215 / 274
北部編
7.この人魚姫は歌わない
しおりを挟む
「……ぅ」
白く泡立つ波打ち際で流木のように横たわる者が一人。
北部の土地をほとんどを手中に治めた公爵――ギジア・トリドットその人だった。
領主は扉の機嫌次第だなんだと言っていたが、己を許す気は毛頭なかったのだろう。送り出された先は海の上だった。
おかげで半日ほどもがき苦しむ羽目になり、ついに動けなくなって海面を漂ってようやくここに辿り着いたのだろうか。
体力を大幅に奪われ、意識も長時間失っていた今、己が辿り着いた先がどこか考える気力すら残っていなかった。魔力も底を着いていて、体の熱が冷えては熱する。
手足も荒れ狂う海の中で錐揉みになり、このまま千切れるのではないかと疑うほどに痛みを発していた。
(俺は死ぬのか……)
得体のしれない能力で腹に開けられた大穴は治癒魔法程度では修復しきれなかった。
それに、領主に破壊された禁術・バンドゥアの反動で体が体が衰弱しきっており、指一本動かすことすら出来そうにない。
これが代償かと笑う気力もなかったギジアは口の端をひくつかせる。
恨みも愛も理解されないまま終えるのは嫌だと、身の内から叫ぶ声が聞こえるような気がした。
「あなた、しぬの?」
目の前に突然顔が出てきて、ヒュッと息を呑む。
白い手が額を覆い、ギジアの熱を奪っていく。
ふわふわとレースが重なった黒のワンピースドレスが汚れることも躊躇わずに砂浜に座っている女は、ギジアの額にへばりつく濡れた髪を貝のような爪がついた指先ではらう。
星空を背にして、少女めいた愛らしい顔がこちらを覗きこんでいる。
二つに結った紫色の髪の先はゆるやかに巻かれていて、額の生え際が見えた。
切れ長の瞳は己の一族と同じ、金色。だが、紫色の頭髪の貴族など記憶にない。
「あなたは、誰だ……」
「覚えてない? 君が溺れていたのを助けたの。うふふっ! まるでおとぎ話みたいね、私たち」
赤い唇が開く度、鋭い犬歯が垣間見える。
愛らしさとはかけ離れたそれに、ギジアは食らうならば食らえばいいと自棄を起こした。
だが、口元に笑みを湛えたままギジアの頭を撫でるだけの女に、癒しの吸血鬼ではないかと心臓が跳ねる。
そんな都合のいいことがあるかと戸惑い、けれど悔しさから滲んだ涙になりふり構っていられるのかと悪魔が囁く。
「――あなたの命をくれないか」
呟いた声はひどく枯れていて、ギジアは自嘲した。
こんな図々しい願いを誰が聞くのだと。
「大丈夫よ、私があなたの神様になってあげる」
瑞々しい声は心に沁み渡るようだった。
神様になると女はいう。まるで本当におとぎ話のようではないか。
「面白い」と哄笑したギジアに、女は背を曲げて近づいてくる。
白い牙を剥き出しにした女に首に噛み付かれた。残り僅かな血を吸われた途端、身体が燃えるように熱くなる。
命の奔流。
生と死がせめぎ合い、食らい合う。命の循環が入れ替わっていく様をまざまざと感じさせられる。
身体がバラバラに千切れ、折りたたまれ、やがて放り出された頃、ようやく息を吐くことができるようになった。
「あなたもようやく、彼のところへ到達したわ。ギジアくん。それでね、~~~~~~~……だけれど、分かるかしら。だからね、」
白い光に包まれた女が何事かを言うが、耳から音が遠ざかっていく。潮騒にかき消されるそれに、ギジアは異なこともあると笑う。
それは、彼が久しくしていなかった穏やかな笑みであった。
「なるほど、古代言語か。それは俺にも理解できないよ」
そう言うと、彼女はこちらに対して慈しむような、それでいて蔑むような不可思議な目を向けてくる。
そっと両頬に手を当てられ、額を押し付けて視線を合わせ――。
「あなたの憎しみと愛を私に見せて」
瞳孔が細まった目に心臓を杭のように打たれる。
