20 / 50
後宮編②
19.めげない田舎娘 宝玉side
しおりを挟む
憤る後宮妃・麗香がいる一方で、墨で汚れた体を清められている宝玉は、最初こそ怒りよりも溜息ばかりが溢れる。
ーーこれが〈後宮〉なんだね?
宝玉は侍女に体を清められながらも、なかなか落ちない髪の毛の汚れを見ながらしみじみと思う。
これまでのところ、人の悪意とは無縁な世界に生きていた宝玉。
憐れみの目で見られることはあっても、他人からあからさまに悪意を向けられたことはない。
田舎からの道中、皇帝・王炫の近臣である張武偉からは「後宮妃の皆様方にはお気をつけください」との注言はあったが、ここに来てからの日常があまりにも平穏だったこともあり、注言は頭の隅に追いやられていた宝玉。
ーー炫様の寵愛を得ることに必死なんだね?
そう思いながらも「私は下っ端だよ」と溜息。
◇
ただ今は、念入りに体を洗う侍女に身を任せている宝玉。
松脂入りの墨の多くは衣装へとかかり、衣装はやむを得ず廃棄されることに。ただ、侍女服とはいえ、貧しい田舎に育つ宝玉が来ていた以前のボロ着に比べたら断然勝る。
もったいない……と思う。
それに皇帝・王炫の為に作った棗の蒸し菓子も全部が墨だらけにされ、それも廃棄処分。
ーー食べ物が……食べ物が、もったいないことに……。
〈後宮〉へと来る以前。特に大地が枯れる冬場は食べられない日もあった宝玉。木の実の一粒さえ貴重な食事。
対して、季節に関係なく贅沢な物を食べられる貴人たち。
ーーだから、平気であんな事が出来るの? あの蒸し菓子だけでも贅沢品だよ? 食べ物を粗末にするなんて許せないよ。
皇帝・王炫に会えないのも淋しい。
でも、それ以上に物を粗末にする不届者が許せないとの思いが沸々と湧く宝玉。
生まれが違うのだから、当たり前と思うことも違う。贅沢に生まれたなら贅沢が当たり前。それは仕方がないことだから文句を言うつもりもない。それに。
ーー今の私も衣食住に困らない暮らしをさせてもらっているし……。
元々は、〈後宮〉に上がることも自ら進んでなったのだから、人にどうこう言える立場でもない。
ーーそれでも、それでも……食べ物を粗末にすることはいけないことだよ。ダメなことはダメなんだよ。
湯殿に浸かりながらも「うん、謝ってもらおう」と意気込む宝玉。
◇
そこへ侍女から言葉がかけられる。
墨で汚れた宝玉を丁寧に清めていく侍女は、申し訳なそうに声のトーンを落として告げる。侍女がその手に持つのは、宝玉の美しい濡羽色の髪。
「申し訳ございません、宝玉様。お顔の汚れは落ちましたが、髪へと付着した松脂が……」
どうにも落とせません……と平謝りの侍女は、額を床へと擦り付けたまま顔を上げようとはしない。
皇帝の寵愛を競う後宮妃には「美しさ」は何よりも優先される。特に美しい艶髪は、それだけで“美”そのものであり、持ち主を彩る装飾品ともいえる。
罰せられるのを覚悟している様子の侍女に、「そんなに畏れなくても……」と宝玉はなるべくやんわりと告げる。
「大丈夫です。そんなに謝らないでください」
宝玉には「そんな事」でしかない。
ーー髪ならいくらでも生えてくるもの。
だから、侍女に鋏を持ってこさせる宝玉は、自分の手で自らの髪の毛をバッサリと切り落としてしまう。
あんぐりと驚嘆する侍女。
「きゃあっ! 宝玉様っー!」
「良いの……髪の毛はまた伸びるし、これであなたが罰せられることもないでしょう?」
「そんなっ、宝玉様……ですが!」
「元々私の髪が長かったのは単純に切る手間も惜しんだから……それに邪魔だから一つで纏めていただけ……私には短い髪のほうがお似合いだと思わない」
どう? とニッコリと微笑む宝玉。その心遣いに感極まる侍女。
