68 / 274
能力者編
4.暗示と決意
しおりを挟む
「エディス、朝なんだが!? いい加減起きたらどうなんです!」
腹に掛けていた薄手の毛布を奪い取られたエディスは、うーんと唸り声を上げた。シトラスはそれを見下し、ため息を吐く。
「どうやったらこんな騒音の中で眠っていられるんでしょうね」
部屋中に置かれた目覚まし時計がけたたましく鳴る中、健やかな顔をして眠る主人の姿に、シトラスは呆れていた。だが、それでもこの人を起こさなければいけない、と気合を入れるために服の袖を捲り上げる。
「起きてください!!」
*** *** *** *** ***
「全く、どうしてあなたはあんなに多くの目覚ましをかけているのに起きられないんですか」
「仕方ないだろ。朝が苦手なんだよ」
「よく今まで遅刻しませんでしたね……」
あなたには感心します、とシトラスは言った。エディスは自覚はしているので、苦い表情をしている。
「それで、今日はどういう用件なんですか?」
「早速任務だとさ」
「えっ、もうですか!?」
休みでは……というシトラスに、エディスは「急いの仕事なんだろうさ」と呟いた。
「はあ、軍って忙しいですねえ」
「そうだな。……シトラス」
「はい?」
立ち止まって自分の方に体を向けてきたエディスより三歩程先に行ってしまったシトラスは、戻ってくる。
「お前に言っておくことがある」
「なんですか、改まって」
「これから先、たくさん魔物を殺すことになる。それに、尋常じゃない数の怪我人や死体だって」
くっと唇を噛むエディスが伝えたいことを分からないシトラスは、「僕、あなたをサポートするって昨日伝えたじゃないですか」まさか自分の決意を疑っているのかと、エディスをキツイ目で睨みつけた。
エディスはその目から避けるように体を捻り、自分の腕を握る。
「……人を殺す仕事でもか」
え、とシトラスの口から声がもれた。
「魔物は、元は人なんだ。だから、ほとんど人殺しを日常的にすることになる」
お前に耐えられるのかと目で射ると、シトラスは躊躇うように体を引く。当たり前だと、尻込みをしない人間がいるはずがないとエディスは微苦笑を唇に浮かべる。
「それでも、お前は」
「僕はあなたについていきますよ。それしか分からないですし……家には、もう帰れませんから」
だけど、シトラスはエディスの手を握った。それは海で溺れた人が助けを求める様にも似ていたのだけれど、その時のエディスには助け舟に見えてしまった。人の弱さにも気づかずに。
「行きましょう、エディス様」
頷き、二人一緒に寮の薄暗い廊下を歩いていく。
「僕はあなたを信頼していますし、ずっと一緒にいますから」
そう言って、シトラスは微笑んだ。
*** *** *** *** ***
心が強くあろうとしても、体が限界を越えると、おのずと心も引き寄せられるものだ。エディスは、丸まったシトラスの背中を見てそう思った。
「シトラス、大丈夫か?」
荒い息をしながら肩を震わせるシトラスに声をかけるが、返事はない。手で口を押え、胃からせり上がってくるものを堪えている。
それを、エディスはただ傍で見ていることしかできない。もう吐くものも胃に残っていないはずの彼に、駆け寄ってきた者が布を被せた。
「シ、シルク……」
「怪我してないか?」
布の上から抱きしめて肩や背を擦る彼女は、誰よりもシトラスのことを心配している。便利な能力者がいなくなるからという理由ではなく、純粋に同僚の身を案じていると分かる表情に、シトラスが強張りを解く。
「ほら、立てるか? お茶を用意してきたから、帰ろう」
「はい」
自らも泥と血に塗れているというのにと、エディスはその背を見守る。
どんなに世界が汚れてしまったとしても、彼女だけは美しさを保ったままだろう。そう思えるくらい、エディスには彼女が眩しく見えた。
