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10.嘆願
しおりを挟むその日も朝から道場で鍛錬の予定だった。
開始時刻よりも早く道場へ足を踏み入れたところ、朝陽は自分の父が壁際を見つめたまま腕を組み、微動だにしないことに気がついた。
見つめている先の壁には、昨日一つ上の兄風苅とのやり取りで動かした真剣が二本飾られている。
できるだけ元通りにしたが、父はもしかしたら動かしたどころか使用したことに気づいたのかもしれない。内心緊張しつつ、定位置で正座する。
朝陽が足を踏み入れたときには数人だけだった門下生たちは開始時刻前には二十人全員が揃っており、道場主であるこの屋敷の主へ向けて正座していた。
「本日もよろしくお願いいたします」
全員を代表して、一番上の兄である理嗣が挨拶。同時に「よろしくお願いいたします!」という威勢のいい声が道場へ響いたのだが。
ずっと背を向けていた朝陽の父が全員へと向き直り、腕はやはり組んだままで静かに問うた。
「この二刀が僅かに動いているようだが、理由を知る者はいるか」
しんと静まる道場内。
朝陽の視界の端で、風苅が僅かに体を震わせたことに気づく。
横目で兄風苅を見たのち、朝陽は誰にも気づかれないよう静かに深呼吸してから父へ声を掛けた。
「壁との距離を見誤り激突したため、落としてしまいました。申し訳ありません」
「…そうか、使用したのでなければ不問にする。だが真剣であることは、皆頭に入れておくように」
頭を深々と下げて謝罪した朝陽を見て眉間を寄せたものの、小さく息を吐いてからそう告げる。
この厳格な父に知られてしまえば叱責どころではない。兄の風苅はそれを本当に理解していたのだろうかと理解不能な視界の端にいる兄へ目をやってから、目を伏せた。
鍛錬は午前中心で、午後は自主鍛錬で居残りをしたりする者が数名いる程度で、門下生の半分以上はそれぞれの家へ帰宅していく。
武士という家ではあっても朝陽の家のように大きな役職に就いていなければ、仕事や勉学をするか、己を鍛えることに重きをおいて生活している者が多い。
数名が自主鍛錬を始めるために父親へ許可を得ている光景を見ながら汗を拭いていたところで、彼は父から声を掛けられた。
「朝陽、付いてきなさい」
「わかりました」
父親の後ろに付いて、廊下を進む。
不思議なもので、彼が歩いている音よりも父の足音がほぼ聞こえない。
同じ廊下を歩いていて、軋む音は当たり前だと彼は考えていたが、意識していなかったことに気づいた。それに何よりやはり父の体は鍛え上げられているために腕も肩幅も、当たり前だが貫禄のある体格だ。
後ろから見ていても全然違うのだなと付いて歩きながら考えていた。
そんなことを考えている間に、父の書斎へとたどり着き、促されて開けられた障子側の畳に正座する。
父もまた同じように正座をしたところで真っ直ぐ射るような眼差しで朝陽を見て尋ねた。
「話しとは?」
「…父上にお願いがございます。私を後継者候補から外していただきたいのです」
緊張が強すぎて手が震えても、声が震えても、なんとか伝えたいことを彼は口にできた。
威厳があり厳格。いつも眉間を寄せ、不機嫌な表情を浮かべている父を緊張しつつも真っ直ぐ見て告げたあと、「お願いします」と付け加えた、のだが。
「理由を聞こうか」
どことなくいつもより冷たく聞こえる声で、再び問い返された。
この問いかけは予想できていたために、朝陽は真っ直ぐに父を見返しながら用意していた返答を口にする。
「私は……後継になれるほど優秀ではありません」
「お前が自らをそう認識していようと、いつ後継が病や戦で死ぬかわからぬ時代、言葉は悪いが代わりはいくらでも必要。候補から外すことはない」
あっさりと言い返されたが、食い下がる。
「お願いします!」
「朝陽がどう考えていたとしても、来週の顔見せには出席してもらう」
「父上!」
「話しは終いだ」
そう冷たく返され、こちらを見ていた父が背を向けた。
もう話し合いをする気はない拒絶を示され、膝の上で拳を握りしめる。
眉間を寄せて、強く目を閉じ、彼は前かがみになって畳に拳のまま手を置くとこうべを垂れた。
口にしてしまえば巻き込むかもしれないから出来れば言いたくはなかったことを、頭を下げながら震える声で伝える。
