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〝あの日〟

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「リーズベット様はウィリア陛下のお側を片時も離れませんでした。ですがほんの僅かな隙をついて、メレルギア陛下は彼女を口説かれていました。それにウィリア陛下が気付き、リーズベット様は国に夫がいる身だからと、やんわりと止められたのです」

 当時ディアルトは十三歳、リリアンナは八歳で王都にいた。
 それぞれの父と母が家を空けている間、寂しいながらも勉強や王族・貴族としての礼儀作法に身を費やしていた時――。
 リリアンナの母は隣国の王に迫られ、ディアルトの父に庇われていた。

「メレルギア陛下は、ファイアナの気質を濃くお持ちで、非常に激昂しやすい性格であらせられました。気に入った女性のことで水を差され、面白くないと思った気持ちは、和平にも陰りを見せました」

 まさか痴情のもつれで親が死ぬことになったとは、三人とも頭が痛い。

「ですが事態はそう単純でもありません。原因がリーズベット様にあったとは言え、不機嫌になったメレルギア陛下を更にそそのかす存在がありました」

 そこでアドナは一回言葉を句切り、ほんの一瞬迷ってから名前を口にした。

「……宰相ヘイゲス殿です」
「……ヘイゲスか」

 先ほどアドナが真実を話すことについて、渋面を見せていた宰相の名を呟き、カンヅェルが低く唸る。

「ヘイゲス殿はメレルギア陛下に、ウィリア陛下がよからぬことを企んでいると吹き込みました。懸命にファイアナの緑化を考えてくださっているウィリア陛下を、メレルギア陛下は最初こそ信じ、その手を取ろうとしていました。ですがそれよりも、口八丁のヘイゲス殿の言葉に……惑わされたと言った方がいいのか」
「……親父は単純な所があったからな」

 ハァ、と溜め息をつき、カンヅェルはお茶の残りを呷る。

「具体的に私がメレルギア陛下からお聞きしたのは、和平を結んで停戦したところに伏兵がなだれ込む。ウィリア陛下が提示した緑化計画に加わるウォーリナも、同盟国としてファイアナを攻撃するつもりだ、など。リーズベット様に関しましても、夫がいるのは嘘で自分の愛人をよこしたくないがために、嘘をついている……など」

 アドナの言葉にディアルトはテーブルの上に視線を落とし、リリアンナは思いきり唇を曲げた。
 言いがかりにも程がある。

「臣下の言葉を信じたメレルギア陛下は、一転して和平を断りだしました。リーズベット様へのアプローチも遠慮のないものになり……。彼女の身に女性としての危険が及んだとき、やむなくウィリア陛下がほんの少し風の力を使われました。それを発端に、王同士の真剣な力のぶつかり合いに……」

 眉間に刻む皺を深く、アドナは目を閉じる。

 思い出すのは、〝あの日〟の出来事――。

**

「おやめください! 陛下!」

 当時まだ二十九歳だったアドナの声を、メレルギアは聞き入れる様子はない。
 拳を振りかざし、ウィリアを殴りつける。
 浅黒く逞しい腕に血管が浮き、力一杯の拳だったとアドナは思う。

「止めるな! アドナ! こいつは俺を謀ったんだ! 和平など結ぶつもりはなかった! 国も、豊かな土地も、女も! すべて自分一人が美味しい思いをするために嘘をついた!」

 メレルギアが激しくウィリアを殴りつける度、小さな髪飾りで留められた長い髪が炎のように揺れる。同様に彼の体からオーラが沸き立ち、周囲の空気も熱されていた。

「メレルギア陛下! おやめください! どうか陛下をお離しください!」

 リーズベットが叫び、怒れる火の王を何とか止めようとした時――。

「リーズベット! 下がっていろ!」

 思いの外激しい声を出したのは、ウィリアだった。
 殴りつけられ、痣を作り鼻血を出しながら、ウィリアは冷静にこの場からリーズベットを遠ざけようとしていた。

「ですが、陛下……!」

 悲鳴のような声を出すリーズベットに、ウィリアはメレルギアに抵抗することで応えてみせた。

「っぐぅ!」

 強いアッパーが顎をえぐり、メレルギアが倒れる。
 地に倒されていたウィリアはその隙に起き上がり、表情を険しくさせて鼻血を拭う。

「ご乱心されたか、メレルギア陛下! 和平の場でこのようなこと……!」

 ほんの少したたらを踏んだのは、思いきり殴られて眩暈がしていたからかもしれない。

「ゆる……さんぞ。俺を騙し、愚弄し。すべてを奪ってゆくつもりの癖に」

 ウィリアのアッパーを食らい、メレルギアは歯を折ったようだった。プッと唾棄すると一緒に、血の塊が地面に落ちる。

「……まずは彼女に謝罪してください」

 静かに言うウィリアの後ろで、リーズベットは着衣を乱していた。

「陛下、私は大丈夫です」
「君は黙っていてくれ」

 ピシャリと言うウィリアの声に、リーズベットは気まずく黙る。
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