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一:此れはこの世のことならず

十三

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「おじけたか魔の者よ! 出てこんか!」
 空気をビリリと震わせた火生の怒鳴り声に蓮珠も耳をふさいだ。
「そう大きな声は出すものでないぞ」
 すうっと空気に溶け込んでいたかのように現れたのは白い水干を身にまとった十二、三才くらいの子どもであった。ぞっとするほどに鮮やかな赤い瞳に桜のような桃色のふっくらとした唇。背の真ん中辺りで結った髪はくすんだ灰色をしている。病的にまでに白い肌が不気味に見える。目を見張るような美少年であった。
「おかしいな。首から下があるように見えるぞ」
「う、うむ。我にもそう見えるのう。だが、姿かたちなどどうでもよかろう!」
 突進して行った火生の肩にトンと手をつき、跳び越える。すぐ傍で見上げられた蓮珠がピタリとも動かないことを知ると、柔らかく笑んだ。
「お前が酒呑童子なのか?」
 少年は笑みを崩さず、
「いかにも。我が大江山の主、酒呑童子である」
 と瑞々しい声で答える。
 それに顔を赤黒くして跳びかかろうとする火生を落ち着けと怒鳴って鎮めさせた。
「我は都人の邪悪な心から生まれたもの。鬼神と怖れられし我もただの神の子でしかない。……此度のことは我の望みしことではあらず」
 懇願するように目で訴えかけてくる。相手はそれを気にもせず、しみじみと言った。
「もし我の願いが通るのならば、我のことはそっとしておいてほしい」
 思わず頷かされてしまうところであったが、それを童子の背後にいた火生がふせぐ。
「我、悪を滅す。ゆえに我あり! それは通せん願いだ、童子よ!」
 少しの沈黙の後、童子の体が二人の頭上高くまで浮かび上がった。
「情なしとよ。鬼神に横道なきもの、さらば偽りなく戦い、散るのみ!」
 酒呑童子は、頼光たちが神から授かった"神変鬼毒酒"を飲み、眠らせられてしまっている内に縛られ、後ろから切り殺された。そのことを思い続けているのだと気付き、蓮珠はどうにかしたいと再度強く思った。
「俺は人ではない。偽りはこちらにもないから安心してくれ!」
 いや疑ひは人にあり、天に偽りなきものを――
 天女も鬼も、結局は同じ人であらざるものということか。何かを故意に騙そうとするのは人間くらいしか存在しない。
 下から顎を抉るように突き出された手を体の重心を後ろにやることで回避する。しかし、バランスを崩し、尻餅をついてしまう。
「何をしておるのだ、お主は」
 すぐさま駆け寄り、腰に提げていた剣を抜き、切りつける。が、童子は先程と同じようにひらりひらりと踊るように剣から逃げる。
「ぬうううう……!」
 歯噛みする火生を横目に蓮珠は二人から距離をおこうとした。
「お主も少しは戦わぬか」
 だが、首根っこを掴まれ、失敗してしまう。
「いや、俺は元々戦うとか、そんな荒っぽいことは苦手だから。平和主義者なんだよねえー」
 それにはははと軽々しく笑うことで自分から目をそらそうとするが、不動心を持つ男には通用しなかった。
「そう消極的ではいかんぞ。戦ってみんと良さは分からんからのう」
「いや、だから俺はいいって……」
 遠慮します、と拒否する蓮珠を見、火生はにやりと良くない笑顔を浮かべる。身の危機を感じた蓮珠は後ずさりしたが、三歩もしないうちに脇と足の間に手を差し込まれ、肩に担ぎあげられてしまう。
「ちょ、人の話を聞けよ! 待てって!」
 そのままぐるぐると回り、遠心力をつけ、思いっきり童子に向かってぶん投げた。投げられた蓮珠を童子が横に跳ぶことで避けようとしたが、左半身にかすり、そのまま巻き込んで倒れこんだ。肉の焼けるような音がし、蓮珠はその場から飛びずさる。
「卑怯な……!」
 地に手をつき、上半身を起き上がらせた童子の左半身から煙が出ており、その下から赤の頭と身、青の手、黒の足が見えた。
「やはり本性を隠しておったか」
