たくさんのキスをして

白井はやて

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16. 後悔は必要

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 サルティから聞いていたゴルの家は意外にも南東地区の、二階建てのそれなりに良い家だった。
 ルサミナが戸を叩くと「はーい」という女性の声。開いた扉の向こうから穏やかな雰囲気漂う妻らしき人が出てきたので、自分の名を伝えた上でゴルに用があるため呼んでほしいと伝える。
 不思議そうな顔をしつつも女性はゴルを呼びに行ったため、ルサミナは背後を目だけで一瞥。普段は軽薄さを全面に出している男が無言だと逆に恐怖すら感じてしまい、ルサミナは抑え込める心配どころか、止められなかったらどうしようという心配が頭を占め初めてきていたときだった。

「……ギルドの人が一体なんすかぁ?」

 優男という表現にぴったりくるような、ひょろりとした体格の男が廊下をのんびり歩きながら顔を出した。
 短い黒髪に、暗い灰色の瞳は目尻が下がって一見優しそうに見える。

「夕方にすみません、実は……」

 ほほ笑みを浮かべてルサミナが話し出そうとしたところで、男の背後から小さな子供の「とーちゃん」という呼び声が聞こえ、子供が廊下へ顔を出す。その胸にクッションのようなものを抱き締めていて、一瞬そちらへ目が向いたもののルサミナは気に留めず話を続けようとした。
 だがその話しをしようとした行動は止めるしかなかった。
 すっと背後からベリルの片腕が伸びてきたかと思った直後、ゴルの首を掴んで遠慮なく絞めた。

「ちょ……ベリル!」
「か、……っ」

 ルサミナの慌てて止める声。
 突然首を絞められて、ベリルの腕を掴むもののゴルの力では引き剥がせずに顔色がどんどんと悪くなっていく。

「こらっ!!」

 強い口調の大声、首を絞める右腕を強く掴む右手、そして頭を左手でばしんとかなり激しく叩かれて。
 ハッとした様子でベリルは絞めていた手から力を抜いた。
 絞められていた首から一気に酸素が通ることでゴルは大きく強く咳き込み、その近くで子供が泣き、妻が慌てて駆け寄るとベリルへ非難の声を上げる。
 それらは大きい声なのでよく聞こえているはずなのにベリルは首を絞めていた自分の手のひらをじっと見つめてから、ゴルを見下ろしつつ一言。

「……そういうのが好きなんじゃないのか?」
「何を!」
「…っ!」

 眉間を寄せて妻が非難を強めようとしたものの、手を添えて支えていた旦那が体を一瞬震わせたようだ。
 目を見張り、旦那へ目を向ける。

「何人、殺しかけたーね?」

 ベリルの言葉に男は無言だ。
 目を泳がせ、わざとらしく咳き込んでいる。

「記念品を溜め込んで悦に入りたいーね? 最新の記念品はクッション?」
「……」

 今度は睨んでいるものの、ベリルが何かを言う前に彼の妻が声を震わせた。

「……ねぇ、人を殺しかけたことがあるの? それともこの男の嘘…?」
「う、嘘だ! 嘘に決まって…っ!」
「じゃあまるで枕のようなあのクッションは? 一昨日もらったとか言って持ち帰ってきたわよね? どこの、誰が、くださったの?」

 二人が言い争いを始めようとしているので、ルサミナが「あとはそちらで」と言い残してベリルの服を引っ張りながら撤退。
 ギルドへ向けて路地を進みながら、彼へ振り向くことなくため息と一緒に愚痴めいた言葉で咎める。

「気持ちはわかるのよ? でもね、あなたが本気出したら首が折れるどころか千切れちゃうじゃないの。そんな凄惨なところを幼い子の見せられないわ、……ねえベリル聞いてる?」

 南西地区の路地から通りへ出るまであと一歩というところでルサミナが振り向いてベリルを見上げる。背の高さは彼女より高いが、現在の彼は首を絞めていた手のひらを見つめたままでどこか小さく見えた。

「……ルサミナ」
「ん?」
「助かった…あそこで止められなかったら、言う通り折ってた」
「…………止められて良かったわ」

 怒りも悲しみも後悔も、ベリルは見せたことがない。大抵軽薄そうに笑って流すだけ。思った以上に目の前の男は感情豊かなのだと、ルサミナは初めて見て知った。
 愛弟子であるジャスパから「アイツはかなりの秘密主義者」とは聞いていたが、まさか本人の感情までもがそこに含まれているとは知らなかった。
 そんなことを考えながらベリルを見上げていると、彼がようやく手のひらから顔を上げたかと思ったら、メガネ越しなのに泣き笑いしているように見えるほど憔悴した声で呟いた。

