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第三部雨・5
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「雨の中で戦う男達」
『終わりの街』のルールの一つに、新人狩りというものがある。
『終わりの街』がどんなはみ出し者でも受け入れてくれる、娼婦の様な街だとしても、限度がある。
来る者を拒まずにすべて受け入れていれば、今この街にいる者の人口は大都市にも匹敵するだろう。
食糧や寝る場所の問題はもちろんある。
食糧や生活に必要な物品は、外から略奪してきたり闇のルートを使って売買したりしている。
それが大都市に匹敵する人数でされたならば、周りの国は黙っていないだろう。この街そのものが消されてしまう事になる。
そうならないためにも、選り抜きの者だけが生き残るというシステムを使う。それが新人狩りだ。
新人が入って来たその晩、新人一人に対して立候補する者五人で寝込みを襲う。
それに勝ち抜いて生き残った者は、この街で生活する権利があるとして改めて認められる。五人という人数は、一人で相手ができる限度を考えて決められた数である。
現在この街を取り仕切るアレクにしても、この街に逃げ込むだけ逃げ込んで『仕事』もせずぐうたらとしている者を置いておく気はない。
この街で生き延びるためには、何よりも腕がなければ話にならない。
新人が五人を返り討ちにしたとしても、一人で五人を相手にできる戦士を得たと考えれば痛手とは思わない。
この街に入ってくる者はそれは多いのだ。そうやって精鋭達が手元に残ってゆく。
ふるいにかけられて生き残った戦士達を集めて、いずれ傭兵的な仕事を請け負ってアレクは一儲けするつもりでいた。
そうなれば、この街はただの鼻つまみ者達の溜まり場ではなく、戦士達の街となる。
見下す者もいなくなり、恐れは畏怖に変わり、軽蔑は羨望へと変わるだろう。
「一応、毛布を用意しておけ」
アレクは側に座っていた女主人にそう言う。
「あの坊やが生き残ると思うの?」
紅く塗られた唇を微笑ませて、女はアレクに問う。
「何が起こるかは分かんねぇだろ」
不敵に笑うアレクに女は頷き、厨房に向かって声を張り上げる。
「今日は寝ないで裏の様子を見て、静かになったら毛布を持って裏に届けてやんな」
娘は食器を洗った手を拭きながら、小さく頷く。
生き残った新人に与えられる毛布は新品の物だ。
この街にやって来て初めの夜を生き延びた者は、毛布を与えられる。この街で寝る事を許されるのだ。
そう言った意味で、この街で一枚の毛布の持つ意味は大きい。
立候補者の中からくじを引いて選ばれた五人の男達は、一様ににやにやと笑ってグラスを傾けている。公認で殺しが認められるのだ。思う存分暴れる事ができる喜びが顔に溢れている。
なぜこんなにも殺す事を、暴力を振るう事を求めているのかは誰も分からない。
理由をつけようと思えば幾らでもつけられる。だが、それが本当の理由なのかと問われれば誰も分からない。
考える事を止めてしまっているのだ。
考える事を止めれば、それだけ刃に迷いが少なくなる。確実に敵の息の根を止められる。こちらが殺される確率も少なくなる。
戦場においてはその通りだろう。だが無抵抗の者に対する一方的なものはどう答えるのだろうか。強者の理論を振り翳すのだろうか。
