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11 失恋
しおりを挟む「……その、ごめん……湊のこと、友達としては、もちろん好きだけど……」
優しげな表情が歪む。そんな顔をさせたいわけじゃなくて、だけど思わず零してしまった言葉を、嘘だと撤回することもできなくて。
自分の気持ちに嘘もつけない、やけに正直なことが腹立たしくすら思えた。だけど、と軽く頭を振る。
「いいって。ほんと、気にしないで。変なこと言ってごめん、忘れてくれていいから」
「――でも」
「お願いだから、忘れて。友達でいられるなら、友達でいたいんだ。困らせて本当にごめん」
見慣れた顔に背を向けて、ぽつぽつと歩き出した。俺は、ここにいちゃいけない。
これ以上、優しい人を悲しませて困らせてはいけない。消えるなら、俺の方だ。
泣いていたんだと気づいたのは目を覚ましてからで、ゆっくり体を起こし頬を拭った。
「……久しぶりに見たな」
悪夢と呼んで差支えないそれを思い返せば、勝手にまた涙は落ちる。
息を吐いてそれをもう一度拭い、ベッドから抜け出した。忘れることなんかできるはずもなくて、でも。
脳内を巡る何かを断ち切りたくて、朝飯を何にしようか考える。もう面倒だからパンでも焼くかと思っていると、携帯電話がメッセージを受け取って鳴った。
『朝飯決まってる?まだなら、いいパンあるんだけど食わね?』
まるでこっちを見透かしたようなメールに苦笑が漏れる。少し考えて、いいよと返事をした。
コーヒーメーカーを作動させ、顔を洗って着替えて、としている間に扉がノックされる。鍵を開けて扉を開ければ、ほんの数か月ですっかり見慣れた隣人の顔が笑っていた。
「よ、おはよ」
「ん、おはよ」
「いや助かったぜ。美味そうだと思って買ったはいいけど、一斤丸々一人じゃ食いきれねえし」
「考えて買えよ。ありがたくもらうけどさ」
透を招き入れ、すでに六枚に切られている食パンをトースターに入れる。
「あーいや、半分言い訳。お前喜ぶかなって」
「っ、え、う」
「はは、顔真っ赤。コーヒーもらうな?」
「ど、どうぞご勝手に」
俺の言葉に笑って、透が食器棚からマグカップを出した。当然のように、ふたつ。
前はひとつだった。俺のものだけだったけれど、何しろこの男、ほとんど毎日のようにうちに来るものだからいつしか二つに増えたそれに、静かにコーヒーを注いでいく。
冷房が付いている中で温かいコーヒーを飲む。贅沢だなぁなんて思っていると、トースターが出来上がりを告げた。
皿も二つ取り出し、それぞれに一枚ずつ乗せる。テーブルに運ぶ前に、さらにもう二枚トースターに入れておいた。
「ああ、あとこれ」
「なに?」
「はちみつ。パン屋に売ってて美味そうだったし、喉に良さそうかと思って」
ほれぼれするような顔で柔らかく微笑んで、小さな瓶を差し出してくる。
戸惑いながら受け取って、代わりのように焼けた食パンを差し出した。サンキュ、と手を出しそれを受け取ってくれる。
美味いと言いながらかぶりつく姿は、俺の知っている中学生のころの透じゃない。髪はツーブロックでアシンメトリーに刈り上げ、前髪はしっかりセットして額を出して。
贔屓目に見ても整った顔は、モデルでもできるんじゃないかなんて考えた。
「どした?食えって、美味いぞ」
「う、うん。ありがと」
まじまじと見てしまっていたことに気づいて、トーストにかじりついた。確かに美味しい。
それでもどうしても俺の挙動はおかしくなってしまう。だって、目の前のこの男が、俺を好きだなんて言うから。
齧ったパンから口が離れ、赤い舌が下唇を舐めていくのを凝視してしまって、顔が熱くなるのがわかった。
疲れてんな、と頭をつつかれながら言われる。ゆるゆると顔を動かすと、眼鏡の奥の笑う目と視線がぶつかった。
「そりゃ、まぁ」
「だーよな。なんだあいつ、ずいぶん人が変わったみたいになりやがって」
「……そうなんだ?」
何しろ、俺は中学までしか透を知らない。俊樹と透は同じ高校だったから、ずっと友達だったんだろうけど。
人気のない講義室。次の講義まではまだ時間があるからと、合間の休憩をしているようなものだ。
俺と俊樹はこの次の講義が被っているので、こうして二人で話をすることも珍しくはなかった。人気が無いとはいえ、広い室内にちらほらと数名いたりするので、隅っこの席に移動して声を潜める。
「どこまで聞いてる?」
「んと、もともと先輩と付き合ってたことぐらい」
「ああ、そこまで話してんのか。じゃあ俺が言ってもいいな」
なぜだかそう言う俊樹は少し楽しそうに見えた。
「あいつ、その先輩のこと本当に好きだったみたいでさ」
「……言ってた。自分が重すぎたって」
「それについても俺はちょいちょい相談受けてたわけよ。本人、どうにか我慢しようとしてたらしいんだけど、それが逆によくなかったんだろうな。周りには付き合ってること隠してたのもあるし」
ぴく、と俺の指先が跳ねる。意外だったからだ。
「付き合ってることは隠さなきゃいけなくて、他の奴らが先輩に近づいても何も言えない。先輩は当然先に卒業して学校でも会えなくなって、あいつストーカーみたいになって家や大学に押し掛けたり、何時間も近くで待ったりしてて」
「怖がられて、浮気されたって」
「正直、俺から見ても無理ねぇなと思ったよ。あんときの透はちょっとおかしくなってた」
机の上に置いた、紙パックのジュースを口に運びながら俊樹は続けた。
「んで、振られて。吹っ切れるまでしばらく時間が必要だったから、ちょうどいいと思って俺が勉強教えた。違うことで頭いっぱいにしといたほうが辛い気持ちも和らぐかと思って」
「……俊樹ってそういうとこ優しいよな」
「うるせぇよ」
乱暴な言葉は照れ隠しだ。苦笑した俺に、それからさ、と彼は言う。
「大学合格したころには、そこそこ元気になってた。んで、今みたいになった。オープンにするようになったっつーのかな」
「その、男が恋愛対象ってことを?」
「そう、隠さなくなった。女子に言い寄られても、『あー俺ゲイだから。男じゃなきゃ無理なんだよな』なんて笑うようになって」
そこで少し言い淀んだ。
俺のことをじっと見つめ、わずかな間が流れる。軽く頬を掻き、そういや湊は知ってるんだっけか、とつぶやいた。
「特定の誰かと付き合うことを止めて、相手は全部セフレにするようになった」
「……なるほど。そりゃ、有名人にもなるわけだぁ。あの見た目だしなぁ、男に興味なくても一回ぐらいとか思う相手いそう」
「それな。ったくめんどくせぇったらねぇ。俺や和哉までそうなんじゃないかっつわれてよぉ」
そんな風にぼやきつつも、結局のところ友人というスタンスでいる以上、二人とも透のことが好きだし、心配もしているんだろう。
じゃあ俺は、と考える。俺は透のことをどう思っているのだろうか。
いいやつだと思う。かっこいいとも思う。幸せでいて欲しい、とも思う。
だけどその相手が俺、というのはどうにも頭が追い付いてくれなかった。
「ま、俺としては?湊が透を好きになってくれりゃいいなと思わなくもない」
「マジで?いいのそれで」
「あいつがあれだけイキイキしてんの、久しぶりに見たからな」
「イキイキ、って」
「先輩と付き合ってた時は、表じゃずっと自分の気持ちを押し殺して。別れてからは、やたらフレンドリーでオープンになったけど、どっか自棄になってるようにも見えた」
飲みかけのジュースが空になる。無理にとは言わねぇけどよ、と俊樹は空の紙パックを手に立ち上がった。
「少し考えてやって欲しいとは思うね。んでちょっとでも、可能性がねぇならきっぱり振っとけ」
振りかぶって投げた紙パックは、ゴミ箱に吸い込まれていく。
それをぼんやり眺めながら、頭に浮かんだ透の顔を振り払った。
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