマンションへやってきた。
道中、國枝家へ向かう理由や外泊同意を求める声が聞こえた気がする。
フワフワと宙を漂う思考では、すべてを正確に理解することなど不可能で、深く考えず頷くと、すぐそばから大きなため息が聞こえてきた。
理由や経緯などは抜きに、國枝の家へ泊まれることがただ嬉しかった。
またあの素敵な家へ行けること、そして彼の手料理が食べられることは、今の彼女にとって何よりの喜びだ。
「ごっはん、ごっはん、國枝しゃんのごっはん」
嬉しさを抑えきれず、つい大きな背中の揺れ以上に身体を揺らす。
明日の朝食は和食だと聞けば、前回とは違うメニューに期待値は高まる一方。
両手足を揺らし、親の背ではしゃぐ。まるで子供のようなアラサー女を咎める者は、そばに誰もいない。
その後、エレベーターへ乗り込み、國枝が借りている部屋を目指す。
自分を抱える彼にかわり、開閉ボタン、階数ボタンを押す大役を任されると、千優は張り切ってそれらへ手をのばした。
「ほら柳ちゃん、しっかり立って」
「んー……」
玄関先までたどり着くけば、扉を開けるからと、促されるまま國枝の背から降ろされる。
酔いが醒めないせいで、どうも足元がおぼつかず、重心が不安定に揺れた。
「うわっ」
心地良いぬくもりが消え、寂しさを感じたのも束の間。ふらつく足元を睨みつけると、急に己の意思に反し身体が傾く。
「まったく……何やってるのよ、もう。アタシに寄りかかってなさい」
苦笑交じりの声に顔をあげれば、目を細め微笑む男がこちらを見つめていた。
わずかに視線を動かすと、己のものでは無い手が千優の肩を力強く抱き寄せている。
今の衝撃はこれかと理解し、先程までとは違うぬくもりをすぐ真横に感じれば、ほんの少しだけ心が落ち着くのがわかった。
玄関の鍵を開けた國枝に手を引かれ、千優は彼の自宅へ足を踏み入れる。
訪問は今回で二回目だ。酒で記憶が曖昧な脳内と、疼く好奇心のせいで、つい周囲を見回してしまう。
「はーい、柳ちゃんはここ座ってね」
案内されたのは寝室だった。奥に鎮座するベッドへ言われるがまま腰を下ろす。
スプリングが効き、上質なマットレスの感触が心地よかった。
「なんでベッド?」
「え? だってもう寝るでしょう?」
リビングかダイニング辺りに連れていかれると思っていた千優は、予想外の場所に首を傾げた。
彼がここへ自分を連れてきた意図がわからず、己を見下ろす男を見上げる。
すると返ってきたのは、決定事項と言わんばかりの言葉だった。
「嫌だ、まだ飲む! ……っ」
「ちょっと、そんな事しちゃダメでしょう!」
思ってもみない言葉に、衝動のまま首を横に振る。
大きく揺れる視界に軽く目眩を感じ、咄嗟に酷く重い頭を押さえながら目を瞑る。
視界を閉ざすと、焦りを含む國枝の声が聞こえた。
しばし無言になり、昂った鼓動と呼吸、そして心を落ち着かせようと、深呼吸をくり返す。
その後ゆっくりと目を開けば、先程まで上にあったはずの目線が、今度は自分を見上げていた。
國枝は床に跪き、ベッドに腰かける千優を心配そうに見つめる。
「そんな状態でこれ以上お酒はダメよ。待ってなさい、今水持ってきてあげるから」
どこか疲れた様子で言葉を紡ぐと、國枝はポンポンと頭を撫でてくれる。
そんな彼が溜め息を吐くと、吐息によってかすかに揺れる己の前髪が目についた。
重い瞼を押し上げれば、道を踏みしめ歩く足元が、ぼんやりと視界に映り込む。
しかし、いつまで経っても歩いている実感は湧いてこず、歩いていないのに移動を続ける状況に疑問を抱いた。
「んんっ」
「……っ! あぁ、吃驚した。柳ちゃん、起きたの?」
頭の中にモヤモヤと広がる白い霧が、小さな苛立ちを生む。
それらを追い出したい一心で唸るように咳払いすると、突如一定の速度で動いていた足が止まった。
次いで聞こえてくるのは、耳元で息を呑む音と声。
「くに、えだ……さん?」
聞き覚えのあるそれに、脳裏に浮かぶのは、彼の微笑み。
否定の声が無いという事は、間違ってはいないらしい。
わずかに視線を動すと、こちらをふり向くやけに整った顔が目と鼻の先にあり、一瞬呼吸を忘れそうになった。
カッと熱を帯びた頬を隠したい。そんな衝動に突き動かされ下を向くと、千優の額にコツンと硬いものに当たる。
痛みなどは無く、感じるのはわずかな熱と、鼻先を掠める香水の匂い。
(もしかして、私、背負われてるの?)
