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新妻の危機

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「アリアが来ていないだと?」

 困惑した声を出したルーカスの目には、そこそこ美しい女性がやはり困った顔をしている。

 女性を『そう』見えることに、ルーカスは言葉の内容と一緒に二重に驚いていた。

 夕方近くになり、アリアをラーレット侯爵邸まで迎えに行こうと思った時から、その感覚は始まっていた。

 執務室を出て、まずすれ違う侍女の顔を見て「おかしい」と思った。

 いつもなら顔すら認識できず通り過ぎるのに、その侍女たちには『顔』がある。

 地味だと思ったり、自分を見る目がキラキラしていると思ったり、いつもと何かが違う。

 貴族たちが出入りする二階に下りれば、着飾った令嬢たちがこちらに向かって含んだ目でお辞儀をしてくる。

 その目を見て、「この令嬢は自分に気があるのか」となんとなく思ってしまった。

 中にはアリアほどではないが、なかなか美しいと思う女性もいる。

 ふと自分にかけられていた妖精の魔法を思い出し、ルーカスはどこか嫌な予感がした。

 急いで馬車の用意をさせ、向かったのはアリアの親友だというフェリシアの屋敷。

 ラーレット侯爵はルーカスも顔なじみの貴族で、可もなく不可もなくな印象がある。

 特に悪い噂もないので、アリアを単身その屋敷に行かせたということもあるのだが……。

「申し訳ございません。王太子妃殿下がいらしたのは、昨日でして……」

 金髪のフェリシアは、申し訳なさそうな顔をしつつ何か隠しているような表情だ。

「どこへ向かったのか知っているのなら、教えて欲しい。なるべく事を穏便に済ますつもりだ」

 穏やかな声で言ったつもりだが、フェリシアにはその言葉の底に怒りの炎が感じられたらしい。慌てて首を振る。

「いえ、王太子妃殿下は他の方――異性に会われている訳ではございません!」

 ルーカスが早合点をして、アリアの浮気を疑っていると察し、フェリシアは友人としてハッキリと否定する。

「では……。どこへ行ったというのだ」

 苛立ちを隠せないルーカスの声に、フェリシアはもう隠せないとアリアの行方を告げる。

「王太子妃殿下から、マグノリアの神のことはお聞きになられていますか?」

「あぁ、それは……」

「そのマグノリアの神に、お礼とお願いをしに行くと仰っていました。殿下には心配をさせてはいけないからと、私の屋敷へ行くと……仰ったのだと思います」

 アリアの居場所が分かり、ルーカスは深く息をつく。

「分かった、礼を言う。邪魔をした」

 短く行ってルーカスはマントを翻し、出されたお茶に手を付けることもなく廊下を歩いてゆく。

 マグノリアの神の話はアリアから聞いて初耳だったが、王都から少し離れた場所にマグノリアの群生地があるのは知っている。

 御者に行き先を告げ、ルーカスは仕方がないとまた溜息をついた。



**



 アリアは真っ白な世界で夢を見ていた。

 辺り一面の白。マグノリアの花しか咲いていない世界で、彼女は神に愛されていた。

 気が遠くなるほどの快楽を与えられ、何度も絶頂に導かれる。

 白い世界に自分の淫靡な悲鳴が響くのを聞き、白い花を自分の蜜が濡らしたのも分かった。

 立ちこめる気高い香りは、ただただアリアを官能にいざなう。

 陶酔した意識のなかで、アリアは数え切れないほど達し、蜜を弾けさせた。

 自分を愛する指も、舌も、屹立も、現実のものではないのに、アリアは指一本すら力を入れることができない。

 意識も体も、すべてが白く塗りつぶされ、フニャフニャになって現実と夢の境目が分からなくなる。

 現実の自分が、ミルクのような濃霧に包まれ、神木の根元で肌を晒していることなど、神に愛されるアリアは知るよしもないのだった――。



**



「お前はアリアの御者か?」

 途方にくれていた御者は、王家の紋章がある馬車から姿を現したルーカスに、心底ホッとした様子だった。

「はい、奥方さまをこちらまでご案内致しました」

「山に入るのに同行しなかったのか」

「神に会うのに一人でなければいけないと奥方さまがおっしゃり、私も馬車の番をしなければならず……」

 近場だったので、御者も二人ではなく一人だった。

 アリアがそう望んだこととはいえ、ルーカスは舌打ちしそうになって我慢する。

「私が行ってくるから、お前たちはここで待て」

「しかし霧が濃いです。殿下まで行方が分からなくなっては……」

