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番外編
ある日の死神元帥と新妻1
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シャーロットは暗い面持ちで窓から外を見ていた。
先ほどまでギルバートに客があり、シャーロットも妻として応対していたのだが、それがより一層彼女を落ち込ませたのだ。
相手はとある侯爵夫人。
口元にほくろのある色っぽい美女で、年の頃は二十代後半から三十路に差し掛かろうとするあたり。
何やら『相談』があってギルバートを訪ねたらしく、話の本題の時はシャーロットはやんわりと応接室から追い出されてしまった。
艶々とした黒髪を豊かに結い上げ、濡れた目元や赤く塗られた唇が扇情的だ。
帰り際にギルバートと一緒に見送りをしたのだが、その後ギルバートは「仕事ができた」と言って執務室に籠もってしまった。
「奥様、そうお気を落とされないでください。あれはただの相談事ですよ。相手が単純に色っぽいだけですから」
アリスが慰めなのか何なのか分からない事を言う。
二度目の蜜月も終わり、ギルバートと一緒にアルトドルファーのバッハシュタイン領を訪れた後のこと。
渦中の人であったベネディクトが健在だと知り、シャーロットは飛び上がりたいほど嬉しかった。エリーゼは顔を真っ赤にしてギルバートを睨みつけ、「心よりお礼を申し上げますわ」とツンツンして礼を言っていた。
ゴットフリートは逆に疲れ切った様子で頭を抱え、弟のベネディクトだけがニコニコしている。
それはともかく落ち着いた頃に、美味しい乳やチーズを使った料理を振る舞われ、濃厚なアイスクリームにベリーをまぶしたものも出された。
「ここで見聞きした事は、くれぐれも他言無用で」
ギルバートに言われると、シャーロットはコクコクと頷いた。
きっと大逆人になった後、悲劇の人となったベネディクトが生きているのも、夫であるギルバートが暗躍したお陰なのだ。
エリーゼもゴットフリートも愛する人に会えて喜んでいるし、バッハシュタイン家の人々もギルバートに平身低頭という様子だ。
こののどかな山間領で、ベネディクトのことは固い秘密となっているようだった。
それならば、シャーロットも妻として口を閉ざさなければと思う。
父は十月堂事件のことでとても心労を負っていた。父にもう心労を抱えなくていいと言いたい気持ちもあるが、その前にシャーロットはギルバートの妻である。
夫を第一に支え、夫の言う事をなんでも聞く。
――なのだけれど。
「……ギルさまの交友関係にまで、私が口を出したらいけないのよね」
はぁ……と物憂げに溜息をつき、シャーロットは自分の吐息でできてしまったガラスの曇りを見つめる。
すぐに小さくなって消えた曇りのように、自分の心が晴れるとは思えなかった。
「ギルさまが浮気をしているとか思いたい訳じゃないの。ただ……あの方、とても魅力的だったから……」
窓の外はギルバートと結婚して、二度目の秋を迎えようとしていた。
木々の葉が黄色くなっていく寂寥感が、より一層シャーロットを悲しくさせる。
「ギルバートさまは奥様のことがお好きなのですよ? 正反対の魅力を持つあの方を、女性としてどうこう思われるはずがありません」
アリスは内心、ギルバートがシャーロットのような可愛らしい女性が好みなのに、最初驚いていた。
なるほど二十歳を超えたばかりの女性が好みなら、今まで縁がなかったのも頷ける。
それを主に伝えると、「私を少女趣味だと思っていたのか」と不満げに睨まれた後、「違うんだ」と首を振られた。
いわく、シャーロットだけが初めてギルバートを怖がらず、真っ直ぐ純粋な目を向けてきた。その存在そのものに惹かれたのだと言う。
「そうかしら……」
けれどシャーロットの目に、あの色気過多とも言える夫人は、嫉妬の対象でもあり憧れでもあるのだろう。
ふと、アリスはいいことを思いついた。
「では奥様、こうしてみませんか?」
シャーロットの隣に立ったアリスは、こそこそと女主人の耳元に『思いつき』を囁いた。
**
執務室にいたギルバートは、客人から持ちかけられた相談事を解決すべく、過去の書類に目を通していた。
依頼は夫人の夫――侯爵が、とある貴族に脅されて金品を巻き上げられているかもしれないということだった。
それだけだったら別の機関を紹介するのだが、何やらその貴族は軍の一部を巻き込んで賭博をしているかもしれない……。という話もあり。
正直ギルバートにとって、部下が賭博で破綻しようが個人の自由だと思っている。だがそうなると上官に泣きつかれることが多いので、ほどほどにするように言うことも多い。
また王都を警備する軍隊の一部には、怪しげな店を摘発する部署もある。
なので面倒なのだが、一応夫人の依頼を請け負ったのだ。
夫人の夫が関わる貴族たちの名簿を、ギルバートのみが知る書類の中から見つけ出そうとしていたのだが――。
そこに遠くからシャーロットの声が聞こえたような気がした。
「ん」とギルバートの視線が上がり、耳を澄ます。
「美味そうですね」と部下たちの声がするのを聞くに、何か差し入れでも持ってきたのだろうか?