「弱者である事が悪であり、力こそがすべてである」と。
恐らく、一度罪を犯してしまえばすべてが等しくなるのだろう。
大きな罪も小さな罪も、皆等しく罪なのだと。
そうすれば、もう何をしても変わらない。
贖おうと努力しても過去は変えられない。失われたものは戻らない。
ならばこのまま修羅の道を歩み、人としての心を失っていく方がどれだけ容易いかを彼らは分かっているのだ。
一度勢いのついてしまったものは、どんどん坂を転がり落ちてゆくだけだ。
立ち止まるな。振り返るな。後悔するな。生き延びろ。
それだけが、男達の心で警報のように赤い光を放って響き続ける。
他人を傷付けて流された血は彼らの道を綴り、自分では気付かずに己に突き立てられた刃は決して抜ける事はなく、いつまでも血を流し続ける。
怨恨や悲鳴、啜り泣きが呪文の様に纏わりつき、それから逃げ出す事もできず振り払う事もできない。
気を紛らわせるためにまた一つ罪を増やし、彼を追う呪文の声がまた増える。
そして、死ぬまでそれが繰り返される。
或る者はそれに耐え、或る者はそれを無視し、或る者は耐え切れずに発狂し、或る者は自ら命を絶ち、どこまでも血の道が続いてゆく。
人は流された血に気付いていないだけで、同じ道を平然と歩く。
叫びも、慟哭も、憎悪も、何の標にならない。
過去の亡霊の声も、未来からの生霊の声も、現在を生きる者には決して届かない。
そして、『終わりの街』の男達は現在をしかと見詰めて生きている。
今、そこに存在している己のために生きる。
己の欲望のために、己の命のために。
夜半過ぎ、五人の男達は席を立った。
まだ酒場でたむろっている者達が、羨望とも野次ともつかない声を上げて五人を見送る。
鬱屈としたこの街で、新人狩りは最高の憂さ晴らしだ。参加したかったのに、運がないばかりにくじを外した者が多くいる。
「ま、やってきな」
アレクの声を背に、五人の男達は歪んだ笑みを顔に張りつかせて雨の中に消えて行った。
それを何とも言えない表情で一瞥し、娘は遅い食事を摂り始めた。
「与えられた毛布」
雨音に紛れて異質な音が耳を掠った。
ユヴァは目を開けずに気配だけで覚醒する。
君主殺しをし、片目を失ってから追手に追われる逃亡生活を続けて来た。それから熟睡する事はなくなった。
闇暗の中で何かが蠢く気配がする。
まだこの部屋には侵入してはいないが、ここを目指しているのは明らかだ。
雨音に紛れて上手く気配を断っているつもりらしいが、ユヴァの集中力と研ぎ澄まされた感覚はそれを見破った。
膝の間に抱えている温まった剣を確認し、床に投げ出されている略奪品の剣の束を視線を走らせて確認する。
息を潜めてゆっくりと指を動かし、剣に触れている手を滑らせる。
音もなく手は剣の柄に到達し、それをしっとりと握る。長年使い込んだ剣だ。今では柄と掌が同化しているかの様に、よく馴染む。
階下で微かに床板が軋んだ。
ゆっくりと片目を開ける。翡翠の様な目がひとつ、闇の中に僅かに光る。
無感動にゆっくりと瞬きをすると、ユヴァは静かに息を吐く。
それは戦う前に必ずとる行動だ。
別に対した意味はないのだが、それにより気合と集中力を高める事ができる、ユヴァなりの心を安定させる方法だ。
――来ている。
この部屋のドアのすぐ外まで。気配は五つ。
全身の筋肉を緊張させ、来たるべき瞬間に備える。空気が緊張に張り詰め、神経が外に露出して糸の様に室内に配置されているかの様だ。
バァンッ!