不手際を起こせば、他の後宮妃であれば容赦なく侍女を打ち据える。あまつさえ、侍女の命を虫ケラのごとく斬り捨てるのが高慢な後宮妃たち。それにもかかわらず、侍女には非がないようにまで振る舞う宝玉の心根の優しさ。
「……なんというお優しい方なのでしょう……」
侍女は深く深く頭を垂れ、その瞳には涙さえ浮かべ、感謝の意を表す。
「本当に気にしないでね?」
宝玉は笑みを絶やさない。
それでも粗末にされた棗の蒸し菓子は元には戻らない。あの蒸し菓子だけでも貧しい村では、一生にあるかないかの贅沢。
「絶対に許すまじ!」
意気込む宝玉は、後宮妃・麗香に「もし、食べ物を粗末にした不届者が見つかったら私にも合わせてください」と願い出る。
「宝玉ちゃんが望むなら引き合わせましょう。すでに不届者は面が割れているの。それよりも……宝玉ちゃん、その髪っ?!」
短い髪となった宝玉に息を呑むのは後宮妃・麗香。
ーーこれを炫が見たら驚くわね。
たとえ宝玉が許しても皇帝・王炫が許さないだろう……そう思う後宮妃・麗香だが、意外にも本気で憤ったのは宝玉だったりする。
「食べ物を粗末にする輩は絶対に許しません!」
ーーこれが〈後宮〉なんだね?
宝玉は侍女に体を清められながらも、なかなか落ちない髪の毛の汚れを見ながらしみじみと思う。
これまでのところ、人の悪意とは無縁な世界に生きていた宝玉。
憐れみの目で見られることはあっても、他人からあからさまに悪意を向けられたことはない。
田舎からの道中、皇帝・王炫の近臣である張武偉からは「後宮妃の皆様方にはお気をつけください」との注言はあったが、ここに来てからの日常があまりにも平穏だったこともあり、注言は頭の隅に追いやられていた宝玉。
ーー炫様の寵愛を得ることに必死なんだね?
そう思いながらも「私は下っ端だよ」と溜息。
◇
ただ今は、念入りに体を洗う侍女に身を任せている宝玉。
松脂入りの墨の多くは衣装へとかかり、衣装はやむを得ず廃棄されることに。ただ、侍女服とはいえ、貧しい田舎に育つ宝玉が来ていた以前のボロ着に比べたら断然勝る。
もったいない……と思う。
それに皇帝・王炫の為に作った棗の蒸し菓子も全部が墨だらけにされ、それも廃棄処分。
ーー食べ物が……食べ物が、もったいないことに……。
〈後宮〉へと来る以前。特に大地が枯れる冬場は食べられない日もあった宝玉。木の実の一粒さえ貴重な食事。
対して、季節に関係なく贅沢な物を食べられる貴人たち。
ーーだから、平気であんな事が出来るの? あの蒸し菓子だけでも贅沢品だよ? 食べ物を粗末にするなんて許せないよ。
皇帝・王炫に会えないのも淋しい。
でも、それ以上に物を粗末にする不届者が許せないとの思いが沸々と湧く宝玉。
生まれが違うのだから、当たり前と思うことも違う。贅沢に生まれたなら贅沢が当たり前。それは仕方がないことだから文句を言うつもりもない。それに。
ーー今の私も衣食住に困らない暮らしをさせてもらっているし……。
元々は、〈後宮〉に上がることも自ら進んでなったのだから、人にどうこう言える立場でもない。
ーーそれでも、それでも……食べ物を粗末にすることはいけないことだよ。ダメなことはダメなんだよ。
湯殿に浸かりながらも「うん、謝ってもらおう」と意気込む宝玉。
◇
そこへ侍女から言葉がかけられる。
墨で汚れた宝玉を丁寧に清めていく侍女は、申し訳なそうに声のトーンを落として告げる。侍女がその手に持つのは、宝玉の美しい濡羽色の髪。
「申し訳ございません、宝玉様。お顔の汚れは落ちましたが、髪へと付着した松脂が……」
どうにも落とせません……と平謝りの侍女は、額を床へと擦り付けたまま顔を上げようとはしない。
皇帝の寵愛を競う後宮妃には「美しさ」は何よりも優先される。特に美しい艶髪は、それだけで“美”そのものであり、持ち主を彩る装飾品ともいえる。
罰せられるのを覚悟している様子の侍女に、「そんなに畏れなくても……」と宝玉はなるべくやんわりと告げる。
