伝統民芸彼女

臣桜

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自覚

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「拓也、絹がしておった事はな、この近隣の者たちの手助けでもあるのじゃ」
 ギンがこちらを見て言い、眼帯で隠されていない方の目は紫銀と言うんだろうか? 不思議な色だ。
「それを、俺に分かりやすく説明してくれるかな。理解したら俺も自分にできるかどうか考えてから、ひい婆ちゃんの跡を継げるかどうか考えてみる」
「そうじゃの……」
 ギンは着物の腕を組み、袖から少しだけスッとした手首から腕が見える。
「穢れというものは、人の悲しみや憎しみ、そういう負の感情から生まれる。姿は……そうじゃの、影のような姿をしておる。感情から生まれた穢れは、また別の人間の心に巣食って負の感情を生む。……そうすれば、争いはまた広がってゆく」
「拓也はん。現代って『ねっと』ってもんがありますやろ? 穢れはそんなもんも構へんで、どんどん増えてきます。穢れに入り込まれた人は、『ねっと』を介してまた人に穢れを送ります」
「あぁ……」
 思わず俺は呻いていた。
 スマホで色んな事が便利になっているのは、文明の利器とかそう言えるが、それが原因になってSNSとかでのイジメがあるのも確かだ。
 ネットストーカーって奴もいるし、ネットで犯罪予告をして捕まった人もいる。
「でもさ、そういうのって全国にいるだろ? もっと広く言えば世界中に。まさかそれをひい婆ちゃんが全部相手にしてた訳じゃないだろ?」
 流石に俺も相手が世界中に存在しているものなら、衆寡敵せずという感じで逃げるかと思う。
「それは安心していいぞ。お役目を持った人間は各地にいる。拓也が全世界の穢れを祓う必要はねぇ。自分が守れる範囲だけ、守ればいいんだ」
「ふぅん……それなら……」
 少し安心した。やはり俺にも身の丈に合った……というものがある訳で。
「で、ひい婆ちゃんは槐たちと協力してその穢れを祓っていた……でいいのか?」
「そう。槐たちは伝統民芸品ならではの、主を助ける力がある。拓也が望めば槐たちは外や色んな場所へ一緒に行けるし、拓也に力も貸せる。一番大切なのは拓也の心次第だ」
「俺の……心」
 そう言われてもあまりピンとこなくて、目の前の三人を見てもどうやったら彼女たちの特別な力というものを引き出せるのかは分からない。
「例えば――、槐の能力の中にはニポポならではの、危険を察知する力がある」
「えっ? アラームでも鳴るの?」
 だが流石の槐さんは俺の考えを容易く想像したらしく、やはり真顔で俺を見つめる。
「たくらんけ」
 ……流石に、今回はたくらんけと言われても仕方がない。
「わては京舞や香りで人を癒したり、穢れ相手ならお花を使って何やかやできます」
「ふぅん」
「まぁ、わしは見ての通り切るしか能がないがのう。が、槐や藤紫の協力を得て穢れを弱らせたり、足を止めたりできたら、わしを使ってとどめを刺すがいい」
「うん、何となく分かってきたよ」
 でもどうやったら……というのが、一番の疑問でもある。が、それを見抜いた槐は相変わらずの声で言った。
「穢れは……そうだな。そろそろ見えてくるんじゃねぇか? 見えた時がきたとして、動揺するなというのは難しいけど、覚悟はしておけ」
「うん。そのケガレっていうのは、怖い奴なの? 襲い掛かってくる?」
 やっぱり怖いのはやだしね。
「穢れは普通の人と、わてらみたいな存在とその主を嗅ぎ分けます。匂いがちゃうんやて」
「えっ? それで襲い掛かってくるの?」
 いや、でもさっきの藤紫の凄くいい匂いは……確かに目立つかもしれない。