ドアが蹴り飛ばされ、男達が室内になだれ込んで来た。
ユヴァは腰のベルトに下げているナイフを投げ、一人の喉元に命中させた。
残りの者が狼狽した気配を感じたが、それに一々構っていればこちらの命がなくなる。
無駄な事は一切考えず、ユヴァはすらりと剣を抜いて残りの四人に斬りかかった。
思いも寄らない反撃に男達は一瞬怯んだが、『終わりの街』に生きて住んでいる者達はやはり違う。瞬時に戦闘モードへ切り替えると、倒れた仲間の屍を踏んで我先にとユヴァに襲い掛かった。
剣撃。男達の咆哮。断末魔。肺から絞り出される空気。
時間が経つにつれ、暗く湿った部屋で立てられる物音は小さくなっていった。
――そして、静寂。
部屋にはユヴァと、最早一人になってしまった男が差し向かって対峙していた。構えられた剣先が、互いの喉笛を狙って神経質に揺れる。
不規則な、荒れた呼吸。血走った目と辺りを漂う血臭。
極度の緊張の中、男はユヴァを睨みつけていたが、急に踵を返すとドタバタと音を立てて逃げ出した。
すぐさま、ユヴァは後を追う。情けを掛けて逃がした敵が、再び刃向かって来ないという保証はない。
地階に降り、屋内と外を結ぶドアを出た瞬間、男は背中の真ん中にユヴァの剣を受け止めて倒れた。水溜まりの中に倒れた男を、雨は容赦なく濡らしてゆく。
背後から剣を投げて男を仕留めたユヴァは、ゆっくりと歩いて男に近付く。
呼吸は乱れていたが、その目は決して動揺したり興奮してはいなかった。
何をしても、何も感じる事の出来ない目をしている。
ふと、頭の中に騎士の鉄則が浮上する。
背を向けた者を背後から討つは騎士に非ず。
「俺は騎士じゃない……」
小さく呟いて、ユヴァは倒れてもう動かなくなった男の背中に片足を掛け、墓碑の様に突き立っている己の剣を抜いた。
パシャ……
小さな音がして、ユヴァはのろのろと顔を上げる。気配があっても、それが敵意を持っているかどうかは目で確認しなくても解る。
「…………何をしに来た」
雨の中、酒場にいた娘が頭から雨具を被った姿で立っていた。
その両手には油紙で包まれた、何か大きな荷物がある。娘は何も言わずに歩を進め、まずは雨に濡れない様に新しくユヴァの住処となったボロ屋に入り込んだ。
男達の死体には特に何の感想も持っていない様だ。無表情でそれを見下ろすが、踏まない様に障害物を確認している、という目つきに過ぎない。
「…………これ」
娘の声は、雨音に溶け込んでしまいそうな声だった。差し出された包みをユヴァは受け取り、中身を取り出す。
「……毛布?」
「賞品。……『新人狩り』に勝ったから。この街の掟の一つ。この毛布を与えられる事で、あなたはこの街の男として認められたわ」
娘の言葉を聞き、ユヴァは何となく『新人狩り』のシステムを理解する。取り敢えずありがたく受け取っておきながら、ふと思った事を尋ねる。
「やけに来るのが早くないか? 勝負がついた頃に確かめにくるんだろう?」
ユヴァの隻眼が、娘の真紅の目を覗き込む。
冷たく整った顔は美少女と言って差し支えない。
だがユヴァの知るどの女よりも、この娘は乾ききった目をしていた。こんな雨ばかり降っている街だというのに、干からびた大地の様な目だ。
「…………何となく。あなたが勝つと思ったから」
娘は、自分でも少し不思議そうに言った。
別に娘に特別な力がある訳ではない。だが五人の男達が酒場を出て行く時に彼らは死ぬ、という事を直感的に感じたのだ。
そして、ユヴァを初めて見た時にも同じ様に感じた。この男は死なない、と。
「ふぅん?」
