たくさんのキスをして

白井はやて

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6. 贈り花

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 一人になりたくないと言った人を見送ることさえできず、朝起きたときにはもう彼は姿を消していた。
 痕跡も残さず、存在していたのはまだ微かにある残り香のみ。
 仕事だから仕方ない。
 昨夜はどこか焦るような見たことのない不安な顔を浮かべてしまうような何かがあった『一人になりたくない』ベリルを、眠る際に抱きしめた。

「こうすれば一人ではない気がするでしょ?」

 なんてことを言って。
 家を出るとき多少は落ち着いていただろうか、そんな心配と。
 何も言わずに去られた寂しさとで、ほんの少しだけ落ち込みながらもアゲートは祭りの中日だというのに外へ出る気力もなくて昼過ぎまでただベッドに寝転びながらぼんやり過ごしていた……が、さすがに昼を過ぎた頃には空腹に耐えきれなくなった。
 そういえば夕飯もまともに食べていなかったなあなんて彼女は考えてから、微かに聞こえる祭りの賑やかな音楽に目を閉じて聞き入ってから、ようやく起き上がると出かける準備を始める。
 集合住宅はフォルナクスの町の中では北西部に位置するため、複雑な路地を歩いて通りに出たところで飲食系の露店が並ぶ通りへ歩き出そうとした彼女の背に声が掛かった。

「アゲートちゃぁん! 会いたいと思っていたら姿を現してくれるなんてやっぱり運命かな! 運命だね! よっし、オレっちと一緒に愛と運命と花についてあつーーく語り合おうか!!」

 そこに居たのは花屋ラリッサの店長をしている、ジルだ。
 相変わらずいつもの花がらベストが目を引くが、それ以上に面倒に思える掛け合いにうんざりと彼女はため息。
 客らしき人の相手を終えたところなのか、店先を離れていく女性客へ「ありがとおおお!」と両手を振りながら叫ぶようにお礼を告げてからまたこちらへと顔を向けるので、表情を変えずに返事する。

「語り合うことないんだけど」
「春祭りのときくらい熱く語ろうよー! というか熱く語り合って仲を深めるのも良いんじゃない! そうしようか! うん、妙案だよね!」
「いつも暑苦しいね」
「えー、そんな褒めないで!」

 営業スマイルを浮かべるアゲートの冷めた言葉を一切聞いていないのか、何故か照れ顔で黄色に近い金髪頭を手で掻く。
 家から路地を通り抜けるときはできるだけここへ抜けないようにしているのだが、ぼんやりとしてしまっていたので間違って出てしまったようだ。アゲートの姿を見かけると、毎回この調子なので、ある意味で達観していると彼女も思わずにはいられない。

「悪いけど、あんたの調子に付き合える気分じゃないから」
「えええ、そんな冷たいこと言わないで! 店内でお茶でもどう! ほらほら!」
「だから、店内には入らないって…」
「アゲートちゃん宛てに注文された花籠あるんだよ~! 入ってどうぞ!」
「ウチ宛て?」

 誰から? 花籠?
 背を押されるので抵抗していたものの、その言葉を聞いてアゲートは強い抵抗を止めて諦め顔で店内へ。
 祭りの音楽が店内でもよく聞こえてくる中、ささっと椅子を準備され、そこへ座るように促されたまま彼女は腰掛ける。
 座ってから、店内へ誘い込むジルの巧みな話術だったのではないかと訝しんでいると。
 にこにことした笑顔を浮かべながら奥の部屋へ入っていったジルが確かに花を入れた籠を持って戻ってきた。
 籠はちょうど両手のひらに収まるほどの大きさで、紐を編んで作られたような外装をしており、取っ手が付いている。花が枯れれば小物入れに使えそうな籠だ。

「はい、どうぞ!」
「え、と……誰から」

 困惑しつつ受け取っても大丈夫なのだろうかと不安を覚えていると、籠の中からジルが小さなカードを取り出して手渡してきたので受け取る。
 見ると、ベリルの名と『お詫び』とだけカードに書かれていた。
 お詫びの意味は理解できないが、好きな相手からの花。
 それを認識した途端、アゲートの表情が明るくなり、瞳が輝き出す。