「大丈夫だ。道は――分かる」

 強い調子で言ったルーカスの目には、神木までの道がハッキリと分かった。

 実際目の前は白い濃霧に包まれているのは分かるのだが、その中に僅かに霧が薄い箇所が道のように続いているのが分かる。

「どうぞお気をつけて」
「あぁ」

 昼間は晴れていたが、もう夕方近くなって陽が落ちそうになると足元は危ない。

 ルーカスはカンテラを手にし、腐葉土を踏みしめて慎重に歩く。

「この……『見える』のは、妖精の魔法のなごりなのか」

 意識的に霧の道は「もっとハッキリ見える」と分かっていた。

 けれど、その「見える」という確信に反して、ルーカスが実際知覚している霧の道は薄い。

 なんらかの力によって、自分の目にかけられた妖精の魔法が弱まっているのだと分かった。

「今まで大した役にも立たなかった目なのに、こんな時に限って弱まるとは」

 毒づきながら山道を進み、気がつくとアリアの香りがすると思う。

 ――いや、それはマグノリアの香りだった。

 今までアリアがとても香ると感じていたあの匂いは、マグノリアの香りだったのだ。

「人の女に匂いをつけやがって」

 それに気づき、ルーカスはつい王子とは思えない口調でののしる。

 一時は自分とアリアを結びつけてくれたマグノリアの神という存在に、心から感謝をしていた。

 妖精が彼女にかけた魔法が解けたから、自分は彼女を見初めることができた。

 アリアに出会ってもなお、他の女性は人形のように見えていた。

 だがアリアだけ特別に見えていたのは、それほど彼女の持つ魅力が強いのだろう。

 本当にあの舞踏会の夜、走って駆けつけて良かったと思う。

 でなければ、今ごろ彼女は別の男のものになっていたかもしれない。

「それについては感謝をするが、今は別だ。よくも人の妻を行方知れずにしてくれたな」

 こんな遅くになるまでアリアは城に帰らず、自分に心配をさせた。

 その理由というのも、自分ではなくマグノリアの神とやらに礼やお願いをしに言ったからと言うではないか。

「アリアの望みなら、俺がなんだって叶えるのに」

 斜面を登り、息を乱しながらルーカスはただアリアを求めて進む。

 道が分かっていても、濃厚な霧と同じくらい強いマグノリアの香りに、意識がボーッとするような気がした。

「アリア! いるか!? 迎えに来た!」

 霞みそうになる意識を叱咤するように大声を出しても、ルーカスの声がこだまするだけでアリアの声はしない。

 けれど、自分は着実にアリアに近づいているという実感はあった。

 ルーカスに何か特別な気配が分かる訳ではない。ただ、愛する者を思う直感がそう告げていた。

「アリア!」

 しばらく進んでから何度呼んだだろうか。ふと、前方にぼんやりと白く光るものを見つけた。

「アリア?」

 自然と足は進み、ルーカスは斜面を走る。

 濃霧のなか、その白い何かは天蓋のように淡く発光していた。マグノリアの香りは一層強くなり――。

「アリア!」

 その白く光るものが狂い咲きのマグノリアだと分かった時、その巨木の根にしどけなく横たわるアリアを見つけた。

 地を蹴り駆け寄ったルーカスは、その短い距離の中で自分の血液が冷たくなってしまったかのように感じた。

 まさか死んでしまっているのでは――?

 口の中が一瞬で乾き、目と喉の奥が痛くなる。

 途中、斜面の石で躓いたかもしれないが、それすらも分からないほど夢中だった。

「アリア! 目を開けろ!」

 ちょっとそこを散歩するような簡単なドレスを泥で汚し、裾は破けている箇所もあった。

 胸元のボタンは全部開かれ、白い乳房が出てしまっている。

 ドレスの裾も大きくまくり上げられ、脱げた下着はすぐ近くに落ちていた。

「誰かに襲われたのか……?」

 目を閉じたまま応えないアリアを見下ろしたまま、ルーカスは胸の奥に絶望と憎悪が渦巻いていくのを感じる。

 山賊か、たまたまこの近くを通った何者か――。

 自分の妻を犯したかもしれず、肌を見た何者かを、今すぐ目の前で叩き切ってやりたい衝動にかられる。

「アリア、少し確認させてもらう」

 もし名前も知らない何者かに狼藉を働かれたのなら――、と、ルーカスはアリアの脚を開いた。

 震える指を這わせてみると、そこはしとどに濡れている。

「っくそ!」

 殺してやりたいほど憎い男の種が宿っているのかと、ルーカスはそのままアリアの秘裂に指を挿し入れ、かき出そうとする。
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