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8. 知人から聞く彼の情報
しおりを挟む春祭りからふた月は過ぎた頃。
時折日差しを熱く感じる日も出てきているような時期となってもアゲートはいつも通り、昼から仕事。
ベリルとの一件から一夜を共にする仕事を続ける気にはなれず、今ではほぼ辞めていて、昼からの仕事をメインに据えてきていた。
変な男と関わることが無くなったためか、精神的にも疲れにくくなってきていて、無理していたんだなとアゲートは酒場で働きながら改めて感じていたのだが。
昼と夜の合間の休憩時間に、同じ従業員であり仲良くしてくれていた先輩でもあったコスモが近寄ってくるなり怒りの形相で突然左頬へ平手打ちをしてきたので驚いた。
「こ、コスモさん?」
「あんた、アタシの彼と寝たんだってね?」
「え……――」
どの人? 一瞬驚きはしたものの、アゲートはすぐそんな疑問が頭を過った。
驚くほど冷たい目でアゲートを睨みながら、コスモは続ける。
「最近彼がずっと苛立ってるから理由聞いたら、あんたとしてから忘れられないとか言われてるアタシの身にもなれよ!」
「え、えっと…………すみません」
「あんたなんか一夜の仕事誘うんじゃなかった!」
叫ぶようにそう言って、コスモが従業員用の部屋から出ていく。
周囲には他の従業員もいたが、しんと静まり返っている。視線を感じたアゲートはいたたまれず、そっと部屋をあとにして酒場の表へ。
放置された椅子とテーブルにはすでに人がいて昼から酒を飲んですでに酔っている様子で大声を上げていたので、そこからまた移動した。
今はもう辞めた、とはいえ、実際どこかのタイミングで関係を持ったのは明らかなのだろう。
恋人を持つ人が来るとは情けないことに考えていなかったアゲートはため息を吐きつつ空を見上げて、大きく深呼吸をしてから酒場へ戻る。
周囲の給仕仲間からの視線は痛くて仕事はやりにくいだろうが、忙しいおかげで余計なことを考えなくてもいいのはありがたい。
給料もそこそこに良いし、賄のおかげで食事代はかなり支出を抑えられているので、辞める選択は今のところ考えていない。
せっかく仲良くしてくれていたから寂しいという気持ちはあったが、怒らせてしまったのであれば仕方がない。たぶんこれは修復不可能だ。
ため息混じりで従業員用の部屋に戻り、夜からの仕事のためにテーブルにある賄を適当に選んで口に放り込んだ。
そんな左頬がじんわりと痛む日の夜。
「……!!!」
酒場の端に若い男女と一緒にテーブルを囲むジャスパがいることに気がついた。
その若い男女は最近よく一緒に食事をしに来ていたが、ジャスパが一緒にいるということは仕事を一緒にするのだろうか。
だが彼らの近くにベリルはいない。
思わず周囲を見回したが姿は見えない。
話を聞きたいが、アゲート本人も仕事中ではあるし、仕事の話をしていたら邪魔になる。そこはさすがに弁えているので、ドキドキとする心臓を何度も落ち着かせるために深呼吸した。
話す機会はないかなと思いつつもそわそわとしてその日は結局仕事を終えて、忙しくて動き回っている間にジャスパたちはもう帰っていたようで姿は見えなくなっていた。
帰っては来たけど、相変わらず忙しそうだから話すのは無理かもしれない。
ベリルのことを聞きたかったなと夜の家路についた。
そして次の日もいつも通り、いつものように仕事をこなす。
昼は食事をメインにしているため酒の提供は少ないものの、訪れる客の数は夜よりも多い。
バタバタと忙しく料理を運んで、片付けて、精算して……同じことの繰り返し。
仲良くしてくれていたコスモは休日のようで姿もなく、他によく話す人もいないためにぼんやりと従業員用の部屋で時間を過ごす。
そうやって夜を迎えた頃、ふらりとジャスパが酒場に姿を現した。
メニュー表を持ってアゲートを手招くので、注文だろうと駆け寄ると。
「注文を悩んだ風にしてるから、今のうちに聞きたいことあればどうぞ?」