ユヴァはそれだけ言って階段を上り、死体を外に放り出す作業に取り掛かった。娘も無言でそれを手伝う。
「…………名は?」
薄暗い屋内で、娘の白に近い灰色の髪がぼんやりと淡く光っているのを何となく目で追いかけつつ、ユヴァはまだ娘の名を知らない事に気付き尋ねる。
名を尋ねられ、娘はユヴァを見る事もせずに答える。
「レナ(雨)。レナ・スクーニャ(雨の娼婦)」
まともな名を与えられない娘にユヴァは一瞬同情し、取り敢えずもう一度自分も名乗る。
「ユヴァ・シーゲル」
「……知ってるわ。さっき聞いたから」
そっけなく言い、雨という名を与えられた娘は最後の一人を引き摺って外に出すと、ついでとばかりに足で蹴って転がす。
重たげに半回転した髭面の男を見、レナは憎々しげに吐き捨てる。
「こいつ、死んでせいせいしたわ。大嫌いだった」
そしてユヴァの横を通りぬけて、再び階上に上がった。
小さく床を軋ませながら上に上がるレナの後姿を見て、ユヴァはこれ以上何か用があるのかと尋ねた。
ベッドのある部屋でレナはユヴァを振り向くと、着ていた雨具を脱ぎ捨てる。
雨具の下にレナは何も着ていなかった。薄暗い部屋の中に、白い裸身がぼんやりと光を放つ。
「『新人狩り』の勝者へのもう一つの賞品」
無感動に言ってベッドに座るレナを、ユヴァは一つ息を吐いてから細い腕をとって立ち上がらせる。
「帰れ。そんな事をして貰う義理はない」
ユヴァの言葉に、レナは少し首を傾げる。陶磁器の様な白くなめらかな肌の上を、長い髪がさらりと滑った。
「……義理? 何を言ってるのか解らないわ。私はアレクの所有物だから、彼の命令通りにしてるだけよ」
レナの真紅の瞳は、自ら人権が無いという屈辱的な台詞を吐いても、特別な感情に揺れる事はなかった。ただ、思った事を言っている。
レナの言葉を聞き、ユヴァはこちらこそ理解できないと溜め息を吐いた後、突然レナを乱暴にベッドの上に突き倒し、首元に剣の切っ先を突き付ける。
「……これでも、帰らないか?」
数秒、ベッドの上に仰向けになったレナと、それに剣を突き付けているユヴァは視線を交じり合わせていたが、不意にレナは何の躊躇いも無く起き上がった。
それに意表を突かれたユヴァは咄嗟に剣を引くが、切っ先はレナの肌に引っ掛かり喉元から胸元まで細い血の線を引いた。
騎士であった頃も特に女性を特別敬うという事はなかったが、剣を向け傷付けた事などもちろんない。
傷付けるつもりはなかったとは言え、ユヴァは鋭利な刃物で引かれた線の上に、赤い血の玉がぷっくりと浮かび上がってくるのをやや呆けて見ていた。
一方、レナは自分の体に傷が付いた事には全く頓着がない。
肌が切れた瞬間は眉間に僅かに皺を寄せたものの、それだけだ。裸体を隠す事も無くベッドの上に座り込み、苛ついた目でユヴァを見る。
「不能なの? 女に興味がないの? 私が嫌なら他の娘に代える事も出来るけど」
そこまで言われて、ユヴァは大きな溜め息を吐くと剣を収めベッドに腰掛ける。レナの細い顎を掴むと、その真紅の瞳を凝視する。
「お前が俺に抱かれたいというなら抱いてもいい。お前が嫌なら抱かない」
ユヴァの翡翠色の目がレナを貫き、それだけをきっぱりと言った。
と、それまでこれと言った感情を見せなかったレナの瞳が、困惑に曇った。
選択権を与えられた事などないからだ。今まで自分で何かを決めた事などない。
「……困るわ。私にはそういう事は決められないもの。貴方が決めて」
「…………」
レナの顎を掴んだまま、ユヴァは目の前の『雨の娼婦』と名付けられた娘について考えていた。
――これは何だ?
