怖いもののなり損ない

雲晴夏木

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二人目 狐と地蔵とお母さん

語り終え、それでね、とあなたを見上げ

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 語り終えた女の子は、「それでね」とあなたを見上げた。

「家に、誰もいなくて。おかあさん、ぺっちゃんこだし、ほかの人に何て言っていいか、わかんなくて……」

 聞き耳でも立てていたのだろう。あなたたちのテーブルへ音もなくやってきたマスターが、あなたの肩に手を置いた。顔を上げると、マスターは無言のままあなたにうなずきかけた。
 マスターの手には、私物らしい上着があった。マスターは女の子に上着をかけてやると、店の奥へ来るよう促した。困ったときに助けてくれる人を呼ぶから、それまで待ってなさいと言い添えるのも忘れない。女の子は素直にうなずき、マスターの上着を羽織って椅子からぴょんと飛び降りた。
 マスターに伴われ、女の子はカウンターの向こうへ消えようとする。しかしそこで足を止め、あなたを振り向いた。

「聞いてくれて、ありがとう」

 ありがとうなんて、とあなたは言葉を飲み込んだ。〝いい話〟を持っていると期待して聞いただけだった。感謝されるようなことではなかった。けれど女の子は笑みすら浮かべている。あなたは無言のまま、ぎこちない笑みを浮かべて女の子に手を振った。
 女の子が施設に引き取られたと聞いたのは、あの夜から半月ほど過ぎた日のことだった。常連客である知人からマスターが何度も聴取を受けたと聞いていたあなたは、申し訳なさからなかなか来店できなかったのだ。
 身を縮めてドアをくぐったあなたを、マスターはいつもの静かな物腰で迎え入れ、いつもの席へ促した。そしてその日は店員ではなく、マスター自らがあなたにコーヒーを運んできた。
 白い口ひげを蓄えたマスターが、物腰と違わぬ静かな口調でぽつりぽつりと語って聞かせた内容は、あなたが想像していたものと大差なかった。

「男の子の話は、昼間の記憶が混同したのだろうと。お地蔵様については、夢、もしくは、ショックによるものではないか、とのことでした」

 そうではない、とあなたはわかっていた。女の子が話したことはすべて、事実だろう。実際に起きたことだろう。女の子の背中にあったであろう火傷を思い、あなたは胸を痛めた。しかし同時に、ため息をつきたくなるほどの喜びがあった。

 ――知人の言う通り、この店に通えば〝いい話〟を聞くことができる。

 女の子の身に降りかかった出来事は、胸を痛めるべき出来事だ。女の子が理解しきっていないことを安堵すべき出来事だ。成長した彼女が抱える苦しみを思えば、話を聞けたことを喜ぶべきではない。
 けれどあなたは、新たな話を欲していた。
 マスターが立ち去り一人になったテーブルで、あなたはコーヒーを一口飲んだ。いつも通り、マスターが淹れたコーヒーはあなた好みの酸味とフルーツの如き香りだった。しかし今日のコーヒーは、一口飲んだだけで喉まで焼けてしまうほどに熱かった。
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