アルケミア・オンライン

メビウス

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間章 それぞれの1日

最終話 束の間の安寧

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「どうしたの、暗い顔して」

ハルは、俯きがちな僕の顔を覗き込み、少し心配そうな目を向ける。

僕は迷っていた。この事実を、彼女に伝えるべきかどうかを。知らない方が幸せなことなんていくらでもある。今回の件もそうだ。だから僕は今日ここまで、なるべくこっちから話さないようにして、聞く側に回ってきた。

でも、話を聞いているうちに、ちゃんと伝えるべきなんじゃないか?という考えが、何度もよぎるようになった。それが、彼女を今謳歌している幸せから、現実に引き戻しかねないものだと、分かったうえで。

「…………何か、言いにくいこと、あるんでしょ?ボクに伝えないといけないことが」

「え………………なんで」

唐突に自分の考えを見透かされ、僕は声を洩らして狼狽える。

「そりゃ分かるよ。ずーっと一緒にいたんだもん。確かに、現実換算じゃまだまだ短い期間だけど…………それでも、ボクは君のことをよく知ってる。そう言える自信があるよ」

だから……と僕の肩に手を添えて、真っ直ぐに僕に微笑む。それはまるで、不安に打ちひしがれる子を優しく教え諭す、母のような眼差しで。

「だから、ちゃんと話して。昴君に何て言われようとも…………ボクは、この決断を絶対に、後悔しないよ」

「ハル…………」

「それともう一つ。ボクはそんな些細なことで、離れて行くような存在じゃないよ」

僕が前に、初めて僕に弱みを見せたハルに対して…………ちょうど、こんな言葉をかけていたっけ。あの時のハルと同じだ。僕は今、心のどこかで、そんな一言を求めていた。

「…………ありがとう。僕も腹を括るよ」

やっぱり、彼女は強い。あれだけ辛い経験がありながら、人格の統合までされながら、それでも前を向いて、胸を張って立派に生きている。だから、こんなに自分に自信を持てるんだ。

確かに、あの時のハルは心がボロボロになって、とても今の気丈な様子ではなかった。でもそれは、あの世界で初めて経験する激しい動揺で、思うように感情をコントロールできず、戸惑っていただけだ。事実、それ以来彼女があれほど憔悴した様子は見ていない。この真っ直ぐな目の輝き、それが今の彼女の本質だ。

なら、僕も覚悟を決めないと。ハルのことを今後も側で支えていくのなら、それが絶対に必要だ。

「…………じゃあ、話すよ」

僕のその言葉に、彼女は押し黙ったまま、神妙な面持ちで頷く。その眼を見て、僕は言葉を選びつつ話し始める。

「僕はさっきまで、君が【狂乱化バーサーク】を使った時に出てくる、もう1人の君のことを、ユノンさんの『真影』と同じような、あの世界のAIによってプログラムされた、擬似人格だと思っていた…………でも、それだとおかしな点がいくつか出てくるんだ。例えば、あの別人格が、君の現実での過去について語っていたこと、とかね」

どんなに高性能なAIを積んでいたとしても、プレイヤーの現実での出来事を知っているなんて、あるはずがない。あってはならないんだ。

「確かに…………言われてみれば、変な話だよね。ユノンさんのはまだしも、ボクのは誰にも話したことなかったのに」

勿論、ここまで具体的に話していたわけではないが。それでも、ゲーム内だけの存在がここまで正確に思考を読み取り、情報を抜き取れるのだとしたら、恐ろしいことだ。

「で、前に戦った時からずっと考えていた仮説が、今の話で確信に変わったんだ」

「仮説って?」

「……君の【狂乱化バーサーク】は特別で、その時出現するあの人格は………………システム側が用意した擬似人格なんかじゃなく、君自身の持つ別の人格なんじゃないか?って」

「………………え?どういうこと?なんで、そんなことが……?」

「実は、あの世界には…………ゆりかごが搭載されているんだ」

「待って待って、もっとどういうこと!?」

ま、そりゃそういう反応になるよね…………まず、何でそんなこと僕が知ってるんだ、って話だし。

「…………1つずつ説明するよ。まず、ゆりかごがあると知ってる理由だけど」

ハルは、食いつくように僕をじっと見つめ、真剣な表情でうんうんと何度も頷く。

「昔、何でかは思い出せないんだけど…………治療のために、2年ほどゆりかごに入っていたことがあってね。その時、仮想世界を一緒に旅してくれたAIプログラムがいたんだ。名前はカタリナ…………僕にとっては、もう1人の母親のような存在だった」

「…………あれ?ボクが入った時は、そんなナビゲートNPCみたいなの、いなかったような」

「その時は、僕を治すために作られたその1台しかなかったからね。今は量産されてるし、コストダウンの一環でオミットしたんだと思うよ」

「ん、待って。今、昴君のために作られたって言った?」

「そこは今は、置いといていいから」

危うく本筋から逸れるところだった。僕は食いつくハルを宥めるように制止する。

「むぅ…………で、そのカタリナ?とアルケミア・オンラインがどう関係してくるの?」

不意に梯子を外され少し不満だったのか、むくれながら僕に問いかけてくる。可愛い。

「実は、向こうの世界で一度、カタリナと会ったんだ。ちょうど、あの準決勝の後、医務室で僕が眠っている間に」

「…………え、そんなことある?だって、カタリナはアルケミア・オンラインのNPCじゃないんでしょ?」

「でも、彼女は僕の本名を知っていた。普通じゃ絶対にあり得ないことだよ。そして、このゲームはゆりかご……つまり、彼女の活動空間内にある、とも言っていた」

「それでゆりかごが、この世界にある、と…………それ、本当なの?」

「カタリナとは幼少期にずっと一緒に過ごしていたからね。そんな下手な嘘はつかないってことは、僕が一番よく知ってる。それに、ゆりかごが搭載されているとなれば、君の別人格が出現したことも説明がつくんだ」

「…………ボクがゆりかごで治療を受けて、その過程で排除された人格データから、擬似的に男性人格として独立して形成された、ってこと?」

「うん、多分ね。ゆりかごは、読み取った脳波や人格、感情…………その全てのデータを保存しているらしい。更なる治療効果の向上と、AI研究に役立てるためにね」

「だから、そのデータがアルケミア・オンラインにあっても不思議じゃない、と…………なんか、怖い話だね」

ハルの顔が暗く沈む。生温い熱を帯びたそよ風が、僕達の間を吹き抜けていく。

っと、マズい!元気づけなきゃ。

「ま、真偽は誰にも分からないけどね!それに、ハルはハルだよ」

「…………え?」

「君にどんな過去があっても、あれが君が隠したかった人格なんだとしても…………それでも、僕にとってのハルは、君1人なんだ!」

僕はずいっと彼女の方へと身を寄せ、続ける。

「暗い話しちゃって、ごめんね。でも、君のことを、もっとちゃんと知りたかったんだ…………君は、それだけ僕にとって大切な人だから」

「大切な…………それって、どういう」

ハルが、木陰でも分かるくらいに、顔を赤らめている。少し戸惑ったような表情で、僕から少し視線を逸らす。

「………………あっ」

その様子を見て、僕は再び我に返る。だって、こんな状況で「大切な人」なんて、それじゃまるで…………!!

「あ、ち……違くて!これはその、親友的な……さ!?言葉の綾ってやつで…………」

しどろもどろになって言い訳する僕に構わず、ハルは唐突に、僕の懐に飛び込んだ。そして一言、

「………………ばーか」

とだけ呟くのだった。

僕は、枝葉の奥から差し込む、夕暮れ前の日差しに照らされた、彼女の髪を撫でる。さらさらとしていて、花のような良い香りがして…………違うのは、本当に髪の色だけだった。そこにいるのは、やはりだった。

もう、全て伝えてしまおうか?ここで気持ちを正直に言ってしまった方が良いんだろうか?でも、それは僕が楽になりたいだけだ。彼女が大切だからこそ…………そんな無責任なことは、僕にはできない。

でも、もしハルも本当に、僕のことを良く思っているのなら…………そうだとしたら、いっそ、このまま………………。

「…………ハル」

「…………なぁに」

極度の緊張。心拍がドクドクと脈打っているのを感じる。空気は張り詰め、周りの喧騒は、いつの間にかひどく静かに感じた。その時、僕は不思議と、この空間に2人しかいないものと錯覚していた。

「……僕は………………」

「ママ!イチャイチャしてるー」

「こら!やめなさいタカシ」

「「ッッ!!?」」

無邪気な子供の声で、僕達は現実に引き戻された。そこは、いつもの賑やかな午後の動物園だった。

「……びっくりしたぁ」

「ボクはむしろ昴君のリアクションにびっくりしたけどね…………それで、今、何言おうとしてたのー?」

ハルが僕の顔にくっつきそうなほど近づき、ニヤニヤと僕の目の奥を覗き込む。

…………絶対、わざとだ。こいつ、分かっててやってるな?

「………………何でも、ない」

「えー?ほんとかなぁ」

「……さ!そろそろ閉園になっちゃうから、行こ!パンダ、まだ観てないし…………」

気づけば、もう夕方。真夏は日没が遅いから、全然気づかなかった。僕達はこのベンチで、もう2時間近く話していたようだ。

「…………うん!パンダ、楽しみだなぁ」

ハルは、スタッと跳ねるように立ち、上に真っ直ぐストレッチする。そして、それを眺める僕の横を通り過ぎて。

 「続き…………待ってるよ」

確かに、そう言った気がした。振り返ると、彼女は人差し指を口に当て、小悪魔のようにニシシっと笑ってみせた。

「…………やれやれ」

やっぱり勝てないな、ハルには。と思いつつ、僕は彼女の横に並んで歩き始める。

この平和は、いつか終わる。僕達はきっとまた、あの世界で大きな試練に巻き込まれる。

…………それでも。

「…………ん」

後ろ手に伸ばされた彼女の手を、そっと握り返す。

それでも、終わりが来ると分かっていても。せめて今だけは、この束の間の安寧を楽しみたい。それがどれほど短かったとしても…………強く想い合う限り、それは一瞬にも、永遠にもなるはずだから。

西陽が、僕達を眩しく照らす。長く伸びる2つの影は、揺らめき、やがて、1つの大きな影となった。
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