ただ、それだけがぐるぐると頭の中を回っている。
こんな人間は見た事がない。
見た所、特に精神的に未発達と見られる訳でもない。が、異常なまでに自己の意思というものがない。
先程自分でも言っていたが、あのアレクという男の「所有物」として自分の事を認識しているのか? そんな筈はない。人であれば、そんな屈辱的な事を肯定する訳がない。
「……お前はどうしたい?」
もう一度訊く。
が、レナは先程と同じ表情を浮かべたまま、ゆるゆると首を振るだけだ。
「お前は人形か?」
「私は人間だわ」
「なら自分の意志を持っているだろうが。言ってみろ。別にあの男に言いつけるつもりはない」
アレクに対して恐怖心を持ち、絶対服従をしているからこの様な態度をとるのかと思い、ユヴァはそう切り出してみる。
「別にアレクに何を言おうがあなたの勝手だわ。何をされても平気だもの。でも今、あなたが私を抱くかどうか。それを訊いているの」
レナは混乱していた。
初めて混乱という感覚を知る。頭の中がぐしゃぐしゃとしていて、どうしたら良いのか解らない。苛立ち……とも似ているが、少し違う。
ユヴァもレナをどう扱えばいいのか解らず、首を振るとレナの顎を放した。
そのままベッドの壁際の所まで移動し、座り直すと寝る体勢をとる。
「好きにしろ」
『終わりの街』のルールの一つに、新人狩りというものがある。
『終わりの街』がどんなはみ出し者でも受け入れてくれる、娼婦の様な街だとしても、限度がある。
来る者を拒まずにすべて受け入れていれば、今この街にいる者の人口は大都市にも匹敵するだろう。
食糧や寝る場所の問題はもちろんある。
食糧や生活に必要な物品は、外から略奪してきたり闇のルートを使って売買したりしている。
それが大都市に匹敵する人数でされたならば、周りの国は黙っていないだろう。この街そのものが消されてしまう事になる。
そうならないためにも、選り抜きの者だけが生き残るというシステムを使う。それが新人狩りだ。
新人が入って来たその晩、新人一人に対して立候補する者五人で寝込みを襲う。
それに勝ち抜いて生き残った者は、この街で生活する権利があるとして改めて認められる。五人という人数は、一人で相手ができる限度を考えて決められた数である。
現在この街を取り仕切るアレクにしても、この街に逃げ込むだけ逃げ込んで『仕事』もせずぐうたらとしている者を置いておく気はない。
この街で生き延びるためには、何よりも腕がなければ話にならない。
新人が五人を返り討ちにしたとしても、一人で五人を相手にできる戦士を得たと考えれば痛手とは思わない。
この街に入ってくる者はそれは多いのだ。そうやって精鋭達が手元に残ってゆく。
ふるいにかけられて生き残った戦士達を集めて、いずれ傭兵的な仕事を請け負ってアレクは一儲けするつもりでいた。
そうなれば、この街はただの鼻つまみ者達の溜まり場ではなく、戦士達の街となる。
見下す者もいなくなり、恐れは畏怖に変わり、軽蔑は羨望へと変わるだろう。
「一応、毛布を用意しておけ」
アレクは側に座っていた女主人にそう言う。
「あの坊やが生き残ると思うの?」
紅く塗られた唇を微笑ませて、女はアレクに問う。
「何が起こるかは分かんねぇだろ」
不敵に笑うアレクに女は頷き、厨房に向かって声を張り上げる。
「今日は寝ないで裏の様子を見て、静かになったら毛布を持って裏に届けてやんな」
娘は食器を洗った手を拭きながら、小さく頷く。
生き残った新人に与えられる毛布は新品の物だ。
この街にやって来て初めの夜を生き延びた者は、毛布を与えられる。この街で寝る事を許されるのだ。
そう言った意味で、この街で一枚の毛布の持つ意味は大きい。
立候補者の中からくじを引いて選ばれた五人の男達は、一様ににやにやと笑ってグラスを傾けている。公認で殺しが認められるのだ。思う存分暴れる事ができる喜びが顔に溢れている。
なぜこんなにも殺す事を、暴力を振るう事を求めているのかは誰も分からない。