「ベリルから!? え、嘘、なんで、いつの間に! えーどうしよう花貰っちゃった!!」
「驚くほどの変わりよう!」

 爆笑したジルから改めて花籠を受け取る。
 同じ花だがピンク、白、黄、青と可愛らしい色合いでまとめられているので、食い入るように彼女が見つめ続けているのでジルが笑う。

「ニュームという花だよ、可愛らしいよね。やっぱり花は女性の手にあるとますます輝くねぇ!」

 五枚から六枚の花びらとその中心に向かって色合いがグラデーションとなっていて可愛らしい小さな花を見つめたあと、彼女は顔を上げた。
 輝いている目は変わらないものの、少し涙ぐんでいる。

「ど、どうしよう嬉しすぎて泣けてきたんだけど…!」
「うんうん、花を贈られるってたまらないよね!」
「ねえジルこういうのって長持ちさせるにはどうしたらいい? これって生花でしょ? そんなに長持ちはしないよね?」
「そうだねぇ、完全に乾燥させてからオイルに漬ければ数年は保つよ」
「それ、ウチにもできる?」
「教えるから大丈夫」

 ジルの言葉に、アゲートは目を潤ませながらも花籠をそっと抱きしめる。
 初恋の相手を追いかけて家出同然で故郷を飛び出し、ここフォルナクスまで追いかけてきた。でもたどり着いて知ったのは、好きになった相手が既婚者で。
 自分が一方的に好きになっただけで、相手は勘違いするような素振りもしていなかったことにその時点でようやく気がついた。
 だから好意を持った相手から贈り物を貰うこと自体がアゲートには初めてのことで、涙が出るほど嬉しくてたまらない。

「祭り期間中はお世話さえすれば枯れたりしないから、しばらく家で飾ってから改めて持ってきたらいいよ」
「うん、ありがとう。お世話って水をあげればいい?」
「ああ、そこから説明するよ。いいね、喜ぶ姿を送り主に見せられないのはとても残念だよー!」
「ありがと。……でもね、ベリルは見ても特に何も思わないかもしれないし、これで良いんだよ。ウチが勝手に喜んでるだけ」

 涙目で笑ってから大事に花籠を抱えて、つい先程歩いた路地を進んで彼女は家へと戻る。
 空腹で外へ出たはずだったが、花籠が嬉しすぎてすっかり舞い上がり、アゲートは自宅へ戻ると不思議な形状のタンスの上へと置いた。
 だが思ったより小さくないタンスのせいで高さの低い花が見づらいため、今度は窓際に置いたままの空の花瓶横へ移動させる。
 まだ春とは言え窓辺で光が差し込んでいるので、枯れてしまうかもしれないと考えた彼女は早めにジルから教えてもらって花を保存しようと眺めながら考えて窓際に飾った花籠を見つめて。
 一人で微笑んだ。

 
 ――……夕方になり、改めて花屋経由で食事を摂るため家を出た。
 仕事が始まればなかなか花の世話も思ったよりできないだろうし、早めにオイルへ漬けてもいいか、その作業をするならどれくらいの時間が掛かるのか。それらをジルに確認して、翌日の祭り最終日から早速色々と取り掛かることになった。
 まずは乾燥させなくてはいけないので、乾燥前に花を丁寧に洗っていく。
 乾燥は一週間ほどで終わるだろうということだったので、アゲートはその頃にまた訪れることをジルへ伝えると、乾燥させた花を入れる透明のガラス瓶を幾つか準備してくれて、その中から好みの形を選ばせてもらうことに。
 色々な形のガラス瓶の中から、底が少し広くて安定しそうなものを彼女は選ぶ。
 ガラス瓶の必要な処理はしておくよー! とハートが飛んでくるような弾む声でジルのほうから宣言してくれたので、ありがとうとお礼だけいつもの営業スマイルで告げると家に帰った。
 その頃にはもう祭りはほぼ終わりを迎えていて、多くの賑わう声が聞こえながらも片付けが始まっていた。
 毎年楽しみにしていた過ごし方とは違ったが、初日に腕を組んで祭りを楽しめたことと、花を贈ってもらえたことが何より嬉しく思えて。
 きっと今年の春祭りは忘れられないだろうと彼女はベッドに腰掛けて自室の窓から薄暗くなった空を見上げる。
 チカチカと煌めく星が見えた。
 
 
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