「大事に想う人ができました。……見知らぬ者と婚姻を結びたくない。これが本心です」
そこで一度言葉を区切り、顔を上げることなく続ける。
「貴重なお時間ありがとうございました」
感謝を口にして「失礼いたします」と彼はできる限り音を立てないよう注意を払いながら退室した。
廊下はやはり軋む音が響く。
音を立てないようにする方法でもあるのだろうか。
疑問に思いつつも自室へ向かいながら、白い息を吐き出して、見える庭へ目をやった。
庭の中心に小さいながらも池があり、その中に鯉が数匹泳いでいるのが遠目でも分かる。剪定された木々も含め、庭師の手で整えられた庭はとても手入れの行き届いたものになっている。きっと客間から見た際に庭の美観を堪能してもらうように取り計らったのだろう。
手を加えれば片付く庭のように、話し合いで問題が片付いてくれれば一番だったのにとため息が勝手に漏れ出るものの、ひとまず伝えたかったことを言えたことだけは満足していた。
話を聞いてくれたとはいえ、全く進展はないため、彼は庭から目を前に戻すと自室へ向かいながらはーっと息を吐く。
綾菜の顔を見に行こう、モヤモヤとしたこの気持ちも落ち着く。そう考えていると、廊下の向こうから人がやって来る姿が視界に映った。
父の雑務を一手に引き受けて働いている、高文(こうぶん)だ。
右目を隠すかのように長めの前髪と襟足辺りまで伸ばした黒髪が跳ねているちょっとばかり口調の軽い男で、紺と灰色を混ぜたような色合いをした縞模様の着流しと白い腰布が目を引く。
朝陽が話しかける前に向こうから明るく声をかけてきた。
「朝陽サン! 話し合いは終わりましたか?」
「まあ一応」
「では侘助サマの書斎へボクも行かなくてはね。来週の顔合わせの件で先方から言付けを預かっているんだよねー」
「そうなんだ。父上は今、書斎にいるよ」
「はいはーい」
年も近いためか高文は軽い調子で話しかけてくるため、朝陽もまた似たような砕けた口調をつい使用してしまう。
良くないよなぁなんて考えながらお互いの隣を通り抜けて歩いて、…気づいた。
父と同じように高文もまた足音がしない。
「ねえ高文」
「んー? なにかな、朝陽サン」
「足音、ほとんどしないね。父上と同じだ。何か歩き方が俺と違うのかな」
単純な疑問でそう口にしつつ、高文の足元に目をやる。
首を傾げていると高文が人懐っこく笑った。
「うん、そうそう。音を発さない特別な歩き方があるんだ。気になるなら、教えようか?」
「どうしても分からないときに、お願いするよ」
「分かったよー」
高文の返答に朝陽もまた釣られて頷き笑顔を返して、改めて背を向け自室へ歩き出す。
そんな朝陽の背中を人懐こい笑顔から薄ら笑いに変化させ見送った高文は踵を返すと、思案した面持ちで再び無音で彼も歩き出した。
背後で表情の変化があった者がいることなど気づきもせず、朝陽は自室へたどり着く。すぐ出るつもりで綾菜から返却された羽織りに袖を通していると机に一枚紙が置いてあることに気がついた。
近寄り紙を手に取る。
『明後日鍛錬後、用がある』
「……」
一番上の兄からだった。
面倒。厄介。遠慮したい。出来れば近寄りたくもない。
ここ数年の兄二人による“鍛錬”のせいで、こんなにも強く実兄弟であるはずの二人から離れたいと思うようになってしまった。
中身を読んで表情をなくした朝陽は重苦しいため息を吐き出して、近くに置いていた財布を手に取る。
記憶通りの重量だったことで、さすがに盗みまではしないかと変なところでホッとして彼は自室から団子屋へと向かうため屋敷を出た。
土の地面は歩くと少しだけ草履を踏む音がする。地面に転がっているらしい細かな砂利を踏んだ音も混ざり、全く無音にはできない。
あの二人の音を発さない特別な歩き方とは一体なんだろうか?
頭の中で二人の歩き方を思い描き、真似てみるものの音はやはり足元から聞こえてくる。
「…何か重心と関係あったりするかな」
重心が関係するなら、続けている鍛錬に応用することもできるだろうか。
気になりだすと思考が止まらず、腕を組みながら団子屋への道を歩いた。
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