いつもより少しだけ速い鼓動が、夢と現実の狭間を行き来する意識をかき乱す。
覚醒しきらない頭では、憶測が正しいかさえわからない状況だ。
次第に考えることが億劫にった千優は、再び移動を始めたモノに身を預け、小さく息を吐く。
(そんなわけ、ないか)
もし憶測が正しいとすれば、どうして自分は國枝に背負われているのだろう。
理由を求める彼女の周囲には、残念なことに答えが落ちていない。
ふわふわと、危うげな微睡みに誘われ、千優はすぐそばにあるぬくもりに、そっとその身をすり寄せた。
それからの千優は、夢の中へ旅立とうとする意識を必死に繋ぎとめていた。
「寝ててもいいのよ?」
「嫌、です」
「……ふふっ」
自分が声を発するたび、耳に届く心地良い声をもっと聴きたい、言葉を交わしたいと思ったからだ。
次々と溢れる欲がストッパーとなり、どうにか千優の意識を保たせている。
小さく首を左右へ動かすが、すぐにコテンと温い首元へ顔を埋めてしまう。
「あ、そうだ。柳ちゃん、貴方のお家ってどのあたりなの?」
「家、は……えっと……」
不意に投げかけられた問いを、脳内でゆっくり砕き、少し時間をかけ理解する。
その後、頼りない思考のもと、どうにか大まかな場所を伝えれば、待っていたのはしばしの沈黙だった。
「……?」
埋めていた顔をあげ、小首を傾げると、眉間に皺を寄せたイケメンの横顔が目につく。
怒っているのか、悩んでいるのか。それとも、まったく違う別の感情か。彼は今、何を考えているのだろう。
わかるのは、男を支配する何かが、二人にとって良くないものであることくらい。
千優は、國枝の中に生み出されたものを追い出そうと、彼の首元に再び顔を埋め自ら体を密着させる。
そのまま、「出ていけ、出ていけ」と念じながら、グリグリと頬や鼻先を押しつける。その姿はまるで甘えている猫のよう。
「っ、こーら、何やってるの。ちょ、んん……くすぐったいってば」
清涼感ある香りが心地良く、つい止め時を見失う。
聞こえてくるお叱りの声は迫力が感じられず、ついこのままでもいいかと思ってしまうのだ。
「ん……ふふっ」
「まったく、本当変な子」
攻撃はいつまでも止まらず、千優の楽しげな声と、呆れを含む國枝の声がすぐそばで交じり合った。
時折言葉を交わしながら移動すること約十分、千優は國枝に背負われたまま、彼が暮らすマンションへやってきた。
道中、國枝家へ向かう理由や外泊同意を求める声が聞こえた気がする。
フワフワと宙を漂う思考では、すべてを正確に理解することなど不可能で、深く考えず頷くと、すぐそばから大きなため息が聞こえてきた。
理由や経緯などは抜きに、國枝の家へ泊まれることがただ嬉しかった。
またあの素敵な家へ行けること、そして彼の手料理が食べられることは、今の彼女にとって何よりの喜びだ。
「ごっはん、ごっはん、國枝しゃんのごっはん」
嬉しさを抑えきれず、つい大きな背中の揺れ以上に身体を揺らす。
明日の朝食は和食だと聞けば、前回とは違うメニューに期待値は高まる一方。
両手足を揺らし、親の背ではしゃぐ。まるで子供のようなアラサー女を咎める者は、そばに誰もいない。
その後、エレベーターへ乗り込み、國枝が借りている部屋を目指す。
自分を抱える彼にかわり、開閉ボタン、階数ボタンを押す大役を任されると、千優は張り切ってそれらへ手をのばした。
「ほら柳ちゃん、しっかり立って」
「んー……」
玄関先までたどり着くけば、扉を開けるからと、促されるまま國枝の背から降ろされる。
酔いが醒めないせいで、どうも足元がおぼつかず、重心が不安定に揺れた。
「うわっ」
心地良いぬくもりが消え、寂しさを感じたのも束の間。ふらつく足元を睨みつけると、急に己の意思に反し身体が傾く。
「まったく……何やってるのよ、もう。アタシに寄りかかってなさい」
苦笑交じりの声に顔をあげれば、目を細め微笑む男がこちらを見つめていた。
わずかに視線を動かすと、己のものでは無い手が千優の肩を力強く抱き寄せている。
今の衝撃はこれかと理解し、先程までとは違うぬくもりをすぐ真横に感じれば、ほんの少しだけ心が落ち着くのがわかった。
玄関の鍵を開けた國枝に手を引かれ、千優は彼の自宅へ足を踏み入れる。
訪問は今回で二回目だ。酒で記憶が曖昧な脳内と、疼く好奇心のせいで、つい周囲を見回してしまう。
「はーい、柳ちゃんはここ座ってね」
案内されたのは寝室だった。奥に鎮座するベッドへ言われるがまま腰を下ろす。
スプリングが効き、上質なマットレスの感触が心地よかった。
「なんでベッド?」
「え? だってもう寝るでしょう?」
リビングかダイニング辺りに連れていかれると思っていた千優は、予想外の場所に首を傾げた。
彼がここへ自分を連れてきた意図がわからず、己を見下ろす男を見上げる。
すると返ってきたのは、決定事項と言わんばかりの言葉だった。
「嫌だ、まだ飲む! ……っ」
「ちょっと、そんな事しちゃダメでしょう!」
思ってもみない言葉に、衝動のまま首を横に振る。
大きく揺れる視界に軽く目眩を感じ、咄嗟に酷く重い頭を押さえながら目を瞑る。
視界を閉ざすと、焦りを含む國枝の声が聞こえた。
しばし無言になり、昂った鼓動と呼吸、そして心を落ち着かせようと、深呼吸をくり返す。
その後ゆっくりと目を開けば、先程まで上にあったはずの目線が、今度は自分を見上げていた。
國枝は床に跪き、ベッドに腰かける千優を心配そうに見つめる。
「そんな状態でこれ以上お酒はダメよ。待ってなさい、今水持ってきてあげるから」
どこか疲れた様子で言葉を紡ぐと、國枝はポンポンと頭を撫でてくれる。
そんな彼が溜め息を吐くと、吐息によってかすかに揺れる己の前髪が目についた。
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