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過去5-1

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 二〇一四年 二月

 時人が葵の命の主導権を握った事に、時臣は最初激怒した。だがやむを得ない状況での決断だと理解すると、これをちゃんと美作の家にも伝えなければと言う。
 美作の家からは相変わらず葵の生活費が振り込まれている。両家も二人が結婚するものだと思っているから、企業的にもプライベートでも懇意にしていた。
 だがそこに、愛娘が婚約者の手によって化け物になったとの話が入れば、どうなるかは誰にも分からない。
「お義父さま、私から両親にお話しますさかい、このお家に呼ばせてもろてもええですか?」
 聖夜に吸血鬼としての生を受けてから、葵はカーテンを閉め切った宇佐美の屋敷の中で過ごしていた。時臣が融通した血液パックを口にし、料理人が作る物はごく薄味から始まった。やがて時臣のように普通の食事もできるようにとリハビリ中だ。
「葵さんは後悔しないんですか?」
 若々しい姿の義父に、葵は人間だった頃と変わらない笑みを浮かべる。
「もし私が人間やなくなって両親に拒絶されたら、それはそれやと思うてます。このお家にもいられへんくなっても、それはそれやと思うてます」
 二度死にかけた葵の三度目の死は、化け物としての死だ。
 それがどれほどの苦しみを伴うかはまだ分からない。だが生まれたての彼女から、心構えだけはしっかりしておこうという気持ちが窺える。
「我々が葵さんを追い出す事はありませんから、安心してください。私と時人は葵さんの事を同族として大切にしますし、時人の婚約者としても大切にしたいと思っています」
 時人によく似た薄茶色の目は、これから義理の娘になる美しい葵を見ている。
「ほんまに私……。時人さんと、宇佐美のお家にご縁があって良かったです」
 優しい義父や義母、吸血鬼に理解のある家政婦に、そしてなによりも時人。その存在が今の葵を支えていた。
 大学にも行けないでいたが、大学側へは後藤に刺されたトラウマからの休学となっている。音楽大学に行けない代わり、葵はまた宇佐美家のピアノを奏でるようになっていた。
「私、人のままでいててもいつかは宇佐美の姓を名乗りたいと思っていました。両親が来てくれはったら、そのつもりですべてをお話します」
 まだ暗闇の中でしか生きられない葵は、照明を落としたリビングで闇に溶けてしまいそうな笑みを浮かべた。