理由をつけようと思えば幾らでもつけられる。だが、それが本当の理由なのかと問われれば誰も分からない。
考える事を止めてしまっているのだ。
考える事を止めれば、それだけ刃に迷いが少なくなる。確実に敵の息の根を止められる。こちらが殺される確率も少なくなる。
戦場においてはその通りだろう。だが無抵抗の者に対する一方的なものはどう答えるのだろうか。強者の理論を振り翳すのだろうか。
「弱者である事が悪であり、力こそがすべてである」と。
恐らく、一度罪を犯してしまえばすべてが等しくなるのだろう。
大きな罪も小さな罪も、皆等しく罪なのだと。
そうすれば、もう何をしても変わらない。
贖おうと努力しても過去は変えられない。失われたものは戻らない。
ならばこのまま修羅の道を歩み、人としての心を失っていく方がどれだけ容易いかを彼らは分かっているのだ。
一度勢いのついてしまったものは、どんどん坂を転がり落ちてゆくだけだ。
立ち止まるな。振り返るな。後悔するな。生き延びろ。
それだけが、男達の心で警報のように赤い光を放って響き続ける。
他人を傷付けて流された血は彼らの道を綴り、自分では気付かずに己に突き立てられた刃は決して抜ける事はなく、いつまでも血を流し続ける。
怨恨や悲鳴、啜り泣きが呪文の様に纏わりつき、それから逃げ出す事もできず振り払う事もできない。
気を紛らわせるためにまた一つ罪を増やし、彼を追う呪文の声がまた増える。
そして、死ぬまでそれが繰り返される。
或る者はそれに耐え、或る者はそれを無視し、或る者は耐え切れずに発狂し、或る者は自ら命を絶ち、どこまでも血の道が続いてゆく。
人は流された血に気付いていないだけで、同じ道を平然と歩く。
叫びも、慟哭も、憎悪も、何の標にならない。
過去の亡霊の声も、未来からの生霊の声も、現在を生きる者には決して届かない。
そして、『終わりの街』の男達は現在をしかと見詰めて生きている。
今、そこに存在している己のために生きる。
己の欲望のために、己の命のために。
夜半過ぎ、五人の男達は席を立った。
まだ酒場でたむろっている者達が、羨望とも野次ともつかない声を上げて五人を見送る。
鬱屈としたこの街で、新人狩りは最高の憂さ晴らしだ。参加したかったのに、運がないばかりにくじを外した者が多くいる。
「ま、やってきな」
アレクの声を背に、五人の男達は歪んだ笑みを顔に張りつかせて雨の中に消えて行った。
それを何とも言えない表情で一瞥し、娘は遅い食事を摂り始めた。
「与えられた毛布」
雨音に紛れて異質な音が耳を掠った。
ユヴァは目を開けずに気配だけで覚醒する。
君主殺しをし、片目を失ってから追手に追われる逃亡生活を続けて来た。それから熟睡する事はなくなった。
闇暗の中で何かが蠢く気配がする。
まだこの部屋には侵入してはいないが、ここを目指しているのは明らかだ。
雨音に紛れて上手く気配を断っているつもりらしいが、ユヴァの集中力と研ぎ澄まされた感覚はそれを見破った。
膝の間に抱えている温まった剣を確認し、床に投げ出されている略奪品の剣の束を視線を走らせて確認する。
息を潜めてゆっくりと指を動かし、剣に触れている手を滑らせる。
音もなく手は剣の柄に到達し、それをしっとりと握る。長年使い込んだ剣だ。今では柄と掌が同化しているかの様に、よく馴染む。
階下で微かに床板が軋んだ。
ゆっくりと片目を開ける。翡翠の様な目がひとつ、闇の中に僅かに光る。
無感動にゆっくりと瞬きをすると、ユヴァは静かに息を吐く。
それは戦う前に必ずとる行動だ。
別に対した意味はないのだが、それにより気合と集中力を高める事ができる、ユヴァなりの心を安定させる方法だ。
――来ている。
この部屋のドアのすぐ外まで。気配は五つ。
全身の筋肉を緊張させ、来たるべき瞬間に備える。空気が緊張に張り詰め、神経が外に露出して糸の様に室内に配置されているかの様だ。
バァンッ!