すでに人が死んだり、傷を負うことが普通のことだと、日常だと、それくらいで心を震わせることはないのだという境地に達している自分でこれだ。きっと、シトラスには女神以上の存在のように思えていることだろう。
目の前にいる二人のことを他人事のように、うすぼんやりとした視界で見ていたエディスの耳に、微かな声が聞こえてきた。それに、腰の剣を抜いて振り返る。大きな鳴き声を上げて跳びかかってきた魔物を、一振りで切り裂いた。
ぼとりと音をさせて地面に落ちた魔物を見下ろす。
これは死体だ。神が入っただけの人間や動物といえど、もうこうなっては意識もなにもないだろう。だから、なにも心動かされることなどない。
「エディス……?」
ピクピクと痙攣している魔物を見つめたまま、自分たちに背を向けているエディスを心配したシルクが声を恐る恐る声を掛けてくる。
エディスはそれに体を向けて「なんでもない」と返す。麻痺した自分にとって、死とは栓ないものだ。
今更、たかが一人や二人――いや、何百何千の魔物が死んだとして悲しくも嬉しくもない。昨日にあったものが今日はなくなるだけのことで、それがどうしたというのだろうか。
「シルク、シトラス」
声を掛けられたシルクと、彼女に寄りかかるようにして歩いていたシトラスがこちらを見る。
青白いを通り越して真っ白い顔をしているシトラスと、汚れても尚も輝きを失わないシルクを見て、エディスは不格好な笑顔を顔に浮かび上がらせた。
「お前らは、俺が守るから」
そう言うとシトラスはしっかり頷き、シルクは心配げに見つめてくる。エディスは剣を振るい、ついた血を払い落してから鞘に収めた。
「帰ろう」
そして、そう言って歩き出した。シルクとシトラスも前を向いて、軍への道を辿っていく。
エディスは顔を上げ、忌々しい程に青く澄んでいる空を見て顔をしかめさせた。
それからまた、目線を前の二人に戻す。
この二人が死ねば、自分の心は揺れ動くのだろう。
たとえ、この二人の心が病むことがあったとしても守り続けよう。体が生きてさえいれば、いつか心は生き返るはずなのだから。
――そんな安易な考えを持ったまま、エディスは青空の下を歩いていった。
腹に掛けていた薄手の毛布を奪い取られたエディスは、うーんと唸り声を上げた。シトラスはそれを見下し、ため息を吐く。
「どうやったらこんな騒音の中で眠っていられるんでしょうね」
部屋中に置かれた目覚まし時計がけたたましく鳴る中、健やかな顔をして眠る主人の姿に、シトラスは呆れていた。だが、それでもこの人を起こさなければいけない、と気合を入れるために服の袖を捲り上げる。
「起きてください!!」
*** *** *** *** ***
「全く、どうしてあなたはあんなに多くの目覚ましをかけているのに起きられないんですか」
「仕方ないだろ。朝が苦手なんだよ」
「よく今まで遅刻しませんでしたね……」
あなたには感心します、とシトラスは言った。エディスは自覚はしているので、苦い表情をしている。
「それで、今日はどういう用件なんですか?」
「早速任務だとさ」
「えっ、もうですか!?」
休みでは……というシトラスに、エディスは「急いの仕事なんだろうさ」と呟いた。
「はあ、軍って忙しいですねえ」
「そうだな。……シトラス」
「はい?」
立ち止まって自分の方に体を向けてきたエディスより三歩程先に行ってしまったシトラスは、戻ってくる。
「お前に言っておくことがある」
「なんですか、改まって」
「これから先、たくさん魔物を殺すことになる。それに、尋常じゃない数の怪我人や死体だって」
くっと唇を噛むエディスが伝えたいことを分からないシトラスは、「僕、あなたをサポートするって昨日伝えたじゃないですか」まさか自分の決意を疑っているのかと、エディスをキツイ目で睨みつけた。
エディスはその目から避けるように体を捻り、自分の腕を握る。
「……人を殺す仕事でもか」
え、とシトラスの口から声がもれた。