頬を両側から押さえられて視線を外すことすらできない。
「それを糧として、私たちは生きるから」
白く泡立つ波打ち際で流木のように横たわる者が一人。
北部の土地をほとんどを手中に治めた公爵――ギジア・トリドットその人だった。
領主は扉の機嫌次第だなんだと言っていたが、己を許す気は毛頭なかったのだろう。送り出された先は海の上だった。
おかげで半日ほどもがき苦しむ羽目になり、ついに動けなくなって海面を漂ってようやくここに辿り着いたのだろうか。
体力を大幅に奪われ、意識も長時間失っていた今、己が辿り着いた先がどこか考える気力すら残っていなかった。魔力も底を着いていて、体の熱が冷えては熱する。
手足も荒れ狂う海の中で錐揉みになり、このまま千切れるのではないかと疑うほどに痛みを発していた。
(俺は死ぬのか……)
得体のしれない能力で腹に開けられた大穴は治癒魔法程度では修復しきれなかった。
それに、領主に破壊された禁術・バンドゥアの反動で体が体が衰弱しきっており、指一本動かすことすら出来そうにない。
これが代償かと笑う気力もなかったギジアは口の端をひくつかせる。
恨みも愛も理解されないまま終えるのは嫌だと、身の内から叫ぶ声が聞こえるような気がした。
「あなた、しぬの?」
目の前に突然顔が出てきて、ヒュッと息を呑む。
白い手が額を覆い、ギジアの熱を奪っていく。
ふわふわとレースが重なった黒のワンピースドレスが汚れることも躊躇わずに砂浜に座っている女は、ギジアの額にへばりつく濡れた髪を貝のような爪がついた指先ではらう。
星空を背にして、少女めいた愛らしい顔がこちらを覗きこんでいる。
二つに結った紫色の髪の先はゆるやかに巻かれていて、額の生え際が見えた。
切れ長の瞳は己の一族と同じ、金色。だが、紫色の頭髪の貴族など記憶にない。
「あなたは、誰だ……」
「覚えてない? 君が溺れていたのを助けたの。うふふっ! まるでおとぎ話みたいね、私たち」
赤い唇が開く度、鋭い犬歯が垣間見える。
愛らしさとはかけ離れたそれに、ギジアは食らうならば食らえばいいと自棄を起こした。
だが、口元に笑みを湛えたままギジアの頭を撫でるだけの女に、癒しの吸血鬼ではないかと心臓が跳ねる。
そんな都合のいいことがあるかと戸惑い、けれど悔しさから滲んだ涙になりふり構っていられるのかと悪魔が囁く。
「――あなたの命をくれないか」
呟いた声はひどく枯れていて、ギジアは自嘲した。
こんな図々しい願いを誰が聞くのだと。
「大丈夫よ、私があなたの神様になってあげる」
瑞々しい声は心に沁み渡るようだった。
神様になると女はいう。まるで本当におとぎ話のようではないか。
「面白い」と哄笑したギジアに、女は背を曲げて近づいてくる。
白い牙を剥き出しにした女に首に噛み付かれた。残り僅かな血を吸われた途端、身体が燃えるように熱くなる。
命の奔流。
生と死がせめぎ合い、食らい合う。命の循環が入れ替わっていく様をまざまざと感じさせられる。
身体がバラバラに千切れ、折りたたまれ、やがて放り出された頃、ようやく息を吐くことができるようになった。
「あなたもようやく、彼のところへ到達したわ。ギジアくん。それでね、~~~~~~~……だけれど、分かるかしら。だからね、」
白い光に包まれた女が何事かを言うが、耳から音が遠ざかっていく。潮騒にかき消されるそれに、ギジアは異なこともあると笑う。
それは、彼が久しくしていなかった穏やかな笑みであった。
「なるほど、古代言語か。それは俺にも理解できないよ」
そう言うと、彼女はこちらに対して慈しむような、それでいて蔑むような不可思議な目を向けてくる。
そっと両頬に手を当てられ、額を押し付けて視線を合わせ――。
「あなたの憎しみと愛を私に見せて」
瞳孔が細まった目に心臓を杭のように打たれる。
