だから、わたしはクズのまま

やなぎ怜

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 わたしは両親以外のだれかを愛さなかったので、だれからも愛されなかった。

 かといって両親とのあいだで、愛情が完結していたかと言えばそういうこともない。

 わたしは両親には愛されていなかった。最期の瞬間まで、きっとそうだったんだろう。

 それでも死んだあとにはなにかしら残るもので、わたしのもとに残されたのは、両親の小さな遺骨と、莫大な保険金と遺産であった。

 相手側に一〇割の過失が認められるような事故に巻き込まれて、両親はあっさりとわたしを置いて逝ってしまった。

 残されたわたしは、悲しみに暮れることはなく、ただただ無気力に過ごした。

 高校だけはかろうじて卒業したけれども、その後は堕落の一途だ。金に物を言わせ、学業に励むでも、就労するでもなく、広い一軒家に引きこもったのである。

 悠々自適の引きニート生活。文字にしてみると、なんとも羨ましい。けれどもわたしは、どうだったのかな。

 いや、さっき言ったようにわたしは無気力だった。完全な、抜け殻だった。

 食事はしたりしなかったり。娯楽のために外に出るようなこともなく、一方で無音が寂しくて一日中テレビをつけていた。

 そういえば風呂もたまにしか入っていなかった気がする。しかも入ると言ってもシャワーを頭からかけ流していたような。

 本当に無気力な生活だ。

 そして、とっても無駄な日々だ。

 わたしはそんな日々を享受しながらも、心のどこかでは焦燥感にさいなまれていた。

 これではいけないと思いながらも、結局、わたしはなにもしなかったんだろう。

 あるいは、しようとしたけど出来なかったのかな。

 たとえばいきなり運動しようとして、心臓発作でぽっくりとか。あとはあんな食生活だったから、栄養失調で……とか。

 いずれにせよ言えるのは、目覚めたらわたしは塔の中に幽閉されている、小さな少女になっていたという事実だけだ。


 不意に目覚めたときに巡った思考は、妙に生々しい夢を見た、というものであった。

 大きなあくびをひとつして、腕を天井へと向かってつきだす。筋が伸びる感覚がなんとも気持ちいい。

 そうしたら今度は長くうねった黒髪をリボンでひとつにまとめて、あらかじめ用意しておいた水桶で顔を洗う。

 次は髪を整えなくちゃ。

 そこで小さな鏡台を見て、わたしは毎朝続けていたのであろうルーチンを止めたのである。

 わたしは杏樹あんじゅという名の女だった。

 そしてわたしもアンジュという名の少女だった。

 混乱したのは本当だけれど、なぜかわたしは自然に、夢の中で見た杏樹という女は死んだのだと思った。

 そしてここにいるのは――杏樹の生まれ変わり? あるいは精神が入れ替わった? あるいは憑依というやつか?

 もちろん真実なんてわかりっこない。あの夢は単なる夢だったのかもしれない。

 けれどその日からアンジュという名の少女が変わったことだけは、事実のようだった。

 わかったこと。このアンジュという少女は、塔に閉じ込められている。

 なぜ閉じ込められているかはあとでなんとはなしに理解したのだが、今は割愛する。

「姫様、お加減はいかがですか?」

 わかったこと。このアンジュという少女は「姫」とか言う――要するに貴人のたぐいであるらしい。

 毎日通いのメイドさんが食事を届けにやって来て、ついでに体調を聞いたりして来る。

 わかったこと。この塔は結構広い。堅牢な石塔で、内部はらせん状に階段が巡らされている。そしてその踊り場部分を拡張したような部屋が、各所に点在していた。わたしは一番上の、屋根裏部屋のようなところで暮らしている。

 わからなかったこと。なぜ「姫」なんて呼ばれているのに、わたしは閉じ込められているのか。

「殿下、お加減はいかがですかな?」

 することと言えば塔の中に放置された書棚から、いつから置かれているのやらわからないほど古い本を読むことくらい。

 あとは決まりきった生活を送る。

 けれどもたまに塔を訪れる者がいる。彼らはみな周囲から身を隠すようにしてやって来る。それはたいてい夕暮れ時。馬の蹄が、彼らが来たという合図の代わりであった。

「うん。みんなのお陰で快適よ」

 快適かどうかはともかくとして、まあなにもせずに暮らせているのだからと、わたしはおべっかを使う。

 けれども彼らが真実わたしのことを気づかっているわけではないことは、ハナからわかりきっていた。

 彼らの目的はそんな前置きの先にある。

「それはようございました」

 彼らは大抵そう言って、幼子を安心させるような笑みを浮かべる。

 アンジュは鏡で見た限りでは児童と言うくらいの年齢で、恐らくは七歳から九歳のあいだくらいといったところだろうか。いかんせん人種が違うので正確な年齢がわからない。

 ただ幽閉されていることと、食事が質素なことを考えれば、実年齢はもっと上かもしれなかった。

 どちらにせよ、アンジュ――わたしは、彼らからすれば御しやすい子供であることに変わりはないのである。

「それでは殿下、近頃はどのような夢を見られましたかな?」

 これが本題だ。そして、わたしがこの石塔に閉じ込められている理由――らしい。

「最近見るのは白い立派な服を着たおじさんが苦しむ夢」

 わたしは彼らの問いにそうやって答えなければならない。

 夢の内容を話すほど、詮のない会話はないと思うのだが、彼らの目的こそ、その「詮のない会話」であった。

「ほうほう。そのおじさんはどうして苦しむのかわかりますかな?」
「おじさんのお皿になにかが入れられたの。きっと毒」
「そのお皿はどんなお皿か覚えておりますか? そのお皿に『なにか』を入れた人間は?」

 彼らはわたしから夢の内容を聞き出すためだけにやって来て、そのためだけに笑顔を作ってこびへつらうのだ。

 そしてそういうことが幾度か繰り返された結果、わたしはひとつの推測を立てるに至る。

 予知夢。

 荒唐無稽と笑われそうだが、今のところ思いつく答えはこれくらいしかなかった。そうでなければ大の男たちが必死で夢を聞き出す理由などないと、わたしは思う。

「ここに来る女の人と同じ服を着た女の人……茶髪で青い瞳で、左の頬にほくろがある人」

 果たしてどれが予知夢なのかまでは、わたしにもわからない。明らかに現実とは違う夢を見ることもある。

 一方で、アンジュの始まりの記憶――すなわち杏樹の夢を見たときのような、生々しい現実感を覚える夢を見るときもある。

 わたしが彼らに話すのは後者の夢だ。

「その女の人が朱色のスープに白い粉を入れるの。周りに人がたくさんいて……料理してる人もいるけれど、忙しくてだれも気づかなかったみたい」
「ふむふむ。その女の人の名前はわかりますか?」

 男の問いにわたしは首を横に振った。しかし彼はそれでも満足のいく情報を持って帰ることが出来たと、内心で安堵していることだろう。

 ここに通う男たちの年齢は様々だったが、総じてアンジュの父親ほどの年恰好の者が多かった。順当に出世していれば、それなりの地位に就いているだろうことが予測できる年齢である。

 となればアンジュの存在はこの国――恐らく。姫やら殿下やらと呼ばれているのだから――ではトップシークレットなのかもしれない。

 そして塔を訪れる彼らの、一様に緊張した面持ち。予知夢を聞き出すよう命じているのは、王様とか、きっとそのあたりだ。王様、となればそれはアンジュの父親なのだろうか?

 アンジュの父親だとすれば、彼は娘をこの石塔に閉じ込めて、予知だけを吸い上げていることになる。

 わたしはそこまで妄想して、自嘲の笑みを浮かべた。

 実の父が王様であろうとなかろうと、親がいるとすれば、こんな塔に娘を閉じ込めている時点で、そこに愛情は期待出来なさそうである。

 よくわからない世界に来てまで、これか。

 そう思うとわたしはそうやって嘲笑わらわずにはいられないわけである。
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