 そして葵が実家に手紙を出し、両親の都合がついた二月の週末に美作の両親は宇佐美の家を訪れた。
 葵が両親に電話をできなかったのは、まだ電話を介しての電子的な人の声は葵の耳に刺激が強いのが原因だった。大切な事をメールで伝えるのも……と、手紙をよこしたのだ。
「葵ぃ、ほんまにお正月にも帰って来ぃひんでもぉ」
 相変わらず和服姿の昭と、こちらは普通にスーツにコート姿の仁は、久し振りになる娘との再会に涙ぐんでいた。
「お父さん、お母さん、堪忍です」
 スゥッと大好きな両親の匂いを吸い込む葵の鼻孔に、両親の血の匂いも混じり、彼女は内心「いけない」と首を振る。
「私いま、眩しいのに弱くてな。このお家暗くしてもろてん。そやけどええ?」
「別に私らはかまへんけど……。まぁご迷惑になって」
 申し訳なさそうな顔をする仁と昭に、迎え出た宇佐美家の人間はにこやかに「とんでもない」と謙遜した。
 応接室のテーブルには香りのいい紅茶やケーキが並び、美作の両親は京都の土産だと和菓子や漬物、お茶などを差し出した。
 両家とも相対する雰囲気は友好的で和やかだ。けれどまるで夜のようにカーテンを閉め切っている室内に、美作の両親はどうも不思議そうな表情だ。
「あの、葵は何や体調崩してるんですか? 術後の経過はええて聞いてますが、眩しいのがあかんとは聞いておまへんで」
 応接室には立派なシャンデリアがあるが、それに明かりは灯っていない。部屋の隅にある間接照明が、柔らかい光を放っているだけだ。後はテーブルの上にある古風な燭台に、蝋燭の灯が揺れている。
「お母さん、堪忍や。私も急な体調の変化で戸惑ってるのや。多分、ずっと寝込んだりしてたせいやね」
 葵がごまかすように笑うと、美作の両親も一応納得したように合わせて笑う。
 それから美作の両親は葵が世話になったとひたすら頭を下げ、それが終わってから葵の様子を宇佐美側が伝える流れとなる。
 去年の暮れまで調子が悪かったが、最近は少しずつ良くなってきたと伝えると、美作の両親はホッとした顔になった。そして情緒的にも安定したように思える娘に提案する。
「葵、そろそろ京都に戻ってきぃひん? 大学はまだお休みしててええさかい、このお家にいつまでもいててもご迷惑や。宇佐美の方々がええて言わはっても……ねぇ」
 以前そう言った時に、情緒不安定の葵から激しい抵抗を受けたのがあったからか、昭はやんわりと伝えてくる。
「お母さん……、その事なんやけど」
 葵は落ち着いていて、以前のようにすぐ癇癪を起こさない事に仁と昭は安堵した。だが二つ返事で頷かないのは、葵にも言いたい事があるのだろう。
「言いたい事があるなら、全部言いや。お互いにちゃんと言い分を理解してから、結論出さなあかんさかい」
 葵はチラッと時人を見て少し呼吸を整え、それから思い切って自分の身に起こった事を告白した。
「お母さん、私、もう昔の私やないの」
「なんやの? それ」
「私ほんまはな、クリスマスの夜に車に轢かれてもうたのや。鬱が酷くてもう嫌やて思って、時人さんの目を盗んでこのお家を飛び出たの。そしたら車に轢かれてもうて」
「葵……、なに、……なに言うてるのや」
 動揺している美作の両親を前に、葵も、宇佐美の家族も落ち着き払ったままだ。
「私、いっぺん人として死んでるのや」
「葵、ふざけたこと言うたらあかんえ」
 昭が言葉を鋭くしても、葵は言葉を止めない。
 こういう反応をするのが当たり前なのだと分かっているから、両親を納得させるまで自分はちゃんと説明する義務がある。
「時人さんが、私に新しい命を与えてくれはったの。もう死んでまいそうな私の血を吸って、代わりに私に自分の血を与えてくれはったの。今はまだ新しい体に馴染んでへんのやけど、そのうち光の当たる場所に出れるようになって、京都に帰るさかい」
「葵」
 まだこの子は鬱から治っていないのかと、昭は困ったように宇佐美の家族を見る。
「美作さん、葵さんは心が不安定でこう言っているのではなく、本当の事を言っています。宇佐美の一族に関わる秘密ですが、我々宇佐美家の男家系は、人ならざる命を持っています」
「宇佐美さんまで……。あぁ、もう。どういう事でっしゃろか」
 時臣までがそんなことを言い出してしまえば、葵がふざけているのではなく、真剣に聞かなければならなくなる。半ば諦めたように耳を傾ける美作の両親に、時臣はこの場にいる宇佐美の代表として、一族の秘密を打ち明けた。
「そんなことが……現実の現代に……」
 時臣が話し終えてから、ぼんやりとした声で口を開いたのは仁だ。のろのろと妻を見て、それから目の前にいる吸血鬼の一族と、そしてその従者になってしまった葵を見て、深い溜息をつく。
「葵は、いま光を浴びたらどうなるんですか?」
「映画の吸血鬼のように灰になったりはしません。我々の血も代を経て薄くなっていますから、人の血も混じって様々な事に耐性がついています。ただとても眩しく感じたり、日差しが強すぎると火傷のようになる可能性はあります」
 時臣は淀みなく答え、その間時人は責任を感じてずっと俯いていた。
「人の血を吸いたいって……、思ったりするの? 葵」
「……誰かを傷付けたいとは思わへん。欲しいのは、主人の時人さんの血だけや。後は衝動を抑えるために、お義父さまから血液パックもろてる」
 葵の返事に両親は何度目になるか分からない溜息をつき、それから沈黙してしまう。
「美作さん、気持ちの整理が必要だと思いますから、この場はお二人だけにしますね。私たちと葵さんは、リビングにいますから、落ち着きましたらいらしてください」
 時臣がそう言って礼をし立ち上がると、香織、時人、葵も立ち上がる。
 その姿がどうにも自分達と遠くかけ離れた存在に思え、昭は葵に縋るような目を向けた。
 だが葵は申し訳なさそうな顔をして会釈をし、時人と一緒に応接室を出ていく。最後に香織が一人残り、美作の夫婦に声をかけた。
「私は時臣さんに血を吸われず、人として生きています。世界中にはまだ彼らのような種族がひっそりと生きていると聞きます。ですが現在は昔のように魔女狩りのあった時代とは違います。お互いが賢くなり、共存して生き延びる事を目的としています。この日本の政治の中枢や、警察の深部にも、世界中の異種族の力が影ながら働いています。何よりも、私達は共存していける存在だという事をご理解ください」
 呆然とした美作夫婦の前で、四十半ば相応の外見をした香織は優しく微笑み、「それでは、お茶の用意をして待っていますね」と静かに応接室を去って行った。
 残された美作夫婦は、愛娘の身に起きた事を把握し、納得するまでその場に留まっていた。
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