飛竜ヴァフスジルサニアについて

いちい千冬

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 そもそも人と違い、竜族には国という概念がなかった。

 広い低地よりも空が近く自然豊かな高地を好み、集落を作ることはあっても国の体裁を成すほど大きな規模ではなく、またそれほどまとまりがあるわけでもない。
 個々の能力が極めて高く、地上で最も強く賢い獣と言われる竜を従える能力を持つ竜族であれば、少数であっても他の種族に脅かされるという心配とてなかった。

 しかし、いくら竜族が強くても、彼らの住む広大な土地や珍しくも有用な動植物、貴重な鉱物といった資源を狙う者たちは後を絶たない。追い払っても追い払っても、羽虫のように群がってくる。
 好戦的な種族であればそれでも嬉々として迎え撃ったのだろうが、基本的に竜族は穏やかな気質の平和主義者が多いのだ。
 だからといって昔から生活する快適な場所を簡単に他種族に譲り渡せるほど、彼らは無欲でもない。

 いい加減面倒くさくなってきた当時の竜族の長は、とある人族の申し出を受けて手を結ぶことにした。
 竜族に対して話し合いを持ちかけた者は、のちの初代国王であるこの人族が最初だったという。
 竜族の土地と資源を分け与える代わりに、人族が他の侵略者から土地を守る。
 これによって移り住んだ人族は豊かで住みやすい土地を手に入れ、竜族はしつこい侵略者たちに煩わされることがなくなった。
 そうして出来上がったのが、人族と竜族が共存するアルマ王国というわけだった。

 飛竜は、このとき国を守る一助として竜族から人族に贈られた。
 人族がそれらを操るためには、人族の中で育てる必要がある。
 そこで卵をいくつか譲り渡し、同時に育成方法や扱い方も教えた。げんざい人族に育てられている飛竜は、ほとんどがその子孫だ。

「それで、“黄金色”の飛竜だがな」

 竜族の王イルナンはわしわしと少し強めにヴァフスジルサニアの頭を撫でながら、言った。
 飛竜の子供は少し不満げに唸ったものの、大人しく撫でられている。

「初代人族の王が、育てたんだ。国の守りの要だからって、譲り受けた大事な卵のひとつを大切に大切に。だが、これにはちょっと誤算があってな」

 飛竜は向けられる好意に敏感な生き物だ。
 しかも、どうやら人族の女性のそれ、おそらく慈愛とか母性愛といったものには、なぜかとくに影響されてしまうらしい。
 単純に言えば、愛情で強くなれる。
 その身からあふれにじみ出た力が、鱗を黄金色に輝かせるほどに。
そうなった最初の例が、伝説の黄金色の飛竜であった。
 出来たばかりの国にも関わらず他所からの侵略を完全に防ぎきり、あっという間に国を安定させることができたのは、王妃の愛を糧にパワーアップした飛竜とそれを操る初代国王がいればこそだった。

 ただ強いだけなら問題はなかった。
 しかしこの黄金の竜には重大な欠点がある。

「女性が飛竜の育成に深く関わると、その飛竜はその女性に異様なほど懐く。むしろ執着する。男の乗り手の言う事なんか、ぜんぜん聞かねーんだよ。しかも強いから、誰にも止められない。下手をすればこっちが自滅だ。危険だから黄金竜は伝説ってことにして、女性が飛竜に関わらないようにわざと遠ざけたんだ」

 伝説の黄金色の飛竜は、扱いが恐ろしく難しかった。
 というか、王夫妻以外扱うことが出来なかったのだ。

「ああ、王族ってだけで何とかなると思ったら大間違いだぞ、三番目の王子」

 今にも反論しそうに口を開きかけていたキリム王子に、竜族の王は釘をさす。

「最初の黄金色の飛竜は、偶然が重なったかなり特殊な例だ。王族所有の卵だからって王族に従順なわけじゃない。サニアに噛まれただろうが。これが成獣だったら王子の腕が無くなってるぞ」

 思わず王子は自分の手首に視線を落とす。
 そこには、生後数か月の小さな飛竜に食らいつかれたリストバンドがある。かろうじて穴はあいていなかったものの、もう使い物にならないほどボロボロだ。

「王夫妻に懐いたいちばんの理由は、夫婦が一緒に育てたこと。ふたりは周りが胸やけするくらいいつも一緒にいたらしいから、飛竜のほうも慣れざるを得なかったんだろうなあ」

 少しばかり遠い目をする竜族の王。
 日常的に飛竜に乗ってはいても、優れた乗り手と自負していても、日ごろから世話は他人任せである。卵を姫君たちに与え成り行きを見ていただけの彼は、ここでも黄金色の飛竜に好かれる要素がないということだ。
 人族の王子は、悔し気に眉根を寄せた。