「魔物は、元は人なんだ。だから、ほとんど人殺しを日常的にすることになる」
お前に耐えられるのかと目で射ると、シトラスは躊躇うように体を引く。当たり前だと、尻込みをしない人間がいるはずがないとエディスは微苦笑を唇に浮かべる。
「それでも、お前は」
「僕はあなたについていきますよ。それしか分からないですし……家には、もう帰れませんから」
だけど、シトラスはエディスの手を握った。それは海で溺れた人が助けを求める様にも似ていたのだけれど、その時のエディスには助け舟に見えてしまった。人の弱さにも気づかずに。
「行きましょう、エディス様」
頷き、二人一緒に寮の薄暗い廊下を歩いていく。
「僕はあなたを信頼していますし、ずっと一緒にいますから」
そう言って、シトラスは微笑んだ。
*** *** *** *** ***
心が強くあろうとしても、体が限界を越えると、おのずと心も引き寄せられるものだ。エディスは、丸まったシトラスの背中を見てそう思った。
「シトラス、大丈夫か?」
荒い息をしながら肩を震わせるシトラスに声をかけるが、返事はない。手で口を押え、胃からせり上がってくるものを堪えている。
それを、エディスはただ傍で見ていることしかできない。もう吐くものも胃に残っていないはずの彼に、駆け寄ってきた者が布を被せた。
「シ、シルク……」
「怪我してないか?」
布の上から抱きしめて肩や背を擦る彼女は、誰よりもシトラスのことを心配している。便利な能力者がいなくなるからという理由ではなく、純粋に同僚の身を案じていると分かる表情に、シトラスが強張りを解く。
「ほら、立てるか? お茶を用意してきたから、帰ろう」
「はい」
自らも泥と血に塗れているというのにと、エディスはその背を見守る。
どんなに世界が汚れてしまったとしても、彼女だけは美しさを保ったままだろう。そう思えるくらい、エディスには彼女が眩しく見えた。
すでに人が死んだり、傷を負うことが普通のことだと、日常だと、それくらいで心を震わせることはないのだという境地に達している自分でこれだ。きっと、シトラスには女神以上の存在のように思えていることだろう。
目の前にいる二人のことを他人事のように、うすぼんやりとした視界で見ていたエディスの耳に、微かな声が聞こえてきた。それに、腰の剣を抜いて振り返る。大きな鳴き声を上げて跳びかかってきた魔物を、一振りで切り裂いた。
ぼとりと音をさせて地面に落ちた魔物を見下ろす。
これは死体だ。神が入っただけの人間や動物といえど、もうこうなっては意識もなにもないだろう。だから、なにも心動かされることなどない。
「エディス……?」
ピクピクと痙攣している魔物を見つめたまま、自分たちに背を向けているエディスを心配したシルクが声を恐る恐る声を掛けてくる。
エディスはそれに体を向けて「なんでもない」と返す。麻痺した自分にとって、死とは栓ないものだ。
今更、たかが一人や二人――いや、何百何千の魔物が死んだとして悲しくも嬉しくもない。昨日にあったものが今日はなくなるだけのことで、それがどうしたというのだろうか。
「シルク、シトラス」
声を掛けられたシルクと、彼女に寄りかかるようにして歩いていたシトラスがこちらを見る。
青白いを通り越して真っ白い顔をしているシトラスと、汚れても尚も輝きを失わないシルクを見て、エディスは不格好な笑顔を顔に浮かび上がらせた。
「お前らは、俺が守るから」
そう言うとシトラスはしっかり頷き、シルクは心配げに見つめてくる。エディスは剣を振るい、ついた血を払い落してから鞘に収めた。
「帰ろう」
そして、そう言って歩き出した。シルクとシトラスも前を向いて、軍への道を辿っていく。
エディスは顔を上げ、忌々しい程に青く澄んでいる空を見て顔をしかめさせた。
それからまた、目線を前の二人に戻す。
この二人が死ねば、自分の心は揺れ動くのだろう。
