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湖畔の語らい1

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「あ……っ」

 腰が立たなくなっていたコーネリアは、朝食室までレックスに横抱きされて運ばれ、何とか食事を取る事ができた。
 しかし紅茶を飲み終わり立ち上がろうとしたところで、ぺちょっと膝を突いてしまう。

「まったく君は体力がないな。よくそんな状態で一人で出掛けようとしたな?」

 言葉の後半については、「レイ様が昨晩あんなにも激しく求められたからです」と言い返したい。だが歯向かったところで、また甘いお仕置きをされてしまうに決まっている。
 心配げに近寄ってきたシンシアを制し、レックスはまたコーネリアを抱き上げた。

「それで? 捜し物とは何なんだ」

 レックスにはまだジョナサンが残した地図の事は言っておらず、なんと説明していいものか分からない。
 ルーリクとて、『仮面王』と呼ばれ恐れられているレックスに、自分がコーネリアに進言したと知られたくないと言っている。

 今までコーネリアが「ネイサンはレイ様のお側にいないのですか?」と尋ねても、曖昧にはぐらかされていた。レックスも彼の事を話したくないのかもしれない。

(それなら……)

 レックスと散歩に出るという体で、ジョナサンとの思い出を聞き出し、それを辿るしかない。

「さ、散歩……散歩をしませんか? お腹もいっぱいになりましたし、少し動いた方がお腹がこなれる気がするのです」
「それは構わないが……。君は歩き回れる状態ではないだろう」

 朝食室の窓辺にあるソファに腰掛け、レックスは膝の上にコーネリアを乗せている。
 使用人たちは食器を片付け始め、シンシアやレックスの従者などは少し離れた場所で控えていた。
 レックスに続いた騎士団も湖城に滞在していて、遠くから彼らのざわめきも聞こえる。

「ど、どうしてもレイ様と湖畔を散歩したかったのです」

 ここは我が儘な妻を演じてでも、彼を散歩に連れ出さなくてはいけない。
 レックスは少し考えるような顔つきをしたが、シンシアに声を掛ける。

「シンシア。湖畔で広げられるランチボックスなどを用意させてくれ。それまで目のつく所を歩いているから、急がなくてもいい」
「かしこまりました」

 コーネリアとシンシアたちは、二、三日分の食料しか持ってこなかったが、遅れてやってきた騎士団は捜索が延長する事も見越して、たっぷりと食料を荷馬車に積んできた。それを生かせばこの人里離れた湖城でも、レックスが満足する料理が出されるだろう。

「じゃあ……、ブラブラ歩くか」

 レックスは一度コーネリアを普通に座らせ、その前に膝を突いた。

「ん」
「え?」

 背中を見せた彼に何事かと首を捻ると、肩口で振り返った彼が腰の辺りで手をちょいちょいとさせる。

「おぶさりなさい。長時間歩くなら、背負った方が俺も楽だ」
「は、はい……」

 背中に身を預けるなど、子供の頃以来な気がする。
 レックスの逞しい首に腕をまわし、コーネリアは少し恥ずかしいが脚を広げて彼の腰を跨ぐ。

「立つぞ」
「ふぁ……っ」

 しっかりと腿の裏を支えられ、目線がグッと高くなる。

「どこへ行く? 我が妻よ」
「え、えぇと……では外へ」

「……君が日差しを浴びてしまうじゃないか」
「では一度日傘を取りに戻ります」
「了解した」

 コーネリアの荷物が置かれてある部屋へ向かう途中、さっそく彼女は当たり障りのないところから会話を始めてみる。

「レイ様はこの湖畔の城に来た事があるのですか?」

 廊下を進むレックスは、コーネリアの問いに少し沈黙する。

「……昔。戦争が始まる前はよく息抜きに来ていた」
「お一人で?」

 我ながら酷な質問をする、とコーネリアは自嘲した。

「……ネイサンがいただろう。宰相の息子の。何をするにもあいつが側にいた」
「覚えています。レイ様から下賜された指輪を大切にされていて、いつもにこやかに私たちを見守ってくれましたね」
「…………」

 だがコーネリアの言葉に、レックスは何も言わなかった。

「彼にはとても恩義を感じているのです。バンクロフトが戦火に包まれたなか、ネイサンはシンシアを伴って私を迎えに来てくれました。もちろん、レイ様のご指示だと分かっていました。それでも実際行動に移した彼ら夫婦を、私は恩人だと思っています」