妻の気遣いにフッと口元に笑みが浮かんだが、次に聞こえてきた言葉でそれはサッと消えてしまった。
「お一つどうぞ」
その後少しの沈黙があった後、和やかに笑って「美味いです」と言う声がある。
話し声からするに、シャーロットと部下が複数人。
「…………」
嫉妬で苛々し、ギルバートは自ら出向いて部下たちを追い散らしたくなるのを堪えた。もうちょっと待てばシャーロットがここに来る。
それからすべてを判断しても遅くはない。早計に物事を判断するのは、すべての損に繋がる。同時にこちらはゆっくり考える時間が生まれる。
忍耐強いのは、自分の長所だと思っている。
けれど殊更シャーロットに関しては、その気の長さも燃えの早い蝋燭のようになっているのだが……。
やがてワゴンを押す音と共に、シャーロットが姿を現した。
「…………」
が、その姿にギルバートは彼らしくもなく、瞠目して固まった。
秋の訪れを意識したからか、シャーロットは深いワインレッドのドレスを着ていた。
しかしそれは外出する時いつもシャーロットが着ているパニエなどを要するものではなく、ちまたで噂らしいシュミーズドレスと呼ばれるものだ。
硬いファウンデーションを用いないそれは、体の線や胸元の盛り上がりが直に分かり、一部の年嵩の夫人には不評だ。
いまシャーロットが着ているのは、薄い生地でもベルベットを使った物なので、やや厚地ではあるのだが……。
胸元が大きく開いて谷間が見えている面積も、いつもより広いような気がする。
ギルバートは特にシャーロットの服装について、とやかく言うつもりはない。自分の目の前だけでなら、娼婦の間で流行しているというヒラヒラした下着もつけてほしいと思っているほどだ。
けれどこれは――。
先ほどまでギルバートに客があり、シャーロットも妻として応対していたのだが、それがより一層彼女を落ち込ませたのだ。
相手はとある侯爵夫人。
口元にほくろのある色っぽい美女で、年の頃は二十代後半から三十路に差し掛かろうとするあたり。
何やら『相談』があってギルバートを訪ねたらしく、話の本題の時はシャーロットはやんわりと応接室から追い出されてしまった。
艶々とした黒髪を豊かに結い上げ、濡れた目元や赤く塗られた唇が扇情的だ。
帰り際にギルバートと一緒に見送りをしたのだが、その後ギルバートは「仕事ができた」と言って執務室に籠もってしまった。
「奥様、そうお気を落とされないでください。あれはただの相談事ですよ。相手が単純に色っぽいだけですから」
アリスが慰めなのか何なのか分からない事を言う。
二度目の蜜月も終わり、ギルバートと一緒にアルトドルファーのバッハシュタイン領を訪れた後のこと。
渦中の人であったベネディクトが健在だと知り、シャーロットは飛び上がりたいほど嬉しかった。エリーゼは顔を真っ赤にしてギルバートを睨みつけ、「心よりお礼を申し上げますわ」とツンツンして礼を言っていた。
ゴットフリートは逆に疲れ切った様子で頭を抱え、弟のベネディクトだけがニコニコしている。
それはともかく落ち着いた頃に、美味しい乳やチーズを使った料理を振る舞われ、濃厚なアイスクリームにベリーをまぶしたものも出された。
「ここで見聞きした事は、くれぐれも他言無用で」
ギルバートに言われると、シャーロットはコクコクと頷いた。
きっと大逆人になった後、悲劇の人となったベネディクトが生きているのも、夫であるギルバートが暗躍したお陰なのだ。
エリーゼもゴットフリートも愛する人に会えて喜んでいるし、バッハシュタイン家の人々もギルバートに平身低頭という様子だ。
こののどかな山間領で、ベネディクトのことは固い秘密となっているようだった。
それならば、シャーロットも妻として口を閉ざさなければと思う。
父は十月堂事件のことでとても心労を負っていた。父にもう心労を抱えなくていいと言いたい気持ちもあるが、その前にシャーロットはギルバートの妻である。
夫を第一に支え、夫の言う事をなんでも聞く。
――なのだけれど。
「……ギルさまの交友関係にまで、私が口を出したらいけないのよね」
はぁ……と物憂げに溜息をつき、シャーロットは自分の吐息でできてしまったガラスの曇りを見つめる。
すぐに小さくなって消えた曇りのように、自分の心が晴れるとは思えなかった。