ドアが蹴り飛ばされ、男達が室内になだれ込んで来た。
ユヴァは腰のベルトに下げているナイフを投げ、一人の喉元に命中させた。
残りの者が狼狽した気配を感じたが、それに一々構っていればこちらの命がなくなる。
無駄な事は一切考えず、ユヴァはすらりと剣を抜いて残りの四人に斬りかかった。
思いも寄らない反撃に男達は一瞬怯んだが、『終わりの街』に生きて住んでいる者達はやはり違う。瞬時に戦闘モードへ切り替えると、倒れた仲間の屍を踏んで我先にとユヴァに襲い掛かった。
剣撃。男達の咆哮。断末魔。肺から絞り出される空気。
時間が経つにつれ、暗く湿った部屋で立てられる物音は小さくなっていった。
――そして、静寂。
部屋にはユヴァと、最早一人になってしまった男が差し向かって対峙していた。構えられた剣先が、互いの喉笛を狙って神経質に揺れる。
不規則な、荒れた呼吸。血走った目と辺りを漂う血臭。
極度の緊張の中、男はユヴァを睨みつけていたが、急に踵を返すとドタバタと音を立てて逃げ出した。
すぐさま、ユヴァは後を追う。情けを掛けて逃がした敵が、再び刃向かって来ないという保証はない。
地階に降り、屋内と外を結ぶドアを出た瞬間、男は背中の真ん中にユヴァの剣を受け止めて倒れた。水溜まりの中に倒れた男を、雨は容赦なく濡らしてゆく。
背後から剣を投げて男を仕留めたユヴァは、ゆっくりと歩いて男に近付く。
呼吸は乱れていたが、その目は決して動揺したり興奮してはいなかった。
何をしても、何も感じる事の出来ない目をしている。
ふと、頭の中に騎士の鉄則が浮上する。
背を向けた者を背後から討つは騎士に非ず。
「俺は騎士じゃない……」
小さく呟いて、ユヴァは倒れてもう動かなくなった男の背中に片足を掛け、墓碑の様に突き立っている己の剣を抜いた。
パシャ……
小さな音がして、ユヴァはのろのろと顔を上げる。気配があっても、それが敵意を持っているかどうかは目で確認しなくても解る。
「…………何をしに来た」
雨の中、酒場にいた娘が頭から雨具を被った姿で立っていた。
その両手には油紙で包まれた、何か大きな荷物がある。娘は何も言わずに歩を進め、まずは雨に濡れない様に新しくユヴァの住処となったボロ屋に入り込んだ。
男達の死体には特に何の感想も持っていない様だ。無表情でそれを見下ろすが、踏まない様に障害物を確認している、という目つきに過ぎない。
「…………これ」
娘の声は、雨音に溶け込んでしまいそうな声だった。差し出された包みをユヴァは受け取り、中身を取り出す。
「……毛布?」
「賞品。……『新人狩り』に勝ったから。この街の掟の一つ。この毛布を与えられる事で、あなたはこの街の男として認められたわ」
娘の言葉を聞き、ユヴァは何となく『新人狩り』のシステムを理解する。取り敢えずありがたく受け取っておきながら、ふと思った事を尋ねる。
「やけに来るのが早くないか? 勝負がついた頃に確かめにくるんだろう?」
ユヴァの隻眼が、娘の真紅の目を覗き込む。
冷たく整った顔は美少女と言って差し支えない。
だがユヴァの知るどの女よりも、この娘は乾ききった目をしていた。こんな雨ばかり降っている街だというのに、干からびた大地の様な目だ。
「…………何となく。あなたが勝つと思ったから」
娘は、自分でも少し不思議そうに言った。
別に娘に特別な力がある訳ではない。だが五人の男達が酒場を出て行く時に彼らは死ぬ、という事を直感的に感じたのだ。
そして、ユヴァを初めて見た時にも同じ様に感じた。この男は死なない、と。
「ふぅん?」
ユヴァはそれだけ言って階段を上り、死体を外に放り出す作業に取り掛かった。娘も無言でそれを手伝う。
「…………名は?」
薄暗い屋内で、娘の白に近い灰色の髪がぼんやりと淡く光っているのを何となく目で追いかけつつ、ユヴァはまだ娘の名を知らない事に気付き尋ねる。
名を尋ねられ、娘はユヴァを見る事もせずに答える。
「レナ(雨)。レナ・スクーニャ(雨の娼婦)」
まともな名を与えられない娘にユヴァは一瞬同情し、取り敢えずもう一度自分も名乗る。
「ユヴァ・シーゲル」
「……知ってるわ。さっき聞いたから」