 火生の呟きに頭を小さく振る。姿を変えていたわけではない。元々は外道丸という名の人間だったのだから。外道丸は子どもながらにその容姿の美しさで多くの女性の心を虜にした。だが、自分に恋した女性が死ぬという不吉な噂が立った。それを恐れた外道丸が貰った恋文を焼こうと箪笥を開けた時、煙がたちこみ、その煙にまかれ、気が付けば鬼に変わってしまっただけなのだ。頭と身は赤、右手は黄、右足は白、左足は黒、左手は青と、五色に変わり、眼は十五、角は五つという異相に。
「酒呑童子」
 ひたりと左頬に触れ、ひたりと右頬に触れ、また左頬に触れる。その痛ましい動作を見ていると、こちらが泣きそうになってしまう。
「何をしているのだ、武器を変えぬか!」
「武器を?」
 だが、それも火生に遮られてしまう。
「そうだ、武器を変えるのだ。お主は穢れがついてはならぬ存在なのではないのか」
「ああ、そうだが」
 まだ正体に気付いてはいないのか、と苦笑しながら錫杖を消し、火生が童子に切りかかっている間に距離をとり弓を具現させる。火生が右腕を切り落とした童子が壊れたラジオのような声で叫んだ。
「早くせんか! お主がやらぬのなら我が滅してしまうぞ。それでも良いのか!」
 荒々しくうながされ、蓮珠は弓に矢を番える。矢とは、誓うを意味する言葉である。神前に直言して誓うこと、矢は神聖な物なのだ。なので、破魔矢など、穢れを祓う物として使用されることがある。
「救うと言っただろう、お主は!」
「ああ、言ったさ!」
 だから、誓おう。神ではなく、お前にこの矢を懸けて。こんな形でしかしてやれないが、必ずお前を救うと。全てのお前を縛るものから解き放つと。
 肩幅までに足を広げ、キリキリと弦を引く。
 討てという声と討つなという二つの声が交互に聞こえてきた。この鬼は、賽の河原にいた子どもと何の変わりもない、同じ子どもだ、そう自分が自分に言っている。嫌でも討たなくてはならない、でなくてはこの鬼は永遠に囚われたままでいることとなってしまう。
「……くっ」
 歯を食いしばり、指を離す。自分の耳元で空気を切る音をさせ、それは火生の脇の間に入り込み、童子の左胸へ深く沈みこんだ。天に向かい、がぼりと童子の口が開き、そこから獣のような咆哮が上がる。火生はその様子に呆気にとられていたようだったが、すぐに我に返り、後退した。その悲しき咆哮はやがて治まり、童子の体が粉となり崩れ落ちていく。
「……さま」
 まるで泣いているかのようなかすんだ声で自分を呼ばれ、蓮珠は傍らに坐した。伸ばされた手を取り、頭を撫で、
「もう何も、追われることも、怖がれることもない」
 童子の、美しい姿の時は望まずとも女が、男が、向こうからやってきた。なのに、鬼の姿になってからは誰もが自分を恐れ、嫌い、汚らわしいと罵る。愛される幸福を心の底では感じていただろう彼にとって、それはどんなに苦しい、辛いことだったのだろう。
「誰も君を嫌いにならない。これからは、俺が護るから」
 頭を撫でていた手を、手を握っていた手を背に回し、そっと抱きしめる。
「だから、安心してお眠り」
 酒呑童子の左半分、鬼の顔がほころび、笑みの形を作る。蓮珠が頷くと、その姿が灰となり消え去った。
「お疲れ様」
 鬼ヶ城の小さな王様。
 代わりに落ちてきた笛を手に、蓮珠は立ち上がり、薄く地を照らす月を仰いだ。その隣を仕事帰りらしい女性がきゃあきゃあと頬を染めながら歩き、向いのパチンコ帰りらしいほろ酔い気分のオヤジは何だコイツは、と赤い顔を歪ませる。急に戻ってきた人間の騒がしさに蓮珠と火生は顔を見合わせ、ぷ、と吹き出した。
「此処も嫌いじゃないけど、やっぱり風がないな」
「うむ。我もそう思うのう」
「そろそろ、家に帰らないか? お前も」
 そう問うと、火生は唸った。その後、口を大きく開け、笑った。
「そうだのう。帰ると、するかのう……」
「よっし、よく言った! じゃあ、早く帰ろうぜ。……ほら、早く歩く! バス無くなっちまうだろ?」
 ぐいぐいと蓮珠が背中を押して走り出すと、火生が慌てた。
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