「大丈夫です。そんなに謝らないでください」
宝玉には「そんな事」でしかない。
ーー髪ならいくらでも生えてくるもの。
だから、侍女に鋏を持ってこさせる宝玉は、自分の手で自らの髪の毛をバッサリと切り落としてしまう。
あんぐりと驚嘆する侍女。
「きゃあっ! 宝玉様っー!」
「良いの……髪の毛はまた伸びるし、これであなたが罰せられることもないでしょう?」
「そんなっ、宝玉様……ですが!」
「元々私の髪が長かったのは単純に切る手間も惜しんだから……それに邪魔だから一つで纏めていただけ……私には短い髪のほうがお似合いだと思わない」
どう? とニッコリと微笑む宝玉。その心遣いに感極まる侍女。
不手際を起こせば、他の後宮妃であれば容赦なく侍女を打ち据える。あまつさえ、侍女の命を虫ケラのごとく斬り捨てるのが高慢な後宮妃たち。それにもかかわらず、侍女には非がないようにまで振る舞う宝玉の心根の優しさ。
「……なんというお優しい方なのでしょう……」
侍女は深く深く頭を垂れ、その瞳には涙さえ浮かべ、感謝の意を表す。
「本当に気にしないでね?」
宝玉は笑みを絶やさない。
それでも粗末にされた棗の蒸し菓子は元には戻らない。あの蒸し菓子だけでも貧しい村では、一生にあるかないかの贅沢。
「絶対に許すまじ!」
意気込む宝玉は、後宮妃・麗香に「もし、食べ物を粗末にした不届者が見つかったら私にも合わせてください」と願い出る。
「宝玉ちゃんが望むなら引き合わせましょう。すでに不届者は面が割れているの。それよりも……宝玉ちゃん、その髪っ?!」
短い髪となった宝玉に息を呑むのは後宮妃・麗香。
ーーこれを炫が見たら驚くわね。
たとえ宝玉が許しても皇帝・王炫が許さないだろう……そう思う後宮妃・麗香だが、意外にも本気で憤ったのは宝玉だったりする。
「食べ物を粗末にする輩は絶対に許しません!」
127
あなたにおすすめの小説
愛する女性を側室に望むのなら、いっそ私との婚約は解消してほしいのですが?
四折 柊
恋愛
公爵令嬢ジョゼフィーヌには好きな人がいた。その人は隣国の王子様リック。ジョゼフィーヌはリックと結婚したくて努力をしてきた。そして十六歳になり立派な淑女になれたと自信を得たジョゼフィーヌは、リックにプロポーズをしようとした。ところが彼に婚約者がいたことが発覚し悲しみに暮れる。今まで確認しなかった自分も悪いが、なぜかリックも家族もそのことを教えてくれなかった。そんなときジョゼフィーヌに婚約の打診が来た。その相手は自国のアルバン王太子殿下。断りたいが王命が下り仕方なく受け入れた。それなのに、ある日夜会でアルバンが可憐な令嬢に一目惚れをした。その後、アルバンはその令嬢を側室にしたいと望んだので、お互いのために婚約を解消したいと申し出たが拒絶されて……。ジョゼフィーヌの未来はどうなるのか?!
子供のままの婚約者が子供を作ったようです
夏見颯一
恋愛
公爵令嬢であるヒルダの婚約者であるエリックは、ヒルダに嫌がらせばかりしている。
嫌がらせには悪意しか感じられないのだが、年下のヒルダの方がずっと我慢を強いられていた。
「エリックは子供だから」
成人済みのエリックに、ヒルダの両親もエリックの両親もとても甘かった。
昔からエリックのやんちゃな所が親達には微笑ましかったらしい。
でも、エリックは成人済みです。
いつまで子供扱いするつもりですか?
一方の私は嫌がらせで寒い中長時間待たされたり、ご飯を食べられなかったり……。
本当にどうしたものかと悩ませていると友人が、
「あいつはきっと何かやらかすだろうね」
その言葉を胸に、私が我慢し続けた結果。
エリックは子供を作りました。
流石に目が覚めた両親とヒルダは、エリックと婚約破棄するも、今まで甘やかされたエリックは本当にしつこい。
ねえエリック、知ってる?