「そうだな。一緒に育てたっていうなら、うちのロギのほうがそれに近いかな」
「な……っ」

 王子が驚いて竜族の青年を凝視するが、当たり前だ。
 ロギはシルヴァリ家で卵の世話を言い使った優秀な飼育員である。他の飼育員たちにもそれなりに可愛がられてはいるが、いちばん飛竜の子供が懐いているのはシェリンを除けばロギだろう。

「それで、シェリン」
「は……っはい!」

 いきなりくるりと振り返った竜族の王に名前を呼ばれたシェリンは、びくっと肩を揺らした。
 クリーム色――やはりシェリンは、クリーム色だと思うのだ――の小さな飛竜が「ぐあっ」と真似をするように声を上げる。
 イルナンは苦笑した。

「いや、緊張しなくていいからほんとうに」

 お嬢さんは、なんにも悪いことしてないし。
 含みのある言い方に、痛いほど伸びきった背筋がどうにも元に戻せない。
 そんな彼女の様子にまた小さく笑ってから、竜族の王は言った。

「言った通り、サニアは連れて帰る。ここは。この先何がきっかけでいつ暴れ出すかわからんし、成獣になればおれでもコレを抑えることは苦労する」
「はい……」
「それで、シェリンにも頼みごとがある。申し訳ないんだが、あんたも一緒に来てくれないかな」
「は?」

 思わずシェリンは聞き返した。
 足元で、ぴったりと寄り添うひんやりとした体が「ぐあうぅー」とご機嫌に鳴く。
 説明を加えてくれたのは、傍らに立つロギだった。

「黄金色の飛竜であるサニアをここには置いておけない。でも、サニアと君は引き離せない。無理に引き離せば……危険なんだ、いろいろと」

 つまり、暴れて駄々をこねるということだ。
 ぐあうー、と飛竜の子供が同意した。

「それで、あの、わたしが……どこへ?」

 シェリンが聞けば、ロギはほっとしたように笑う。

「竜族の里へ。ここよりちょっと空気は薄い高地だけど、いい所だよ。人族だってけっこう住んでいるし、もちろん不自由はさせない。家族が心配なら、一緒に移り住んでも――」
「シェリン!」

 叫んだのは、がっくり項垂れているとばかり思っていたキリム王子である。
 ロギが王子を見て、目を細める。

「……キリム王子の妃になりたい?」
「いいえ、とんでもない!」
「シェリン!?」
「だって無理ですから!」

 シェリンはぶんぶんと首と手のひらを振って精一杯否定した。
 あちらは王位継承順位が低いとはいえ直系王族。こちらは名ばかりの末端貴族。
 王子だろうと何だろうと、彼女にとってはついさっき初めて会った見知らぬ人である。
 いきなり妃だの何だの言われても、よく分からないというのが正直なところだ。
 そんな感じなので、キリム王子とサニア。どちらか一方を選べと言われたら、シェリンは迷うことなく後者を選ぶ。

「そうだな。おれもお勧めしない」

 にっこりと笑って竜族の王が言った。
 例えば若い二人が想い合っているというならば、考慮しよう。
 しかし実際シェリンは困っているようだし、あれほど言ったのに王子の青い瞳にはいまだに野心がみえる。黄金色の飛竜も、諦めていないのだろう。
 王子がこんな風に執着するから、ここに彼女とサニアを置いておけないのだ。
 
「いろいろと迂闊だ人族の王子。これ以上失望させるなよ」

 イルナンの琥珀色の瞳がすっと冷える。
 それだけでキリム王子はひゅっと息を飲み、そして今度こそ口をつぐんだ。



     ◇  ◇  ◇



 後ろにいたせいで竜族の王の冷気にまったく気づかなかったシェリンは、そういえば、と傍の竜族の青年に話しかけた。

「ロギさん、竜族の王様と知り合いだったんですか?」
「いやー、知り合いも何も」

 嬉しそうに答えたのは、なぜか竜族の王である。

「これはおれのむす―――」
「シェリンとサニアの事を報告したら、興味を持たれたんだ」
「……そうそう。久しぶりに連絡きたかと思ったらまさかの嫁――」
「黄金竜が出来るかもしれないなんて、やっぱり気になるからね」
「……まあ、そういう事にしとこうか!」
「………」

 飛竜の観察係だったシェリンだが、まさか他所から観察されているとは思わなかった。
 しかしそれよりも。
 聞き間違いでなければ、いま王様の言葉をロギが堂々と遮った、というか無視したような気がしたのだが。

「ええと……」
「どうしたの?」
「……いえ、何でも」

 あるいは、人族と竜族の王様の在り方が違うのだろうか。
 まあ、竜族の王様はシェリンにもとても気さくに接してくれるし、二人は妙ににこにこ笑い合っているので、おそらく大丈夫、なのだろう。
 そういえばこのふたり、こうして向かい合っているとよく似ている気がする。
 竜族を見慣れていないからみんな同じ顔に見えるのかな、と彼女は内心で首を傾げた。

「余計なこと言うな」
「えー今さらじゃねーか」

 ぼそぼそ言い合う竜族の二人の会話は、いきなりいろいろあって飽和状態の頭にはまるで入って来なかった。
 イルナンに肘で押され、ロギがシェリンに向かい合う。
 人族の男性よりもよほど高い位置から見下ろされても、彼女に怖がる様子はない。

「……シェリン、おれと一緒に来てくれる?」
「ロギさんも一緒ですか? それならすごく心強いです!」

 ロギが出来る限りの優しい声音で言えば、シェリンはぱっと顔をほころばせる。
 その笑顔は、時間をかけて彼がもぎとった信頼の証。
 キリム王子が呻いた。

 種族の隔たりがあっても変わらず向けられる笑顔に懐いたのは、なにもヴァフスジルサニアだけではない。
 サニアがいなければ、ロギはシェリンと顔を合わせることもなかっただろう。
 同じシルヴァリ家の使用人とはいえ、片や飼育舎に詰める飼育係、片や末娘のセレーナに仕える侍女。持ち場が違いすぎる。
 でも、出会えた。
 これだけは感謝してもいい。が、ぽっと出てきた人族の王子ごときに奪われてなるものか。
 この幸運を、ロギに逃す気はないのだ。

「くあああっ」
「……忘れてないよ。もちろんサニアだって一緒だ」
「ぐああうー」


 満足そうに鳴く飛竜の子供を見て、シェリンはくすりと笑う。
 もとは王家所有の卵。セレーナ姫が王子妃になろうとなるまいと、飛竜はいずれ王家に返されるのだと思っていたのだから。
 サニアとお別れするときは絶対泣く。そう覚悟してもいた。
 これから先もサニアと一緒にいられるのであれば、彼女にとってこんなに嬉しい事はない。

「じゃあ、お世話になります。イルナン様、ロギさん」
「おー、任せとけー」
「これからもよろしく」

 同僚の侍女たちは、竜族の男性は大きくて怖い、という。
 しかしシェリンがふたりの竜族に挟まれて感じたのは、安心感だった。

 どんと胸を張る竜族の王に、何となく似通った雰囲気の飼育係。

「よりによって同じ三番目って。なんか因縁を感じるなあ“ログウィル”?」
「うるさい関係ない」

 にやにや笑う竜族の王に、ロギは素っ気なく返した。
 社会勉強のためとはいえ、仮にも竜族の第三王子が人族の貴族の邸宅に使用人として雇われていたなど。いったい誰が勘付くというのか。

 この親子の会話が少しでも耳に入っていれば、シェリンも竜族の里行きを少し考え直したかもしれない。
 しかし。

「ぐあううー」

 偶然か、故意なのか。
 つるんとした尾を絡めてごろごろ喉を鳴らし、絶好調で甘えにかかる飛竜の子供を嬉々として構い倒すシェリンは、けっきょく引っ越すまでロギの正体を知らずに過ごしてしまうことになる。





          ◇     ◇     ◇






 数年後。

 ようやくお相手が決まった人族の第三王子キリムの結婚式にて、竜族の第三王子夫妻がの飛竜に乗って駆けつけたことで、人々の度肝を抜いた。
 伝説の再来に、人々はなおいっそう熱狂し、アルマ王国の繁栄を確信する。
 鷹揚に祝福を受け取ったキリム王子は、その万人を魅了する笑顔の裏でぎりぎりと歯ぎしりをしていたとか、いなかったとか。




おしまい。


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みんなの感想(2件)

愛莉さん
2018.12.03 愛莉さん

サニアかわいいですね✨

二人の結婚までのいきさつもみたいかなと
思いました❗

2018.12.04 いちい千冬

愛莉さん 様

読んで頂きまして、ありがとうございます!
続編、考えていないわけではないんですが、なかなか暇がなく(汗)
せめてサニアとシェリンの出会い場面が書きたいなーと思って、こちらに上げさせていただいたんですが。
もっと書きたい場面が増えました(苦笑)ロギさんとのやり取りもそうですね。
いまは予定が立たないんですが、その内書くかもしれません。
コメントありがとうございました^^

解除
uro
2018.11.30 uro

やはりサニア可愛いなあwまたサニアに会えてうれしいです!

2018.12.01 いちい千冬

uro 様

ヴァフスジルサニア、読んで頂きありがとうございます!
シェリンとサニアの出会いのシーンがどうしても書きたくなり、こちらに上げさせていただきました。
機会があれば、もうちょっと書きたいなあと思います。

解除

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