 自分がジョナサンを褒めれば褒めるほど、レックスはいま負の感情に囚われているのだろう。
 愛する人を苦しめていると知りつつも、コーネリアは昔の思い出も絡めて何とかレックスの誤解を解きたかった。
 命を賭けてまで忠義を尽くしたのにその主に手打ちにされ、死後もなお誤解されたままというのは惨すぎる。

「俺は……、あいつを許せない。あいつさえ失敗しなければ、俺は君を失わなかった」
「…………」

 やはりレックスは、ジョナサンについて誤解している。
 そして無二の親友よりも、コーネリアに重きを置いての結果が今に至っているのだ。

 コーネリアはおぶさったまま夫をギュッと抱き、何と言葉を伝えれば良いのか考える。

 その間もレックスはコーネリアが泊まっていた部屋に向かい、ひとまず彼女の日傘を得て外へ向かった。





 やはりレックスの背中におぶさったまま、コーネリアは彼と一緒に日傘の下にいる。
 湖畔を吹き抜ける風はときおり強く、白いレースの日傘がフワッと持っていかれそうになった。

「この辺りで休むか」

 レックスは一本の木の根元にコーネリアを下ろし、自分もその隣に腰掛ける。衣服に草の汁が付かないように、あらかじめシンシアが敷物を用意してくれた。
 自然とレックスの腕が伸びてコーネリアの腰を抱き寄せ、彼女は頭を夫の肩に預ける。

 自分が言おうとしている事さえ除けば、この上なくロマンチックで爽やかなデートになっていただろう。
 だがここでコーネリアは、ジョナサンの忠義の証しを見つけなければいけない。

 それにはまず、レックスから二人の思い出を聞く必要があった。

「あの日……。ネイサンとシンシアが私を迎えに来てくれた時のことを、お話しても良いですか?」

 夫の腕に手を絡ませ、澄み渡った湖面を見つめたままコーネリアが呟く。ほんの僅かに、妻の腰を抱くレックスの手に力が入った気がした。

「……事実は変わらないだろう。あいつは自分の命惜しさに、君とシンシアをグランヴェルに売り渡した」
「それは……っ。違うのです! だってレイ様はあの場にいなかったでしょう? なぜそのように決めつけられるのですか? ちゃんと私の……妻の話を聞いてください!」

 レックスの腿に両手を置き、コーネリアはひたと夫を見つめた。
 妻のこの上なく真剣な目に見つめられ、レックスが戸惑い――やや渋ってから頷く。

「分かった。君の言う通りだ。俺はその場にいなかった。俺は……ガイの言葉を信じ、あいつがどういう事をしたか決めつけていた。それは認めよう」

 話を聞いてくれそうな雰囲気になり、コーネリアはホッと安堵の息をついた。
 何をどう説明しても、レックスがジョナサンを勘違いしていたのは明白だ。真実を知れば、レックスは自分の手で親友を斬り殺した事を後悔し懊悩するだろう。

 一体どうすれば、レックスに傷を与えず伝えられるのか。

 コーネリア自身も悩みつつ、「私の膝に頭を乗せてください」と夫を膝枕した。

 しばらくコーネリアは夫の黒髪を指で梳り、眼前に広がるラドフォードの美しい風景を眺める。ネティ湖は大きな湖で、二人がいる場所からは湖がまるい形をしているのが分かる。左右の岸辺がずっと続いた先に森があり、さらにその奥には万年雪を被っている青い山脈が見えた。

「ネイサンとシンシアの夫婦は、本当にレイ様に忠義を尽くした二人でした。あの晩は雨がひどく降っていて、目の前に立っている者の顔の判別すらつきにくい状態でした。二人に迎えられ、私は馬車に乗り込みラドフォードを目指しました。ですがその途中で、グランヴェルの隊に追いつかれてしまったのです」

 レックスは妻の声を聞きながら、ドレスごしに彼女の太腿や膝をなんとはなしに撫でていた。

 コーネリアの声を聞き匂いを嗅いでいると、レックスはとても落ち着く。

 妻の柔らかな太腿に頭を置くこの体勢でなら、思い出したくもない裏切り者の話も聞けるような気がした。
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