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過去2-2

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 それから二人は幸せな時間を過ごした。
 八月に入り、時人は葵を実家に招待し、両親に紹介した。
 今まで時人から好きな人がいると全く聞いていなかった両親は、清潔で品のある服に身を包んだ美女を見て、一目で気に入った。
 秘書や家政婦からそれとなく、時人が今まで外泊をしたとか女の影があると聞いていた。だがこうやってちゃんと紹介してくれるのは初めてなのだ。
 ダイニングの長いテーブルに、時人の両親と二人は向かい合わせに座り、シェフが作った料理に舌鼓をうつ。
「葵さん、京都の美作さんのお嬢さんなのね。美作さんとは宇佐美の家も、いいお付き合いをさせてもらっているんです」
 どこか少女っぽさを思わせる時人の母・香織(かおり)が嬉しそうに笑い、その隣で時人に似た物静かな父・時臣(ときおみ)も静かに微笑している。
 時人から聞いた話を思い出し、葵は時人の父を窺うが、四十代と聞いたのに外見は三十代にも届いていないように思える。
「不思議でしょう。時臣さん、とても若く見えるのよ」
 葵の視線を察して香織は柔らかく笑う。香織も四十代にしては若く見えるが、それは普通に美容ケアの賜物に思える。
「父さん、母さん。葵さんには宇佐美家の血筋の事を教えてあります。でも葵さんはそんな俺を受け入れてくれました」
 時人専用の冷製スープを飲んで彼が言うと、両親は複雑な感情の籠もった目を葵に向ける。
「あの……、びっくり……しましたけど、個性みたいなもんやと思ってます。宇佐美さんのお家が、代々特別な事情で苦しまはったのとか、全部想像する事しかできひんのです。けど、私は優しい時人さんの隣にいられればええて、……思ったんです。普通の時間を生きる人でも、信じられへんぐらい冷たい人や、乱暴な人がいはります。それを思うと、時人さんはほんまに温かくてええ人です」
 後藤の事を心の中で思い時人の魅力を伝えると、両親は嬉しそうに顔を見合わせた。
「葵さん、時人はあなたよりずっと長く生きるかもしれない。それでもいいんですか?」
 まるで時人の兄のような風貌の時臣が尋ね、葵は心からの笑顔で頷き返した。
「世の中しゃあないことはあるんやと思います。ですが生きているうちは、ずっと想い合っていければ……ええですね? 時人さん」
 最後に隣に座っている時人を見ると、彼は今まで両親の前で見せた事のない、幸せそうな顔で頷く。
「……はい。俺も葵さんと一緒なら、幸せです」
 思春期のような初々しくて純粋な愛を目の前にし、宇佐美の両親は一人の女性の登場によって、心が満たされてゆくのを感じていた。
「葵さん、安心しました。私達はお金に困らない生活をしていますが、唯一この子の将来だけが心配だったんです。勉強や仕事になる事は器用なので上手にやれると思っています。ですがいずれ一人になる時がきたとして、そのとき無感動なこの子の隣にいてくれる人は現れるんだろうかと……。ずっと心配していたんです」
 時人と似て涙もろい香織が目を細めると、葵は彼女をまっすぐに見つめ力強く頷く。
「大丈夫です。時人さんの事、もう離しませんさかい」
 約束した葵が悪戯っぽく笑うと、ダイニングにいた全員が幸せな笑顔を浮かべた。
「じゃあ今度、長期休みの時にでも一緒に京都へ行って、葵さんのご両親にご挨拶してきなさい」
 食事が終わって時臣が紅茶を飲みつつ言うと、時人は知らない土地に思いを馳せ色素の薄い目を細める。
「じゃあ、春休みに考えたいと思います。きっと三月の終わり頃なら、もしかして桜が見られるかもしれませんし」
 時人が言うと、葵が胸の前で手を合わせてはしゃいだ。
「それ、ええですねぇ。私、京都の桜の名所調べときますね。観光と一緒にご案内します」
「あれ? 葵さん、地元なら名所とか知らないんですか?」
 ふと疑問に思って時人が眉を上げると、葵は照れ笑いを浮かべる。
「地元やさかい、滅多に桜見に行こうとかならへんのです。行事の時にお世話になるお寺さんや神社さんはありますけど、京都中にある神社仏閣をまわったりとか……しぃひんのです。時人さんも、東京にいはっても浅草とかタワー、行かへんでしょう?」
 葵が言うと「それもそうだ」と三人が笑う。
「あぁ、春が楽しみです。葵さんと一緒に桜が見られるなんて、嬉しいな」
 そう言って柔らかく笑う息子の姿を見られて、両親はただただ葵の登場に感謝するしかない。
 ほんの少し前まで、時人が笑ったところなど見た事がなかった。機械的に起きて、冷たい食事をとって、生気の抜けた人形のような顔で大学へ行っていた。
 たまに友達に誘われて合コンに行ってくると連絡があっても、楽しく話をしたとか酔ったとか、そういう話は聞かない。朝帰りをしたと家政婦から報告を聞いて、食事の時に「合コンはどうだったの?」と訊いても、何の感動もない顔で「別に」だけ。
 それに比べると、今の時人は人間らしい生き生きとした表情や喜怒哀楽が見える。美しい人形のようだった息子は、生気を含んだ人間になれたと、親ながらに思うのだ。
「葵さん、本当にありがとう……」
 京都の旅行本を開く二人を見て、香織は心からの言葉を呟いた。
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