ポケットの中の追憶

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一旦、自宅に戻った祐希はシャワーで汗を流し、簡単に早めの昼食を済ませると、またすぐに家を出た。
今度は電車を乗り継いで移動したため、少し時間がかかり、球場に到着した時には、すでに試合は始まっていた。
子供達の親なのか、観客席には三十人くらいいた。
祐希はその中に紛れ込む。
マツケンは一塁側のベンチにいた。手を叩いて鼓舞したり、打席に向かう子供にアドバイスをしている。
本当に監督してるんだなと感心しながら、スコアボードを確認する。
三回裏一アウト。二対一でマツケンチームは負けていた。
ただ、二塁にランナーが出ている。
「打てー、だいすけ」
近くで大きな声が放たれる。父親らしき男が打席に立つ子供に声援を送っていた。
その微笑ましい光景に、祐希は心を乱される。
弟が生きていたら、こんな未来があったのだろう。そう思わずにいられなかった。
こんなことしている場合かと、途端に落ち着かなくなる。
昨夜、デートに行かなかった。
あれから彼女に連絡していない。
とりあえず早く電話して謝らないと。
自分を急かす祐希の脳裏に、昨夜のマツケンの声が響く。

「結局あんたは結婚も都合のいい関係も望んでないんだろ」

でも、もう決めたのだ。
これまではそうやって飲み込んできたが、うまく飲み込めない。
今まで目を逸らしてきた後悔が塊となり、祐希の胸中を塞いでいる。
でも、もう決めたのだ。
祐希は繰り返した。自分を納得させるためではない。
これ以外の言葉がないのだ。
前に進むためには。

もう決めたのだ。
誰も祐希を責めなかった。あれは不運な事故だった。
どうしようもないことだったのだと、頭の中では分かっている。
でも、最後のあの言葉を忘れることはできなかった。
当時、光輝と付き合っていた女性は妊娠していたが、光輝の死がショックで流産してしまったという。
後から人づてに聞いた話で、どこまで真実かは分からない。
ただ、彼女の妊娠を知っていたから、あの言葉が出てきたのだと思えてならない。
「俺だってちゃんと考えてる。好きな女くらい幸せにする」
あの日、自分の鬱憤を八つ当たりしなければ、土砂降りの雨の中に追い出さなければ、弟は死ぬことはなかった。
そして、未来へと続く生命の系譜も途切れることはなかった。
弟の死。
この過去を覆すことはできない。
だが、未来を作ることはできる。
これが償いになるとは言わない。極端な考え方かもしれない。
でも、同じ遺伝子を持った双子の片割れである以上、この事実から目を背けるわけにはいかなかった。
弟の未来を受け継ぐことができるのは自分しかいない。
もう決めたのだ。
受け継がれるはずだった命をつなげる。
名前も決めてある。
幸輝。弟と祖父の名から取った。
女の子でもこの名前にする。向かうべき未来は決まっている。
とりあえず、前に進めなければ...。

祐希はスマホを取り出して、起動させる。
その時、わあっと歓声が上がった。
祐希はグラウンドを見る。だいすけがヒットを打ったようだ。
ボールはバウンドしながら、サードの足の間を抜けた。
だいすけは一塁を回り、二塁まで滑り込んだ。
その間に塁に出ていたランナーが帰ってきた。
ベンチにいるマツケンはハイタッチで出迎えている。
祐希も思わず拍手を送っていた。
この後もチャンスは続き、ひとつアウトを取られたが、だいすけは三塁まで進んだ。
次のバッターが打席に立つ。女の子のようだ。長い髪を三つ編みにしている。
一球目、空振り、二球目も空振り、三球目、バッドに当たった。
転がる打球をショートがキャッチした。が、慌てたのか落としてしまった。
三つ編みの子が全速力で一塁に向かう。
ショートが一塁に球を投げた。三つ編みの子は手を前に出し、ベースに飛び込んだ。
ヘッドスライディング。
審判の判断はセーフ。
この間に、だいすけが帰ってきて、一点入った。
見事なヘッドスライディングを決めた三つ編みの子がガッツポーズで歓声に応えている。
日焼けした顔からこぼれる白い歯が眩しい。
この回に二点入れて勝ち越したが、次の回で二点取られ、逆転を許してしまった。
それから一点差を追いかけるシーソーゲームになり、目の前で繰り広げられる子供たちの熱戦に魅入ってしまった。
七対八でマツケンチームが勝った。
なんの縁もゆかりもないのだが、子供たちの親と一緒になって喜んで、興奮に突き動かされるまま、ベンチにいるマツケンに駆け寄って、声をかけていた。
「いい試合だったな」
「あ、あんた」
マツケンは目を見開いて驚いている。
「試合、観てたのか?帰ったんじゃ...ていうか、よくここが分かったな」
「検索したら一発で出てきたよ。アパート付近の球場施設はここしかなかったからな」と祐希は説明する。
「でもなんで?」
「あ、帰る途中で気が付いたんだよ。タクシー代を渡してなかったって」
財布から一万円札を取り出し、マツケンに渡そうとしたが「いいって」と突き返される。
「そのためにわざわざ戻ってきたのか。別にいいのに、見ず知らずの他人なんだから」
「山尾祐希。俺の名前」
祐希は自ら名乗り、「あんたの名前も教えてくれよ」と言っていた。
松田健二まつだけんじ
「もう見ず知らずの他人じゃないな」
「確かに」
マツケンは笑う。でもすぐに眉根を寄せて、こう言う。
「けど、お金のことは気にすんなって」
「いやでも、こういうのはちゃんとしときたいんだ」
一万円札を渡そうとするが、マツケンは頑なに拒否する。
「いいって、一万円もかかってないし」
「いろいろ迷惑かけた分もだよ」
「いいって」
「よくないって」
「もらっとけよ。監督」
そのやりとりを見ていた子供が言った。
「そのお金で焼肉連れてってよ」
「焼肉行きたい」
「やったー。焼肉」
散らばっていた他の子供たちも集まって、変に盛り上がってしまう。
「あのなあ、一万円じゃ焼肉行けないって。うちのラーメンならいいけど」
「監督んちのラーメン飽きたよ」
「飽きたとはなんだ。じゃあ、無理だよ。また今度な」
マツケンは諌めようとするが、興奮する子供たちは収まらない。
「またそうやってごまかす」
「試合に勝ったら焼肉連れてってくれるって約束したでしょ」
「そんなことしたっけ?」
「したーっ」
全員が声を揃えて答えた。
どうやらそういう約束をしてしまったのだろう。
監督も大変だな。
祐希は苦笑し、困っているマツケンに囁く。
「連れってやれよ。今日は俺が持つから」
「え?いいのか」
「まあ、タクシー代の代わりな。それに、いい試合見せてもらったし、子供たちにお礼をしたいんだ」
「俺はありがたいけど、でも、子供の食欲を舐めてると痛い目に遭うぞ」
マツケンは不安になるようなことを言う。だが、言った手前、引けない。
「だ、大丈夫だって。別に高級焼肉奢ろうってわけじゃないし」
祐希はスマホを操作し、近くにある庶民的な価格の焼肉店を慌てて探した。



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