「ギルさまが浮気をしているとか思いたい訳じゃないの。ただ……あの方、とても魅力的だったから……」
窓の外はギルバートと結婚して、二度目の秋を迎えようとしていた。
木々の葉が黄色くなっていく寂寥感が、より一層シャーロットを悲しくさせる。
「ギルバートさまは奥様のことがお好きなのですよ? 正反対の魅力を持つあの方を、女性としてどうこう思われるはずがありません」
アリスは内心、ギルバートがシャーロットのような可愛らしい女性が好みなのに、最初驚いていた。
なるほど二十歳を超えたばかりの女性が好みなら、今まで縁がなかったのも頷ける。
それを主に伝えると、「私を少女趣味だと思っていたのか」と不満げに睨まれた後、「違うんだ」と首を振られた。
いわく、シャーロットだけが初めてギルバートを怖がらず、真っ直ぐ純粋な目を向けてきた。その存在そのものに惹かれたのだと言う。
「そうかしら……」
けれどシャーロットの目に、あの色気過多とも言える夫人は、嫉妬の対象でもあり憧れでもあるのだろう。
ふと、アリスはいいことを思いついた。
「では奥様、こうしてみませんか?」
シャーロットの隣に立ったアリスは、こそこそと女主人の耳元に『思いつき』を囁いた。
**
執務室にいたギルバートは、客人から持ちかけられた相談事を解決すべく、過去の書類に目を通していた。
依頼は夫人の夫――侯爵が、とある貴族に脅されて金品を巻き上げられているかもしれないということだった。
それだけだったら別の機関を紹介するのだが、何やらその貴族は軍の一部を巻き込んで賭博をしているかもしれない……。という話もあり。
正直ギルバートにとって、部下が賭博で破綻しようが個人の自由だと思っている。だがそうなると上官に泣きつかれることが多いので、ほどほどにするように言うことも多い。
また王都を警備する軍隊の一部には、怪しげな店を摘発する部署もある。
なので面倒なのだが、一応夫人の依頼を請け負ったのだ。
夫人の夫が関わる貴族たちの名簿を、ギルバートのみが知る書類の中から見つけ出そうとしていたのだが――。
そこに遠くからシャーロットの声が聞こえたような気がした。
「ん」とギルバートの視線が上がり、耳を澄ます。
「美味そうですね」と部下たちの声がするのを聞くに、何か差し入れでも持ってきたのだろうか?
妻の気遣いにフッと口元に笑みが浮かんだが、次に聞こえてきた言葉でそれはサッと消えてしまった。
「お一つどうぞ」
その後少しの沈黙があった後、和やかに笑って「美味いです」と言う声がある。
話し声からするに、シャーロットと部下が複数人。
「…………」
嫉妬で苛々し、ギルバートは自ら出向いて部下たちを追い散らしたくなるのを堪えた。もうちょっと待てばシャーロットがここに来る。
それからすべてを判断しても遅くはない。早計に物事を判断するのは、すべての損に繋がる。同時にこちらはゆっくり考える時間が生まれる。
忍耐強いのは、自分の長所だと思っている。
けれど殊更シャーロットに関しては、その気の長さも燃えの早い蝋燭のようになっているのだが……。
やがてワゴンを押す音と共に、シャーロットが姿を現した。
「…………」
が、その姿にギルバートは彼らしくもなく、瞠目して固まった。
秋の訪れを意識したからか、シャーロットは深いワインレッドのドレスを着ていた。
しかしそれは外出する時いつもシャーロットが着ているパニエなどを要するものではなく、ちまたで噂らしいシュミーズドレスと呼ばれるものだ。
硬いファウンデーションを用いないそれは、体の線や胸元の盛り上がりが直に分かり、一部の年嵩の夫人には不評だ。
いまシャーロットが着ているのは、薄い生地でもベルベットを使った物なので、やや厚地ではあるのだが……。
胸元が大きく開いて谷間が見えている面積も、いつもより広いような気がする。
ギルバートは特にシャーロットの服装について、とやかく言うつもりはない。自分の目の前だけでなら、娼婦の間で流行しているというヒラヒラした下着もつけてほしいと思っているほどだ。
けれどこれは――。
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