そっけなく言い、雨という名を与えられた娘は最後の一人を引き摺って外に出すと、ついでとばかりに足で蹴って転がす。
重たげに半回転した髭面の男を見、レナは憎々しげに吐き捨てる。
「こいつ、死んでせいせいしたわ。大嫌いだった」
そしてユヴァの横を通りぬけて、再び階上に上がった。
小さく床を軋ませながら上に上がるレナの後姿を見て、ユヴァはこれ以上何か用があるのかと尋ねた。
ベッドのある部屋でレナはユヴァを振り向くと、着ていた雨具を脱ぎ捨てる。
雨具の下にレナは何も着ていなかった。薄暗い部屋の中に、白い裸身がぼんやりと光を放つ。
「『新人狩り』の勝者へのもう一つの賞品」
無感動に言ってベッドに座るレナを、ユヴァは一つ息を吐いてから細い腕をとって立ち上がらせる。
「帰れ。そんな事をして貰う義理はない」
ユヴァの言葉に、レナは少し首を傾げる。陶磁器の様な白くなめらかな肌の上を、長い髪がさらりと滑った。
「……義理? 何を言ってるのか解らないわ。私はアレクの所有物だから、彼の命令通りにしてるだけよ」
レナの真紅の瞳は、自ら人権が無いという屈辱的な台詞を吐いても、特別な感情に揺れる事はなかった。ただ、思った事を言っている。
レナの言葉を聞き、ユヴァはこちらこそ理解できないと溜め息を吐いた後、突然レナを乱暴にベッドの上に突き倒し、首元に剣の切っ先を突き付ける。
「……これでも、帰らないか?」
数秒、ベッドの上に仰向けになったレナと、それに剣を突き付けているユヴァは視線を交じり合わせていたが、不意にレナは何の躊躇いも無く起き上がった。
それに意表を突かれたユヴァは咄嗟に剣を引くが、切っ先はレナの肌に引っ掛かり喉元から胸元まで細い血の線を引いた。
騎士であった頃も特に女性を特別敬うという事はなかったが、剣を向け傷付けた事などもちろんない。
傷付けるつもりはなかったとは言え、ユヴァは鋭利な刃物で引かれた線の上に、赤い血の玉がぷっくりと浮かび上がってくるのをやや呆けて見ていた。
一方、レナは自分の体に傷が付いた事には全く頓着がない。
肌が切れた瞬間は眉間に僅かに皺を寄せたものの、それだけだ。裸体を隠す事も無くベッドの上に座り込み、苛ついた目でユヴァを見る。
「不能なの? 女に興味がないの? 私が嫌なら他の娘に代える事も出来るけど」
そこまで言われて、ユヴァは大きな溜め息を吐くと剣を収めベッドに腰掛ける。レナの細い顎を掴むと、その真紅の瞳を凝視する。
「お前が俺に抱かれたいというなら抱いてもいい。お前が嫌なら抱かない」
ユヴァの翡翠色の目がレナを貫き、それだけをきっぱりと言った。
と、それまでこれと言った感情を見せなかったレナの瞳が、困惑に曇った。
選択権を与えられた事などないからだ。今まで自分で何かを決めた事などない。
「……困るわ。私にはそういう事は決められないもの。貴方が決めて」
「…………」
レナの顎を掴んだまま、ユヴァは目の前の『雨の娼婦』と名付けられた娘について考えていた。
――これは何だ?
ただ、それだけがぐるぐると頭の中を回っている。
こんな人間は見た事がない。
見た所、特に精神的に未発達と見られる訳でもない。が、異常なまでに自己の意思というものがない。
先程自分でも言っていたが、あのアレクという男の「所有物」として自分の事を認識しているのか? そんな筈はない。人であれば、そんな屈辱的な事を肯定する訳がない。
「……お前はどうしたい?」
もう一度訊く。
が、レナは先程と同じ表情を浮かべたまま、ゆるゆると首を振るだけだ。
「お前は人形か?」
「私は人間だわ」
「なら自分の意志を持っているだろうが。言ってみろ。別にあの男に言いつけるつもりはない」
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レナは混乱していた。
初めて混乱という感覚を知る。頭の中がぐしゃぐしゃとしていて、どうしたら良いのか解らない。苛立ち……とも似ているが、少し違う。
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