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暁の舞台編
8.いつかどこかで告げさせて
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「君の優しさは本心からくるものではないね」
昔、僕の頭を撫でながらトリエランディア大将は困ったように笑っていた。
万物すべてに分け隔てなく施せば、いつか僕という存在が受け入れてもらえるのではないか。よき領主であれるようにと、よき国になるようにと理想を抱いて歩いてきた。それが、人に嫌われ”悪役令息”と呼ばれる道であろうとも。
だが、もう許してもらえるだろうか。
死んでしまいたい。死した後に世界があるならば、そこで母や父に殺されてもいいだろうか。我が子よと抱きしめてもらえないのであれば、せめて八つ裂きにされてしまいたい。
この虚しい愛を、粉々に潰してほしい。
領民たちよ。どうか、愚かな領主であったと嘆かないでくれ。
十分な蓄えは屋敷に残しておいた。遺書には王子に領地を譲る旨をしたためたから、あなたたちが困窮することはないだろう。
足裏に、冷えた石の感触がする。
見下ろした階下は空虚だった。かつて母がいた時は、毎日訪れる商人や話し相手の貴族婦人で賑やかな離れだったというのに。
*** *** *** *** ***
「エド!!」
どうやって僕に気付かれず、ここまで登ってこれたんだと瞠目した。階段を上がってくる足音どころか、扉を開く軋む音さえしなかったのに――
二人して倒れ込んで、すぐに起き上ろうとした僕をその人は後ろから抱きしめ……羽交い締めにしてきた。軍属の拘束なんて引き剥がせるはずもない。
せめてもの抵抗でひじ打ちをしようとした時、
「なんでお前が泣いてるんだよ……」
同じ色の目からとめどなく流れ落ちてくる涙に視線が縫い止められた。
どうしようもなく美しくて、残酷だとさえ思った。
「僕から全部奪い取ったとでも思っているの」
弱者として憐れまれるのは屈辱でしかない。父が男に、母はありもしない夢を追い続けた頃から向けられ続けた感情だ。
親に愛されない子ども、婚約者に先立たれた男、友人に裏切られた公子。
僕の傍から去っていく人がいる度、その原因はなにかと疑いの目をかけられた。
「シルクも父様も……ギジアだって! お前だって同じじゃないか。同じ……人に愛されない」
嘘だ。この人は、魔法がなくても愛されることができる。
石の隙間に埃が詰まった床を見続けていると、気遣わし気な声を出して肩に触れられる。その手を叩き落として白いシャツの襟を掴んで体をぶつけていくと、それでも彼は自分が下になって衝撃を受けた。
自分の上に馬乗りになった僕を退けようともしない。その驕りが、余裕が妬ましい。
「……どうして、死んだの。シルク」
花の咲く庭で笑い合った彼女は、人を助けて死んだ。彼女らしい最期で、幼馴染としても婚約者としても誇らしい。
「なんで母様も父様も僕を嫌うの」
握り締めたシャツは倒れ込んだ時に掴んだままだったせいか破れてしまっていた。そこから覗く陛下が描いた紋章が目に痛い。
「エドワード」
彼と同じ名前で呼ばれると胸が締め付けられる。この名前はいなくなってしまった王子の代わりにと、レイガス王から頂いた。なのに本物はこんなにも近くにいる。
その、王様と同じ目に僕はどんな風に映っているんだろうか。
「エドワード様!」
階段を駆け上がってくる音がして、階下を見るとアーマーがこちらにやって来るのが見えた。
「……キリガネさんには私が怒られます。存分に喧嘩なさってください!」
なにを言っているのだろうかと彼女の顔を見つめる。まさか、僕が馬乗りになっているからだろうかとエディスさんを見下ろすと、彼は不敵な笑みを浮かべた。
「言いたいことあるんだろ、お前。口に表せないなんかがさ」
拳で語れよと自分の頬を指で叩いた彼に、僕は腰のベルトに隠していた物を取り出す。母様の死に際を再現するために用意していたナイフだ。
「なんで、僕がここにいるってお前たちは分かったの」
「お前、優しいからなあ……母さんの話知ってりゃここだって思うだろ」
本心からの優しさじゃない、常に打算だらけで見返りを求めているんだ。それに、母が死んだ所で同じ死に方をしようとする子どものどこに優しさがあるっていうんだ。
「エド。知ってたよ、お前の気持ちを」
ずっと自分を犠牲に人を護ってきてくれたよなと言って、手が伸びてくる。目から溢れ出した涙を、それより少し低い温度の指が拭っていく。