 香水みたいにプンプン匂うとかそういう意味じゃないんだけど、本当に『いい匂い』だから、もしケガレと呼ばれるものが臭かったりするなら、敏感に反応しても仕方がない気がする。
「説明は以上だ。拓也も自分の用事があるんならいつまでもここにいなくていいぞ」
 槐がそう言うが、何だかそう言われると「出て行け」と言われているように思えてしまうのは、俺の気にしすぎなんだろうか。そもそもにして、槐たちが呼んだんじゃないか。
「槐たちは力が強いから起きたって言ってるけど……、普段はいつも何してるの? さっきみたいに遊んでるの?」
 俺の声に三人は顔を見合わせ、ギンが答える。
「わしらは主の意識があるだけで、穢れから主の家人を守る結界の役割も果たすからの。その見回りじゃったり、年の若い者たちの世話をしてやる事もある。主に手入れをしてもらわなんだら、幾ら『神』と名の付くわしらでも力は衰えるからの」
 そう言われて俺はハッとした。
 ひい婆ちゃんがいなくなった今、槐たちの『主』が俺なら、俺がちゃんと槐たちの本体である人形や刀の手入れをしなきゃいけないんじゃないのか?
 改めて槐たちを見ると、そこには真っ直ぐな目で俺を見ている三人がいる。
 新しい『主』を前に、信じたいけれども若輩がゆえに心配だという顔。でも彼女たちには俺しかいないんだ。
 俺はひい婆ちゃんが大好きで、彼女たちもひい婆ちゃんが大好きだった。
 その気持ちは同じで、だったら俺は――ひい婆ちゃんの跡を継ぐべきなんだ。
「俺も努力するから。だから……色々教えて下さい」
 自然と脚は正座になり、目の前の実年齢何歳かも分からない彼女たちに、俺は深く頭を下げていた。
「こちらこそ宜しく。拓也」
 ふわ、と木の香りがして、顔を上げると目の前に槐の小さな手があった。
 あれ。さっきは触らせるのも嫌だって言っていたのに。
 その小さな手と槐の顔とを交互に見ながら、俺はおずおずとその小さな手を握ってみた。
 あ、やっぱり普通の人の手とは違う。
 ほんの少しひやりとしていて、人の皮膚のような弾力はあるけれど「そこに実在している」と思う「人」の手ではない。何て言うか……仏像とかマネキンとかああいうのが、もう少し人っぽくなったって言えばいいんだろうか。
「使いの手を握るのは、使いを使役する主だけの特権だべ」
 意志の強い真っ直ぐな目に至近距離から見つめられ、更にその言葉の深さに俺はドキッとした。
「そうじゃの。わしの柄を握るのもずっと絹じゃったから、男は久しぶりじゃ」
 ニカッと白い歯を見せたギンも俺に向かってスッと手を差し出し、俺は彼女の言葉にドキドキしてギンの手を握った。
「あ」
「ふふん」
 俺の顔を見てギンはニヤリと笑った。
 ギンの手は槐と藤紫とは違って、ゴツゴツしてる。男みたいな手だって意味じゃなくて、それこそ……刀の柄を何度も握って掌にタコができたような。
「わてらは、人の姿をして拓也はんの前にいてても、その本質は元の『物』に通じてます」
 そう言って最後に藤紫が手を差し出してきた。
 ほっそりとしたその手を握り、体温にすれば人の平熱にも及ばないだろう僅かなぬくもりを感じて、俺は心の奥底に静かな覚悟がおりてゆくのを自覚した。
「頑張ってみるから」
「頼りねぇな」
 相変わらずの槐の態度に俺は苦笑してから、俺はひい爺ちゃんに槐たちの世話をしていいかと聞きに行った。
 長年連れ添った人に遺されたひい爺ちゃんは、曾孫の俺がひい婆ちゃんが大切にしていた物の世話をしたいと言ったもんだから、大層嬉しがって「いいよ」と言ってくれたのだった。

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