昨夜チラチラ見ていたことに気づいていたらしかったジャスパはメニュー表からアゲートへちらりと目を向けて、イタズラっ子のように笑うので彼女もメモ用紙を握りしめつつ簡潔に聞く。
「ベリルは一緒じゃないの?」
「アイツは今、ちょっと故郷に戻ってる。昨日妹の件で呼び出したから近々フォルナクスへ戻るんじゃねえかな」
「……!! 近いうちに戻るの?」
「そう。つーか祭りのときも聞いたけど、ほんといつの間に仲良くなったん?」
ニヤついているのが分かって、アゲートは顔が熱くなった自覚をしながら呟いた。
「ウチが勝手に好きになっただけだよ」
「……昔はさぁ、そんな言い方してなくね? いつから、ウチ、になった?」
「そう、…だっけ?」
いつから、と問われて少し考え込むものの、ジャスパからの言葉に思考は停止する。
「まいいや。好きになるのはいいが、アイツは相当面倒だぞ」
「そうなの?」
「秘密主義者だし、長く生きてる癖にあれこれ初心者でなあ。まあ仕方ない環境ではある」
「……」
「何その顔」
「ジャスパのほうが長い付き合いなのは理解してるけど、知らないところを自慢されてる気になった」
眉を寄せていたためか、ジャスパが彼女の返答を聞いて困ったように笑う。
注文な、と言って彼は飲み物を一つと簡単なツマミを一品頼んだのでメモ用紙へ書き込んでいると、「あー落としたー」と棒読みな口調でメニュー表をわざとらしく床に落とした。
書き終える前にメニュー表をしゃがんで拾うアゲートへ静かに問う。
「祭りのとき話してた男は大丈夫か?」
「うん、あれから来ないよ」
「そっか。じゃあ必要ないかもしれねぇけど提案だけしとく。目の前のギルドにルサミナさんて人がいるんだ、オレの師匠でな。すげぇ強い人だから、顔出して挨拶して、何かあったとき頼れば良い。オレからも話しとく」
「でも、ウチ冒険者じゃないよ?」
落としたメニュー表を渡しながら苦笑する彼女に、ジャスパは至極当然と言った顔で言い切った。
「何言ってんだ。オレたちの力は誰かを守るためのもんなんだよ、他に強くなる理由なんかねぇよ」
「……ジャスパが人気の冒険者ってなんだか今日すごく納得した、ありがと。メニュー頼んでくるよ」
注文したものを厨房へと通し、忙しくしている間にジャスパは帰宅したらしかった。
昨日聞けなかったことを聞く機会に恵まれたので、胸の内でかなり感謝を向ける。
次に来たときには何か奢るべきか。ああでもこれはベリルのときに失敗してるから、違う方法がいいのか?
仕事をしつつも、頭の中でそんなことを考えて、この日も最後の客が帰るまで動き回った。
日付が変わる頃にようやく帰宅できるので、疲れ切った息を吐き出してから酒場を出る。
通りの向こうに見えるのはジャスパたちが在籍しているギルド。建物の中は明るいので、誰かいるようだ。
家路へ進もうとしたが、ジャスパの言葉を思い出して足を止める。
『何かあったとき頼れば良い』
そう言われてアゲートは気がつく。
コスモとの一件も含めて相談できるほどの人がこの町にはいない。
あれこれ頼ることはしなくても、力ではどうしても敵わない男と対峙したときに駆け込める場所が一つくらいあってもいいのではないかと行き着いて。
意を決してギルドへ足を向ける。
からからと低い鈴の音が扉を開けた真横から聞こえてきた。
建物の中は思っているよりもずっと静かで、腕の太い大きな体格をした男たちが多いのに、話し声は大きくない。寧ろ酒場のほうがずっと騒がしい。
もっと賑やかだとばかり思っていたけど違うんだと感じつつ、後ろ手で扉を閉じた。
その屈強に見える男たちはやって来た人物が酒場で給仕をしているアゲートだと気がついたようで、
「アゲートじゃん」
「なんかあったかー?」
軽い口調と笑顔で話しかけてきたので、緊張しつつも営業スマイルを返してから、入口の真正面にいる女性へと足を向ける。
場違いな色気のある服装で周囲からの視線が痛い。
そうやってギルドへ入っていったアゲートの後ろ姿を、コスモが静かに無表情で見つめていたことには気が付かなかった。
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