運命に泣け

やなぎ怜

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 第一印象は特になにも引っかかりはしなかった。

 一学期の始まりと共に編入してきた生徒。……に、校内を案内する役を押し付けられたのが、少し面倒くさかった。それだけ。

 別に顔を合わせて不快だとも思わなかったし、かと言ってひと目見て惹かれるほどの美貌の持ち主でもなかった。

 だから崇仁は小浦花織のことをごく自然にベータなのだと思い込んだ。が、それはまったくの先入観に過ぎなかったわけだが。

 崇仁と花織はクラスメイトだったが、それ以外に接点を持たなかった。

 良く言えば孤高であり、悪く言えば孤立している。それが崇仁を取り巻く状況を端的に表したものだった。

 一方の花織も、親しい人間を作ろうとしないフシがあった。

 相手がアルファだろうがベータだろうがオメガだろうが、花織は平等に距離を置いている様子だった。

 けれどもそれだって、特に崇仁の気を引くような材料にはならなかった。

 ごく普通の、どこにでもいる人間という雰囲気に反して、厭世家なのだろうかと好き勝手想像したくらいだ。

 だからこのままなにもなければ、崇仁は学院を卒業すると共に、花織のことなどすぐに忘れ去っていただろう。

 けれどもそうはならなかった。

 ことさら強く印象に残ったのは、花織の涙だった。

「触るな! 気持ち悪い!」

 不意の発情期に見舞われて、手癖の良くない生徒に襲われていたところを崇仁が割って入って助けたのだ。

 けれどもはじめ、花織は崇仁も敵だと思っていたようだ。崇仁がアルファであることは校内でも知れ渡っていたので、致し方ないことかもしれない。

 オメガである花織にとって、アルファはみな敵に見えるのかもしれない。それはそれで、なかなか因果なことだと崇仁は思った。

 二階の窓から花織を見つけたとき、彼は果敢にも手篭めにしようとする男に蹴りを喰らわせていた。お陰で崇仁がたどり着いたときには、花織の頬には殴られた痕があった。

 それでも花織はそのときは泣いてはいなかった。気丈な性格だな、と思ったことを覚えている。

「抑制剤は持っていますか?」

 下手に自分が敵ではないと示すよりは、建設的な提案をすることで、崇仁は混乱しているであろう花織を鎮めにかかった。

 花織は崇仁の言葉にはじめ、困惑していた様子だったが、おずおずと頷いて、遠くに転がる学校指定の通学カバンを指し示した。

 崇仁がそれを取りに行って渡すと、花織はあからさまにホッと安堵した顔になる。

 これで花織が抑制剤を飲んで、あとは保健室に送り届ければ自分の仕事は終わりだろう。そう目の前の不幸な出来事を前にしても、崇仁はどこか冷めた目で見ていた。

 だから、不意を突かれたのかもしれない。

 ぽろり、と花織の目の端から涙の雫がこぼれ落ちた。

 花織はハッとした顔になると、制服の袖で目の端をごしごしとこすった。

 けれども涙はあとからあとからあふれ出てきてしまったらしい。

 しまいにはその場にうずくまって、嗚咽を漏らし始めた。

 そこへ来て、崇仁は初めて先ほどの出来事が、オメガである花織にとってどれほどの恐怖であったかを知った。

 アルファである崇仁には、発情期を不意に迎えてしまったオメガが襲われることがあるという知識はあった。それが、ままあることだということも。

 けれども結局は上辺の知識だけだ。その現実に介在する生々しい感情など、アルファである崇仁は真剣に想像したことなどなかった。

 今まで出会ったオメガに、反発心しか感じたことがなかったことも大きい。

 その筆頭は澪一であり、他のオメガも崇仁に媚を売るか、そうでなければ澪一に「飼われている」崇仁を冷笑した。

 崇仁にとって、オメガとはそういう生き物だった。

 けれども花織は、そのどれでもなかった。

「……怖かったですよね」

 崇仁は花織のそばでしゃがんで、上下する彼の背中をさすった。

「……うん」。花織はそれだけを返すと、しばらくのあいだしゃくり上げながらも静かに泣き続けた。

 崇仁はそれを鬱陶しいとは感じなかった。むしろ、衝撃を受けると同時にどうしようもなく彼を守ってやりたいという庇護欲を抱き、そんな自分にまた動揺していた。

 ひと目惚れ。そんな言葉が脳裏に浮かんだ。

 そうなると大して親しくもなかったはずの花織のすべてが気になってくる。

 発情期を迎えて垂れ流し状態になっているフェロモンの香りも、不快には感じない。むしろ、いつまでもその場に留まっていたいという気さえ湧いてくる。

 澪一からはなんの香りもしない。澪一はフェロモンをシャットアウトする抑制剤を常用しているからだ。

 だから崇仁は澪一のことを「人形のようだ」と思う。本来であればするはずの、オメガの匂いが一切しないからだ。

 けれどもしたらしたで、きっと崇仁は澪一の匂いを嫌うだろうという確信があった。

 そう考えれば、澪一がフェロモンを抑制する薬を服用していることは、崇仁にとっては幸いだったかもしれない。

 花織はしばらく泣いていたが、一〇分もしないうちに泣きやんで、またごしごしと目元を制服の袖でこすった。

 そして通学カバンから水色のピルケースとペットボトルの飲料水を取り出し、抑制剤らしき錠剤を飲み込んだ。

「ごめんなさい。助かりました」
「いえ……謝ることはないですよ。同じクラスの生徒ですし」
「うん……えっと、永宮くんだよね? 名前」
「……ええ」

 崇仁は間違いなく永宮の人間だったが、花織からその名で呼ばれることに抵抗を覚えた。

 だからだろうか。気がつけばこんな言葉が口を突いて出ていた。

「同じ学年にも『永宮』がいるので、私のことは『崇仁』と呼んでください」

 それはスラスラと舌から出て行った。今まで、そんなことは一度も言ったことがないのに。

 けれども花織は崇仁の言葉に疑問を抱いた様子はない。

「え? そっか。わかった。親戚でもいるの?」
「従弟がいるんです。今は入院しているので見たことはないと思いますが……」

 高等部に「永宮」の名を持つ者は三人いる。

 崇仁の許婚である三年生の澪一、二年生の崇仁、そして崇仁と同学年で正確には澪一の従弟にあたる涼太りょうたというアルファの三人だ。

 涼太は不幸にも交通事故に遭い、今現在は休学している状態だった。しかし学院に復帰する日は近いと聞いている。

 が、そんな事情は編入したばかりの花織が知る由もないことであった。


 その後、花織を保健室に送り届け、職員室で諸々の出来事を報告した崇仁は、その帰途で寂寥感に襲われていた。

 正体はわかりきっていた。花織だ。花織の香りが、存在が、崇仁の心に穴を開けてしまった。

 保健室から出るときも、名残惜しくて仕方がなかった。けれどもそんなそぶりを見せることは、崇仁には許されない。

 崇仁には澪一という許婚がいるからだ。

 学院内でそのような立ち回りをすれば、あっという間に彼の耳に入るだろう。その後のことは、想像するだにおぞましい。

 ――けれども結局、崇仁は我慢しきれなかった。

 しばらくの休みを挟んで学院に顔を出した花織が、礼をするために崇仁を呼び出したときに、率直な感情を吐露してしまったのだ。

「え?」

 花織のことを恋愛の対象として好いている。そういうセリフを崇仁が告げたとき、花織は奇妙に顔を歪めた。

「冗談はやめてよ」
「冗談じゃないんです。……冗談だったら、どれだけ良かったか」

 そう、冗談であれば良かった。

 しかし一方で、崇仁は花織とのすべてをウソにしたくなかった。

 花織と出会わなければ、自分は鬱屈した感情を抱え、オメガを好きになることもなく、限りある人生を浪費し続けていたのかと思うと、ゾッとする。

「ひと目惚れ……なんです」

 声が上擦った。こんなことは滅多になかった。

 永宮の人間として認められていないのに、永宮の人間として完璧さを常に求められてきた崇仁が、今や声を上ずらせ、緊張に手汗をかきながら、どうにかこうにか花織の気を惹こうとしている。

 こんな自分を見たら、澪一は嘲笑わらうだろうか? もしかしたら、そうかもしれない。

 けれども人形のような澪一が、嘲笑にせよ笑顔を見せる場面を、崇仁は想像できなかった。

「崇仁くんは……ぼくにどうして欲しいの?」
「……ただ、そばにいて欲しいんです。無茶なことを言っているのは承知です。でも――」

 崇仁が必死で花織に言い募ろうとしたとき、彼は「もういいよ」と言った。

 一瞬にして、崇仁は崖から突き落とされたような気になった。

 けれども花織の言葉には続きがあった。

「ぼくも……。……でも、言えないよ。崇仁くんには永宮先輩がいるから。……でも、ぼくも崇仁くんのこと――」

 花織は決して崇仁のことが「好き」だとは言わなかった。言えなかったのだろう。

 けれども目の前にいる崇仁には、じゅうぶんに伝わってしまった。

 密かに目を輝かせる崇仁に、花織は今にも泣きそうな顔をして、笑った。

「そばにいたい。そばにいるだけでいいから。それ以上は望まないから。だから……」

 それ以上の言葉は、ふたりには必要なかった。
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