風と雨の神話

臣桜

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第三部・雨4

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「回想」

 ぬかるんだ大地を踏んで酒場から半円を描く様にして、建物の裏手に行くと確かにボロ家があった。
 長く降り続けている雨のせいで、屋内は湿っぽく床板が腐っている場所もある。
 それでも、奥の方にマットレスが剥き出しになったベッドがある部屋は、それなりに寝る事ができそうだ。
 ユヴァは荷物を床に置き、腰に下げていた何本もの剣を無造作に投げ出す。金属音のたてる大きな音が、がらんどうの空き家に響く。すべの剣に騎士の紋章がついていた。
 マットレスに座り、ユヴァは勤めていた城を思い出す。
 白亜の壁。豪奢な内装。着飾った貴族や女官達に、現実味の無い会話や礼儀作法。
 聞こえて来る音は、楽士達の奏でる静かな音楽か異国から買って来た珍しい鳥の囀り。
 その他の音が、どこかに吸い取られているかのように感じられるほど、不自然に静かな場所だった。
 腹の底では何を考えているのか分からぬ、聞いているだけで胸が悪くなってくる様な取り澄ました声や笑いも聞こえる。
 別世界に感じた。
 皆が憧れる城にいるから、身近に貴族達がいるからそう感じたのではない。
 多くの民を動かしている貴族達がいる場所だというのに、そこは人間らしさの欠片もない場所だった。
 表面上は常に微笑を浮かべ、見えぬ場所で陰口や陰謀がどろどろとした暗黒を伴って蠢いている。彼らが必要以上に着飾っているだけに、それは妙に滑稽で醜悪に見えた。
 人であるはずなのに、ここにいる者達は人ではない。
 そう感じ、酷い違和感を覚えていたのはユヴァだけであった。
 同僚の若い騎士達は、剣を捧げた乙女が裏で何をしているのかを知らずに、幻想を抱いて日々を暮らしている。その姿があまりにも憐れで馬鹿らしく思えた。
 剣を捧げようと思える女性を見付ける事もできず剣の修行に明け暮れていれば、『お前の剣は人殺しの剣だ』と言われる。
 それでは何なのだ? 剣というものは戦う為にあるのではないのか? 敵を倒し、その息の根を止める為にあるのではないのか?
 そう質問すれば、剣というものは大切なものを守るためにあるのだという。
「お前には大切なものはないのか?」
 ユヴァの属する班の上司はそう尋ねた。
 少し考えたが、ユヴァは何も見出す事ができなかった。
「…………何もありません」
「家族は?」
「家族など、しょせん他人でしょう。もちろん今まで育てて貰った恩は感じていますが、勤め始めた身ですし、これまでに私に掛けて来た分の金を払い続けるつもりです。いつかそれを返済し終えたら、私が彼らに対して感じるものは何もなくなるでしょうね」
 思っていた事を平素の感覚でさらりと言っただけなのだが、その上司は何とも言えない顔をして黙ってしまった。
 世間では、その様な金や物品で家族の絆というものは計れないのだそうだ。が、ユヴァにはその考えは理解する事はできない。
 家族だからと言って、血が繋がっているからと言って何なのだろうか。何かをしてくれるのだろうか。
 反って、何かをする時に情というものが邪魔して上手く行かない事の方が多く感じる。
 ――解らない。
 それを真剣に話すと、上司はユヴァを憐れむ目で見ると黙って肩に手を置いた。
 ――何だ?
 ――なぜ憐れまなければならないのだろうか。
 自分以外の人間は皆他人だ。自分が自分のために生きて何が悪い? 騎士などしょせん、国にとっての戦いの駒に過ぎない。
 だから敵を殺す為の腕を磨いて何が悪い?
 ――解らない。
 そして、城でのユヴァの違和感と孤立感は益々増してゆく。
 周囲の人間全てが馬鹿に思えた。
 ――下らない。
 反対に自分が特別な存在に思えた訳ではない。 自分が特別だと思える要因は何一つない。
 ただ、飾り立てられた環境の中で醜い本性を浅ましく隠し、日々画策とどす黒い感情で動いている者達を見ると、純粋に吐き気がした。
 そんな者達を地位が高いからと言って、何も考えずに心酔して信じている者達を見ても、また吐き気がした。
 ――ここはどこだ?
 己に問うてもいらえは無い。
 ふと、静まり返った水鏡に小石が投げ込まれるように、一つの思いが湧き上がった。
 その波紋はとても小さく、それでも波紋はいつまでも広がり続けて消える事はない。
〝この腐れきった場所に君臨する者を抹消すれば、何かが変わるだろうか。〟
 そして、彼は君主殺しという大罪を背負った。
「…………何も変わらなかった」
 ユヴァの呟きは、雨音に紛れて自分の耳にも届かなかった。
 ひんやりとした暗い部屋の中、マットレスが剥き出しになったベッドの上でユヴァは干し肉を齧りながら座っている。
 じっとりと湿ったマットレスの寝心地は想像にあまりある。だが、日干しというものは到底できない。
 このまま、このマットレスは不快な湿気を纏ったまま、ゆっくりとかびていくのだろう。
 ――そう、人間がゆっくりと腐敗していく様に。
 一定の環境の中で、様々な物がうごめいてそれぞれの動きを見せようとも、結局は一定の流れに逆らう事もできずズルズルと腐敗してゆく。
 腐っていたのは城だけではない。平民の中にも小さな腐敗がいくつもある。
 そして、貴族達の大腐敗を知っていても自らの生活の保証がされているものだから、誰も何もいわない。
 国そのものが腐っているのだ。
 恐らく、どこの土地に行ってもそうだろう。
 綺麗事を言うつもりはない。彼らに対して何をしろと言う訳でもない。
 ただ、吐き気がした。息が詰まる。
 この『終わりの街』は最低の場所だと思うし、こんな場所で人間が生活しているとは信じられない。
 だが人には順応性というものがあり、どこに行っても環境が許す限り生きていける。それを考えれば特別驚くべき事でもないのだろう。
 ここの連中は己のどす黒い感情を隠さないだけ、まだマシかもしれない。
 城にいたような者達は、建前や理性を捨てれば人間ではないと言うのだろうか。
 それでも、人間は人間だ。
 人が理性あるべき生き物だと、誰が決めたのだろうか。
 ――神か?
 ――ならば神とは何だ?
 人々が信じてやまない善の神、至高者ならばこんな生き物を放っておく筈がないだろう。 神が存在すると仮定した上で考えるならば、人間の様な生き物を容認する神というものは善なる存在などではないのだろう。
 そこまで考えて、ユヴァの口元は僅かに歪められた。
 ――神。
 まさか自分が、まだそんなものについてあれこれ考えるとは思っていなかった。
 ――馬鹿らしい。
 とにかく、ここでは一般常識的に行動を規制するものは無いと考えていいだろう。
 君主殺しである自分を責める者も、追手もいない。久し振りにゆっくり眠れそうだ。
 これからの事を考える時間はゆっくりある。飽きるまで寝たら、それからゆっくりと先の事を考えよう。
 何が起こるか解らない事を想定して、横になって眠る気にはなれなかった。
 マットレスに座ったまま壁にもたれて体を休める。膝の間に剣を挟め、いつまでも止む事のない雨音に耳を澄ましながら、ユヴァは眠りに就いた。
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