たとえ、この二人の心が病むことがあったとしても守り続けよう。体が生きてさえいれば、いつか心は生き返るはずなのだから。
――そんな安易な考えを持ったまま、エディスは青空の下を歩いていった。
0
あなたにおすすめの小説
番を拒み続けるΩと、執着を隠しきれないαが同じ学園で再会したら逃げ場がなくなった話 ――優等生αの過保護な束縛は恋か支配か
雪兎
BL
第二性が存在する世界。
Ωであることを隠し、平穏な学園生活を送ろうと決めていた転校生・湊。
しかし入学初日、彼の前に現れたのは――
幼い頃に「番になろう」と言ってきた幼馴染のα・蓮だった。
成績優秀、容姿端麗、生徒から絶大な信頼を集める完璧なα。
だが湊だけが知っている。
彼が異常なほど執着深いことを。
「大丈夫、全部管理してあげる」
「君が困らないようにしてるだけだよ」
座席、時間割、交友関係、体調管理。
いつの間にか整えられていく環境。
逃げ場のない距離。
番を拒みたいΩと、手放す気のないα。
これは保護か、それとも束縛か。
閉じた学園の中で、二人の関係は静かに歪み始める――。
腐男子♥異世界転生
よしの こひな
BL
ある日、腐男子で新卒サラリーマン・伊丹トキヤの自室にトラックが突っ込む。
目覚めたトキヤがそこで目にしたのは、彼が長年追い続けていたBL小説の世界――。しかも、なんとトキヤは彼が最推しするスパダリ攻め『黒の騎士』ことアルチュール・ド・シルエットの文武のライバルであり、恋のライバルでもあるサブキャラの「当て馬」セレスタン・ギレヌ・コルベールに転生してしまっていた。
トキヤは、「すぐそばで推しの2人を愛でられる!」と思っていたのに、次々と原作とは異なる展開が……。 ※なろうさん、Caitaさん、PIXIVさんでも掲載しています。
邪神の祭壇へ無垢な筋肉を生贄として捧ぐ
零
BL
鍛えられた肉体、高潔な魂――
それは選ばれし“供物”の条件。
山奥の男子校「平坂学園」で、新任教師・高尾雄一は静かに歪み始める。
見えない視線、執着する生徒、触れられる肉体。
誇り高き男は、何に屈し、何に縋るのか。
心と肉体が削がれていく“儀式”が、いま始まる。
冤罪で堕とされた最強騎士、狂信的な男たちに包囲される
マンスーン
BL
王国最強の聖騎士団長から一転、冤罪で生存率0%の懲罰部隊へと叩き落とされたレオン。
泥にまみれてもなお気高く、圧倒的な強さを振るう彼に、狂った執着を抱く男たちが集結する。
身代わりにされた少年は、冷徹騎士に溺愛される
秋津むぎ
BL
第13回BL大賞奨励賞頂きました!
最終17位でした!応援ありがとうございます!
あらすじ
魔力がなく、義母達に疎まれながらも必死に生きる少年アシェ。
ある日、義兄が騎士団長ヴァルドの徽章を盗んだ罪をアシェに押し付け、身代わりにされてしまう。
死を覚悟した彼の姿を見て、冷徹な騎士ヴァルドは――?
傷ついた少年と騎士の、温かい溺愛物語。
妖精です、囲われてます
うあゆ
BL
僕は妖精
森で気ままに暮らしていました。
ふと気づいたら人間に囲まれてました。
でもこの人間のそばはとても心地いいし、森に帰るタイミング見つからないなぁ、なんて思いながらダラダラ暮らしてます。
__________
妖精の前だけはドロ甘の冷徹公爵×引きこもり妖精
なんやかんやお互い幸せに暮らします。
劣等アルファは最強王子から逃げられない
東
BL
リュシアン・ティレルはアルファだが、オメガのフェロモンに気持ち悪くなる欠陥品のアルファ。そのことを周囲に隠しながら生活しているため、異母弟のオメガであるライモントに手ひどい態度をとってしまい、世間からの評判は悪い。
ある日、気分の悪さに逃げ込んだ先で、ひとりの王子につかまる・・・という話です。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる