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己の榮への気持ちを断ち切れものがあるとすれば、それはきっと「運命」だろう。どこかで珊瑚はそう夢見ていた。
そして、「運命」というものはきっと、ひどくロマンティックで美しいものだと勘違いしていた。
珊瑚は「運命のつがい」に出会って己の愚かな勘違いを思い知った。
「私の彼氏は二次団体の組長の息子なんです。早まって私たちの関係を大っぴらになんかすれば彼の顔を潰すことになる……。そうなったら彼がなにをするかわかりません。彼、怒らせたら怖いんですよ」
だから私たちの関係は今しばらく秘密にしておきましょう――。
珊瑚はいつになく饒舌にそう言い切った。
汚臭のする繁華街の路地裏で、珊瑚は己より五つ以上は歳が上に見える男と向かい合っていた。
男はセンスのない柄シャツを着て、いかにもチンピラですと言いたげな顔つきと歩き方をしていて、実際に珊瑚からすればそこらのどうでもいいチンピラであった。
珊瑚は先ほどまでの男との会話を必死に思い出そうとする。男は三次団体だか四次団体だかの、さらに準構成員とかいう立場だったはずだ。まず、組織の末端の末端であることには違いなかった。
そんな男が珊瑚の「運命のつがい」だった。
たまたまいつも一緒にいる榮がいなかったのは、運が悪かったとしか言いようがない。しかし、この場に榮がいなかったことはまた、運が良いとも言えた。
榮がいないからこそ、珊瑚は大胆な嘘をつくことができたのだ。
つまり、榮が珊瑚の彼氏で、なにをするのかわからない男だという、出まかせの嘘を。
先ほど珊瑚がまくしたてた言葉の中で、嘘ではないのは榮が二次団体の組長の息子だということくらいだった。
珊瑚は榮がメンツを気にする人間だと考えたことはなかったし、そもそも彼が怒りをあらわにした場面も見たことがない。
榮だって人間だ。怒ることくらいはあるだろう。けれども「スマートな」と評される榮は、その通りに見苦しいとされる感情を表に出すことはなかった。
珊瑚が「運命のつがい」だということがわかっているからだろう。男はやけに馴れ馴れしく珊瑚の肩に触れた。珊瑚の体はその接触に明らかに喜んでいた。本能は、男を求めていた。
下腹部がずんと重くなって、下着に愛液が垂れるのがわかった。その事実が――吐きそうなほど気持ち悪かった。
ガラの悪い言葉遣いで男が珊瑚をホテルに誘う。にたにたと下卑た笑みを浮かべているのがわかった。気持ち悪くて気持ち悪くて仕方がないのに、珊瑚の本能は男を求めていた。
けれども男とベッドを共にすることを考えると、今度こそ本当にその場で嘔吐してしまいそうになる。
珊瑚がそうしたいと願って、実際にそうしたことのある相手は榮だけだった。ベッドの上で体を暴かれるのも、ひどくされるのも、優しくされるのも、榮以外とだなんて考えたこともなかった。
「ごめんなさい……彼氏と約束しているから。少しでも遅れたら勘ぐられちゃう」
下手に出つつ榮の存在をチラつかせれば、男は舌打ちをして意外にも大人しく引き下がった。
男は「運命のつがい」である珊瑚に心奪われている様子がないことも、珊瑚を失望させ、絶望へと突き落とした。
これで男から熱烈な愛の言葉でも囁かれていれば、珊瑚だってひとさじていどの罪悪感は抱いたかもしれない。
けれども男は、珊瑚をただの踏み台としか見ていないことは明らかだった。二次団体の組長の娘。そんな珊瑚と結婚できれば――と男があれこれと皮算用をしていることは、珊瑚にも丸わかりだった。
「運命のつがい」はもっとロマンティックなものだと思っていた。たとえば、そう、榮と瑠璃子のような甘酸っぱい関係。そんなものを珊瑚はモデルケースとして想定していた。
けれども、現実は違った。珊瑚の「運命のつがい」は、そこらのチンピラ男で、珊瑚を偶然手にできそうな便利な道具くらいにしか思っていない輩だった。
肉体は熱烈に男を求めていたが、心は凍えるほどに冷えゆくばかりだった。
そのあと、どうやって帰ったのかは覚えていない。
しかしスマートフォンには男の連絡先が増えていて、あの出来事は夢じゃなかったのだと珊瑚に教えてくれた。
気分は最悪だった。この広い地上で「運命のつがい」と出会えたにもかかわらず、珊瑚の心は幸福感とはほど遠い感情に支配されていた。
「運命のつがい」をロマンティックに描く映画やドラマはしょせんフィクションでしかなく、珊瑚に降りかかった現実はどこまでも非情だった。
あのときはその場しのぎの嘘をついたが、いつまでもそれが通用するとはさすがの珊瑚も思っていない。
男がしびれを切らして珊瑚と男が「運命のつがい」であることを大っぴらにすればどうなるか。珊瑚はそのときのことを想像して震えあがった。
――結婚させられてしまうのだろうか。好きでもないどころか、嫌悪感しか抱けない男と?
ぞっと鳥肌が立つ。
映画もドラマも、「運命のつがい」と出会えることは非常な幸運であり、幸福なことだと言う。けれども今ではもう、珊瑚にはそれが空疎にしか聞こえない。
あの男と一緒になって、幸せになれる未来などまったく想像できなかった。
怖かった。男と結婚させられるかもしれない未来もそうだが、己の本能が男に強烈に惹かれている事実が、なによりも怖かった。
「運命のつがい」を前にすれば、今いる恋人や伴侶がどうでもよくなると聞く。珊瑚の肉体はその通りだったが、心は激しく抵抗し、その事実を拒絶していた。
珊瑚が好きなのは榮なのだ。「運命」であって欲しかったのは、榮そのひとなのだ。
榮はどうするだろう? 珊瑚に「運命のつがい」が現れたのだと知ったら、榮はいつもの笑顔で珊瑚を祝福してきっぱりと身を引くのだろうか?
――それだけは嫌だった。
けれども珊瑚の頭の奥から溢れてくるのは悪い未来ばかり。どうしようもなく悲しくなって、珊瑚は枕に突っ伏したまま涙を流した。
「珊瑚? 起きてる?」
不意に襖の向こうでひとの気配がしたと思えば、榮の声がかかったので珊瑚は驚いて息を詰めた。
そして、「運命」というものはきっと、ひどくロマンティックで美しいものだと勘違いしていた。
珊瑚は「運命のつがい」に出会って己の愚かな勘違いを思い知った。
「私の彼氏は二次団体の組長の息子なんです。早まって私たちの関係を大っぴらになんかすれば彼の顔を潰すことになる……。そうなったら彼がなにをするかわかりません。彼、怒らせたら怖いんですよ」
だから私たちの関係は今しばらく秘密にしておきましょう――。
珊瑚はいつになく饒舌にそう言い切った。
汚臭のする繁華街の路地裏で、珊瑚は己より五つ以上は歳が上に見える男と向かい合っていた。
男はセンスのない柄シャツを着て、いかにもチンピラですと言いたげな顔つきと歩き方をしていて、実際に珊瑚からすればそこらのどうでもいいチンピラであった。
珊瑚は先ほどまでの男との会話を必死に思い出そうとする。男は三次団体だか四次団体だかの、さらに準構成員とかいう立場だったはずだ。まず、組織の末端の末端であることには違いなかった。
そんな男が珊瑚の「運命のつがい」だった。
たまたまいつも一緒にいる榮がいなかったのは、運が悪かったとしか言いようがない。しかし、この場に榮がいなかったことはまた、運が良いとも言えた。
榮がいないからこそ、珊瑚は大胆な嘘をつくことができたのだ。
つまり、榮が珊瑚の彼氏で、なにをするのかわからない男だという、出まかせの嘘を。
先ほど珊瑚がまくしたてた言葉の中で、嘘ではないのは榮が二次団体の組長の息子だということくらいだった。
珊瑚は榮がメンツを気にする人間だと考えたことはなかったし、そもそも彼が怒りをあらわにした場面も見たことがない。
榮だって人間だ。怒ることくらいはあるだろう。けれども「スマートな」と評される榮は、その通りに見苦しいとされる感情を表に出すことはなかった。
珊瑚が「運命のつがい」だということがわかっているからだろう。男はやけに馴れ馴れしく珊瑚の肩に触れた。珊瑚の体はその接触に明らかに喜んでいた。本能は、男を求めていた。
下腹部がずんと重くなって、下着に愛液が垂れるのがわかった。その事実が――吐きそうなほど気持ち悪かった。
ガラの悪い言葉遣いで男が珊瑚をホテルに誘う。にたにたと下卑た笑みを浮かべているのがわかった。気持ち悪くて気持ち悪くて仕方がないのに、珊瑚の本能は男を求めていた。
けれども男とベッドを共にすることを考えると、今度こそ本当にその場で嘔吐してしまいそうになる。
珊瑚がそうしたいと願って、実際にそうしたことのある相手は榮だけだった。ベッドの上で体を暴かれるのも、ひどくされるのも、優しくされるのも、榮以外とだなんて考えたこともなかった。
「ごめんなさい……彼氏と約束しているから。少しでも遅れたら勘ぐられちゃう」
下手に出つつ榮の存在をチラつかせれば、男は舌打ちをして意外にも大人しく引き下がった。
男は「運命のつがい」である珊瑚に心奪われている様子がないことも、珊瑚を失望させ、絶望へと突き落とした。
これで男から熱烈な愛の言葉でも囁かれていれば、珊瑚だってひとさじていどの罪悪感は抱いたかもしれない。
けれども男は、珊瑚をただの踏み台としか見ていないことは明らかだった。二次団体の組長の娘。そんな珊瑚と結婚できれば――と男があれこれと皮算用をしていることは、珊瑚にも丸わかりだった。
「運命のつがい」はもっとロマンティックなものだと思っていた。たとえば、そう、榮と瑠璃子のような甘酸っぱい関係。そんなものを珊瑚はモデルケースとして想定していた。
けれども、現実は違った。珊瑚の「運命のつがい」は、そこらのチンピラ男で、珊瑚を偶然手にできそうな便利な道具くらいにしか思っていない輩だった。
肉体は熱烈に男を求めていたが、心は凍えるほどに冷えゆくばかりだった。
そのあと、どうやって帰ったのかは覚えていない。
しかしスマートフォンには男の連絡先が増えていて、あの出来事は夢じゃなかったのだと珊瑚に教えてくれた。
気分は最悪だった。この広い地上で「運命のつがい」と出会えたにもかかわらず、珊瑚の心は幸福感とはほど遠い感情に支配されていた。
「運命のつがい」をロマンティックに描く映画やドラマはしょせんフィクションでしかなく、珊瑚に降りかかった現実はどこまでも非情だった。
あのときはその場しのぎの嘘をついたが、いつまでもそれが通用するとはさすがの珊瑚も思っていない。
男がしびれを切らして珊瑚と男が「運命のつがい」であることを大っぴらにすればどうなるか。珊瑚はそのときのことを想像して震えあがった。
――結婚させられてしまうのだろうか。好きでもないどころか、嫌悪感しか抱けない男と?
ぞっと鳥肌が立つ。
映画もドラマも、「運命のつがい」と出会えることは非常な幸運であり、幸福なことだと言う。けれども今ではもう、珊瑚にはそれが空疎にしか聞こえない。
あの男と一緒になって、幸せになれる未来などまったく想像できなかった。
怖かった。男と結婚させられるかもしれない未来もそうだが、己の本能が男に強烈に惹かれている事実が、なによりも怖かった。
「運命のつがい」を前にすれば、今いる恋人や伴侶がどうでもよくなると聞く。珊瑚の肉体はその通りだったが、心は激しく抵抗し、その事実を拒絶していた。
珊瑚が好きなのは榮なのだ。「運命」であって欲しかったのは、榮そのひとなのだ。
榮はどうするだろう? 珊瑚に「運命のつがい」が現れたのだと知ったら、榮はいつもの笑顔で珊瑚を祝福してきっぱりと身を引くのだろうか?
――それだけは嫌だった。
けれども珊瑚の頭の奥から溢れてくるのは悪い未来ばかり。どうしようもなく悲しくなって、珊瑚は枕に突っ伏したまま涙を流した。
「珊瑚? 起きてる?」
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