「やっぱ、おいら、ヒトの町に来ないほうがいいかもなんて」

 言いかけたところで、ビシッとルサミナは頭を叩く。

「ベリルに一つ言葉を贈ってあげる。タイガーさんから、私も贈ってもらった言葉よ」

 叩かれた頭に自分の手を添えてベリルは自分より小さな彼女を見つめる。

「自分だけの思い込みで何もしないのは悪手よ。後悔は必要なこと。それで自分を知り、次に繋げなさい。あと……少なくともあなたが居なかったら、私もジャスパも寂しいわよ」
「……ぅん」

 まるで小さな子供のように頷いたベリルを見て、背伸びしながら手を伸ばしてルサミナはさっき叩いた頭を優しく撫でた。

「ふふっ、大きい弟みたい」
「…おいらのほうが年上だーよ」
「そうよねぇ。アゲートは今日も仕事してるから、終わる頃に迎え行く?」
「……そうするーね」
「じゃあそれまで奥の部屋で少し休むと良いわ」

 ギルドにたどり着いたところで奥の部屋へ案内されて、何故だか微笑みながら仕事へ戻るルサミナを複雑な顔で見送り、彼は椅子に深く腰掛ける。
 あの男の家でクッションを見てから、頭の中がモヤモヤとイライラで落ち着かない。
 小さく誰にも聞こえないようにため息を吐き出して、彼は思考を放棄すると目を閉じた。



 日付が変わりそうな夜更け、酒場の前に足を向けると見知らぬ女性が一人立っていた。
 ピンク色のショート髪を僅かに揺らしてこちらを見てから、思案する顔を浮かべて歩み寄ってこようとしたため内心身構えていると明るい声が掛けられた。

「もしかして、ベリル?」

 誰だろうかと怪しみ無言のままでいると、相手は明るく笑って名乗ってきた。

「私、シェル。ルサミナさんから聞いたかな」
「ああ、聞いたーよ」

 この人が、と頭の中で顔を把握して頷くとシェルは楽しげな笑顔を浮かべて話を続ける。

「あなたが帰ってきたなら預かりはもう終わりね。怪我もないし、元気にしてるように見えるはず。落ち着いてきているけど、飾っていた花の入ったガラス瓶が割れて落ち込んでいたよ」

 一生懸命に作ったことを笑顔で話していたあのガラス瓶が落ちて割れてしまったことを伝えられ、胸が痛んだ。
 無言で佇むベリルの隣を通り過ぎながらシェルは彼の肩をぽんぽんと叩いて、

「荷物は明日の朝にでも取りにおいでってアゲートには伝えてよ。じゃ、抱き締めて安心させてあげてよね」

 手を振って南西地区の路地へと入っていき、その姿は暗闇に紛れて見えなくなった。
 ついさっきまで確かにあったはずの胸の内のモヤモヤしたものがいつの間にかなくなっていて、今あるのはそわそわとしたもの。
 違う意味で落ち着かなくなっていたところで、酒場の中からヒトが出てきた。
 先に気づいた同僚らしい誰かが笑顔でアゲートへ何か伝え、彼女がまるで宝を見つけたかのように目を輝かせてこちらへ振り向いた瞬間、心臓が、ど、と大きく鳴った。
 息苦しくすら感じて、胸を上から抑える。
 何やら言葉を交わし、彼女たちはお互いへ向けて手を振り別れると、夜なのに眩しい笑顔のまま自分へと駆け寄ってきてアゲートが見上げてきた。

「おかえり!」
「ただいまーよ」
「新しい家へ行くよね?」

 頷くベリルの借りた家へと一緒に向かうことに。
 まだ歩き慣れない家までの道を歩きながら、アゲートは見上げて尋ねる。

「今日のいつ頃戻ったの?」
「夕方ーね」
「そうなんだ、何か食べた?」
「ちょっとバタバタして食べられてないーよ」
「そっかぁ、いつもの家なら買い置きしてたんだけど、こっちにはまだ何もないから店で何か持ち帰りさせてもらえば良かったね」

 苦笑してアゲートがそう口にしたあと、あ、と何か思い出したように短い言葉を発してから足を止めて満面笑顔を浮かべた。

「迎えにきてくれてありがと!」
「うん」

 その言葉にベリルは町に戻ったことを実感して、目を細めて頷いた。

 
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