頬を両側から押さえられて視線を外すことすらできない。
「それを糧として、私たちは生きるから」
10
あなたにおすすめの小説
番を拒み続けるΩと、執着を隠しきれないαが同じ学園で再会したら逃げ場がなくなった話 ――優等生αの過保護な束縛は恋か支配か
雪兎
BL
第二性が存在する世界。
Ωであることを隠し、平穏な学園生活を送ろうと決めていた転校生・湊。
しかし入学初日、彼の前に現れたのは――
幼い頃に「番になろう」と言ってきた幼馴染のα・蓮だった。
成績優秀、容姿端麗、生徒から絶大な信頼を集める完璧なα。
だが湊だけが知っている。
彼が異常なほど執着深いことを。
「大丈夫、全部管理してあげる」
「君が困らないようにしてるだけだよ」
座席、時間割、交友関係、体調管理。
いつの間にか整えられていく環境。
逃げ場のない距離。
番を拒みたいΩと、手放す気のないα。
これは保護か、それとも束縛か。
閉じた学園の中で、二人の関係は静かに歪み始める――。
腐男子♥異世界転生
よしの こひな
BL
ある日、腐男子で新卒サラリーマン・伊丹トキヤの自室にトラックが突っ込む。
目覚めたトキヤがそこで目にしたのは、彼が長年追い続けていたBL小説の世界――。しかも、なんとトキヤは彼が最推しするスパダリ攻め『黒の騎士』ことアルチュール・ド・シルエットの文武のライバルであり、恋のライバルでもあるサブキャラの「当て馬」セレスタン・ギレヌ・コルベールに転生してしまっていた。
トキヤは、「すぐそばで推しの2人を愛でられる!」と思っていたのに、次々と原作とは異なる展開が……。 ※なろうさん、Caitaさん、PIXIVさんでも掲載しています。
邪神の祭壇へ無垢な筋肉を生贄として捧ぐ
零
BL
鍛えられた肉体、高潔な魂――
それは選ばれし“供物”の条件。
山奥の男子校「平坂学園」で、新任教師・高尾雄一は静かに歪み始める。
見えない視線、執着する生徒、触れられる肉体。
誇り高き男は、何に屈し、何に縋るのか。
心と肉体が削がれていく“儀式”が、いま始まる。
冤罪で堕とされた最強騎士、狂信的な男たちに包囲される
マンスーン
BL
王国最強の聖騎士団長から一転、冤罪で生存率0%の懲罰部隊へと叩き落とされたレオン。
泥にまみれてもなお気高く、圧倒的な強さを振るう彼に、狂った執着を抱く男たちが集結する。
身代わりにされた少年は、冷徹騎士に溺愛される
秋津むぎ
BL
第13回BL大賞奨励賞頂きました!
最終17位でした!応援ありがとうございます!
あらすじ
魔力がなく、義母達に疎まれながらも必死に生きる少年アシェ。
ある日、義兄が騎士団長ヴァルドの徽章を盗んだ罪をアシェに押し付け、身代わりにされてしまう。
死を覚悟した彼の姿を見て、冷徹な騎士ヴァルドは――?
傷ついた少年と騎士の、温かい溺愛物語。
妖精です、囲われてます
うあゆ
BL
僕は妖精
森で気ままに暮らしていました。
ふと気づいたら人間に囲まれてました。
でもこの人間のそばはとても心地いいし、森に帰るタイミング見つからないなぁ、なんて思いながらダラダラ暮らしてます。
__________
妖精の前だけはドロ甘の冷徹公爵×引きこもり妖精
なんやかんやお互い幸せに暮らします。
劣等アルファは最強王子から逃げられない
東
BL
リュシアン・ティレルはアルファだが、オメガのフェロモンに気持ち悪くなる欠陥品のアルファ。そのことを周囲に隠しながら生活しているため、異母弟のオメガであるライモントに手ひどい態度をとってしまい、世間からの評判は悪い。
ある日、気分の悪さに逃げ込んだ先で、ひとりの王子につかまる・・・という話です。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる