時戻りのカノン

臣桜

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未来を変えないと

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「母はベビーシッターを雇って私の子育てを手伝ってくれた。でもそのうち私の子育てに口出しするようになってきて、『もう関わらないでほしい』と言ってしまったの。母と酷い喧嘩をしたあとも、私は周りの人の手を借りて何とか子供たちと生きてきた。でも疲れていたのね。……ちょっと目を離した隙に、梨理は車に轢かれてしまった」

 そこまで話して、洋子はお茶を飲む。

「それも、梨理にはピアノの英才教育を施そうと思って、嫌がるあの子に無理にピアノを教えていた時だった。小学校が始まったばかりで、他にもっと遊びたい事があるのに、私はあの子に強制してしまった」

 祖母の後悔を知り、花音は唇を噛む。

「『お母さんもピアノも大嫌い!』と言って家を出て行ったあと、あの子はマンション前の道路で轢かれたわ」

「……ごめん……」

 思わず花音は祖母の腕を掴む。

 そんな孫に向かって、洋子は緩く首を横に振った。

「つらい思い出だけれど、もうある程度諦めはついているの。今は花音たちもいるし、私は幸せだわ」

 そう思えるようになるまで、どれだけつらい期間を過ごしただろう。

 想像を絶する苦しみに、花音は自分の質問を後悔した。

「そのあと、啓司とは酷い喧嘩をしたわね。私は子供を喪ったショックと、ピアノをまともに弾けないストレスで病んでいた。啓司は父親として『なんでちゃんと梨理を見ていなかった』と私を責めた。啓司は自分の都合で帰って来た時だけ梨理を可愛がって、あとの責任はまったく取っていなかった。都合のいい時だけ父親の〝役〟をしていい気になっていたわ。だから私も色んなものが爆発して、言葉の限り彼を責めてしまった。……結果的に、私と啓司の中は修復不可能になった」

 聞いているだけで、胸が痛くなる。

 花音が気まずい顔をしていたからか、洋子は軽やかに笑った。

「そのあと、私は心機一転北の地に行ったわ。東京の実家とも疎遠になって、私の事を知らない人が多い土地で一から始めたの。私にできる事は、ピアノだけ。子育てもあるから、まずはピアノ教室を開く事にしたわ。幸いお金だけは、たんまり貯めていた。当時はまだ広々としていた土地に、思い切って自分の城を建てた。それから札幌で生活しているうちに、あなたのお爺ちゃんと出会ったのよ」

 そこで自分の祖父が出て、花音は〝今〟の自分に繋がるルーツを知る。

「あとは大体、花音が知っている通り、あなたのお母さんや叔父さんたちが生まれ、この土地で家族を増やしていった」

 大変な苦労をしたのだな、と痛感し、花音は何も言えない。

「私が『楽しく学ぶのが一番』というスタイルで教室を経営している理由には、そういう背景があったの。……でも、今も昔も変わっていないわね。つい身内には厳しくなってしまう。それで花音ともろくに話せない生活になってしまって、とても後悔したわ」

「……もういいよ。話してくれてありがとう。……ごめんね」

 やりきれなくなった花音は、洋子の背中をさすった。

 祖母は微かに滲んだ涙を拭い、もう一口お茶を飲んで笑った。

「当時、梨理のために買ったアップライトが、練習室Cの黒いピアノなの。だからあのピアノを弾いていると、あの子と対話できる気がする」

 すべてを聞き、花音は納得した。

 亡くなった梨理も、きっと大好きな母に伝えたい事があったはずだ。

 その想いが、あのピアノを通じて花音の時を戻したのかもしれない。

 ――と、「海江田さーん、そろそろお食事ですよ」と看護師が部屋を覗いた。

 気が付けば、院内に食事の匂いが漂っている。

「……あぁ、ご飯……。ごめんね、すっかり長居しちゃった」

「いいのよ。話せて良かったわ」

 本当はもっと話したかったが、何となくこの話を聞いた上でさらに留まるのはやめておいた方がいいと判断した。

「じゃあ私、そろそろ行くね。また近いうちに来るから」

「気を付けて帰りなさいよ? あなたはそそっかしいんだから」

「うん」

 微笑んで手を振り、花音は病室から出た。

 そそっかしいは、ピアノのレッスンの時によく言われた言葉だ。

 速いテンポで正確に……と心がけるあまり、指が転んでしまう事が多々あった。

 そのたびに洋子は「焦らないで、遅いテンポで完璧に弾けるようになってから、速くすればいいのよ」と言っていた。

 外に出ると、夕焼け空がとても美しかった。西の方で空が紫から濃いピンク、オレンジ色へとグラデーションになり、雲の縁が金色に光っている。

(話せて良かったな)

 駅に向かって歩きながら、花音は心の中で呟く。

 この機会がなければ、また後悔して泣くところだった。

(けど、放っておいたら、お祖母ちゃんはまた心臓の発作で死んでしまうかもしれない。時間を戻っただけじゃ駄目なんだ。未来を変えないと)

 果たしてそれが正しい事なのかは分からない。

 しかし梨理が背中を押してくれて、今の自分がここにいる。
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