「私にはもっと相応しい人がいるのよ?」
非常識な婚約者に悩まされていたヒルダが、穏やかな結婚をするまでの物語。
一年だけの夫婦でも私は幸せでした。
クロユキ
恋愛
騎士のブライドと結婚をしたフローズンは夫がまだ婚約者だった姉を今でも想っている事を知っていた。
フローズンとブライドは政略結婚で結婚式当日にブライドの婚約者だった姉が姿を消してしまった。
フローズンは姉が戻るまでの一年の夫婦の生活が始まった。
更新が不定期です。誤字脱字がありますが宜しくお願いします。
〈完結〉八年間、音沙汰のなかった貴方はどちら様ですか?
詩海猫(8/29書籍発売)
恋愛
私の家は子爵家だった。
高位貴族ではなかったけれど、ちゃんと裕福な貴族としての暮らしは約束されていた。
泣き虫だった私に「リーアを守りたいんだ」と婚約してくれた侯爵家の彼は、私に黙って戦争に言ってしまい、いなくなった。
私も泣き虫の子爵令嬢をやめた。
八年後帰国した彼は、もういない私を探してるらしい。
*文字数的に「短編か?」という量になりましたが10万文字以下なので短編です。この後各自のアフターストーリーとか書けたら書きます。そしたら10万文字超えちゃうかもしれないけど短編です。こんなにかかると思わず、「転生王子〜」が大幅に滞ってしまいましたが、次はあちらに集中予定(あくまで予定)です、あちらもよろしくお願いします*
私が行方不明の皇女です~生死を彷徨って帰国したら信じていた初恋の従者は婚約していました~
marumi
恋愛
「あら アルヴェイン公爵がドゥーカス令嬢をエスコートされていますわ」
「ご婚約されたと噂を聞きましたが、まさか本当だとは!」
私は五年前までこの国の皇女エリシアだった。
暗殺事件に巻き込まれ、幼なじみで初恋の相手だった従者――アルヴェイン公子と共に命からがら隣国、エルダールへ亡命した。
彼の「必ず迎えに来る」その言葉を信じて、隣国の地で彼を待ち続けた……。
それなのに……。
やっとの思いで帰国した帝国の華やかなパーティー会場で、一際目立っているのは、彼と、社交界の華と言われる令嬢だった――。
※校正にAIを使用していますが、自身で考案したオリジナル小説です。
※イメージが伝わればと思い、表紙画像をAI生成してみました。
裏切ったのはあなたですよね?─湖に沈められ記憶を失った私は、大公女として返り咲き幸せを掴みます
nanahi
恋愛
婚約者ウィルとその幼馴染ベティに罠にはめられ、湖へ沈められた伯爵令嬢アミアン。一命を取り留め、公女として生まれ変わった彼女が見たのは、裏切り者の幸せな家庭だった。
アミアンは絶望を乗り越え、第二の人生を歩む決意をする。いまだ国に影響力を持つ先の王弟の大公女として、輝くほど磨き上げられていったアミアンに再会したウィルは激しく後悔するが、今更遅かった。
全ての記憶を取り戻したアミアンは、ついに二人の悪事を断罪する。
教養が足りない、ですって
たくわん
恋愛
侯爵令嬢エリーゼは、公爵家の長男アレクシスとの婚約披露宴で突然婚約破棄される。理由は「教養が足りず、公爵夫人として恥ずかしい」。社交界の人々の嘲笑の中、エリーゼは静かに会場を去る。
さようなら、お別れしましょう
椿蛍
恋愛
「紹介しよう。新しい妻だ」――夫が『新しい妻』を連れてきた。
妻に新しいも古いもありますか?
愛人を通り越して、突然、夫が連れてきたのは『妻』!?
私に興味のない夫は、邪魔な私を遠ざけた。
――つまり、別居。
夫と父に命を握られた【契約】で縛られた政略結婚。
――あなたにお礼を言いますわ。
【契約】を無効にする方法を探し出し、夫と父から自由になってみせる!
※他サイトにも掲載しております。
※表紙はお借りしたものです。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる