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わたしは夜の内に、手荒れ用の薬の調合法を、紙に書き出した。
朝になり、必要な物を揃えて貰う様、執事のレナールに頼んでおいた。
わたしが薬を作るという事は、グエンからレナールに伝わっていて、
すんなりと引き受けてくれた。

一日の仕事が終わった後、控えの小さな調理場を使わせて貰い、
わたしは薬を作り始めた。
材料や備品を揃えて貰っていたので、作るのにはそう時間は掛からない。
二時間程でそれは完成し、わたしはそれを幾つかの小瓶に移した。

「これは…良い出来だわ…材料が良いのね…」

何といっても、薬草の質が良いのだろう。
それは綺麗に透明となり、その中でキラキラと光りの粒が踊っている。
わたしはその出来に大満足し、小瓶にラベルを貼った。

「レナール…様!
薬が出来上がりました、旦那様にお見せしたいのですが、よろしいですか?」

グエンから、許可するまで、使ってはいけないと言われている。
わたしは余程信用が無いらしい。
わたしが小瓶を抱えて執事のレナールに言うと、彼はパーラーへ通してくれた。
グエンは晩餐を終え、パーラーで寛いでいた。

「旦那様、フェリシアが薬をお見せしたいそうです」

レナールの声に、グエンが顔を上げる。

「早いな、どうだ、無事だったか、調理場を破壊してはいないか?」

冗談だろうか?普段冗談を言わない彼が、この様な事を言っているのだから、
きっと機嫌が良いのだろう。
わたしは進み出ると、小瓶を両手で差し出した。

「はい、勿論でございます、旦那様、こちらです…」

グエンはわたしを見て、それを手に取ると、眺めた。

「手に少量取り、伸ばしてお使い下さい」

グエンは瓶の蓋を開けると、それを手の甲に落とし、そして指で伸ばした。
匂いを嗅ぎ、左右の手の甲を比べて見ている…

「おかしい、怪しむ所が無い、普通に作れている…」

訝しげな顔をするグエンに、わたしはつい、言ってしまった。

「いえ、普通ではございません、これは、素晴らしく良く出来ております!」

「なんだ、もう使ったのか?」

見れば分かる…とも言えない。わたしは弾む気持ちを抑え、付け加えた。

「本に書いてございます、上等品の証は、光の煌めきの量です」

「だが、失敗していないとも限らない、
一晩様子を見て、大丈夫そうならば、使用を許可しよう」

その慎重さに、思わず、「そんな!」とわたしは不満の声を上げたが、
彼は譲らなかった。

「もし、痣にでもなったらどうする?君に責任が持てるのか?
本当は一週間様子を見たい所だが、一晩と言っているんだ、我慢しなさい」

こう言われては仕方が無い。
わたしは項垂れて「はい」と返事をした。

「そうだわ!言い忘れておりましたが、この薬は水で洗うと効果が落ちますので、
付けるのは就寝前になさるのが良いと思います。
水仕事をした後に付ける事で、皮膚を回復しますので、仕事により、
一日に何度も付ける事になると思います。今回作った量を、洗濯場の者
三人で使った場合ですと、一月分程だと思います。
それから、旦那様…」

「なんだ、まだ言いたい事があるのか?」

「質の良い立派な薬草を用意して下さって、ありがとうございます!
この様な素晴らしい薬が出来たのは、旦那様のお陰ですわ!」

興奮を隠しきれずにお礼を言うと、グエンはぎこちなく頷いた。

「そうか…それは、良かった、もう下がりなさい___」

きっと、照れているのだろう。
二十五歳のグエンは、可愛い所がある様だ。


翌朝の昼前、執事のレナールから、薬を使っても良いと許可が伝えられた。
わたしは喜び、レナールを通して感謝を伝えた。

早速、わたしは小瓶をハンナとマノンに渡し、使い方を説明した。
二人は驚きつつも使ってくれた。
効果は早く出て、翌日、二人は嬉々として教えてくれた。

「フェリシア、あんたの薬、凄いよ!手荒れが治ったよ!
それに、艶々して…まるで、二十歳の娘に戻ったみたいだ!」

「それに、なんだか輝いてるわ!いい匂いだし!」

「材料が良かったんです、
旦那様が、一級品の薬草を用意して下さったお陰ですわ!」
「まぁ!私たちの為に…ありがたいよ…」
「本当!旦那様は良いお方だわ!」

二人が感謝するのを、わたしはうれしく聞いたのだった。


◇◇


三日後、わたしはグエンに呼び出され、パーラーへ通された。

「君の作った薬を、町の薬師に見て貰ったんだが、褒めていた」

わざわざ、薬師に見せるなんて!慎重過ぎるわ!
それとも、わたしの作った物だから、信用出来なかったのかしら?

「気を悪くするな、薬師に見て貰ったのは、僕が使っても良いと許可した後だ」

わたしの考えを読んだのか、彼は先回りし、付け加えた。
わたしは何とも答え様が無く、「左様でございますか」と返した。

「薬師が言うには、これだけの薬を作れる者は、薬師か調合師だと。
少なくとも、本を読んだだけでは、到底作れないそうだ。
それに、薬を作るには、魔力も使うらしいな?
魔法学園で習った者か、若しくは、何処かに弟子入りしていたか…
貴族の娘が、弟子入りとは考え難い、恐らくだが、君は魔法学園に通っていた筈だ___」

そんな事まで分かってしまうなんて!
油断し過ぎてしまっていただろうか?
だが、グエンはわたしの記憶が戻っている事には、気付いていないらしい。

「そこで、魔法学園の卒業生の名簿に、君の年齢を照らし合わせてみた。
君が何者か分かるかもしれないと思ってね…
だが、結果を先に言うと、該当する者は見付けられなかった」

グエンが暗い声で告げる。
この時の自分…アリスは、七歳の子供だから、魔法学園の名簿に該当
する者がいないのは当然だが、それでも、わたしは安堵した。

「一応、君の情報を伝え、探す様にしておいた。
何か連絡が来るかもしれないので、君にも言っておくよ」

親身になり、手を打ってくれたグエンには申し訳ないが、連絡が来る事は絶対に無い。
わたしはこの時間の人間では無いのだから…

「大丈夫だ、
もし、何か問題があるなら、君を渡したりはしない、約束するよ、フェリシア」

グエンが、わたしを安心させようと言ってくれる。
ああ!なんて心強いのだろう、彼は騎士の様だ。
これ程、信頼出来る人はいない。
だが、それなのに、わたしをこの館から出そうとする気持ちは変らないのだろうか?

「ここを離れたら、あなたは守って下さらないのでしょう?」

わたしがそっと、伺う様に聞くと、グエンは息を飲み、視線を落とした。

「いや、勿論、力になるよ、いつでも連絡しなさい」

わたしはその答えに、ガッカリした。

「フェリシア、君には薬を作って貰いたい。
今回作って貰った分は、三人で使って一月分だと言っただろう?
他のメイドたちも欲しがっている様だから、なるべく沢山作って欲しい。
明日から、洗濯場の仕事は他の者にさせる、詳しくはレナールと打合せなさい」

わたしはたった数日で、尤もな理由を付けられ、洗濯場から外された。
その事に気付き、唖然とした。
全く、彼の思うツボだわ!


◇◇


わたしは小さな作業場を貰い、一日中、薬を作る様になった。
元々、調合の仕事をしていたので、こういう生活には慣れていた。
静かな環境と、一人という事もあり、作業に集中出来た。
集中し過ぎて、度々、お茶の時間や食事を取るのを忘れてしまい、
その度、メイドが食事やお茶を運んで来てくれた。

これまで、わたしはメイドたちから嫌われていたが、
わたしが作る薬は気に入って貰え、それ以降は関係も改善されていた。
わたしの素性は分からないまでも、薬が作れ、魔法が使えるという事で、
『只の町娘では無い』と噂され、少々恐れられる様になった事も関係しているかもしれない。


「薬を作れとは言ったが、君は集中し過ぎる傾向にある、フェリシア」

グエンの声が耳に届き、わたしの集中は途切れ、我に返った。
薬を煮詰める作業中だった。
振り返るまでもなく、直ぐ傍にグエンが立っていて、わたしは驚いた。

「まぁ!旦那様、ここで、何をなさっているんですか?
わたしがサボっていないか、覗きに来られたのですか?」

わたしは見られていた事が気恥ずかしく、誤魔化す様に、軽口を言っていた。
グエンはそれに冷ややかな目で返し、彼らしい、気真面目な口調で答えた。

「逆だ、君が度々、食事を忘れると苦情が来ているから、見に来たんだ。
集中するのも良いが、食事はちゃんとしなさい、皆が心配するだろう」

「申し訳ありません、つい、忘れてしまって…
それに、手が離せない場合もございます、一度火を入れると、出来上がる
まで、掻き混ぜなければいけませんし、食事は手が空いた時にしますので…」

「ならば、助手を付けてやろう」

「いえ、そんな大袈裟な!」

わたしはギョっとし、断った。
助手なんて付けて貰う程の仕事はしていない。

「それなら、少しペースを落としなさい、時間が空くというなら、それもいい、
休憩するか勉強でもするといい、君は良く本を読むらしいからな。
執事やメイド長には伝えておく、君がサボっていても叱りつけるな、とね」

グエンがニヤリと笑う。

「ご配慮下さり感謝申し上げますわ、旦那様」

わたしの皮肉が伝わったのか、グエンは改まった態度を止め、呆れた声を零した。

「全く、君は生意気だな、僕にその様な態度をとる者はいないぞ」
「旦那様の周りは、上品なご令嬢ばかりなのでしょう、わたしは違いますわ」
「君はなんだというんだ?」
「わたしは、わたしですわ、貴族だとか、町娘だとか…薬師だとか、ケーキ職人だとか?」

グエンが吹き出す。

「ケーキ職人にはならないでくれ」
「いいえ、わたしはケーキ職人にもなれますわ!」
「無理だ、僕が保証する」

わたしは火を消すと、その出来上がりを見た。
素晴らしい薬だ。
わたしはグエンに目を移す。

「わたしがケーキ職人になるのは、旦那様にだけです」

あなたの為に、初めてケーキを焼いた。
あなたの為に、毎日ケーキを焼いた。
あなたが、望んでくれるなら、わたしは毎日ケーキを焼くわ…

「あなただけです…」

わたしが想いを込めて見つめると、グエンは顔を顰めた。

「僕を誘惑するのは止めるんだ、フェリシア」

『止めなさい!』

あの夜も、彼はわたしを止めた。
二十五歳の彼にまで、わたしは嫌われてしまうんだろうか…
胸が締めつけられ、わたしの目から涙が零れた。

「すみません…」

わたしは顔を逸らし、手の甲で涙を拭う。

「フェリシア!」

名前を呼ばれた次の瞬間、わたしは彼に抱きしめられていた。
強い力で、その胸の中に…

「!?」

突然の事に驚き、わたしは息を吸った。
だが、その体温と、彼の匂いに、わたしは歓喜し身を預けた。

ああ…!彼に抱かれている!!

だが、喜びに震えるわたしとは違い、グエンは絞り出す様に言った。

「フェリシア、君は勘違いしている、君が僕を慕うのは、恋などではない。
記憶を失っているからだ。初めて見たのが僕で、僕が安心出来る存在
だからだ、君の内にある不安が、恋だと思わせているんだ…!」

わたしの記憶は戻っていると、わたしが言ったとしても、
彼は他に言い訳をし、わたしの気持ちを否定するだろう…
決して認めようとしない、わたしはそう感じた。
何故?
婚約者に酷い目に遭わされた事で、愛を信じられなくなっているのだろうか?
それとも、他に理由が?

【僕は恐れてもいた…彼女が僕の元を去ってしまうんじゃないかと…】
【このままの関係を続けたい、このまま時が止まればいい…】

彼は、フェリシアが自分の元から去る事を恐れていた。
だけど、わたしを追い出そうとしているのは、他でもない、彼の方なのに!

わたしは、グエンが『今』何を考えているのか、全く分からなかった。

わたしは彼の言葉を否定しようと、彼に強く抱きついた。
その広い背に腕を回し、必死にしがみ付いた。
だが、その事で彼の方は我に返ったのか、わたしを引き離した。

「すまない、こんな事をしてしまって…」

「勘違いではありません!わたしは、あなたを愛しています!」

駄目だと分かっていても、もう、隠してはおけなかった。
わたしの言葉に、グエンは愕然とした。
それは、恐れにも似た表情だった。

あんまりだわ!

わたしは耐えられずに、泣いてしまった。

「フェリシア…泣かないでくれ…
君もその内、気付くだろう、勘違いだと気付き、そして、君は出て行くんだ…
ここから、僕の前から___」

「わたしは出て行きません!何があっても、あなたから離れないわ!」

グエンは頭を振る。

「悪いが、信じられない、特に、君の言葉は、一番信じられない」

わたしが、記憶喪失だから?
記憶が戻れば、あなたを置いて去ってしまうと?

「あなたが信じて下さらなくても、わたしはあなたの傍にいます!
あなたが信じて下さるまで、決して離れません!
わたしは、あなたを傷付けたりしない…あなたを愛しているの…!」

わたしは踵を上げ、彼の顎に唇を押し付けた。

「フェリシア!!」

彼はわたしの肩を掴み、強い力で引き離した。
わたしは作業台に腰を打ち付けたが、何も感じなかった。
ただ、去って行く彼を悲しくみつめていた…


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