伝統民芸彼女

臣桜

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葛藤

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 ボーッと家を出て、畑沿いにただ自転車を走らせる。
 T高校の近くにあるソフトクリーム屋まで行って、冷たいもん食べようかなと思ったが、小銭入れを持ってくるのを忘れた。
 ここら辺は牛糞臭い。
 札幌市内の手稲区と言っても、手稲駅周りや下手稲通りは割と賑わっているかもしれないが、後はただ住宅と畑があるだけだ。
 少しさびれた雰囲気の飲食店がポツポツとあって、後は手稲山の裾野にどこまでも平和に住宅が並ぶ。
 もう少し中央区寄りの西区の方へ行ったら、発寒駅の近くに全国展開の大型ショッピングモールがあったり、宮の沢から都市部に向かって地下鉄があったりする。
 でも、手稲区はまだ地下鉄が伸びていない区で、何て言うか本当に郊外だ。
 中央区で働くサラリーマンやOL、サービス業の人、もしくは富裕層は便利な中央区寄りの場所に住んでいる。それに対して、俺がいる手稲区はベッドタウンとするには最適なんだろう。
 そんなこんなで、街まで遊びに行くとか言うには手稲区はちょっと不便なんだが、俺はこののんびりした区を気に入っている。
 周りの友人やオシャレに敏感な女子とかは、中央区にあるオシャレスポットを気にしたり、流行の服とかを気にしているらしいんだが、俺は別にそういうのは興味なくて、天気のいい日にボーッと手稲山を見ているのが好きだったりする。
 父さんと母さんが自然が好きな人なので、たまに土日とかになると自然公園や石狩の浜とかに連れて行ってくれる。
 七海は「あんた今からそんな爺臭くてどうすんの?」って笑うんだが、生まれ持っての気性って奴はどうにもならないと思うんだが……。
 まぁ、俺も読書が好きだから札幌駅にある大型書店まで、ふらりと行く事はある。でもそれぐらいかな、街に用事があるのは。
 夏の暑さのなか自転車を走らせ、あまり平日なのに明らかに高校生と分かる俺がうろついていいんだろうか? と思い、少し不安になってきた。
 まぁ、ここら辺は畑ばかりだからうるさく言う人はいないだろうけれど、近くにはT高校がある。俺が通っている高校は同じ手稲でもずっと山の上にあるんだが、それでも何だか学校の側でふらついているというのは、少し心配になる。
「はぁ……」
 自転車を止め、俺は溜息をついた。
 どうすりゃいいのか。
 ひい婆ちゃんが急に死んでその喪失感と戦っているという所なのに、そこに人間じゃない存在が見えて、話し掛けてきて。挙句の果てに十五年飼っている愛犬が死ぬかもしれない。
「あーあっ!」
 空に向かって吠えるが、天気は相変わらず憎たらしいほど晴天のまま。
 車道で車を走らせるドライバーが、通り過ぎざまに俺の事を見ているような気がするが、車のドライバーと自転車に乗ってる俺が会話をする訳もない。
 そのまま俺はしばらく自転車にまたがったままぼんやりとしていた。
「どうしよ……。家に帰ってもあいつらいるしな……」
 あの三人の姿を思い出すと、溜息が出てしまう。
 別に嫌いとかじゃないけど、やっぱりまだ人じゃない存在に対しての違和感みたいなものはある。ついでを言うと、槐のとっつきにくい所がちょっと苦手なんだ。
 藤紫は優しいお姉さんだし、ギンは男友達みたいに気楽に話せる相手の気がする。
 けど、槐はどこか俺を拒絶している雰囲気が感じられて、それが分かるとこっちだって何だか警戒してしまう。
 恐らく槐は残る二人よりも真面目な性格のような気がするし、精神年齢が俺よりもずっと上なんだと思う。俺が知らない事を知っていて当たり前で、多分何も知らなすぎる俺を見て苛々しているだろう事も察する。けど、俺だって人間だからあの人を見下したような、俺の気持ちを考えない真っ直ぐな言葉は気になるんだ。
「……苦手だな」
 もう一度俺は溜息をつき、ある程度のコースを決めて自転車のペダルを漕ぐ足に力を入れた。
 まぁ、この青空の下で太陽浴びながらのんびり走れば、気持ちも切り替わるか。逃げて避けられるもんじゃなさそうだし。
 そう思い直し、俺はなるべく何も考えないようにして自転車を走らせた。

**

 ぐるりと自転車を走らせてまた家の方へ戻ると、ハヤテの事が心配になってきた。が、家の前で自転車を停める音がすると、ハヤテの小屋の方でガタッという音がし、柵に前足を掛けてこちらをキラキラとした目で見ているハヤテが見えた。
「ハヤテ」
 声を掛けるとハヤテは黒い目を輝かせて俺を見、ブンブンと尻尾を振る。死の気配が近付いているだなんて思えない、いつものハヤテだ。
「なぁ、お前死ぬのか?」
 庭を抜けて柵に入り、またハヤテの黒い毛並みを撫でると、手に馴染んだその感触が愛しくて堪らない。
 ハヤテは俺が一歳の時にこの家に来た。
 そこからまるで兄弟のように育ってきて、物心ついた時から側にいた存在だから、それがいなくなるだなんて考えもつかないし――考えたくもない。
 当たり前がなくなるだなんて、誰だって『予想』はしてもその『実感』は失うまで分からないんだ。失ったとしても俺のひい婆ちゃんへの思いのように、その喪失感が大きすぎて実感できない場合もある。
 葬式では母さんや婆ちゃんが泣いてたけど、俺は何だか泣いたら負けのような気がして素直に泣く事ができなかった。
「……死なないよな」
 そう尋ねても、ハヤテはいつものように人懐こく俺の顔を舐めようとするだけだ。
 はぁ、と溜息をついて立ち上がると、少し重たい気持ちで玄関に向かった。

**

 玄関フードの中に入るとムッとした空気になり、それから内側のドアを開けて玄関に入るとややひんやりとした空気になる。居間の方からは相変わらず大勢の気配がして、反対側の廊下を見るとシンとした部屋が襖で閉ざされている。
 そちらの方へと裸足の足を歩かせ、ひい婆ちゃんの部屋の襖を見てから俺はそのまま自分の部屋がある二階へと上がろうとした。
 が――、
「拓也はん」
 細い声がして階段の途中で振り向くと、廊下に藤紫が立っていた。
「お部屋いかはるん? ……少しええかな?」
「……いいよ」
 正直槐と顔を合わせるのは気まずかったが、仕方がないと思って俺は少し上った階段をまた下りて、ひい婆ちゃんの部屋へ行くのだった。

「…………」
 襖を開けると、さっきとあまり変わらないような位置に槐とギンが正座をして座っている。
 さっきと変わっているのは、昔ながらの遊びをしていない所だ。
 俺が無言で畳の上に胡坐を掻くと、少しの沈黙の後に槐が口を開いた。
「拓也、槐が悪かった」
「え?」
「槐は確かに、拓也に絹と同じ事を求めていたのかもしんねぇ。絹も拓也ぐらいの歳に後継者になった。そこからの付き合いの絹を槐たちも亡くしたから……、拓也に多少の苛立ちを覚えていたのかもしんねぇな」
「あ……、あぁ、いや」
 あの槐に素直に謝られ、俺はやや挙動不審になりながらも軽く会釈を返す。
 確かにひい婆ちゃんの娘時代からの付き合いだったなら、俺が頼りなく思えても仕方がないだろう。
「確かに拓也は今、血縁を亡くしたばかりで落ち込んでいるんだよな。槐たちは死を悲しむって感情はねぇけど、長年付き合って来た絹がいねぇのは寂しい。槐たちが綺麗でいられるように、いつも掃除をしてくれいたのも絹だしな」
「うん……、まぁ槐の言う通りだね。槐たちがひい婆ちゃんを失って残念に思う気持ちも、想像できるつもりだよ」
 少しずつ……、槐と分かり合えているんだろうか。
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