「俺はお前に対して償いをしなくちゃいけない。死なねえから刺してくれ」
意味が分からないと、首を振る。死なないと断言するところも、王太子候補と正式に認められたばかりなのに刺されてもいいと言うのも、全くもって理解ができない。
この人は、誰よりも優先されるべき人だ。正当な血統の持ち主で、全ての国民の父となる。
「死ぬかもしれないでしょ……」と震える声で言うと、目を丸くして。それから眉を下げて口を開く。ハハッと、軽い笑い声が口から出てきた。
「お前に刺されても死なねえよ」
そんな軽口は嘘だと、万が一過ちが起きてこの人の上にナイフが落ちないようにもう片一方の手を重ねる。
「僕にそんな度胸がないって思ってるから言えるんだろ……」
「お前の度胸じゃねえ、俺の度胸だ。俺はお前を残して死なねえ」
俺はシルクの兄貴だからなと、僕の目を真っ直ぐに見てきて言う。温かくない手が頬を撫でる。
「エドワード。お前っていう弟を残して死んだりしない」
「弟?」と口から言葉が漏れ出た。
それに、そうだよと肯定され、喉が震える。
この人だけだ、シルクと同じように僕の目を覗き込むように見つめるのは。
「エドはシルクの婚約者なんだから、俺を兄だと思ってくれよ。これから先、別れることもないだろ」
手から零れ落ちたナイフが床に跳ね返って、手すりの隙間を抜けて階下に落ちていく。
彼を表す言葉を口にして、胸に額を押し付ける。喉を焼くような声が出て止まらない。引き付けを起こす度に背を撫でられて、それでますます溢れていく。
子どものように泣かせてもらえることなど一度もなかった。公爵業を父の代わりにやるようになってからは一人きりの時でさえ泣くことはなかったのに――この人といると、心が揺らぐ。
愛していると思った。
言えば砕けて消えていってしまいそうで、恐ろしくてとても口にできそうにはないけれど。
なにも言わずに抱き締めて、背中を撫でてくれるこの人に愛されたいと――
*** *** *** *** ***
「足元に気をつけてくださいね」
アーマーに手を引かれて一番下の階段を降りた。
礼を言うと、まだ契約は有効ですのでと真面目ぶった顔で答えられて笑ってしまう。
震える手を見下ろすと、ナイフを強く握っていたところが赤く線になっていた。痛むのかと訊かれ、「ううん、大丈夫だよ兄さま」と相好を崩して笑う。
エディスさんはそれを聞いて「さまって柄じゃねえよ」と息を零して笑う。
「兄さんって呼べ」
言葉を繋げた彼の胸元に飛び込んでいく。
昔、僕の頭を撫でながらトリエランディア大将は困ったように笑っていた。
万物すべてに分け隔てなく施せば、いつか僕という存在が受け入れてもらえるのではないか。よき領主であれるようにと、よき国になるようにと理想を抱いて歩いてきた。それが、人に嫌われ”悪役令息”と呼ばれる道であろうとも。
だが、もう許してもらえるだろうか。
死んでしまいたい。死した後に世界があるならば、そこで母や父に殺されてもいいだろうか。我が子よと抱きしめてもらえないのであれば、せめて八つ裂きにされてしまいたい。
この虚しい愛を、粉々に潰してほしい。
領民たちよ。どうか、愚かな領主であったと嘆かないでくれ。
十分な蓄えは屋敷に残しておいた。遺書には王子に領地を譲る旨をしたためたから、あなたたちが困窮することはないだろう。
足裏に、冷えた石の感触がする。
見下ろした階下は空虚だった。かつて母がいた時は、毎日訪れる商人や話し相手の貴族婦人で賑やかな離れだったというのに。
*** *** *** *** ***
「エド!!」
どうやって僕に気付かれず、ここまで登ってこれたんだと瞠目した。階段を上がってくる足音どころか、扉を開く軋む音さえしなかったのに――
二人して倒れ込んで、すぐに起き上ろうとした僕をその人は後ろから抱きしめ……羽交い締めにしてきた。軍属の拘束なんて引き剥がせるはずもない。
せめてもの抵抗でひじ打ちをしようとした時、
「なんでお前が泣いてるんだよ……」
同じ色の目からとめどなく流れ落ちてくる涙に視線が縫い止められた。
どうしようもなく美しくて、残酷だとさえ思った。
「僕から全部奪い取ったとでも思っているの」
弱者として憐れまれるのは屈辱でしかない。父が男に、母はありもしない夢を追い続けた頃から向けられ続けた感情だ。
親に愛されない子ども、婚約者に先立たれた男、友人に裏切られた公子。
僕の傍から去っていく人がいる度、その原因はなにかと疑いの目をかけられた。
「シルクも父様も……ギジアだって! お前だって同じじゃないか。同じ……人に愛されない」
嘘だ。この人は、魔法がなくても愛されることができる。
石の隙間に埃が詰まった床を見続けていると、気遣わし気な声を出して肩に触れられる。その手を叩き落として白いシャツの襟を掴んで体をぶつけていくと、それでも彼は自分が下になって衝撃を受けた。
自分の上に馬乗りになった僕を退けようともしない。その驕りが、余裕が妬ましい。
「……どうして、死んだの。シルク」
花の咲く庭で笑い合った彼女は、人を助けて死んだ。彼女らしい最期で、幼馴染としても婚約者としても誇らしい。
「なんで母様も父様も僕を嫌うの」
握り締めたシャツは倒れ込んだ時に掴んだままだったせいか破れてしまっていた。そこから覗く陛下が描いた紋章が目に痛い。
「エドワード」
彼と同じ名前で呼ばれると胸が締め付けられる。この名前はいなくなってしまった王子の代わりにと、レイガス王から頂いた。なのに本物はこんなにも近くにいる。
その、王様と同じ目に僕はどんな風に映っているんだろうか。
「エドワード様!」
階段を駆け上がってくる音がして、階下を見るとアーマーがこちらにやって来るのが見えた。
「……キリガネさんには私が怒られます。存分に喧嘩なさってください!」
なにを言っているのだろうかと彼女の顔を見つめる。まさか、僕が馬乗りになっているからだろうかとエディスさんを見下ろすと、彼は不敵な笑みを浮かべた。
「言いたいことあるんだろ、お前。口に表せないなんかがさ」
拳で語れよと自分の頬を指で叩いた彼に、僕は腰のベルトに隠していた物を取り出す。母様の死に際を再現するために用意していたナイフだ。
「なんで、僕がここにいるってお前たちは分かったの」
「お前、優しいからなあ……母さんの話知ってりゃここだって思うだろ」
本心からの優しさじゃない、常に打算だらけで見返りを求めているんだ。それに、母が死んだ所で同じ死に方をしようとする子どものどこに優しさがあるっていうんだ。
「エド。知ってたよ、お前の気持ちを」
ずっと自分を犠牲に人を護ってきてくれたよなと言って、手が伸びてくる。目から溢れ出した涙を、それより少し低い温度の指が拭っていく。
「俺はお前に対して償いをしなくちゃいけない。死なねえから刺してくれ」
意味が分からないと、首を振る。死なないと断言するところも、王太子候補と正式に認められたばかりなのに刺されてもいいと言うのも、全くもって理解ができない。
この人は、誰よりも優先されるべき人だ。正当な血統の持ち主で、全ての国民の父となる。
「死ぬかもしれないでしょ……」と震える声で言うと、目を丸くして。それから眉を下げて口を開く。ハハッと、軽い笑い声が口から出てきた。
「お前に刺されても死なねえよ」
そんな軽口は嘘だと、万が一過ちが起きてこの人の上にナイフが落ちないようにもう片一方の手を重ねる。
「僕にそんな度胸がないって思ってるから言えるんだろ……」
「お前の度胸じゃねえ、俺の度胸だ。俺はお前を残して死なねえ」
俺はシルクの兄貴だからなと、僕の目を真っ直ぐに見てきて言う。温かくない手が頬を撫でる。
「エドワード。お前っていう弟を残して死んだりしない」
「弟?」と口から言葉が漏れ出た。
それに、そうだよと肯定され、喉が震える。
この人だけだ、シルクと同じように僕の目を覗き込むように見つめるのは。
「エドはシルクの婚約者なんだから、俺を兄だと思ってくれよ。これから先、別れることもないだろ」
手から零れ落ちたナイフが床に跳ね返って、手すりの隙間を抜けて階下に落ちていく。
彼を表す言葉を口にして、胸に額を押し付ける。喉を焼くような声が出て止まらない。引き付けを起こす度に背を撫でられて、それでますます溢れていく。
子どものように泣かせてもらえることなど一度もなかった。公爵業を父の代わりにやるようになってからは一人きりの時でさえ泣くことはなかったのに――この人といると、心が揺らぐ。
愛していると思った。
言えば砕けて消えていってしまいそうで、恐ろしくてとても口にできそうにはないけれど。
なにも言わずに抱き締めて、背中を撫でてくれるこの人に愛されたいと――
*** *** *** *** ***
「足元に気をつけてくださいね」
アーマーに手を引かれて一番下の階段を降りた。
礼を言うと、まだ契約は有効ですのでと真面目ぶった顔で答えられて笑ってしまう。
震える手を見下ろすと、ナイフを強く握っていたところが赤く線になっていた。痛むのかと訊かれ、「ううん、大丈夫だよ兄さま」と相好を崩して笑う。
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